モーツァルト …78
田畑修一郎3
俵萠子さんの「自立を支援する集会」で、
離婚せざるを得なかった女性たちの、その後の生き生きした姿に接して、
私は自信みたいなものを得た気がした。
それまで読んでいた本の中の言葉に、素直に頷けるようにもなった。
言葉は私に話しかけた。
「失敗と思わず、一つの経験と思うこと」
「私はサバイバー(被害を体験した人)だったという自覚を持つこと」
「被害者は敗北者ではない」
それには、「鈍感であってはいけない」
「自分の経験を言語化」し、「怒りに名前をつけ」
「声を上げること」
「声を上げて加害者に責任を取らせることで、脱被害者へと変わっていく」

「私が私を大切にするということ」
そうそう、私は職場の上司や年配者からよく言われていた。
「人にばかり気を遣いすぎる。もっと自分を大切にしなけりゃだめだよ」って。
そうよねぇ、思えば職場でも近所でも家でも、
「自分に非があるのではないか」といつも自分を責めて、
加害者と一緒になって自分自身をいじめていたものね。
「自己責任の罠から抜け出し、自分の人生を取り戻す」
そうか、そうだよね。
がんばってみようという思いがふつふつと沸いた。
それから間もなく、俵さんから一冊の本が送られてきた。
「五十代の幸福」

四十代で泣きわめいている私への、大先輩からの導きだと思った。
同封の手紙にはこう書かれていた。
「あなたにこの本の最後のところを読んでいただきたいので贈ります」

私はその「最後のところ」から読んだ。
俵さんは五十代になったとき、赤城の森の家で一人で、
「モーツァルト・ピアノソナタ十一番」を聴いた。
音楽を聴くのは何十年ぶりだろうと思いつつ聴いているうちに、
越し方が思い出されたという。
「若い時、この曲を聴いた。
あれから結婚した。
貧しかった。
共働きだった。
家が狭かった。
こどもが生まれた。
必死で働いた。
働いた。
働いた。
……略……
二人の子が成人した。
その間に、夫との別れがあった。
若かったころの夫は、この曲が好きだった。
彼はよくこの曲を聴いていた。
でも私は、二人の子と仕事と家事を抱え、音楽なんて、聴こえなかった。
そのくらい必死だった。
すべてが、
過ぎ去った人生のすべてが、
甦り、
胸に溢れ、
押し寄せ、
押し倒し、
気がつくと、私は声をあげて泣いていた」
そして、こんな心境になったと述懐している。
「2回繰り返して聴き終わるころ気持ちは鎮まり、ふと考えた。
でもよかったじゃない。
私にはまだ音楽が滲み込んでくる感性が残っていたということが…。
ともかくも女手一つでまだ小学生だった二人の子供を育てた。
育て終えた。
あの夜聴いたモーツァルトは、
独身のころ聴いたどのモーツァルトより、優しく、深く、美しかった。
あの夜以来、私の中で何かが変わった。ひとくぎりがついた。
それが私にとっての五十代のはじまりだったのではないか
という気がする」
のちに俵さんは本の中で、子供の一人は障がい者だと告白している。


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離婚せざるを得なかった女性たちの、その後の生き生きした姿に接して、
私は自信みたいなものを得た気がした。
それまで読んでいた本の中の言葉に、素直に頷けるようにもなった。
言葉は私に話しかけた。
「失敗と思わず、一つの経験と思うこと」
「私はサバイバー(被害を体験した人)だったという自覚を持つこと」
「被害者は敗北者ではない」
それには、「鈍感であってはいけない」
「自分の経験を言語化」し、「怒りに名前をつけ」
「声を上げること」
「声を上げて加害者に責任を取らせることで、脱被害者へと変わっていく」

「私が私を大切にするということ」
そうそう、私は職場の上司や年配者からよく言われていた。
「人にばかり気を遣いすぎる。もっと自分を大切にしなけりゃだめだよ」って。
そうよねぇ、思えば職場でも近所でも家でも、
「自分に非があるのではないか」といつも自分を責めて、
加害者と一緒になって自分自身をいじめていたものね。
「自己責任の罠から抜け出し、自分の人生を取り戻す」
そうか、そうだよね。
がんばってみようという思いがふつふつと沸いた。
それから間もなく、俵さんから一冊の本が送られてきた。
「五十代の幸福」

四十代で泣きわめいている私への、大先輩からの導きだと思った。
同封の手紙にはこう書かれていた。
「あなたにこの本の最後のところを読んでいただきたいので贈ります」

私はその「最後のところ」から読んだ。
俵さんは五十代になったとき、赤城の森の家で一人で、
「モーツァルト・ピアノソナタ十一番」を聴いた。
音楽を聴くのは何十年ぶりだろうと思いつつ聴いているうちに、
越し方が思い出されたという。
「若い時、この曲を聴いた。
あれから結婚した。
貧しかった。
共働きだった。
家が狭かった。
こどもが生まれた。
必死で働いた。
働いた。
働いた。
……略……
二人の子が成人した。
その間に、夫との別れがあった。
若かったころの夫は、この曲が好きだった。
彼はよくこの曲を聴いていた。
でも私は、二人の子と仕事と家事を抱え、音楽なんて、聴こえなかった。
そのくらい必死だった。
すべてが、
過ぎ去った人生のすべてが、
甦り、
胸に溢れ、
押し寄せ、
押し倒し、
気がつくと、私は声をあげて泣いていた」
そして、こんな心境になったと述懐している。
「2回繰り返して聴き終わるころ気持ちは鎮まり、ふと考えた。
でもよかったじゃない。
私にはまだ音楽が滲み込んでくる感性が残っていたということが…。
ともかくも女手一つでまだ小学生だった二人の子供を育てた。
育て終えた。
あの夜聴いたモーツァルトは、
独身のころ聴いたどのモーツァルトより、優しく、深く、美しかった。
あの夜以来、私の中で何かが変わった。ひとくぎりがついた。
それが私にとっての五十代のはじまりだったのではないか
という気がする」
のちに俵さんは本の中で、子供の一人は障がい者だと告白している。


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