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すいま、せ、え、えーん …81

田畑修一郎3
12 /13 2022
夫の武雄が生活費を送ると約束してから2年余たった。
雄二は東京で学生生活を送るようになり、私は一人暮らしになった。

そんなある日、電話が来た。
受話器を取ると、いきなり女がわめきだした。

「あんた、いつまでくっついているつもり!」
「はっ?」
「わかんないの? もう先生はあんたに愛情なんかないんだよ」

電話をかけてきたのはM江だった。


「1号だからって威張るんじゃないよ。先に結婚しただけじゃないの」

なんなんだ、この電話。1号って私のことか?


DSC08587.jpg

M江はさらに私をいたぶるみたいに、鼻先で笑いながら言った。

「専業主婦っていいねぇ。食って寝て。楽だよねぇ。
そういうアンタにしたら、
私みたいな働いている女はバカにみえるでしょうね」

うちへの送金やら子供たちの学費に追われて、
M江に回るお金がなくなったんだろう。

それで腹立ちまぎれにこんな電話を掛けてきたのだろう。
そう思いつつ、私からも声を掛けた。


「今まであなたは、うちへの送金を自分の口座に入れてたでしょ?
だからこちらは生活できなくてね、大変でしたよ」

そう言った途端、M江が一段と声を上げて怒鳴り出した。

「そうでしょうよ! そりゃあそうでしょうよ!
すいませんって言って欲しい?
言って欲しけりゃ、いくらでも言ってやるよ!


す、い、ま、せ、え、えーん
す、い、ま、せ、え、えーん、す、い、ま…

聞くに堪えられなかった。即座に受話器を置いた。

DSC09474.jpg

武雄はこんなのが好きなのか。30過ぎというのにガキみたいな…。

武雄が得意げに言ってたなぁ。
M江は大酒食らいで、
自分と競争みたいにタバコの煙を吐き出す女だと。

それから決まってこう付け足した。
「その点、お前ほどつまらない女はないね。酒は飲めねぇしタバコは嫌うし」

確かにね。そういう意味では二人はお似合いのカップルだと私は苦笑した。

「愛人」という言葉は好きではないけれど、私は楚々として控えめな、
昔風の「妾」という存在を思い浮かべたりしていたので、
M江にはがっかりした。


子供のころ、同級生にこぎれいな女の子がいた。

そこのご主人が町の芸者に産ませた子で、
生れ落ちるとすぐ本妻のもとへ連れてきて育てさせたという。

本妻さんにはたくさんの実子がいたが、分け隔てなく育て、
中学は実子と同じ町の私立へ通わせていた。

「一人だけ、顔立ちが違ってきれいな子」と母が言っていたのを思い出す。

「本妻さんは特別な存在だから、芸者衆もそれをわきまえていたんだよ」
と、母は感慨深げにつぶやいた。

田舎なのに、そんな境遇の子が身近に二人いた。

二人とも芸者の子供だったが、隠すことなく周囲も気にもせず、
子供たち同士も普通に遊んだ。

そういう原風景と「控えめな芸者衆」の記憶があったせいだろう、
M江がひどく下卑て見えた。


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ふと、昔見た映画を思い出した。

あるカトリックの寄宿舎でのこと。
舎監は神に仕える厳格な教育者で、ことに生徒たちに厳しかった。

ところがその舎監がある日、忽然といなくなった。
やがて生徒たちは変な噂を耳にした。


なんでも先生は場末の劇場にいるらしいというのだ。

生徒のだれもが信じることができなかった。
しかし、相変わらず舎監は姿を見せない。
そこで数人の生徒たちが確かめようと、町へ出かけた。

噂に聞いてきた場所は、いかがわしいストリップ劇場だった。

「まさか、あの先生がこんなところに」と、少年たちは戸惑うものの、
やはり確かめようということになり、楽屋らしき暗がりに忍び込んだ。

暗がりの中に光が漏れている部屋があった。
そこから、女の怒鳴り声が響いていた。

これ以上ない卑し気なしわがれ声で女が怒鳴っている。

「この役立たず!」

恐る恐る覗いてみると、
下品な衣装の踊り子らしい年増女が、鞭を片手に仁王立ちしている。
そしてその前には、ピエロ姿の男がいた。
男は床に這いつくばって、鞭で打たれていた。

しかし、
そのピエロの男こそ、あの舎監の先生だったのだ。

女が鞭を振るうたびに風を切るビュワとした音と、
男を打つピシッとした音が痛々しく響き、生徒たちは震え上がった。

だが、女の鞭を受けるたびに、
先生の顔はこれ以上ないという喜びに溢れていた。

そんな映画だった。

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マゾ体質の舎監だったんだろうと言ってしまったら身も蓋もない。

ただ、人は何かをきっかけに、
今までのその人からは想像もつかない方向へ行ってしまうものだなと、
そんな思いにとらわれた。

それから間もなく送金が滞りがちになった。

私は構わず、
「今月はまだ振り込まれていないんですが?」と電話した。

以前の私だったら、自分でなんとかしなくちゃと無理をしたが、
「まだですか?」など言えるようになっていたし、
武雄は武雄で「実家から借りれば…」などと言わなくなった。

「も、もうちょっと待って。必ず送るから」

その言葉通り、振り込んできた。

だがそれも長続きはしなかった。

2世帯分の出費に二人の子どもの学費や生活費で、
いくら今を時めく週刊誌のライターでもさぞかし大変だろうと想像がつく。

だが、私は同情などしなかった。

「東京でみんな一緒に暮らす」という提案を退けたのは、
ほかならぬ彼自身だし、
たとえ武雄が、今、そう願ったところで、時すでに遅かった。

そんなことがあってほどなく、その武雄から電話が来た。

怒り狂った電話だった。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞