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変型盃状穴

盃状穴
02 /02 2023
「盃状穴考」には、世界各国で発見された様々な「穴」が掲載されている。

例えば、
複数の斑点と指を開いた手を刻んだもの。=北欧の「呪
(まじない)石」
「北欧呪石」 コペンハーゲン・デンマーク国立博物館原始・古代室
北欧のまじない石。手
「盃状穴考」国分直一監修 国領駿、小早川成博編集 慶友社 1990
よりお借りしました。

国分氏の解釈は、
「斑点は多産を、開いた指は強い掌握を象徴している」というもの。


日本の例としては加古川市の石棺蓋石の「手形石」をあげています。

※ただし、この石棺蓋石のマークは、
一個の穴から放射状に数本の線刻が出ているもので、
「手」というより五芒星の変形した魔除けではないかと、私的には思います。

縄文遺跡出土品に三本指の幼子が浮彫りになった壺がありますが、
むしろこのほうが「北欧の呪い石」の「手」と関連があるような気がします。

何の根拠もない私の想像ですが、
(妄想だと笑われそうですが)
三本指という表現は、「神」の領域から離れたばかりの、
非常に不安定な「人間未満」という意味ではないか、と。

北欧の「手形」は5本指ですが、か弱い表現から幼子の手を連想させます。
だから、胎児や新生児を表わしているのではないかと思います。

「人体文様付有孔鍔付土器」
三本指
「南アルプス市ふるさとメール」より 南アルプス市ふるさと伝承館所蔵

山梨県の縄文遺跡からはこうした人体文様の土器がいろいろ出ています。
不死の薬を盗んだ女性が月に逃げて蛙になったという中国神話の
精霊とする説もあります。

また用途については太鼓説、酒造器説などありますが、
私は赤ん坊への「祈願」に関連したものではないかと思うんです。


酒造器や太鼓だとしたら、幼子の像を付ける理由は何でしょうか。

最初は「胞衣壺」かと。でも、この壺の高さは54.8cmもある。
ならば亡くなった子供を納める「小児棺」かな、と。


遺跡からは子孫繁栄や豊穣を願う妊婦像の壺も出てきますから、
胞衣壺にしても小児棺にしても子供の成長や再生を願って埋めた、

そんなふうに考えました。


赤ちゃんを抱いた子安観音。いつの世も子どもへの思いは変わらない。
笠に「九曜紋」がついています。家紋? 厄除け?
子育て観音
静岡県富士宮市内房・山王宮

古今東西、胞衣の扱いは非常に丁寧でした。
ハワイにもこんな風習があったそうです。

ハーレイ・コックスとエドワード・スターザックス共著の
「ハワイアン・ペトログリフス」に、こんな風習が紹介されていたという。

ハワイ・KALAPANAのマウンドには夥しい盃状穴群があって、
住民は「永生の丘」と呼んでいる。


子供が生まれるとマウンドの岩に穴をあけ、
へその緒を納め石で蓋をした。一昼夜してそれが残っていたら、
その子供に「永生」が約束されると信じられていたという。

日本の中近世にも赤ん坊の健やかな成長を願って、胞衣を壺に入れ、
吉日吉方を選んで山に埋めその上に松の木を植えたり、
屋敷内に埋納する風習がありました。


産着に×印を縫い付けたり、額に赤い印を付けたりしたのも、
子供を災いから守るための魔除け。


こちらは力石に刻まれた「りゅうご紋」です。
資本主義の父と言われた渋沢栄一の会社の商標ですが、
もとは「魔除け」(呪符)
りゅうご
東京都江東区永代・福住稲荷神社

地中海沿岸のイスラム教圏では、
預言者ムハンマドの娘・ファティマの手をお守りにしているそうです。

つまり手形は邪悪なものを退ける魔除け。


イスラム圏でなくても、古代から魔除けには「目」「卍」「五芒星」など、
様々なものが使われてきました。そして不思議と世界共通のものが多い。

国分先生は「北欧の呪い石の手形」について、「強い掌握」
つまり、「多産を強く願うという意味」だとされていますが、どうでしょうか。


まだ不安定な子供は、生児であれ死児であれ邪悪なものに狙われやすい。
だからこそ魔除けが必要なので用いた、

というのが私の考えです。


縄文遺跡出土の子供の手形などの記事、よかったらご覧ください。

「慈しむ」

さて、「盃状穴」に戻ります。

私が再度これに注目したきっかけは、上戸田氷川神社の宮司さんの
「盃状穴と括れない溝状の凹み」発言です。

「穴ではない細長い窪み」

これです。


東八幡神社
東八幡神社2
埼玉県春日部市粕壁東

私は「穴」にばかり気を取られて、今まで気が付きませんでした。

埼玉在住の研究者、斎藤氏は、
上戸田氷川神社の力石が保存されたことをきっかけに、
以前、宮司さんから
「穴ではない溝状の凹み」についてお聞きしていたことを思い出し、
改めて記憶にある神社をいくつか再訪。

意識して探してみたら、あることあること。


そこで「盃状穴考」を読んでみたものの、肝心の「溝」については、
決定的な話は出てこない。「当てが外れた」と、少々オカンムリ。

確かにねぇ。
三人の方が発言していますが、
いずれも突っ込んだ研究までには至っていませんし。


どんな発言かというと、

三浦孝一氏は、
「赤穂市周世字黒谷の山腹岩盤上に、
串団子を並べたような如き奇怪な文様刻文がある。非常に気になるが、
今後の研究に委ねたい」としてそこで終わり。


二人目は、「広島県蒲刈町の盃状穴」を執筆した松浦宣秀氏です。
他の方とは視点が違い、穴とは言い難い形状の溝に踏み込んでいます。

こんな具合。


通常の盃状穴とは違う楕円形、すり鉢状、
紡型
(つむがた)のものがあることに注目。

盃状穴、紡型など混在する広島県蒲刈町・善正寺の手水鉢。
善正寺
「盃状穴考」からお借りしました。

この善正寺の手水鉢について、「盃状穴かどうか判断がつけ難い」とし、

「男性のシンボル的なものか問題が残る。盃状穴(?)の中に紡型のものが
彫られているのが気になる」としている。

これを知った民俗学者が「感(かま)け」を連想したと話していたこと。
※「感け」=田畑に種を蒔いた夜、その畑で夫婦が交わるとその年は
豊作になるという俗信。

その話を聞いた松浦氏、

「備北や安芸地方の「田植え囃子」に、〈感け〉に通じる伝承がある。
関連があるのだろうか。研究してみたい」


と記しているが、その後、進展があったかは不明。

ただし、「男性シンボル」と着目したのは、私の説と合う。
\(^o^)/
手水鉢の縁に付けられた長い溝、私はこれを、
男根を象徴した「剣」「龍蛇」を表したものと考えています。


さてもう一人は小早川成博氏で、典型的な盃状穴に属さない凹みを
「変型盃状穴」と呼び、何例かを綴っていた。

これは期待できそうです。


が、「穴」ではないんですよね。私たちが追及しているのは。
「盃状穴とは括れない凹み」、つまり「溝」なんです。

小早川論文は、次回ご紹介します。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞