fc2ブログ

穴あけ信仰

盃状穴
01 /10 2023
さて、ここで一度、「溝状の窪み」をお休みして、
「穴あけ信仰」について、見ていきます。

「穴」はずばり、女性の穴です。これは古今東西、世界中どこでも。

こういうことをテーマにすると、おかしな妄想を膨らませて、
慎しみを忘れてしまう殿方が出てくる、そのことを心配しています。

女性にとっては命に係わる切実な問題だったと捉えていただき、
どうぞ、民俗史として真面目にお読みくださいね。

昔は子供を産めない女性は、婚家を追われ、
人間性を否定されるようなひどい目に遭いましたし、
首尾よく妊娠しても出産で命を落とす人が多かった。


出産は医学が発達した現在でも危険な「大仕事」ですから、
まして昔は、神さまか呪術に頼るしかなかった。

その代表的な「まじない」が「盃状穴」です。


力石に穿たれた盃状穴。
img220.jpg
東京都足立区入谷・氷川神社

これは「子宝」や「安産」を願う女性が夜間、人目に付かないようやってきて、
小石で擦って開けた穴とされています。

でも、それを行ったのは果たして女性だけだったのか、
私はちょっと疑問に思っております。詳細は後日。

こちらは山梨県の縄文中期~晩期の遺跡から発掘された
「蜂の巣穴」と呼ばれるものです。こういう石はのちに道祖神場に置かれ、
子宝祈願に穴を突ついて、「コンボーメ」(子を産め)と唱えたそうです。

先の「穴と溝①」で書いた「先史時代の卵石とカップ・マーク」そのままです。
img20220418_17111283 (2)
「石に宿るもの・甲斐の石神と石仏」中沢厚 平凡社 1988より

「穴」は石ばかりに開けたわけではなかった。
杓子(しゃくし=飯杓子、汁杓子)にも開けた。

民俗学者の柳田国男によると、杓子は「ひとだま」に似ており、
霊物とされていたとのこと。

また「嫁に杓子を渡す」ことは「家の世帯(主導権)を渡す」ことで、
女性たちにとっては重要な道具であった。


穴を開けた柄杓は「するりと生まれる」安産を願って子安さんなどに奉納した。
穴を開ける時期も二通りあって、「願掛け」として事前に開ける方法と、
無事生まれたとき感謝を込めて開ける「願ほどき」があった。
柄杓
静岡市清水区・美穂神社の子安神社

静岡市石部の子安地蔵では、生まれた子が男の子なら「鎌の絵馬を」、
女の子なら「穴の開いた柄杓」を奉納しました。

静岡市清水区由比東山寺の東山神社では、子授け、安産祈願に
「底なしの巾着袋」を奉納。
願いが叶ったら底を縫って再び奉納したそうです。

こちらは小石に穴を開けた例です。
無事、生まれたことを感謝して、小石に穴を開けひもを通して奉納した。
現在では合格や病気平癒の願掛けやお礼としても行われている。

一本の紐に石を2個通してあるのは、
一つは願掛けのとき、もう一つは願いが叶ったお礼の石。
CIMG1745_20221223195728c8a.jpg
静岡市葵区松野・阿弥陀堂

「穴」はその後、2次的な使い方をしていきます。

穴に溜まった雨水をいぼとりに使ったり、海女さんの魔除けにしたり、
子供が野草をつめてままごとに使ったり、
また、穴に油を注ぎ燈明代わりにしたという言い伝えもあります。

出征兵士の母親や妻が、再び穴を擦って無事の帰還を祈った話も。

第2東名(新東名)開通前にウオーキングに参加したとき、
記念に「トンネル貫通石」をもらいました。受験生は大喜びでした。

こちらは手水鉢にあった「薬石」の説明板です。


CIMG1689.jpg
静岡市清水区

小石で擦ってできた石の粉を薬として飲んだとのことですが、
これは2次的使用の例ではないかと思うんです。
明らかに安産祈願の「盃状穴」ですから。

第一、こんな木製のすりこ木では石は削れません。


CIMG1691.jpg

柳田国男によると、霊験あらたかな石に付いた苔を飲んで、
病気を治す風習があったそうですから、ここも、
穴に生じた苔や雨水を「薬」として用いていたのではないでしょうか。

また、あえてすりこ木を置いたことから推察すると、
すりこ木は男性の生殖器を表すものと考えられていましたから、
薬を得るための穴というより、
「子授け」や「安産」に関連した穴という方がふさわしいと、私は思うのです。


にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ
にほんブログ村
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

No title

盃状穴論、絶好調ですね(^^♪
くわしく論証されていて、とても参考になります。
朝鮮半島では「性穴」なのだそうですが、同心円が付随することの多い多いヨーロッパの盃状穴とはどう違うのかとか、またぼちぼち調べてみます。
ただ、重要参考文献が大きな図書館にしかないとか、手間がかかりそうですね。

sazanamijiroさんへ

おはようございます。
国分先生監修の、盃状穴の集大成みたいな本を読み終えたばかりです。
ここでも「官の学者から見向きもされないこういうテーマは、野の研究者が熱心。権威にとらわれないから」と書かれていました。
思い出すのはあの旧石器時捏造事件です。捏造と知りながら30年間もこれを利用して、国の偉い役人になったり書籍で儲けたりしたとして、当時の学者たちを告発した九州の教授がいましたが、いずこもおなじですね。
お気の毒なのは、
当時、「捏造ではないか」と声を上げた方々がみんな排斥されたことです。
また今はとくに、民俗学は切り捨てられる傾向が強いと感じています。

No title

ちから姫さん!こんばんは!

う~ん、これはとても興味深いテーマですね(*^^*)!!

凄く面白い。続きを楽しみにしています。

torikeraさんへ

エネルギーが枯渇寸前ですが、がんばります。

No title

水窪石の情報ありがとうございました。
少し調べたのですが、石の民間信仰について研究を進めてこられた野本寛一先生の「石の民俗(雄山閣・昭和50年初版)」には、柄杓の底に穴を開けることも穴あき石を奉納することも、穴を開けて神仏との心の通じあいができた証になると解説されていました。この本で野本先生は、「瘤取り窪石」の存在から、石の窪みに特に強い霊力が宿るとする信仰があったとも書かれています。あるいは静岡県岡部町の全能寺では、目の悪い者が祈願して、願果たしはおびただしい数の穴あき石奉納だと紹介されています。一方、熱海市の阿治古神社の神迎え石の写真が載っているのですが、明らかに数個の盃状穴が写っています。まずはこの石に神が依りつき、次に大幣にお迎えして社殿へ送るという形式だそうです。あきらかに信仰の中心だとか。同じ野本先生の「石と日本人(樹石社・昭和57年)」の方は写真が鮮明なのですが、熱海市網代宮町の「賽の神」などは明らかに盃状穴。野本先生は「窪石」として子どもが青竹でたたいたと解説されていますが、私には典型的な盃状穴にしか見えません。こちらの本では、島田市や三島市で耳の治癒に穴あき石が奉納されることを紹介されています。
あと、佐藤哲郎氏によると、角館の鎮守八幡に立つ自然石のうち、二つに直径五センチの穴が開いており、この穴に指を入れて腹痛や風邪を治す風習を紹介され、これをパキスタンやビルマの仏像に穴があって、指を当てて病気平癒を祈る風習との関連を論じられています。最後に「紀元前のアメリカ」という本には、盃状穴は星座を表すとの説もありました。
いろいろあって収拾がつきませんが、盃状穴も多文化かな?、という観点でもう少し調べてみます。

sazanamijiroさんへ

野本先生は静岡県内をくまなく歩かれた方で、多くの貴重な記録を残されています。「石と日本人」「石の民俗」で、私は力石を何か所か知り現地へ飛び、地元の方から「力石」という証言を得ました。それで無事、「静岡の力石」へ収録することができたんです。静岡は民俗学には冷たいので、先生はよその県の大学へ行かれてしまいましたが、私が最も尊敬する方です。

石と石の穴への人間の思いは、古代から今に至るまで消えることがなく、面白いなあと思っています。そいうことからも、sazanamijiroさんのブログ「神秘と感動の絶景を探して」は、大変な労作で貴重なものと思います。
貴ブログで追及されている穴を持つ巨石、鳥居の空間、洞窟などの穴はすべて、同じ思想があって、また日本ではそれぞれ流入の時期や元の国の風習の違いなどを垣間見ることができて、面白さは尽きませんね。

今後ともいろいろ教えていただきたいと思っております。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞