媚びる …74
田畑修一郎3
「田畑修一郎」シリーズの最中に別の記事を挿入するため、
お読みくださっている皆さまは戸惑われたかと…。
書いている私も頭の切り替えがなかなか。
でも、ゴールまであとひと息。がんばります。
ーーーーー◇ーーーーー
女が女を貶める。
見渡せば、これは今なお身近なところで「当たり前のように」起きている。
職場の年かさの独身女性は、
「尻を触られたぐらいでギャーギャー騒ぐなんて。減るもんでなし」
と若い女性を叱った。
また、新興住宅地で自治会役員を決めるとき、
「上に立つ人はやっぱり殿方でなければ」と主張するのは、
決まって教授や教師という「教育者」の妻たちだった。

のちに移り住んだ集合住宅ではそんなことは全くなかった。
そこは一年交代で当番が回り、すべてをくじ引きで決めたから、
女性が会長になるのは珍しいことではなかったし、
新興住宅地の所帯数の4倍ものこの大団地をみんな見事に運営していた。
私が離婚したことで執拗に嫌がらせを続けた教授夫人から、
「どこへお引越しですの?」と聞かれて、「団地です」と答えたら、
「あー、あー、低所得者層の住むところですわね」と、
口辺を歪めつつ言われたが、
こいつは「上に立つのはやっぱり殿方でなければ」という
「男に媚びて生きるしかない」女の典型で、「低所得者層」と蔑んだ
団地の女たちの足元にも及ばないヤツだと思った。
市井の女であれ企業内のお局的女性であれ、政治家であれ、
同性として被害女性に寄り添うのではなく、笑いものにしたり貶めたりする人、
つまり、DV加害者に味方する女は、
常に自分自身を男の下、強いて言えば権力のある男の下に置くことで、
身の安泰を図り、男に媚びて世の中を渡っている、
そういうずるい、自立できない女ということではないだろうか。

「愛を言い訳にする人たち」(山口のり子 梨の木舎 2016)に、
おもしろい問題提起があった。
この本はDV加害男性700人の告白をまとめた貴重な記録で、
そこに、
「ふだん何気なく聞いたり口ずさんだりする歌詞に織り込まれた
メッセージについて、考えたことがありますか?」という問いかけがあった。
少々古いが、例としてこんな歌が挙げられていた。
●「言うことをきかない彼女に手を挙げることはカッコいいことだ」
と受け止めた男性たちがいたに違いない歌詞として、
♪聞き分けのない女の顔をひとつふたつ張り倒して
背中を向けて煙草をすえば それで何も言うことはない
=沢田研二 カサブランカ・ダンディ
●DV促進歌です。
女は支配されるのを待っているというメッセージの歌として、
♪じゃましないから 悪いときはどうぞぶってね
いつもそばにおいてね あなた好みの女になりたい
=奥村チヨ 恋の奴隷

●暴力をパロディ化することで、
暴力を軽く見る意識を人々に強力に刷り込む例として、
♪君にジュースを買ってあげる 月収10万以下だけど
ときどき暴力ふるうけど
=グループ魂 君にジュースを買ってあげる
●レイプ促進歌として、
♪ベッドに押し倒して腰なんかもんじまえ
思い切りいやがるけど 照れているだけだから
バタバタ暴れるのは喜んでいる証拠さ
=爆風スランプ 青春りっしんべん
このほか著者は、以下もあげていた。
♪I will follow you あなたについていきたい
=松田聖子 赤いスイトピー
一見、これが危険なメッセージを含んだ歌詞とは思えなかったが、
「この歌詞を信じて、女は引っ張ってくれる男を待っているんだ。
そうならなくちゃと目指した結果、妻にDVをしてしまった、
と告白した加害者がいた」と著者は本に記している。
そして、こうも書いていた。
「これらの危険なメッセージは、たぶん作詞家自身が持っている価値観
なのでしょうが、作詞家が一般大衆の持つ価値観に迎合して
歌詞に織り込んだものであり、
歌が流行することで人々の間に流布されて強化されます。
歌詞だけではない。漫画や小説、テレビや映画など社会に表出している
あらゆる表現に、そのような作用があるとみるべきでしょう」

確かに、人は刷り込まれた習慣で行動する。
そして一旦刷り込まれたものはなかなか消すことができない。
そのことはかつて各地にあった若者の組織「若衆組」の
「夜這い」にも見ることができる。
某村の小学校に都会から若い女性教師が赴任してきた。
早速、村の若者数人が教員宿舎へ夜這いをかけた。
驚いた教師の通報で若者たちは逮捕。しかし、彼らは納得がいかない。
「なんでだ! 今まで普通にやってきたことなのに」と。
彼らは時代が変わり、それが犯罪になったことを知らなかったか、
もしくは、
知ってはいたが気持ちの切り替えができなかったか、見くびっていたか。
しかし、それから100年以上たった今も「夜這い」は存在するようで…。
ただ、昔の若い衆にはそれなりのルールがあって制裁も課せられたが、
強制わいせつや強姦で逮捕された現代の男たちは、
犯罪と知りながら「合意の上だった」と自分の正当性を主張するのだから、
より卑劣で悪質だ。
今、「若衆組」の頭がいたら、こう言うかも。
「屁理屈をこねるだけで力石も持てねぇヤツは、女に手を出すんじゃねぇ」
会社内でセクハラに悩む若い女性に、
「尻を触られたぐらいで…」と大声で嘲り、男たちに媚びたお局さま、
言わなければいいのに、「私なら自分から差し出すよ」と。
とっさに周囲の男どもが尻をからげて逃げ出した。

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お読みくださっている皆さまは戸惑われたかと…。
書いている私も頭の切り替えがなかなか。
でも、ゴールまであとひと息。がんばります。
ーーーーー◇ーーーーー
女が女を貶める。
見渡せば、これは今なお身近なところで「当たり前のように」起きている。
職場の年かさの独身女性は、
「尻を触られたぐらいでギャーギャー騒ぐなんて。減るもんでなし」
と若い女性を叱った。
また、新興住宅地で自治会役員を決めるとき、
「上に立つ人はやっぱり殿方でなければ」と主張するのは、
決まって教授や教師という「教育者」の妻たちだった。

のちに移り住んだ集合住宅ではそんなことは全くなかった。
そこは一年交代で当番が回り、すべてをくじ引きで決めたから、
女性が会長になるのは珍しいことではなかったし、
新興住宅地の所帯数の4倍ものこの大団地をみんな見事に運営していた。
私が離婚したことで執拗に嫌がらせを続けた教授夫人から、
「どこへお引越しですの?」と聞かれて、「団地です」と答えたら、
「あー、あー、低所得者層の住むところですわね」と、
口辺を歪めつつ言われたが、
こいつは「上に立つのはやっぱり殿方でなければ」という
「男に媚びて生きるしかない」女の典型で、「低所得者層」と蔑んだ
団地の女たちの足元にも及ばないヤツだと思った。
市井の女であれ企業内のお局的女性であれ、政治家であれ、
同性として被害女性に寄り添うのではなく、笑いものにしたり貶めたりする人、
つまり、DV加害者に味方する女は、
常に自分自身を男の下、強いて言えば権力のある男の下に置くことで、
身の安泰を図り、男に媚びて世の中を渡っている、
そういうずるい、自立できない女ということではないだろうか。

「愛を言い訳にする人たち」(山口のり子 梨の木舎 2016)に、
おもしろい問題提起があった。
この本はDV加害男性700人の告白をまとめた貴重な記録で、
そこに、
「ふだん何気なく聞いたり口ずさんだりする歌詞に織り込まれた
メッセージについて、考えたことがありますか?」という問いかけがあった。
少々古いが、例としてこんな歌が挙げられていた。
●「言うことをきかない彼女に手を挙げることはカッコいいことだ」
と受け止めた男性たちがいたに違いない歌詞として、
♪聞き分けのない女の顔をひとつふたつ張り倒して
背中を向けて煙草をすえば それで何も言うことはない
=沢田研二 カサブランカ・ダンディ
●DV促進歌です。
女は支配されるのを待っているというメッセージの歌として、
♪じゃましないから 悪いときはどうぞぶってね
いつもそばにおいてね あなた好みの女になりたい
=奥村チヨ 恋の奴隷

●暴力をパロディ化することで、
暴力を軽く見る意識を人々に強力に刷り込む例として、
♪君にジュースを買ってあげる 月収10万以下だけど
ときどき暴力ふるうけど
=グループ魂 君にジュースを買ってあげる
●レイプ促進歌として、
♪ベッドに押し倒して腰なんかもんじまえ
思い切りいやがるけど 照れているだけだから
バタバタ暴れるのは喜んでいる証拠さ
=爆風スランプ 青春りっしんべん
このほか著者は、以下もあげていた。
♪I will follow you あなたについていきたい
=松田聖子 赤いスイトピー
一見、これが危険なメッセージを含んだ歌詞とは思えなかったが、
「この歌詞を信じて、女は引っ張ってくれる男を待っているんだ。
そうならなくちゃと目指した結果、妻にDVをしてしまった、
と告白した加害者がいた」と著者は本に記している。
そして、こうも書いていた。
「これらの危険なメッセージは、たぶん作詞家自身が持っている価値観
なのでしょうが、作詞家が一般大衆の持つ価値観に迎合して
歌詞に織り込んだものであり、
歌が流行することで人々の間に流布されて強化されます。
歌詞だけではない。漫画や小説、テレビや映画など社会に表出している
あらゆる表現に、そのような作用があるとみるべきでしょう」

確かに、人は刷り込まれた習慣で行動する。
そして一旦刷り込まれたものはなかなか消すことができない。
そのことはかつて各地にあった若者の組織「若衆組」の
「夜這い」にも見ることができる。
某村の小学校に都会から若い女性教師が赴任してきた。
早速、村の若者数人が教員宿舎へ夜這いをかけた。
驚いた教師の通報で若者たちは逮捕。しかし、彼らは納得がいかない。
「なんでだ! 今まで普通にやってきたことなのに」と。
彼らは時代が変わり、それが犯罪になったことを知らなかったか、
もしくは、
知ってはいたが気持ちの切り替えができなかったか、見くびっていたか。
しかし、それから100年以上たった今も「夜這い」は存在するようで…。
ただ、昔の若い衆にはそれなりのルールがあって制裁も課せられたが、
強制わいせつや強姦で逮捕された現代の男たちは、
犯罪と知りながら「合意の上だった」と自分の正当性を主張するのだから、
より卑劣で悪質だ。
今、「若衆組」の頭がいたら、こう言うかも。
「屁理屈をこねるだけで力石も持てねぇヤツは、女に手を出すんじゃねぇ」
会社内でセクハラに悩む若い女性に、
「尻を触られたぐらいで…」と大声で嘲り、男たちに媚びたお局さま、
言わなければいいのに、「私なら自分から差し出すよ」と。
とっさに周囲の男どもが尻をからげて逃げ出した。

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