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機織りの姫

盃状穴②
05 /08 2023
ーー長らくお休みしていた「盃状穴」、再びーー

「もう忘れちゃったよ」なんて言いっこなしヨ。
「このどこが盃状穴なんだよ」って言われると弱いけど…。


        ーーー◇ーーー

人が生まれ変わる場所は大地の穴。
そこに生えている「生命の樹」は、天まで伸びているという。

でもその大地と天は年がら年中、行き来していたわけではないらしい。

ではその日はいつかというと、7月7日がそうなんだ、と。
つまり七夕の日。

この日は年に一度の男女交会の日で、また、天と地がつながる日。
天の川を挟んで住む織り姫と彦星の逢瀬も1年にこの日だけ。

で、魂の復活再生が行われるのも、この七夕の日というのです。


古代人の思考って、すごいなぁと思います。

奇数が並ぶ日は、陰陽でいうと「陽」の日。

古代ローマではこの日は「女たちの日」と呼ばれていて、
イチジクの小枝でお互いを打ち合ったそうです。

さて、ここに3人の超有名な「機織りの姫」をあげてみます。

一人目は天の川の西側に住んでいる「織り姫」です。

織り姫は神さまの供物をのせる「棚」にいて、「棚機(たなばた)」という
特別な機織り機で神さまの着る衣を織っている女性です。


浜松市に、「初生衣(うぶぎぬ)神社という古社があります。

初衣神社の「織殿(おりどの)」です。祭神は「アメノタナバタヒメノ命」
あの天の川の織り姫なんです。
CIMG4390.jpg
静岡県浜松市北区三ケ日町岡本

伊勢神宮に神御衣(かんみそ)=御衣(おんぞ)を納めてきたそうです。
私はこちらに2回、お邪魔させていただきました。


一度目は、
平安時代から続く機織り職の「神服部(かんはとり)家」のご当主、
二度目は女性神職の方のご案内でした。

あいにくの雨で白足袋が汚れて、申し訳ない気持ちで拝聴しました。
CIMG4391.jpg
同上

そうそう、トヨタといえば自動車ですが、
初代の豊田佐吉は自動織機や自動糸繰り機を考案した人です。

浜名湖の西岸・静岡県湖西市に佐吉の生家が保存されていて、
質素な茅葺の家に機織り機がポツンと置かれていました。

ここが世界のトヨタの原点だったんです。

案内の人が言ってました。

「佐吉は少年の頃、機を織る母親の姿を見て、
将来、自動で布が織れる機械を作って母親を楽にさせてあげたいと…」


初衣神社の動画です。どうぞご覧ください。


さて、ここで静岡市にある機織りに関連した地名を3か所みていきます。

静岡浅間神社の後背には賎機
(しずはた)連峰という低山が連なっています。
その山の安倍川側にあった村を「賎機(しずはた)村」といい、
そこで「賎機布」を織っていたそうです。


「賎機布」というのは「倭文(しずり。しどり)布」のことで、
日本古来の織物です。

ところが、楮(こうぞ)や梶(かじ)などの木の繊維を原料としていたため、

大陸伝来の蚕が吐き出す絹布に対して、一段と低く見られ、
それで「賎しい」の「賎(しず)」の名で呼ばれていたというのです。

県東部の富士宮市には、古代、朝廷にこの倭文布を「調」として納めていた
倭文神社があるんですけどねぇ。


静岡市の航空写真です。
赤丸が静岡浅間神社。そこから奥へ続いている尾根が賎機山。
「賎機(しずはた)村」は山の左側、安倍川沿いにあった。

山の右側の一番奥、三方を山に囲まれたところが麻布を織っていたと言われる
「麻機(あさはた)村」です。黄色の丸は駿府城。
img20230408_12531047.jpgimg20230408_12520490.jpg
静岡市 清流の都・静岡創造推進協議会パンフ(2007)よりお借りしました。

「日本書紀」に、
富士川のほとりに「大生部多(おおうべのおう)」という部族がいて、
常世の虫と称するもので住民を惑わしていたので、
秦氏が成敗した話がでてきます。

この多氏と倭文神社とは関係があったかどうかはわかりませんが、
日本書紀のこの話、単なるカルト教祖の話ではなく、
都の貴族たちの勢力争いの代理戦争のような気がします。


とまあ、またまた不確かな推理ですみません。

「麻機(あさはた)村」の話に移ります。
古い本には「麻服」と書いて「あさはた」と読ませているものもあります。

江戸時代には7か村あったそうですが、なにしろ三方が山で、
そのど真ん中に大小の沼と葦が生い茂る湿地帯が広がっていたため、
家々は山の斜面にへばりつくように散在。

この地は賎機山の反対側を流れる安倍川より標高が低く、
海抜はないに等しかったため、常に洪水との闘いを強いられてきたという。

泥と砂地の田んぼには、胸まで浸からなければならなかったから、
嫁取りには苦労し、年貢は沼の魚や鳥で納めるしかなく、
貧しさゆえに名主でさえ賎機山の尾根を歩いて
町へ行商に出なければならなかったと郷土史にあった。

そんなわけで町の衆からは「異界」とされていた。

昭和初期のあさはた村です。
現在は住宅がびっしり並び、人口も1万3000余人という町に変貌した。
背後の山が賎機山。
img20230408_13152066.jpg
「麻機村誌」麻機をつくる編集委員会 昭和54年よりお借りしました。

不思議なことにここには、どこの村にもある伝統行事などは皆無で、
ただ古さを証明するものと言えば、唯一、「北浅間神社」という古社。


この古社の由来は全くわかっていませんが、
「その昔、富士宮の富士山本宮浅間大社を駿府に分祀した際、
その行列の休憩場所だった」
との言い伝えが残っています。

分祀は夜間行われたとのことで、口を白い紙で封じ、ここから賎機連山の
尾根を通って、南の端に位置する静岡浅間神社に運ばれたのだ、と。

この「麻機村」の歴史が古い時代まで辿れないのは、
生活環境の厳しさから何度も住民の移動や入れ替わりが
あったせいかもしれません。


「麻織りの村だったのではないか」と言われてきましたが、
それとて、確実な証拠は何もない。

唯一残った古社だけが、ここの歴史を知っているということになります。


          ーーー◇ーーー 

ブログ「Atelierありあ」ありあんねさんが、
拙ブログ記事をご紹介してくださいました。
なんか照れちゃいますが、とても素敵な文と構成でうれしいです。

どうぞ、ご覧ください。

「力石、盃状穴とは」

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コメント

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No title

雨宮さん

またまた拙blog を ご紹介くださってありがとうございます!
盃状穴から 話題は
機織姫、七夕へと展開していくのですね。
ますます 目が離せません。
天衣無縫の記事、楽しみにしています^^/ 

ありあんねさんへ

「天衣無縫の記事」
最大の誉め言葉です! ありがとうございます。
ほんとにね、材木屋の如く、木ならぬ「気」が多いので、
興味が四方八方に飛んでいきます。
子供の頃から友人たちの輪に入っていても、
いつの間にか私だけ、話がずっと先へ飛んでいくのでみんなと嚙み合わず。
「変な人」と。だから孤独な少女でした。v-390

今後とも楽しくお付き合いください。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞