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20年目の真実

みなさまからの力石2
05 /05 2023
BUSYBEE-GAEIさんのブログ「Busybee Life」を拝見して、
あれ?と思ったんです。


ブログ主さんが東京・江戸川区の香取神社へ行った時の記事に、
こんな写真があったからです。

古い鳥居を置いた「旧鳥居碑」の後ろに、力石のような石が…。


東小松川1
東京都江戸川区中央4-25・東小松川・香取神社

BUSYBEE-GAEIさん、近寄って写真を撮りました。

「さし石」と読めます。
境内にいた法被を着た人に「力石ですか?」聞いたが、「わからない」という。


「わからないたァ、なんだよ」と、
外野の私から文句を言いたいところですが、先を急ぎます。


東小松川2

私、この写真に目を凝らして考えました。

どこかで見覚えがあるような? でも古い鳥居の後ろって記憶にないしなぁ。
ひょっとして新発見かも。

そこで困ったときの助っ人、斎藤氏に問い合わせると以下のお返事が…。

「メモを見たらこの神社には、
江戸川区郷土資料室の「まるいし おもいし ちからいし」展の帰りに、
立ち寄っていたことが判った。でも調査に行ったわけではなかったので
さっと見て帰ったが、確か「さし石」のような石が1個あった」

そこで斎藤氏、改めて、
「東京の力石」
(高島慎助 岩田書院 2003)を精査してみたら、
ここの神社の力石は1個どころか13個と書いてある。

「あれ、おかしいな」とさらに調べたら、こんな間違いを発見。
な、なんと、この神社のデータと近くのもう一つの香取神社のデータが、


アベコベになっていた!

img20230428_09452777.jpg

さあさあ、お立合い!
「一枚が二枚、二枚が四枚…」なんて遊んでいる場合じゃーない。


5個13個に、13個5個に入れ替わっていたというのですから、

ヒエーッ!

高島先生! 間違ってますよ!

それからすぐ、斎藤氏から2通目のこんなメールが届いた。

「ふふふ 雨宮さんもここへ行って写真を撮っていましたよ。
そのとき、
「東京の力石」と両社の石の個数の違いに疑問を持たれたようです」

そこで改めて自分のブログを見ると、ありました!

「行ってきました!「ちからいし」展」

2015年、
斎藤氏が行った江戸川区郷土資料室での「ちからいし展」に、
私も行っていました。日付を見たら斎藤氏より一日早く。

で、そこでいただいたパンフ「力石に会いに行こう!」を手に、
両方の香取神社へ行っていたんです。


img20230428_08232722_2023042809563058f.jpg

すっかり忘れていました。

これが2015年に私が撮影した東小松川・香取神社の「さし石」です。

当時は香取神社境内社「日枝神社」内の手水鉢の前にありました。

そうそうあの時思ったんですよ。
「あれ? 本には13個とあったけど、たったの1個?」


2015年ちから石展

この石の刻字です。
「さし石 世話人 上之庭 秋元宗十郎 新道庭 鈴木伝左ェ門
鈴木治兵ェ 中之庭 小日向太兵衛 東小松川 梅澤」

下の写真が「東京の力石」に掲載されているここの写真です。

現在は1個のみですが、
この写真では「神輿奉献記念碑」周辺に複数写っています。


斎藤氏の調査によると、「葛飾区郷土と天文の博物館」の2000年発行の
「特別展 怪力伝説 東京近郊の草相撲と力持ち」
の表の中に、
江戸川区の力石として、
中央4-25(東小松川・香取神社)5個と記載されているそうですから、
かつては5個存在していたと思われます。

右下にある石、「さし石」に似ています。
img20230428_08245926.jpg
「東京の力石」より

データがアベコベになっていたもう一か所の香取神社は、
新小岩・香取神社
(中央4-5)です。

下は2015年に私が撮影したこの神社の力石です。


ここへ来て石を見たときも、
「あれ? 東京の力石では5個となっていたけど、なんだか増えてる」
と思ったんです。

で、そのときは再調査をと思いつつ、いつしか忘却のかなたへ。

※ちなみに「葛飾区郷土と天文の博物館」の資料には、
ここの力石は13個と明記されているから、
増えたんじゃなくて最初から13個だったんだ。

それにしてもこの粗雑な置き方。悲しすぎます。先人が泣いています。
CIMG2447_20230428102920ba7.jpg
東京都江戸川区中央4-5・新小岩・香取神社

それが8年の歳月を経て、
思いがけずBUSYBEE-GAEIさんのブログで改めて再調査。
その結果、20年前の本のデータミスが判明しました。

私が当時、「あれ?」と疑問に思った石の個数の謎がようやく解けました。


三重之助先生! ほんとにもうー! (♯`∧´)
でもまあ、そのころの先生も孤軍奮闘でしたから、
その頑張りに免じて許してさしあげます。

        ーーー◇ーーー

「さし石」の移動の変遷(斎藤氏の調査による)ー

① 2000年 「さし石」を含め5個確認。
       by「葛飾区郷土と天文の博物館・特別展資料」

② 2010年 境内社の日枝神社・手水鉢前に「さし石」。
       そのほか境内各所に力石らしき石が散在。
       byブログ「神社探訪 狛犬見聞録」

③ 2015年 斎藤氏、雨宮が手水鉢前に「さし石」確認。
       江戸川区郷土資料室発行の同年発行のパンフも、
       ここの神社の力石は「さし石」1個となっていることから、
       この時点で、あとの4個はすでに散逸してしまったと思われる。

④ 2018年 この年、境内社の改築。
       台座上の5基の小詞は撤去され、新たに3基設置。
       台座横にあった「山王大権現碑」は「旧鳥居碑」後ろに移動。
       その 「山王大権現碑」横に「さし石」確認。
       byブログ「晴れた日は歩いて行こう、どこまでも」
       
⑤ 2019年6月 「さし石」、2018年当時のまま、
        「旧鳥居碑」裏の「山王大権現碑」横に。
        byブログ「ホトカミ 香取神社のお参りの記録」 

⑥ 2023年 BUSYBEE-GAEIさんにより、同場所に確認。

あとの4個は不明。そのうちの一つには、以下の刻字がありました。

「□し石 東小松川 梅澤 四十町 力蔵 
當村 吉二郎 舟堀 桶長」


ここに出てくる「四十町力蔵」は、「鬼熊」門人。 

鬼熊を始め、本町東助、扇橋金兵衛、大島伝吉、四ツ目吉五郎などの
当時の花形力持ち力士と共に活躍し、同じ石に名を刻んだ有名力持ちです。

これを葬ってしまったのは、なんとも惜しい。

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コメント

非公開コメント

アベコベだったのですね

なるほど、アベコベとはそういうことでしたか。それにしても、社殿改築その他もろもろ事情により行方不明になってしまった石が随分あるのですね。もったいない。私は全くの素人ですが、皆さんのブログで丸い石に興味をもち、神社を見かけると思わず探すようになりました。詳細、解説いただき有難うございました。

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このコメントは管理人のみ閲覧できます

BUSYBEE-GAEIさん

コメントありがとうございます。
重箱の隅をつつくような話ですみません。
行方不明や放置された力石を全部救うことはできませんが、忘れられてしまうのも残念なので、できる限りみなさんに知っていただきたいと思っています。

なぜ知っていただきたいかというと、一つには歴史学者の網野氏が言ったように、「日本は権力者の歴史しか教えてこなかった」ということ。そしてもう一つは戦国時代には武将が部下に自分の力量を誇示するために力石を用いましたが、平穏な江戸時代になると、力石は蔑視の対象とされた人力を職業にしている人たちの鍛錬の道具などに変わっていきました。

石一つからもいろんなものが見えてくる、私にはそれが魅力的なんです。

鍵コメさんへ

ありがとうございます。
本当に嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。

No title

こんばんは!

ひゃ~、こんなこともあるのですね。

力石に関してはまだまだ、多くの市民の関心になり切らないのでしょう。文化財としての認知が無いのだろうなぁ。もったいない。

諦めず、気長に、声を上げ続ける事が大事ですね。力姫さん!重箱の隅をつついてつついて、突っつきまくりましょう(笑)

torikeraさんへ

こんなことが時々あるんですよ。v-399

torikeraさんの力強い応援をいただいたので、
今後も重箱の隅を突つきまくります!

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞