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「雁木」にフォーカスしてみた(最終回)

小論文
09 /27 2022
6回ぐらいで終わるつもりが、いつものおしゃべりが過ぎました。

「これは論文じゃないよ」と、
大阪民俗学研究会の田野先生、苦笑しているかも。

ま、性分です。


最後の〆、新居関所の船着場です。

全国で唯一の現存関所です。国指定特別史跡。

江戸時代はこんな感じ。


「東海道名所図会」より、荒井(新居)関所と船着場の部分。
船着場から上がってすぐの、木を組み合わせただけの黒い「関門」にご注目。
img20220617_12150767 (3)

復元したのがこちら。

この船着場を上がり、まっすぐ行くと「大御門」、右の大きな建物が「番所」


1995年に私が撮影したときと違っています。⑩参照。
そのときは屋根のない「関門」でしたが、現在は屋根付き。
でも「東海道名所図会」には、1995年の写真と同じ関門が描かれています。
新居関所大御門入り
新居関所史料館提供

こちらの絵図は江戸末期~明治初年の巻物。作者不明。

左右に船着場がある。
ここの船着場は一か所のはずなのに、
どちらにも階段状の雁木に似た石段が描かれている。


取締りが厳しかった関所も、時代が下るに従い関所の機能が低下。
そのため、無断で浜名湖を往来する人が増えたという。

この絵は幕末から明治初期に描かれたということなので、
人の往来が自由になった頃の情景なのかも。


絵図・地図2(通364)関所絵図 江戸末期 県指定
新居関所史料館所蔵・提供

新居関所の詳細は下記のURLでどうぞ。
見取り図や動画でわかりやすく説明されています。


「新居関所」

ーー課題ーー

同じ石階段なのに「雁木」と呼ぶ場所と呼ばない場所があるのはなぜか?
近世城郭の船着場の雁木の紹介が極端に少ないのはなぜか?


ーー県西部の沼津市の場合を、
       沼津市歴史民俗資料館にお聞きしました。ーー

「かつて狩野川に張り出した河岸は「だし」と呼ばれていましたが、
断面楕円形または直線的な石積みのようです。
ただし、階段状にはなっていないようです」

「沼津港は戦前に掘り込み港として作られたもので、垂直の岸壁です。
浦地域の昔の絵はがきを見ましたが、船の上げ下げに斜めの床が作られ、
岸壁は直線的のようです」

「このころ作られた狩野川の親水堤は、「階段堤」と呼ばれているようです。
ということでわかる範囲では、「雁木」という呼び名は確認出来ませんでした」

残念。

下の動画は沼津市で今も運行している渡し船
「我入道(がにゅうどう)の渡し船」です。



「雁木考」の終わりにあたり、私の好きな句を。
俳人・種田山頭火が放浪の旅の途中、浜名湖で詠める句です。

「水のまんなかの道がまつすぐ」

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コメント

非公開コメント

こんにちは。

雁木、ほとんど初見の写真や絵に説明の数々。
大いに勉強になりました。
あ、年なので直ぐに忘れてしまって申し訳ありませんが。

以前は「雁木」と言うと、将棋の作戦しか思ってなくて、
この木の組み方が、元祖だったんですね。

このシリーズ、どこかで掲載されると良いですね。

one0522さんへ

将棋の戦法、そうでした。この「雁木考」を始める前、
将棋にそういう指し方があることを知って、
またそれを編み出した人の数奇な運命にも驚いて…。
そのことをすっかり忘れていました。
忘れることは私も得意です(笑)
でもそれをちゃんとご存じだったone0522さま、さすがですね。

論文もどきの私の一文をきちんとお読みくださり、評価してくださる、
本当に勇気ややる気が出ます。ありがとうございます。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。