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燈明石

盃状穴①
02 /11 2023
通常の「穴」とは違う異形の「穴」に、
「変形型盃状穴」と命名した小早川成博氏は、
さらに、いくつかの穴を円形に配列した石に着目。


「燈明石」です。

「盃状穴考」で4例、紹介しています。

ことの発端は読売新聞(福岡版・昭和63年7月17日付)の記事でした。

場所は福岡県京都郡犀川町の三諸神社で、そこに出ていたのは、
真ん中に穴が一つあって、その周りを8個の穴で囲んだ大きな石。


記事によると、これを見た北九州大学の福永光司教授が、
「中国の易学に見られる〈太一九宮理論〉に基づくものと判断、
「古代的思想に基づく祭祀遺構」であるとした。

小早川氏はこれを「中国・道教関連の盃状穴」として、探索に乗り出します。

こちらは大分県の伝乗寺真木大堂の「燈明石」(拝み石)です。

この写真は真木大堂・関係者様からお送りいただきました。
燈明石2
大分県豊後高田市田染(たしぶ)真木・真木大堂

「境内を上がった正面横にございます。
かつては今の駐車場の先、
現在の燈明石の場所から数百メートル先に置かれていました。

諸説ありますが、仏様の代わりに拝んでいたとの説もあります。
基本的には12の干支+1で、
うるう年の時、13個目の穴に火を灯していたようです」
(真木大堂関係者様)

所在地の国東半島は、
宇佐八幡と古代仏教とが融合した神仏習合が今も残る「仏の里」


創建は養老2年(718)という古刹・真木大堂さんのサイト、
ぜひご覧ください。


「宗教法人 真木大堂」

小早川氏は、
「この石はもとは畑の中にあって、
病気や願い事があるとき、自分の干支に相当する穴に油を注ぎ、
燃燈祈願した。また新米を供えて燃燈したそうで、


真ん中の穴を「北極星」、周囲の穴を十二支の本命とする
「星信仰」の燃燈行事に使われた」と記しています。

「燈明石」の穴に、たくさんの小銭が奉納されています。
燈明石1
同上

「この燃燈行事は、藤原兼実の〈玉葉〉=建久7年(1198)や、大江匡房の
〈江家次第〉にも、京都の宮廷で行われた元日の四方拝の儀式として
記されている」
(小早川氏)

燈明石の穴は一見すると自然の穴のように見えますが、
長い年月の間に穴が崩れると新しく穿ったそうで、
やはり意図的に開けたと考える方が正しいようです。


真木大堂の「燈明石」の穴にたくさんの小銭が納められていますが、
こうした風習はヨーロッパにもあります。

池や手水鉢や噴水に小銭を投じるのも同じですね。


以前ご紹介しましたが、石碑台座の穴に納めた小銭です。
CIMG1010.jpg
静岡県三島市・路傍

こちらは力石の割れ目に供えた小銭です。

穴と見れば何かを投じなければと思うのは、人間の本能でしょうか。


DSC00039.jpg
埼玉県杉戸町杉戸4‐4‐6・愛宕神社

燈明石に火を灯して祈る、お米や金銭を奉納して祈る、

時代は変わっても今もなお、「祈り」は人々に安らぎをもたらします。


初もうで力石(いし)の頭に小銭置く   雨宮清子

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コメント

非公開コメント

こんにちは

「姫もまた石(力石)に穿つや時の音(ね)を」
お粗末でした。

K.miyamotoさんへ

またまた名句をありがとうございます。
わが身が俳句に詠まれるなんて本当に嬉しいです。
力石の探索も大変でしたが、「盃状穴」もそれにも増して大変です。
「音」をあげないようがんばります!

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞