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自分でやるしかないんだ…52

田畑修一郎2
07 /12 2022
身体がだるい。
高熱が出たわけでもないのに、体中が熱い。

ぼんやりしたまま、ベッドに仰向けになって天井を見つめた。

とにかくここを出なくては…。
それにはお金がいる。頼るところは実家の母しかいない。

長年、姉と二人きりで暮らしてきた母は、高齢もあってか言葉にトゲが目立つ。
しかし、それでも黙って頭を下げるしかここを出る方法はなかった。

翌日、私は緊張しつつ母に電話を掛けた。
いきなり、母が言い放った。


「それじゃあ、金の工面ができるまでそこにいるんだね」

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それから間をおいてこう付け加えた。

「なんでも自分でやるしかないんだよ。誰も助けてはくれないんだから」

その通りだと思った。情けなかった。

微熱という中途半端な熱で体が浮き上がる。
見るものがみんな歪んで見えた。

公衆電話から病室まで、どうたどり着いたのか記憶がない。

私はふわふわとベッドに倒れ込むと、そのまま気を失った。

どのくらい時間がたったのか、わからなかった。

廊下から人の行き交う音が流れてきた。
その音が次第に大きくはっきり聞こえ出したとき意識が戻った。

体中からにじみ出た汗で、枕も布団もじっとり濡れている。
お腹に当てていた氷がすっかり水になっていた。

まかないさんが、ベッドまで食事を運んできた。
昼食かと思ったら、もう夕食だと言う。

病室を見まわしたら、向かいのベッドにTさんの姿がない。
退院したのだと、まかないさんが教えてくれた。


DSC06032.jpg

そういえば、誰かが私の顔を覗き込んでいた。

影絵みたいにぼんやりとしか見えなかったけれど、
あれはTさんだったんだ。

女の子ももういなかった。

はす向かいのハツエさんはベッドに座り、一心に窓外を見つめていた。

年末年始を自宅で迎える患者が、次々と一時帰宅や退院をしていく。

私はそんなハツエの背中を見ながら、
「とうとう二人だけになりましたね」と、心の中で呼びかけた。

「金の工面ができるまで、そこにいるんだね」と、言い放った母だったが、
その日のうちに多額のお金を振りこんでくれていた。

それを知って私は入院以来、初めて泣いた。


DSC07102.jpg

安堵と恥ずかしさと、それに悔しさや憎しみや不安の入り混じった涙が、
あとからあとから流れ落ちた。

「自分でやるしかないんだよ。誰も助けてくれないんだから」

そう言った母の言葉を胸に刻み、
この「恥」はいずれどこかで清算できるだろうと思った。

いや、恥ずべきなのは夫の武雄なのだ。彼に必ず清算させると誓った。

大晦日に私は無事、退院することになった。

生きて戻れることになったこの日は、私自身の再生の日となった。
それはまた、夫との決別の日でもあった。

はからずも私のガンは、夫との暮らしを清算するきっかけとなり、
私に自分らしく美しく強く生きる勇気を与えてくれたのだ。

この春、大学生と高校生になるはずの二人の息子の今後を考え、
倫理観も失せてしまった夫と離れる手はずや、

その夫の背後にいる奇妙な人たちから逃れる方法をも模索するという
その荒海に乗り出すために、私は大きく舵を切った。

DSC01056.jpg

この弱った体でなにができるのかわからない。
だが、希望はあった。

これまでの理不尽な夫のふるまいから抜け出せる、
そのことだけでも大いなる「希望」だと思った。

夫からの得体の知れない「暴力」に、耐えることはもうやめた。
耐えるなんてことは、美徳なんかじゃないんだから。

今後の自分の生殺与奪は私自身の手に取り戻す、
同時に夫・武雄のそれも…。

そう考えたら気が楽になった。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞