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力石、昔と今②

そばつぶさん
11 /09 2022
第二次大戦が終わったのが、昭和20年(1945)。
戦後、急速な機械化が進み、同時に人力の時代は終焉を迎えます。

敗戦国・日本にアメリカがやってきました。
彼らはハイカラなものを貧しい日本人にもたらします。

ジャズ、チョコレート、チューインガム…。

スポーツや娯楽の世界も様変わり。

私が調査した中で、
昭和50年代まで力比べをやっていた集落がありましたが、
大半はそんなドン臭いことをやっているのは「遅れている」と言われて、
力石は捨てられてしまいました。


そうして、
かつて若者たちを熱狂させた力石は、ただの石になっていったのです。

ここは富士川の船着場として栄えた所。


荷揚げの男たちや船頭たちのたまり場だったが、今は見る影もない。
力石は捨てられ、神社も物置風の建物があるだけ。
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静岡県富士市・子之神社

でも記憶だけは残ります。庶民文化という「歴史」です。
庶民文化は土地の人の感情、郷愁、友情、同郷意識を内包しています。

下は、兵庫県宍粟(しそう)市の文化センターに置かれた力石です。
18個あります。


どこから来た力石かというと、廃村になった村々からなんです。
だから石の一つ一つに消えた村の名が刻まれています。

村を去った人々の「絆」がここに再現されています。

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兵庫県宍粟市波賀・波賀文化創造センター

緩やかな変化をしていった山村では、「記憶」が生き続けましたが、
急激な工業化や商業化が進んだ都市では、力石なんて時代遅れの遺物。

有名武将が座ったという伝説の石は有難がっても、
庶民が持った力石に価値を見出すところは少ない。

歴史遺産になった力石も、保存という形で居場所を見つけたものの、
多くはコンクリで固められて、もはや昔の面影はゼロ。


八丁堀平蔵や内田屋の金蔵などの石も埋め込まれてしまった。
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東京都墨田区・牛嶋神社

力石は人に担がれてナンボのものだから、
こうなったら、もはや生けるシカバネです。

そんな中、見事、復活した石もあります。

日本一の力持ちと名声を究めた江戸の力持ち・三ノ宮卯之助の石も、
初めは捨てられ、さびれた神社の車止めに成り果てていました。


斎藤氏が土の中から発見した卯之助の「指石」です。
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埼玉県越谷市三野宮・三野宮神社

捨てられてから160余年もたってから「文化財」として、うやうやしく祀られ、
故郷の偉人になったのですから、運命とはわからないものです。

でもこんなふうに幸運な石ばかりではありません。


こちらは個人宅の石です。物干し台の脇に転がしてありました。
「邪魔でしょうがない。欲しけりゃ持ってって」と。


  「いらない」と若き当主は言い放つ
             亡父の愛でし力石哀し
  雨宮清子

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静岡県富士宮市・個人宅

でも、哀れな話ばかりが残っているわけではありません。

神事として今も行われている兵庫県姫路市の「天満力持ち」は、
市の重要文化財にも指定されていて、まわし姿の若者たちが主役です。

ここの力石は神事以外のときは、鍵をかけて厳重に保管されています。


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兵庫県姫路市大津区天満・神明神社

でも力石の多くは放置されたまま、自然に帰っていきます。

泥まみれの石を見ると、立派な文字が刻んである。

栄枯盛衰は世の習いとはいうものの、
それを刻み付けた当時の若者の顔がチラついて、痛々しくなります。

さて本題です。

これらの石の所有権はどうなんでしょうか。
野っ原の石の場合は?


廃屋にも所有者がいて第三者が立ち入ることはできませんから、
野っ原の力石も土地の所有者のものかも。

でも、
許可を取りたくても所有者の所在すらわからないときは、どうすれば…。


たとえ所有者から石を担ぐ許可が出ても、
空襲などで焼かれた石はもろいから、破損させてしまうこともあり得ます。

もしそうなったら、どうなるんでしょう。
それに万一敷地内でケガをしてしまったら、

と、心配は尽きません。


予測しない事故が起きたとき、
担ぐことを快諾してくれた所有者が豹変するかもしれないし、
泥まみれで放置されていた石でも急に欲が出て、損害を請求されるかも。


ポツンと一軒家ならぬポツンと力石が…。
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埼玉県北葛飾郡杉戸町才羽・八幡神社

斎藤氏は10数年前、ここで力石を2個、新発見しています。
再び今月8日に訪れた際、なんと、土に埋もれた石を見つけ、
掘り起こしたら、人名が刻まれていました。


新発見です! 

詳細は改めて記事でお伝えします。

さて、以前、勤務していた生涯学習施設でこんなことがありました。

ある日、一人の婦人が能面のような顔で抗議にきたのです。

「駐車場の車止めにぶつかってバイクごと転倒してしまった。
責任は駐車場の管理者にあるのだから、
バイクの修理代とケガの治療代を払ってください」


駆け付けた役人が応対するも、1時間以上、一歩も引きません。
近所の住宅地に住むごくごく普通の中年の主婦が、です。

無料駐車場での自損事故。無理筋でもゴネました。実に堂々と。


だから石担ぎも、善意であれ「許可する側」は慎重にならざるを得ません。

昔はこんなにおおらかだったのに。


江戸時代の茶屋「望嶽亭」のご主人だった松永宝蔵さんが描き残してくれた
「大門薬師堂の力比べ」です。
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静岡市清水区由比東山寺

でもあれやこれや考えたら、こんな世の中、窮屈です。
生きている実感が薄れます。

「あんな石っころなんか担いで何になる」って?
なァんにもなりません。ですが、このバカバカしさが人間には必要です。

窮屈は、
若者たちの冒険心や勇敢さや無謀でも突き進む勇気や夢を砕きます。


では、万一、破損やケガが起きたらどうすべきか、

所有者にも挑戦者にも明確な答えがないのでは、と思います。

私にもわかりません。

ただ、今ある力石は、もう「生きてはいません」
それだけは明らかです。


その「死に体」の力石を今一度持ち上げて、命を吹き込みたい、
石に耳をつけて、力石に込められた昔話を聞いてみたい、

そういう「文化財級」の若者が現れて、担ぐ許可を求めたらどうするか、

所有者側が試されています。

「たかが石だよ。割れても構わないから思いっきりやってみろ!
ただ、ケガだけはするなよ」

そういう度量を示せるかどうか…。


下は、地主さんのご協力で保存された石です。

「だれでも自由に力試しができるように、石は固定しませんでした」
と、これを手掛けた石材所の職人さん。
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静岡県富士宮市内房

岡山県の力石総社の石の如く、

「挙げれるもんなら挙げてみな!」

と、力石が挑発しております。

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞