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疑惑 …61

田畑修一郎3
08 /14 2022
大阪の医療研究所に従兄弟を訪ねた。
武雄はただヘラヘラ笑っているだけで何も言わない。

「わざわざ来なくても」と、いぶかしげに従兄弟が言った。

「輸血をしたって聞いたけど、できればしない方がよかったね。
とにかく無事に済んでよかった」と言い、

最後に、終始「えべったん笑い」をしていた武雄を見て、
「仕事の途中なので、これで失礼する」と言い残して部屋を出て行った。

その後ろ姿を見送りながら、
従兄弟が私に向けて、ふと見せた柔らかい表情を思い浮かべていた。

「ぼくはね、仕事で疲れると車を走らせて田舎へ行くんだよ。
地蔵さんに会いに。地蔵さんを見るとホッとするんだ」

最先端医療の中枢にいる科学者が地蔵さんに癒されている。
冷たい印象の人だったのに意外な一面を見せられて驚いた。

科学では解決できない心の安寧を野辺の地蔵に求めた。
地蔵は黙って手を差し伸べた。

私の胸にポッと灯が点った。


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「おい、行くぞ」

ぼんやりしていた私に、武雄がイラつき気味に声を掛けてきた。
見るとさっきまでのヘラヘラ顔はすっかり消えている。

せっかくだから大介に会って行こうと提案したら、「いいよ」と言う。
すぐに電話をかけたが、大介は「悪いけど、忙しいから」と、断ってきた。

残念だったが、これで家へ帰れると思ったが、そうはならなかった。

「奈良へ行くぞ」と、武雄が唐突に言った。
「えっ?」
「奈良だよ。たまにはゆっくりするのもいいじゃないか。
もう宿も取ってあるし、無駄には出来ない」と、武雄は語気を強めた。

「宿をとってあるって…」

そう返すと、また武雄があの笑い方をした。

その不自然な笑い顔をみているうちに、
夫の本当の目的が透けて見えた気がした。

武雄は最初から従兄弟へのお礼なんか本気ではなかったのではないか。
本当の目的は「奈良」だったのではないだろうか。

でも何のために? それを今まで黙っていたのはなぜ?

いやな予感がして心がざわついた。

CIMG5446.jpg

翌日の奈良には、こぬか雨が流れていた。
武雄は慣れた様子で電車を乗り継ぎ、とある駅で降りた。

駅を出ると何の迷いもなく、そこから真っすぐ貸自転車屋へ行き、
自転車を2台借りた。

私は不意打ちを食らって頭の整理がつかず、
せかされるままに自転車に乗った。

霧状の雨が顔に当たり洋服が重くなったが、武雄は平気で前を走っていく。
時折り振り返り、私を見ている。

飛鳥寺や石舞台古墳へ立ち寄った。茶店のようなところで何かを食べた。
何を食べたか、どこへ寄ったかこれ以外は記憶にない。
ただやたら起伏の激しい坂道を上ったり下ったりした。

何度目かの坂を上り、交通量の激しい道路を横断して踏切を越えた。

霧が晴れたかと思うと薄い日差しが差し、すぐまたこぬか雨になる。

数か月前、2度の手術をしたガン患者の妻を自転車に乗せて、
こんな目まぐるしく変わる天気の中を連れまわす。

おかしいなと思いながらも私はお腹の傷を押さえて、
必死で夫のあとを追った。

DSC06333.jpg

武雄はまるで住み慣れた町のように走り抜けていく。

濡れた道路で車輪が滑る。また車の激しい道路へ出た。

武雄は後に続く私を翻弄するかのように白い霧の中に紛れたり、
車の陰から出たり入ったりしている。

猛スピードで走っていく夫を見失うまいと、私は必死でペダルを漕いだ。

やっと前方に小さく夫の背中を見つけた。だが安堵より恐怖に襲われた。

武雄は車の陰からこちらをジッと見ていた。
その顔は私の知らない別人の顔だった。

このまま夫を追いかけていたら危険な気がして、
私は道路の端に自転車を止めた。

その日夫は、行く先々でどこかへ電話をし大量に土産を買った。

「どこへ持って行くの?」と聞くと、「会社に決まってるじゃないか」と言う。

「会社に佃煮とかって変じゃないの?」と言うと、
またあの「えべったん笑い」が出た。

「雄二への土産は?」と言うと、「もう高校生だから必要ないだろ」と言う。

武雄が袋いっぱいに買った土産は、
会社へのものでないことはわかっていた。

「君んちのお父さん、愛人がいるんじゃないって友だちが言うんだよ」

小学6年生の雄二がそう言ってから、すでに4年も立つ。
それに対して私は何もしてこなかった。

小雨の降る奈良の山里で、雄二のその言葉が黒雲のように湧き上がった。

だが、私はそれを夫に問いただす勇気を出さなかった。

DSC07140.jpg

たとえ勇気を出したとしてもヘラヘラ笑うか、
「おれが家へ帰れないほど働いているのは…」の常套句を、
怒鳴りながら聞かされるのがオチだという諦めが先に来た。

それに、認めたくないという自分自身のこだわりもあって、
私はずっと気づかない振りを押し通した。

お腹の傷がうずく。ふくらはぎがパンパンに腫れてきて少しふらついた。

しかし武雄はそんな私には目もくれず、今朝降り立った駅から電車を乗り継ぎ、
何ごともなかったかのように新幹線に乗り込んだ。

情けないことに、私自身も何ごともなかったかのように従った。

春とはいえ、日没は早かった。
静岡駅へ着くころには、すでに夜になっていた。

「あのさぁ、おれ、このまま東京へ帰るから。
この二日間、お前に付き合ったから仕事が溜まっているし。そいじゃあ」

そう言って武雄は静岡駅で私だけを降ろすと、
そのまま東京へ帰って行った。

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コメント

非公開コメント

こんにちは。

台風8号の被害はありませんでしたか?

無事でしたら良かったです。

静岡県内でも荒れたところもあったようですね。
被災地の方々にお見舞い申し上げます。

one0522さんへ

ありがとうございます。
私のところは幸い気抜けするほど穏やかな?台風でした。
朝からスマホの緊急速報がけたたましく鳴って、
市からはレベル4で避難勧告が出されたものの、
雨もそれほどではなく風のない変な台風でした。
雷警報が出ずっぱりだったので、パソコンはコンセントを抜いていましたが、
こちらも大したことはなかったんです。
でも、「なあんだ、たいしたことないじゃないか」
なんて言っていると罰が当たりますね。
ただ涼しくてありがたかったです。

台風

落ち着かれた頃かしら・・・と思ってコメント拝見したら、
直接の被害は無かったご様子。よかったです。とはいえ、
暫く雨の心配が続きそうですね。

BUSYBEE-GAEIさんへ

ありがとうございます。
凄いのが来ると思って身構えていたら、拍子抜け。
子供のころはどこの家でも雨戸を打ち付けたり。
子供たちは雨戸の節穴から外の様子をうかがって、
風に煽られた木がしなうのを見たり…。

昔、静岡市に大変な豪雨があって、そのときは高台に住んでいましたが、
朝、平地の方を見たら巨大な湖になっていて驚きました。
土砂崩れでたくさんの犠牲者が出て、道路が埋まって大変でした。
今も電柱にそのときの水位が記されていますが、
本当にバケツをひっくり返したような雨で、
あんな凄いのはあとにも先のも初めてでした。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。