fc2ブログ

罠 …60

田畑修一郎2
08 /11 2022
退院した翌年は不気味な一年だった。

どんな困難であっても逃げない、ケリをつける、
そう決めて勇ましく歩き出したはずなのに、そうはならなかった。

自分はしっかりしているから大丈夫と思っていたが、
今まで通り、夫に振り回される情けない年になった。

大学生になった長男は、
父親のいる東京を避けるように関西の大学へ進み、
二男は高校生になった。

そして二男と私との二人暮らしが始まった。

あれは退院から4か月余りの4月末のことだった。

久し振りに東京から帰ってきた夫の武雄が帰って来るなり、
「大阪へ行こう」と言い出した。


私はてっきり、こう思った。

長男に会いに行こうとしているのだ。
新生活の手助けを何一つしなかった自責の念に駆られたのだと。


DSC04280.jpg

ところが違った。

「ほら、お前が入院した時、親戚の医者が口利きしたんだろ? 
お礼に行くべきじゃないのか」

お礼? 何故、今? 

従兄弟は関西に住んでいた。
私はこの人とは東京にいたころ、1度か2度しかあったことがない。

まして武雄は会ったことも話したこともないのに、
こうも馴れ馴れしくわざわざ出向くってどういうことなんだろう。

「雄二を一人、家に残して行くことはできない」と言うと、
口辺を歪めて声を荒げた。

「今しかないんだよ。クソ忙しいのに一緒に行ってやるって言ってんだよ。
行くのか!行かないのか!」と凄む。

そうして凄んだかと思ったら、今度はご機嫌を取るかのように優し気な声で、
「オレが費用、全部出すからさァ」と、エヘラエヘラ笑った。

いやな笑い方だった。

今にして思えば、それは、
彼の叔父、田畑修一郎が小説の中で描いていた
武雄の父のあの「えべったん笑い」そのものだったのだが…。


DSC07642.jpg

しかし、この強引さは何だろう。
費用はオレが出すって、夫婦なのに変ではないか。

なにかいやなものを感じて私は返事を渋った。

それに武雄は、私の従兄弟の勤務先をなぜ、知っているのだろう。

それだけではない。すでに先方に連絡済みだと言う。

ずいぶん後になって兄から聞いた。

「武雄君が電話して来て、
どうしてもお礼に行きたいから連絡先を教えてくれと言うので、
その必要はない。第一、妹は病み上がりじゃないか。
どうしてもと言うのなら、電話で充分だよと言ったんだ」

兄のその助言を無視して強引に行こうとするのは、やっぱり変だ。

ふと、あの手術直後の個室での出来事が頭をよぎった。

タンが絡んで呼吸困難になっていた私を、ただ見下ろしていた夫のあの顔。

看護師から「なぜタンを切る薬をあげなかったのか」と叱責されて、
私の胸にその薬を投げつけて出て行った、あの冷酷な顔を…。


DSC07139.jpg

ここ数年、おかしなことばかり続いていた。

小学6年生だった二男が友人を連れて、
「ジャーナリストの自慢の父」に会いに行ったのに部屋に置き去りにされた。

友人の前でメンツをつぶされた二男の雄二が、ポツリと言った。

「友達が言うんだよ。君んちお父さん、愛人がいるんじゃないのって。
そんなに家に帰らないのは愛人がいるせいだって」

「愛人」という言葉を、まだ小学生の息子が口にした。

私はうろたえた。
そんな言葉を息子に言わせてしまって、どうしたらいいのか。

だがこの時も私はいつものように、沈黙を押し通した。

二男だけではない。

夏休み、東京の予備校に通うために
父の暮らすアパートへ出かけた長男の大介が、夜になると電話でこう言った。

「いつもぼく、独りなんだよ」

それからまもなく家へ帰ってきた大介は、父の部屋の鍵を私に出して言った。

「これはお母さんが持つべき鍵だから」


そう言って父の部屋の鍵を突き付けられたときも、
私は動揺を悟られまいと口を引き結んだままだった。


DSC07624.jpg

私は長い間、夫の居場所も電話番号も知らせてもらえなかった。
おかしなことだと思ったし緊急の時どうしたら、という不安はもちろんあった。

だが、「俺をそんなに信用できないのか」と言う夫に逆らえなかった。

「お母さんが強く言えないから、ぼくらまで惨めな思いをする」
と、長男がうめいた。

その通りだと思ったし、このままではいけないとも思った。
きちんとしなければ子供たちに迷惑をかけてしまう。

ある日、勇気を出して夫に言った。
「もう私と一緒にやっていく気がないのなら、はっきり言ってください」と。

武雄は激怒した。

「お前はホントに何んにもわかっていないんだな。
オレが家に帰れないほど働いているのは、なぜだと思ってるんだ。
みんなお前たちのためじゃないか」

そうわめくとそのままプイと家を出て、そのまま戻って来なかった。

久し振りに帰宅した夫にすき焼きを出すと、
「肉の顔見るのは何カ月ぶりかなあ」という。

そういう夫の言動のなにもかもが芝居がかっていると感じたが、
そのときも私はまだ、
「帰れないほど忙しく働いている」という言葉を信じたい気持ちと、
「食べさせてもらっている」という負い目に囚われていた。

それに優しい時も確かにあった。
そんなことをぼんやり考えていた時、武雄の怒気をはらんだ声が飛んできた。

「行くのか! 行かないのか!」


DSC01900.jpg

ハッと我に返ったとき、
「行きます」と言う言葉が口を突いて出た。


にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ
にほんブログ村
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞