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俵萠子さん …75

田畑修一郎3
11 /15 2022
日本にDV防止法ができる24年も前に、
DVにさらされて行き場のない女性たちのために、
シェルター(駆け込み寺)をつくった人がいた。

しかも個人で。

そのころの私は、
夫からの不可解な加害行為を見極めたくて情報の収集に明け暮れていた。

個人でシェルターを作ったのは評論家の俵萠子さんで、
その存在を知って私はすぐ手紙を書いた。


間を置かず返事が来た。

「集会にいらっしゃいませんか」

そのひと言で光明を得たと思った。


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のちに読んだ本で私は、
俵さんが女性の自立を支援するシェルターを作ったその一旦を知った。

それはこんな出来事を綴った一文からだった。

家への帰りに乗ったタクシーの運転手が、
客が俵さんとは知らずに悪口を言った。

「あの人、離婚した人でしょ。自分の家庭も満足に収められないのに、
区の教育委員長だなんて、笑わせるよねえ。

口を開けば男女平等なんていってる。ああいう女じゃ、亭主に嫌われるさ。
俺は家に帰れば断固として亭主関白を押し通してるよ」

運転手の話を黙って聞いていた俵さん、本の中でこう述べている。

「これと同じことを何べん聞いたか。
亭主に逃げられた女、心がけの悪い女。

日本では女にとって離婚は人格証明を失うこと。
世間では離婚された女とは言うけれど、離婚された男とは言わない」

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こんなに活躍されている俵さんでもそうだったのかと、私は驚いた。

離婚したことで嫌がらせを仕掛けるのは、男ばかりでないことも、
私はいやというほど経験した。

女が女に抱く憎悪やいやがらせは、自分の不満や嫉妬心を上乗せしたまま
直接、行動に出るからわかりやすいがキツイ。

田舎でも都会でも同じなんだと思った。

世の中には、
「人格証明」を失うことが怖くて離婚に踏み切れない妻たちが大勢いる。
しかし行政は何も助けてはくれない。

そこで俵さんは、「自立を手助けするシェルター」を考えたという。

私が初めてお目にかかったころの俵さんは、
群馬県の赤城山麓の家と東京の家を行き来する忙しい身だった。

その多忙な中でいただいた手紙を私は何度も読み返し、
すぐに集会への参加を伝えた。


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あれは晩秋のころだったと思う。

降りた駅や会場までの経路はさっぱり思い出せないが、
集会所での光景は今も鮮明に覚えている。

暗い夜道を来たせいか、集会所から漏れてくる明かりがまばゆく感じた。

その光に吸い込まれるように中に入るとすでに大勢の女性たちがいて、
みんな楽しそうに笑っていた。

深刻な顔が並んでいると思い込んでいた私は、その明るさにまず驚いた。

集会が始まり、やがてそれぞれが体験談を語り始めた。

生々しい過去を引きずりつつも、暮らしに安定感が出てきた経験者だろうか。
それを新参者と古参者たちが聞く形になっていた。

「元・夫は怒り出すと手が付けられず、椅子を振り上げてピアノに叩きつけた。
もうあの恐怖は…。

普段は温厚で優しいし、近所の人にも会社でも好かれていたから、
夫がこんなことをするのは私に落ち度があるんだろうと…。
だからこれがDVだなんて自分でもわからなかったんです」

今度は別の女性が立ち上がり、また体験を話し始めた。

「夫は酒乱で。
でもお酒を飲まない時は子煩悩な優しい人で…。
だからこれならやり直せると思って…。

でもお酒が入ると…。
私は殴られて、そのたびに顔を腫らしたり、ろっ骨や腕を骨折しました。
そういうことをされていると近所に知られるのが怖くて、
医者にも自分で転んだとウソをついて…。

でもあるとき、猫の首を、猫の首、はさみで切ったんです。
切り落としたんです。
それで今度こそ子供が殺されるかもしれない、私も殺されるかもと思って、
家を飛び出しました。

でも行くところがなくて、子供と電話ボックスで一晩…。
俵先生のことを教えられて、助けていただきました」


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能楽の世界に嫁いだ人がいた。

「父が同じ世界の人なので望まれて嫁ぎました。
でも夫はいつも家にいない。

悩みました。なぜだろうって。それで思い切って姑に相談したら、
息子には以前から馴染みの女がいて離れられないと。

普通の家の女じゃないから嫁にできないので、あんたを迎えた。
あんたは跡継ぎを産んでくれさえすればいいのよ。
そのためだけに嫁にしたんだからって。それで夫の家を飛び出しました。

狭い世界だし父の立場は悪くなるのはわかっていましたが、
でも父は理解してくれました」

再婚報告もあった。

「幸せです」のひと言に、大きな拍手が起こった。

集会所には50人ほどいただろうか。
末席で体験談や報告を聞いていた私に、俵さんがそっとささやいた。

「今はね、自立して安定した暮らしをしている体験者たちが
この会を運営してくれているのよ。

着の身着のままで逃げてくる人が多いので、
お茶碗やらナベカマから洋服までみなさんが差し出して…。
そうして助け合っているの。
本当は国が率先してやらなければいけないことなんですけどねぇ」

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終了後、私は俵さんと夜道を並んで歩いた。

「先生、皆さんのお話、壮絶で驚きました。
でも、私はああいう身体的暴力は受けていないんです。
それでもDVなんでしょうか?」

私の質問にウンウンと頷きながら俵さんが言った。

「精神的暴力っていうのがあるのよ。実はそれのほうがやっかいなの。
目に見えるような傷がないでしょ。だから誰にもわかってもらえない」

内閣府の言葉を借りれば、私が受けたDVはこうなる。

心理的攻撃。経済的圧迫。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞