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にいさん寒かろ、おとうと寒かろ …56

田畑修一郎2
07 /24 2022
話を3か月前の大晦日に戻そう。

あの日私は、兄に先導されて病院を出た。
1カ月ぶりに見る青い空。冷たい風も心地よかった。

私は力強く大地を踏みしめた。
だが、翌年日常が戻ったころ、二男の雄二がこんなことを言った。

買い物袋を下げてお腹を押さえて歩いていた私の姿を、
学校帰りに見たのだという。

「あれでも動いているのかっていうくらい、
お母さん、ゆっくり歩いていたんでびっくりした」と。

退院の日の私もきっと、「あれでも動いているのか」というくらい
そろそろと歩いていたに違いない。

でもその時の私は、さっそうと歩いているように思っていたのだ。

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タクシーが病院を出て間もなく、
「武雄くんが後ろをついてくる」と、兄が言った。

お腹の痛みをこらえつつ体をねじって後方を見ると、
見覚えのある水色の50ccバイクが見えた。

私がバス代節約のためようやく買ったオンボロバイクだ。
武雄はそれにまたがって、つかず離れずついてくる。

「出がけに武雄くん、迎えに行きますなんて言ったけど、
あんなので病人をなんて…」

兄は怒りを抑えた声で言った。

家に入ると、母と姉が出てきた。

私は夢遊病者みたいにふわふわ歩き、そのまま部屋を突っ切って、
庭に面したサッシを開けた。

庭に飼い犬のGがいた。

「G!」と声を掛けると、Gは小首を傾けて声に聞き入り、
それからハッとして私の方に向き直ると、大きくシッポを振った。

このときは気づかなかったが、この数日後、Gが失明していたことを知った。

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母がサッシをさらに大きく開けて、庭にいた武雄に声を掛けた。

「布団を敷いてあげたらどうですか」

武雄は慌てて部屋へはいると、押し入れから布団を引っ張り出し、
まごまごしながら敷き始めた。

どれも昔のまんまのせんべい布団。
それに、縁がほつれて固くなった毛布をぎこちなく重ねている。

私はそこへ倒れ込むように横たわった。

その様子をドアの陰からジッと見ていた飼いネコのサビが、
突然、私めがけて走ってくると布団の中へ潜り込んできた。

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それからどのくらいたったころだろうか。

誰かが私に話しかけているのに気づいてうっすら目を開けると、
そこに母がいて、こう言った。

「お重に赤飯とお煮しめを詰めて来たからね。
私たちはこれで帰るから」

返事が出来ないまま、私は再び眠りに落ちた。

次に目を覚ました時、あたりはすっかり夜になっていた。
ぼんやりした頭で、そろそろと起き上がり居間まで歩いた。

ソファにいた大介と雄二がハッとした顔で私を見た。

「お父さんは?」と聞くと、暗い顔で雄二が言った。

「東京へ帰った」

帰った? 今日は大晦日だよね。明日はお正月。

今までも「仕事が溜まっている」と見え透いた言い訳をしては、
元日の朝、そわそわと東京へ帰っていたから慣れてはいたけれど、
まさかこういう日にまでとは思いもしなかった。

あの人は母に、入院費を立て替えてくれたお礼も言わず、
その母が用意してくれた赤飯とお煮しめを食べて出て行ったという。

ひねくれ男がみんなの前で、すねて見せたってわけか。

大人としてのまともな挨拶が出来ない人とはいえ、
あまりにも不甲斐ないではないか。


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でも、もう何も言うまい、思うまい。
私が取るべき道は、後ろを振り返らず前へ進むだけのことだ。

ソファに座ると、息子たちの表情が少し和らいだ。

長男の大介が目を伏せたまま言った。

「おやじに約束させたよ」

「えっ!」

「父親として僕らにどこまで責任を持ってくれるのかって…。
おやじ、黙っているから、ぼくと雄二を大学まで出す気はあるのか。

あるんならそう約束して欲しい。それから先はそれぞれの責任だから。
そう言ったんだ」

あ、先を越されてしまったと私は思った。

大介は淡々と話し続けた。

「そしたら、大学まで出す。約束は守るって」


DSC04692.jpg

母の入院で受験生の二人には苦労を掛けた。
その上、我が子の進路にさえ関心がない父親であってみれば、
勉強どころではなかっただろう。

長男の大介は母親の汚れたパンツまで洗っては届けてくれた。

勉強に疲れた弟がガスの点火を確認しないまま眠り込み、
漏れたガスが部屋に充満した。

警報器の音で目を覚ました大介が、
窓という窓を開け放して処置してくれたという。

「ぼくら、危うく死ぬところだったよ」

私は絶句した。
恐怖と感謝と、わけのわからない感情に打ちのめされた。

よく気が付いてくれた。
何か大きな力が子供たちを、私を、守ってくれたんだと思った。

ふと、脳裏に、
「にいさん寒かろ、おとうと寒かろ」の昔話が浮かんだ。

両親を亡くした幼い兄弟が、食べるものもなくなり、
たった一枚残った布団に抱き合ってくるまり、
「にいさん寒かろ、おとうと寒かろ」と互いを気遣い死んでいった。


でも大介と雄二はその危機を回避していた。
兄の機転で、無事生き延びてくれていたのだ。


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私はただただ、ありがとうを繰り返した。

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞