輪廻観は世界共通
盃状穴②
霊魂は不滅。
一旦、肉体を離れても必ず、何かに転生して甦る。
この輪廻転生・霊魂移動説があるのは日本だけではない。
「輪廻の話」井本英一 法政大学出版局 1989によると、
これは「古代人に一般的なものだった」という。
ダライ・ラマの転生化身、空海は不空三蔵の生まれ変わり…。
カルトと呼ばれる新興宗教の教祖も、自らを〇〇の再来などと自己申告。
で、「その他大勢」はどうなるのかというと、動物に転生したという。
古代ギリシャ人の輪廻観がおもしろい。
「食いしん坊で不摂生で酒浸りの人の魂は、
ロバの中へ」
「私が酒浸りだなんて、ひどい言いがかりよね」とロバさん。

大分県・湯布院
「不正や専制や略奪を好んだ人は狼、鷹、鳶に」
シンリンオオカミも怒ってます。
「失礼だなぁ。不正や略奪とオイラを結びつけるなんて」

静岡市・日本平動物園
「哲学や知性なしの人は蜂の仲間に」
「私たち蜂の一族は文武両道でございます。ブンブ、ブンブ」
「哲学や知性を求めて生を送った人は、
神さまの種族に帰一する」
(井本英一氏)
酒浸りの方は「ロバ」だそうですから、お気をつけください。(笑)
日本ではこんな感じ。
「前世の業によって、蛇、馬、牛、犬、鳥などに生まれ変わる。
だから現在は畜生であっても、過去は父母であったかもしれないし、
六道四生は自分が生まれ変わるところなので、慈悲の心がなければならない」
(日本霊異記)
ただし、天の子は鳥になるとか。
そういえば、ヤマトタケルは伊吹山で白鳥になって飛び去った。
ヒグマ、エゾシカ、キタキツネに囲まれて。ひょっとしてこれって私の転生先?

北海道・美幌峠
神話学の井本先生は、
「古墳に残る石人、石馬は被葬者の転生する姿」としていますが、
考古学の河上邦彦先生のとらえ方は違います。
奈良の「吉備姫王(きびつひめのみこ)墓」の境内に安置されている
4体の「猿石」と称する石像についての、両者の違いを見てみます。
井本説。
「もとからこの墓に付随していたのなら、転生途中の動物の像で、
両面像については、
一方の顔はこの世を向き、もう一方はあの世を向いている。
四ツ目犬と同じように、この世とあの世の境界に立つ存在である」
=「十二支動物の話」 法政大学出版 1999
河上説。
「4体の「猿石」は元禄15年(1702)に、現・欽明天皇陵の南側の
田畑より掘り出され、欽明陵に並べられた。
おそらく明治になってから欽明陵北側にある吉備姫王墓前に移され、
現在に至っている。
この4体は、乳房があるので「女」、裸体に陽物を出しているから「男」、
もう一体の陽物を出す裸体は「山王権現」との名称で呼ばれてきた。
この3体は二つの顔を持つ「二面石」だが、「僧」だけは「一面石」。

のちにこの「僧」が掘り出され、ふんどし姿で陽物の表現はなく、
また痩せた坊さんのイメージもなく、むしろ太っていたことから
河上先生は、これは「力士」ではないかと考えた。
そこで結論として、亀田博氏の「猿石は伎楽を表わしたもの」に賛同。
う~ん。伎楽って裸で陽物やらおっぱい丸出しで演じるかなぁ?
まあもっとも、神楽も田楽もかなりきわどかったし…。
それはさておき、河上先生、力士像だけが異質だったことや、
近くにあるキタガワ遺跡を天皇に拝謁する迎賓館のようなものと推測し、
こう考えた。
「相撲は見世物だったから、
各地からの使者たちを楽しませるために相撲や伎楽を催した。
催しがない時は代わりに猿石のような石像を置いて楽しませたのではないか」
=「飛鳥を掘る」 講談社 2003
学者さんでもこのように意見が違いますから、
ド素人のワタクシメも臆せず、「妄想」を申し上げます。
どちらかといえば、私は井本説。
ただし、陽物やおっぱいを露わにしているところや猿顔(魔去る)から、
邪気を払う「魔除け」かなぁとも思いました。
それと気になったのは、「男」「僧」の手が〈礼拝の形〉であることと、
「山王権現」が敬意を表す〈膝まづいた姿〉であること。
で、この「猿石」たちを見つめていたら、こんなことが浮かんだんです。
何の根拠もありませんが…。
4体のうちの鰐顔の「女」は海神(わたつみ)の娘のトヨタマ姫。
「男」は山幸彦。「山王権現」は、この二人の子供のウガヤフキアエズ命。
「山王権現」

この人が被っている頭巾は胞衣。赤ん坊は胞衣を被って生まれてくるから。
猿顔は赤ん坊そのものだから。
なぁ~んてことはないか…。
河上先生が喝破した「力士像」について、
先生は「各地・各国の賓客をもてなすため、相撲を見せた」としていますが、
どうなんでしょう。
相撲に関していえば、
日本史への登場は、建御雷神の「国譲り神話の力くらべ」が最初。
その後、
その年の豊作物を占う儀式となり、宮中に入って「相撲節会」となった。
「崇神天皇、
当麻蹴速(たいまのけはや)と野見宿祢(のみのすくね)の相撲を見る図」

「日本名所風俗図会」角川書店 竹村俊則・編 昭和56年
こういう事例があります。
「相撲やレスリングは葬送や墓前で行う儀礼の一つであった。
アレキサンダー大王はペルシャ遠征のとき、アキレウスの墓に詣で、
墓前競技を催した。
中国吉林省の高句麗遺跡の角抵(相撲)塚に、
生命の樹の下で相撲を取る図がある」=「輪廻の話」
相撲は見世物から始まったとは思いたくないなぁ。
古代の相撲は神聖な儀礼としての要素が強かったし…。
今は完全に娯楽となりましたが、
神聖な儀礼としての痕跡は、力士が土俵を塩で清め、
神鎮めの四股を踏み、清めの水を口にするなどに見ることができます。
そうした伝統は力石にも残っています。
昭和初期になっても力持ち力士たちは、
「力石には神が宿っているから腰掛けたりしてはいけない。
売買するものではない」と、自らを戒めてきた。
そういう敬虔さがあったからこそ、石に自分の名を刻み神に捧げたのです。

静岡県富士市神戸上・神戸弁財天水神
なので、賓客をもてなすための見世物ではなく、
欽明天皇への墓前儀礼とした方が理に適っていると私は思います。
みなさまはどうお考えでしょうか。
で、この「猿石」の顔はどう見ても現・日本人の顔ではない。
そんなことから、遠い国々から中国経由で来日した人たちの
手になるものともいわれています。
「南米グアテマラから大量に発掘されたデモクラーシアの巨石彫刻」
しぐさが明日香の「猿石」と似ていませんか?

「歴史読本」新人物往来社 昭和51年
輪廻転生思想も神話も世界共通だし、
現代人が思っているほど古代人は無知ではなく、
地球規模で活発に動き回っていた。
その根拠の一つに「法隆寺の香木」があります。
これに刻まれた文字は、ペルシャ人やソブド人の文字なんだとか。

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一旦、肉体を離れても必ず、何かに転生して甦る。
この輪廻転生・霊魂移動説があるのは日本だけではない。
「輪廻の話」井本英一 法政大学出版局 1989によると、
これは「古代人に一般的なものだった」という。
ダライ・ラマの転生化身、空海は不空三蔵の生まれ変わり…。
カルトと呼ばれる新興宗教の教祖も、自らを〇〇の再来などと自己申告。
で、「その他大勢」はどうなるのかというと、動物に転生したという。
古代ギリシャ人の輪廻観がおもしろい。
「食いしん坊で不摂生で酒浸りの人の魂は、
ロバの中へ」
「私が酒浸りだなんて、ひどい言いがかりよね」とロバさん。

大分県・湯布院
「不正や専制や略奪を好んだ人は狼、鷹、鳶に」
シンリンオオカミも怒ってます。
「失礼だなぁ。不正や略奪とオイラを結びつけるなんて」

静岡市・日本平動物園
「哲学や知性なしの人は蜂の仲間に」
「私たち蜂の一族は文武両道でございます。ブンブ、ブンブ」
「哲学や知性を求めて生を送った人は、
神さまの種族に帰一する」
(井本英一氏)
酒浸りの方は「ロバ」だそうですから、お気をつけください。(笑)
日本ではこんな感じ。
「前世の業によって、蛇、馬、牛、犬、鳥などに生まれ変わる。
だから現在は畜生であっても、過去は父母であったかもしれないし、
六道四生は自分が生まれ変わるところなので、慈悲の心がなければならない」
(日本霊異記)
ただし、天の子は鳥になるとか。
そういえば、ヤマトタケルは伊吹山で白鳥になって飛び去った。
ヒグマ、エゾシカ、キタキツネに囲まれて。ひょっとしてこれって私の転生先?

北海道・美幌峠
神話学の井本先生は、
「古墳に残る石人、石馬は被葬者の転生する姿」としていますが、
考古学の河上邦彦先生のとらえ方は違います。
奈良の「吉備姫王(きびつひめのみこ)墓」の境内に安置されている
4体の「猿石」と称する石像についての、両者の違いを見てみます。
井本説。
「もとからこの墓に付随していたのなら、転生途中の動物の像で、
両面像については、
一方の顔はこの世を向き、もう一方はあの世を向いている。
四ツ目犬と同じように、この世とあの世の境界に立つ存在である」
=「十二支動物の話」 法政大学出版 1999
河上説。
「4体の「猿石」は元禄15年(1702)に、現・欽明天皇陵の南側の
田畑より掘り出され、欽明陵に並べられた。
おそらく明治になってから欽明陵北側にある吉備姫王墓前に移され、
現在に至っている。
この4体は、乳房があるので「女」、裸体に陽物を出しているから「男」、
もう一体の陽物を出す裸体は「山王権現」との名称で呼ばれてきた。
この3体は二つの顔を持つ「二面石」だが、「僧」だけは「一面石」。

のちにこの「僧」が掘り出され、ふんどし姿で陽物の表現はなく、
また痩せた坊さんのイメージもなく、むしろ太っていたことから
河上先生は、これは「力士」ではないかと考えた。
そこで結論として、亀田博氏の「猿石は伎楽を表わしたもの」に賛同。
う~ん。伎楽って裸で陽物やらおっぱい丸出しで演じるかなぁ?
まあもっとも、神楽も田楽もかなりきわどかったし…。
それはさておき、河上先生、力士像だけが異質だったことや、
近くにあるキタガワ遺跡を天皇に拝謁する迎賓館のようなものと推測し、
こう考えた。
「相撲は見世物だったから、
各地からの使者たちを楽しませるために相撲や伎楽を催した。
催しがない時は代わりに猿石のような石像を置いて楽しませたのではないか」
=「飛鳥を掘る」 講談社 2003
学者さんでもこのように意見が違いますから、
ド素人のワタクシメも臆せず、「妄想」を申し上げます。
どちらかといえば、私は井本説。
ただし、陽物やおっぱいを露わにしているところや猿顔(魔去る)から、
邪気を払う「魔除け」かなぁとも思いました。
それと気になったのは、「男」「僧」の手が〈礼拝の形〉であることと、
「山王権現」が敬意を表す〈膝まづいた姿〉であること。
で、この「猿石」たちを見つめていたら、こんなことが浮かんだんです。
何の根拠もありませんが…。
4体のうちの鰐顔の「女」は海神(わたつみ)の娘のトヨタマ姫。
「男」は山幸彦。「山王権現」は、この二人の子供のウガヤフキアエズ命。
「山王権現」

この人が被っている頭巾は胞衣。赤ん坊は胞衣を被って生まれてくるから。
猿顔は赤ん坊そのものだから。
なぁ~んてことはないか…。
河上先生が喝破した「力士像」について、
先生は「各地・各国の賓客をもてなすため、相撲を見せた」としていますが、
どうなんでしょう。
相撲に関していえば、
日本史への登場は、建御雷神の「国譲り神話の力くらべ」が最初。
その後、
その年の豊作物を占う儀式となり、宮中に入って「相撲節会」となった。
「崇神天皇、
当麻蹴速(たいまのけはや)と野見宿祢(のみのすくね)の相撲を見る図」

「日本名所風俗図会」角川書店 竹村俊則・編 昭和56年
こういう事例があります。
「相撲やレスリングは葬送や墓前で行う儀礼の一つであった。
アレキサンダー大王はペルシャ遠征のとき、アキレウスの墓に詣で、
墓前競技を催した。
中国吉林省の高句麗遺跡の角抵(相撲)塚に、
生命の樹の下で相撲を取る図がある」=「輪廻の話」
相撲は見世物から始まったとは思いたくないなぁ。
古代の相撲は神聖な儀礼としての要素が強かったし…。
今は完全に娯楽となりましたが、
神聖な儀礼としての痕跡は、力士が土俵を塩で清め、
神鎮めの四股を踏み、清めの水を口にするなどに見ることができます。
そうした伝統は力石にも残っています。
昭和初期になっても力持ち力士たちは、
「力石には神が宿っているから腰掛けたりしてはいけない。
売買するものではない」と、自らを戒めてきた。
そういう敬虔さがあったからこそ、石に自分の名を刻み神に捧げたのです。

静岡県富士市神戸上・神戸弁財天水神
なので、賓客をもてなすための見世物ではなく、
欽明天皇への墓前儀礼とした方が理に適っていると私は思います。
みなさまはどうお考えでしょうか。
で、この「猿石」の顔はどう見ても現・日本人の顔ではない。
そんなことから、遠い国々から中国経由で来日した人たちの
手になるものともいわれています。
「南米グアテマラから大量に発掘されたデモクラーシアの巨石彫刻」
しぐさが明日香の「猿石」と似ていませんか?

「歴史読本」新人物往来社 昭和51年
輪廻転生思想も神話も世界共通だし、
現代人が思っているほど古代人は無知ではなく、
地球規模で活発に動き回っていた。
その根拠の一つに「法隆寺の香木」があります。
これに刻まれた文字は、ペルシャ人やソブド人の文字なんだとか。

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コメント
No title
人の、生きる者の魂が肉体とともに滅びるだけだとしたら、悲しくなります。
やはり生まれ変わりは信じたいです。
石についてですが、何かの力があると信じるのは地域の差はあれ、人類に共通な気がします。
イースター島のモアイ、インカにも大きな人の頭があったような(幼いころ伊豆のシャボテン公園で見て衝撃を受けました)
そして、日本でも自然の岩を生き物に見立てたりしますね。
力石もそういう石の力の信仰の一つなのではないかと、素人として考えています。
2023-03-25 20:32 たいやき URL 編集
たいやきさんへ
石はどこにでも転がっていますが、これほど長く身近に人と付き合ってきたものは他にないような気がします。
力石は石占いの「重軽石」から始まったと言われています。
「日本書紀・景行記」にも出てきますし、中世の狂言「石神」は、女遊びの激しい夫と離婚すべきか妻がこの石占をやる話です。
戦国時代になると武士が家来に力を誇示する道具になり、江戸時代には労働者の賃金の多寡を決める採用試験の道具になったり娯楽になったりしてきました。
こうした変遷があっても、やはり「石には神や魂が宿っている」という思想は消えませんでした。こうした思想・信仰は世界中にあったということが、私にはとても魅力的です。また人の手や意思が働かなければ、ただの石で終わるというところも石らしくて面白いと思っています。
2023-03-26 00:59 雨宮清子(ちから姫) URL 編集