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カモメ …80

田畑修一郎3
12 /10 2022
この自分がまさかDV被害者だったとは、思いもしなかった。
思いもしなかったが、
あの不可解な暮らしの原因がはっきりしたことで、私は「道」を見つけた。

労働基準法を逸脱した職場であれ、私は居場所を得てスタートを切った。
そして、
長男は大阪の大学へ進み、私は次男の雄二との二人暮らしになった。

自分では明るいスタートだと思っていたものの、
過重労働と近所の主婦たち、のちに男たちまで加わっての嫌がらせが始まり、
私は新たな重いものを背負うはめになった。


そんなこんなで口数もすくなくなり、
いつもピリピリしていたのを自覚してはいた。

そういう母親を見て、高校生になった雄二は、
なにかと明るく振る舞い、プレゼントまで贈ってくれるようになった。


次男がそっと差し出したオルゴール。ねじを巻くと音楽とともに花が揺れる。
今も大切に持っている。
CIMG5787.jpg

疲れ切って暗い顔をして帰宅し、
打ちひしがれ怒りにただ黙って耐えている母親を見て、
自転車を走らせて町までプレゼントを買いに行った雄二。

あの時私は、内心、ふわっとして泣きたいくらい嬉しかったのに、
そのプレゼントを表情一つ変えず無言で受け取っていた。


なんてダメな母親だったのかと、
こうして落ち着いた老後を迎えた今頃になって、いたたまれなくなる。

あの子は乏しい小遣いの中から買ってくれたのに。

店員は思ったことだろう。好きな女の子にあげるんだなって。


カモメのブローチをもらった。
アクセサリー売り場で一生懸命、選んでくれたに違いない。

「お母さん、大空をゆったり舞って!」

そう伝えているように思えた。
そうなろうと、仕事へ行くとき必ずつけていった。


いつもバッグにつけていた名入りの飾りは、どこへ行ってしまったんだろう。
CIMG5790.jpg

夕食は帰りがけに買ってきた出来合いの弁当が多くなり、
休日も朝から晩まで飛び回って家を空けていたのに、
あの子はグチひとつ言わなかった。

いくら頑張っても父親の役目はできなかったが、
雄二はこの不自然な「母子家庭」を懸命に支えてくれた。


京都の修学旅行の土産。赤とブルーの刺繍が施された小銭入れ。
もったいなくて、とうとう使わずじまい。
CIMG5792.jpg

そういえば制服はどうしていただろう。

入学したときに誂えたことは覚えているが、
成長とともに買い替えたかどうか、さっぱり記憶にない。

新興住宅地の中でも一番少ない班の11軒に、
同級生や似通った年齢の子供がそれぞれ二人ずついた。

雄二の高校が決まったら、近所の主婦たちが路上で騒ぎ出した。


「あそこだけがいい高校に入って…」
「裏から手をまわしたんじゃないの?」

そういう主婦たちの中を朝晩、自転車で走り抜けていた雄二。

その雄二が後年、「あそこは嫌なところだった」と、ポツリと言ったとき、
自分のことに精いっぱいで、わが子の苦悩を知ってあげることも、
寄り添うことさえしてこなかった自分の愚かさに、後悔ばかりが沸いた。


私が長期入院していたとき、
長男の大介は高校3年生、雄二は中学3年で、ともに受験を控えていた。

父親不在、お金のない中、二人で食いつないでいた。
受験生の母親らしいことは何もしないまま、二人は自力で進学した。

その私たち母子をこうして攻撃する。なぜだろうと思った。

周囲の主婦たちに何か言われるたびに、
自分に落ち度があるのかと思ったり、

誠実な態度でいれば、いつかはわかってくれるなどと思っていたが、
すべて無駄だった。


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ところが3年後、再び、近所が騒ぎ出した。

全く付き合いのないS家の主婦が突然訪ねてきてこう言った。

「お宅の雄二くん、どこの大学へ行きました?」

何言ってるんだろうと戸惑っていると、いきなり大声で、
「うちは一応、名のある大学ですから」と言い放って出て行った。

それをどこかで見ていたのか、別の家の主婦が告げ口に来た。


「あの人ね、高校受験のとき、お宅の雄二くんに負けたんで、
わざわざ自慢しに来たんだよ」

「KさんとことTさんとこ、
ほら、入れる高校がなくてどっか遠くへ行ったでしょ。
それが今度はこう言ってるんだよ。
大学へやるお金はいくらでもあるけど、本人は専門学校希望なのでって。
ふふふ、負け惜しみだね」


負けたとか勝ったとかって、何考えているんだろう。

DSC08578.jpg

新興住宅地へ家を建てるもんじゃないということは、以前からよく耳にした。

ここは駅からバスで30分もかかるどん詰まりで、
周囲は純農家が点在する寒村だった。

その村の丘に目を付けた業者が宅地開発して、その頃では珍しい
ガスの集中供給と水洗トイレ完備の「高級住宅地」として売り出した。

元からの住民たちは私たちを「新住民」と呼び、
「新住民」たちは「旧住民」を、「ボットン便所の遅れた人たち」と言い、
交流することはほとんどなかった。

ところが入居してすぐのころから、転居する家が出始めた。

そんな一人と偶然、町で出くわしたとき、彼女がふと漏らした。


「あそこはホントにいやなとこだった。
うちの子が付属小へ行っているだけで、嫌がらせを受けて…。

ああいうところって親の年齢がみんな近いから子供も同級生ばかりでしょ。
いやでも競争心むき出しになるのよね。
やっと手に入れた家だったけど、あそこを出てホッとしています」

公務員、勤務医、大学教授、教師に中小企業経営者、
そんな人たちが大半だった。


DSC09925.jpg

「干してある布団の前で、近所の主婦が集まって、
この布団は安物だなんて言いあったり…。

お宅のご主人、どこへお勤めですの? 係長さんかしら? 
うちのは一応、課長ですけどなんて言ったりね。

あそこは他人と比較する人ばかりだった。
自分になくて隣にあるときは妬む、逆の場合は威張るのよね」

そう言ってその人は笑った。

「そういえばうちも転居早々、エアコンなんていらないよねなんて、
はす向かいの夫婦がわざわざうちの前へ来て大声で言ってて…」

あのころの田舎ではエアコンがまだ珍しいころで…。

「エアコンで悪く言われて、車を持っていないことでバカにされました」
そういうとその人が、「そうそう、それよ」と笑った。

「お宅は部屋がいくつありますの?って聞かれたことも」と言ったら、
「うちもやられた」とまた、笑った。

そんな住宅地で、自治会役員による巨額の横領事件が発覚したのは、
それから7年後のことだった。



(;_;)ーーーーー悲しいなぁーーー

長野市で「子供の声がうるさい」という苦情を受けて、
児童公園の廃止を決めたという。

子供の声がしなくなった世界を想像してみて欲しい。

昔はいたるところで、もっとたくさんの子供の声がしていた。
誰もうるさいなんて思わなかった。
だって、子供は笑顔を運び、元気をもたらし、未来を見せてくれるから。

近くの保育園から鼓笛隊の音楽が聞こえてきます。

児童館の運動場では「見守り隊」のおじさんおばさんたちのもと、
一輪車やサッカーや追いかけっこの子供たちの歓声が響いていますが、
誰もが自然なことと受け止めています。

乗り物の中でぐずる幼児を気にするママや、集合住宅で音を立てさせないよう
子供を叱るお母さん。みんなビクビク暮らしている。

こんなんじゃあ、子供は育ちません。
息子たちのころは一学年300人もいた児童は、今は、わずか60人。

うるさいと思わず、そうした子供たちの「見守り隊」になってやって欲しい、
そう願わずにはいられません。

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コメント

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こんにちは。

どこの地方にもそういう母親がいます。

私も目黒区の外れにいた時に、
同学年の男の子が近くに何人もいて、
我が家の前の家の息子が私立中・高校へ進学して、
そこの母親が私の母親に、わたしが都立高校だったので、
結構自慢していたものの、大学は1浪して、
私と同じ大学の易しい学部に入学した後は、
全く話などしない有様になってた。

会社の同僚の息子の時も、
世田谷区から千葉の社宅へ転居した時は、そこの親が、
千葉ような処は学校のレベルが低い所だと言ってたと。
同僚の息子の方が、私立大でもトップクラスに入学。

東京も郊外住宅地には、そんな親たちが多いような気がします。
小学生野球チームの話でも、あの子がダメで負けたとかいう。
可哀そうな親たち、結構耳にしました。



one0522さんへ

やはりそうでしたか。ここはよほど特殊なところかと思っていましたが、
少し安心しました。
時代も、何でも競争の時代だったような気がしますが、
加えて、さらりと流せない私の性格もあったかなとも思っています。

でも異常な光景もたくさん見聞きしました。
息子が近所の同級生の家へ遊びに行ったら、
親が包丁を持って子供を追いかけていたそうで、
息子は「〇〇君が殺されそう」と青い顔をして帰ってきました。
この子は親の希望する高校を2年続けて落ちて、
いつのまにか引っ越していきました。
あとは100点取ったらお金をあげるという家庭が多かったです。
今はどうなんでしょう。他人との比較より、
自分の好きな道を見つけて欲しいと願わずにはいられません。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞