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「雁木」にフォーカスしてみた⑨

小論文
09 /20 2022
「舞阪の地名」(舞阪町立郷土史料館 舞阪町 2005)によると、
ここの雁木の名称は、「通称」「別名・別記」とあり、
以下の通りになっている。


●南に位置した雁木は、通称は「渡荷場(とうかば)
別名・別記は「南雁木」「南船着場」で、荷物と庶民用
●中に位置した雁木は、通称は「本雁木」
別名・別記は「中雁木」「中船着場」「中船場」で、武家用。
●北に位置した雁木は、通称「北雁木」
別名・別記は「北かんき」「北船着場」「北船場」で、大名・諸侯用

舞阪町の松並木。江戸時代は3000本。この時は340本。1995年撮影
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「古地図で楽しむ駿河・遠江」
(加藤理文編著 戸塚和美執筆 風媒社 2018)に、
舞坂の雁木を「階段状」に築いた雁木と説明していたが、
ここは「石畳」で階段状ではない。

江戸時代の絵師たちも思い込みからか、階段状に描いている。
絵図はあくまでも絵であって、そのまま信用できない事例の一つ。


「東海道分間延絵図」の「舞坂宿」の部分です。

浜名湖東岸の船着場3カ所が描かれているが、
全部、「階段状」に描かれている。
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東京国立博物館デジタルアーカイブズより

五雲亭貞秀の「東海道五十三次之内舞坂宿並姫街道望遠」も
同様に階段状で、一か所のみになっている。

しかし、浜松市教育委員会設置の説明板には、こう書かれている。

「雁木とは階段状になっている石階段の船着場のことで「がんぎ」というが、
ここでは「がんげ」といい、石畳が往来より海面まで坂になって敷かれていた」

ちなみに「舞阪」の古代名は「象嶋(きさじま)
赤貝がよく獲れたため、
貝殻の放射状の「刻み」の「キサ」からきた地名との説もある。

こちらはその「キサ」を冠した神社、「岐佐(きさ)神社」です。
主祭神は「きさがい(赤貝)比売命」、
もう一人の祭神は「うむがい(はまぐり)比売命」

赤貝とはまぐりが神さま…。いかにも浜名湖らしい。

兄弟たちに妬まれて焼けた大石を落とされた大国主命は大やけど。
そこでこの二人の比売命が削った貝殻を乳汁で溶いたものを塗ったら、
大国主命は「たちまち麗しき男」になったそうな。
img20220617_12323724 (2)
北雁木のすぐ近くにあります。

下の写真は友人と舞坂の脇本陣を訪ねたとき、
某新聞社の記者に頼まれて、モデルになったときのもの。


ガイドのおじさん、
記者の要望に応えてお釈迦様の如く指で天を指したまま動けず。

奥にいる女性もサクラです。


img20220914_09501335 (2)

このままの姿勢で居続けるというのもなかなか大変で。
若い友人が思わず「アハハ!」と。

でもおじさんは直立不動。真面目な方なんですね。


img20220914_11012612 (3)

残念ながら、これはボツになったと、
記者さん、すまなさそうに写真だけ送ってくれました。

いい写真だと思うけどなぁ。ちょっとピンボケだけど。

あ、小論文に私情を挟んでしまいました。
ド素人がモロに出てしまいましたがお許しを!


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。