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無になる …59

田畑修一郎2
08 /08 2022
退院して間もなく、ふいの訪問客が増えた。
みんな初めて見る顔ばかり。

どこからともなく、わらわら湧いてきた。

押し売りではなかったが似たようなもので、宗教の押し売りだった。
子連れもいた。

この人たちの、人の不幸を嗅ぎつける嗅覚は犬も顔負けだと思った。

こちとら病み上がりだよ。しかも全く知らない人。
そういう輩が他人の家に押しかけるってどう考えても、まともじゃない。

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所属教団名を名乗る者はほとんどいなかったし、
「宗教じゃない」と言い張る者もいたが、雰囲気は同じ。

顔つきはみんな似たりよったりで、始終笑ってやたら自信にあふれていた。

かれらがゾッコンの教祖はいろいろで、
メシアだの救世主だのキリストの生まれ変わりだの、
東西の神さまのごちゃまぜだのって、

なんとまあ、「神さま」ってたくさんいるもんだなと驚いた。

「興味がない」と断ると、あっさり引き下がる人もいれば、
「そんな態度だからガンになったんだ」と、
どこで聞いたのか、「ガン」という言葉を使って捨て台詞を吐く「羊」もいた。

10歳ぐらいの子供が絵を示して、「これが理想世界です」と得意気に言った。
うしろにいた父親も得意満面で胸を張っている。

見るとライオンや虎や象などの猛獣と人間たちが、
仲良く広場に集まってニコニコ笑っている。

ちょっといたずら心が起きて、
「もしこのライオンが腹ペコだったら、僕、食われちまうよ」
と口に出掛かったが、無言で手を振ってドアを閉めた。

「イワシの頭も信心から」と言うのだから、あなた方の好きにすればいい。
だけど、子供だけは自由にした方がいいよ。

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どの人も善良そうで真面目そうで熱心で、
それで言うことは決まって「愛」「平和」「救済」

おいおい、愛だの救済だのと自信たっぷりに言うのなら、
ちょいと品がないけど、今の私の気持ち、お伝えしましょうか。

「同情するなら金をくれ!」

「信心しなければ地獄に落ちる」って、あんた、地獄を見たことあるの?
「先祖の因縁」って言うけどさ、
縄文の昔から考えたら、そりゃ、いろいろあるだろうさ。

私は今、地獄の真っただ中だけど、こう思ってる。
現実の出来事は現実の世界で解決するしかないんじゃないの?って。

現実に立ち、
これから自分の身に起きたことを一つ一つ解決していこうとしている私には、
こういう「クローン人間」はその対極にある人たちだ。

彼らは他人が作った「仮想世界」の住人たちなんだろうと思った。

その仮想世界でただ一人、「現実の世界」に生き、俗世を謳歌しているのは、
彼らが神と崇める教祖だけなんだろうなとも思った。

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人の冗談を真に受けては笑われ、頼まれ事は無理してでも引き受ける、
そういう私を見て、「どうしてキミは周りに遠慮ばかりしているんだね。
もっと自分を大事にしなきゃダメだよ」

と、人生の先輩たちから忠告されてきたトンチンカンで隙だらけの私が、
この長い人生の中で、
マルチやカルト宗教や詐欺を回避できたのはどうしてなんだろう。

単なる幸運なのか、それとも干渉され嫌いが幸いしたのか。

はたまた、
誘われて行った有名歌手のコンサートで、観客総立ちで熱狂している中、
独り冷めて座っていた私を見て友人は困惑したが、
そういう「乗れない性格」のせいなのか自分でもわからない。


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私は登山が好きだった。

ただ頂上を目指して黙々と歩くという行動に、
修行のようなものを感じてもいた。頂上についた頃、いつも思ったものだ。

「無になれた」と。

孤高を気取っていたわけではない。

どんなに大勢で登っていても、歩くのは自分自身だから孤になれる。
この瞬間のために私は歩いた。
だれに指図されたわけでも誰のためでもない。自分のために。

何も考えずただ歩く。ひたすら歩く。一歩、また一歩と。

花、木、川の音、鳥の声や風の音、
空や雲や踏みしめた大地のそのすべてに、私は精霊や命を感じつつ歩いた。

そうして、
解き放たれた心のすき間に自然からの恩恵を埋めていった。

下山した時、
俗世間から受けた垢や埃が浄化されて、新たな生きる力を獲得できたと思った。

流した汗、足の筋肉痛のひどい分だけ、
心身の迷いや苦悩や穢れが外へ押し流されたと感じた。


笊ケ岳登頂への途中の「幻の池」。消滅していた池がこの日は姿を見せていた。
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10代の頃は坐禅をやった。

夕方から夜間の参禅、明けの明星を背にした早朝参禅、
夏には緑陰禅をやった。

ただ座っているだけ。
誰かに強制されたわけでも、小難しい法話を聞いたわけでもない。

シンと静まり返った坐禅堂でひたすら座り続け、
時折り僧が打つ警策を肩に受けて、そうして「無」になり、現実へ戻った。

登山は坐禅に似ていた。
子供のころから群れることが苦手だったから、どちらも性に合った。

禅の「来る者は拒まず、去る者は追わず」がしっくりきたし、
なによりも、人を頼らず自分自身で決め、実行することが快感だった。

「自分でやるしかない」という母の言葉が、さらに現実直視へと私を促した。

退院した翌年はそのスタートの年となった。
だが、解決までの道のりは遠かった。


       
         ーーーーー◇ーーーーー

ーーー原爆投下で被ばくさせられた方々を悼むーーー

今年も「2度と過ちを繰り返させてはならない」と誓う日がやってきました。
私は夏が来るといつもこの写真を見ます。


「焼き場に立つ少年」 ジョー・オダネル撮影
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そして山の先輩だった広島の橋本さんを思い出します。

爆心地からほど近い場所で倒れたまま何日か過ごし、
探しに来た兄に発見されて奇跡的に助かったと何度も聞かされた。

背中一面のケロイドにもめげず、生涯独身で山を友として生き、
そして一人で世を去った。

子連れの鳳凰三山で知り合い、共に神奈川、広島の山を登った。
わが家へ泊った時は「もっと立派な家かと思った」と笑い、
彼女の家へ泊めていただいたときは「こんな小さな家で」と、顔を赤らめた。

動物園が大好きでひまさえあれば動物園へ通った。
小さな山にこれまた小さな手作りの山小屋を建てて住み、
「夕べは熊がきたらしい」と笑った。

原爆の話になると形相が変わったが、
くっついたままの手の指を庇いながら、グチをこぼさず明るく生きた橋本さん。
あの笑顔を思い出します。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞