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大地に立てる

富士塚
06 /06 2022
富士塚のテッペンには、細長い石が突きささっています。

志木市の「田子山富士塚」の頂上にもあります。

「陰陽石」

これです。
無題
埼玉県志木市本町・敷島神社内

陰は母なる大地(女性)陽は石棒・立石(男性)
を表しています。

この二神の合体によって、子孫繁栄と豊作が得られる
と信じられてきた。

そのためこうした男女和合の神事は紀元前から大切な祭礼として、
世界中で行われてきた

力石にもこの陽石があります。
これです(右端)。
木島力石
静岡県富士市木島・子之神社

ここは富士川に面し、山梨、静岡間の物資が行き交った水運の町でしたから、
荷揚げの若者たちが大勢いたはずです。

時代が変わり、今はこの石もご覧のように放置されていますが、
当時は神の依り代ですから、特に選ばれた若者が持ったことでしょう。

こうした石棒=「柱」を大地に立てるという風習は、
縄文遺跡でたくさん見ることができるそうです。

こちらは秋田県の「大湯環状列石」の2か所あるうちの一つで、
「日時計状組石」(野中堂環状列石)です。

これは集団墓地だそうです。ここで祭祀を行った。縄文後期。最大経44m。
大場遺跡
秋田県鹿角市十和田大湯

環状列石の画像は以下の
「北海道・北東北の縄文遺跡群デジタルアーカイブ」提供です。

大変充実したHPです。ぜひ、覗いてみてください。

「JOMON ARCHIVES」

石柱のほかに木の環状列柱も発見されて、
「環状列石」に対して「環状木柱列」と命名されています。

この環状木柱列は北陸の遺跡で見つかり、他では発見がなかったため、
「縄文晩期に北陸でつくられた祭りの遺構」だと言われてきたそうですが、

「古代の立柱祭祀」(学生社 2008)の著者・植田文雄氏は、
「本当にそれ以前にはないのか。北陸地方だけの特殊な遺構なのか」
と、疑問を持ち、
「もっとたくさん探す必要がでてきた」と序に書いています。

1994年、著者は縄文遺跡として西日本最大級(滋賀県東近江市)の
「正楽寺遺跡」 の発掘に携わり、
そこで巨木列柱屈葬人骨シャーマンと思しき土面火を焚いた跡を発見。
※シャーマンの土面などは上記の「正楽寺遺跡」でご覧ください。

これらのことから著者は、木、石問わず環状柱列は、
死と再生の祭祀場だったのでは、と想像した。

植田氏が確認した木の立柱遺構は21遺構、81基。
その中の一つ、群馬県「矢瀬遺跡」で石棒を見て、
「男根状の石棒が立てられているのも興味深い」と記している。

また外国の「立柱」をも訪ね歩き、
イギリス・ソールズベリーのストーン・ヘンジは、
かつては儀礼の場で、

「石以前には4本のトーテム・ポールが立つ木柱列だったという、
予想もしない事実を知ることになった」と書いています。

ストーンヘンジ
Wikiより

下は、金沢市のチカモリ遺跡「環状木柱列」です。

ここの環状木柱列の円形は直径約7m、柱はクリ材で、太さは直径約1m前後、
そんな巨木を、縦に二つに割ってあったという。

石の道具しかなかった時代なのに、信じられません。

「金沢市・チカモリ遺跡」

「チカモリ遺跡の環状木柱列」 復元。縄文晩期。
チカモリ遺跡
石川県金沢市新保本

そして、植田氏が滋賀県の「正楽寺遺跡」で巨大立柱を見つけたのと同じころ、
青森県の三内丸山遺跡が発見されて、「木柱列」へ注目が集まります。

この三内丸山遺跡の立柱建造物は、
柱穴の直径が約2m、穴の深さも2m、6本柱はクリ材で、すべて4.2mの等間隔という巨大なもの。

「重機もないのに2mもの穴を掘り、高さ20mもの巨木を立ち上げた。
等間隔に柱を立てたのは、7や70の倍数を単位とする尺があって、
これにのっとって精密に立てられたとされている」(植田氏)

縄文人は35 ㎝を基準とする
「縄文尺」というべきものを駆使していたのではないかと言われています。

この立柱の構造物を現地では「大型掘立柱建物跡」と称し、
「用途、機能については様々な意見があり、現在でも明らかになっていない」
としているのに対して、

「古代の立柱祭祀」の著者の植田氏は、「建物のように復元された6本柱も、
あの姿で決着したわけではなく、
柱のみが立つ立柱遺構とする案もいまだ有力である」としています。

三内丸山遺跡の「立柱」遺跡。縄文前期~中期。復元。
三内丸山
青森県青森市三内字丸山・三内丸山遺跡。
「北海道・北東北の縄文遺跡群デジタルアーカイブ」提供。

こちらはこの遺跡の動画です。



話変わって、

「縄文人は海を越えたか?」(朝日新聞出版 2022)
の著者・水ノ江和同氏によると、

「縄文の文化の範囲は、現在の日本という国の領土とおよそ重なる
日本固有の文化」だそうで、

土器に至っては、
「同時代の世界各地の新石器時代の土器に比べて、
器形や文様において、圧倒的に優れた造形美を有する」という。

さらに、「丸木舟ひとつで海を渡る
航海技術、観天望気に優れていた」というし、

植田氏も、
「漆を塗った土器や漆で染めた糸で織った衣服が出土している」と、
縄文人の技術の高さを称賛している。

まさに縄文人、恐るべし!

昔、学校で、「縄文人は猿に毛が生えたぐらいの未開人」
だと教えられたけど、あれは一体、なんだったのか。

「猿ですけど、それはひどい」と猿もびっくり。

この方は「思わ猿」。何もしないから「動(な)さ猿」とも言われています。
「オイラ、モノに動じないだけで無気力とは違うよ」
img20220531_16400605 (2)
静岡県湖西市白須賀。旧東海道・白須賀宿の庚申堂。

再び、「環状木柱列」です。

植田氏や「石に宿るもの」の中沢厚氏によると、

その場所は墓地を伴った命の再生を願う祭祀場で、
真ん中に立てた巨木や石柱は、

「天の神と地の霊が行き来する道」なのだという。

富士山も同じ。

テッペンのホト(女陰)に石棒を立てて命の再生を願い、
その命が誕生する場、「御胎内」を持つという見事な装置になっています。


仏教の経典に「釈迦入滅後、弥勒菩薩が出現してこの世を救う」と
書かれているそうですが、
その出現する場所が弥勒浄土という天上の世界。

平安の昔から人々は、その世界こそが富士山の火口だとして、
そこに「ミロクの世界」があると信じた。


富士講が特に説いたのは、「男女和合」

「男女和合」とくれば、男女2神が仲良く並んだ道祖神です。

道祖神の隣りにあるのが力石。
ここで産気づいた妊婦がこの石に手をかけてお産をした話が残っています。

CIMG1168_20220531130852a9c.jpg
静岡県富士宮市淀川町・個人宅

富士講はこれにより、
「男女平等の世界に生まれ変われる」と説きました。

セクハラ、パワハラ、いまだに男尊女卑の現代人には、
耳が痛い話ですね。(笑)

しかし、これほどまでに「命の再生」に固執したのは、なんだったのか、

それも日本だけではなく、世界中の民族が…。

縄文の立柱は、さらに、
伊勢神宮の「心の御柱」や諏訪大社の御柱、
道祖神から田んぼの案山子にまで脈々と繋がっているというし、

「橋の根元に人を埋めたという犠牲者を「人柱」と言うのも、
戦死した若者が神として扱われて「ひと柱」「ふた柱」と数えられるのも、

みんな、縄文の立柱から来ている」(植田氏)と知って、

この悠久の歴史の凄さに圧倒されて、

もう「縄文の世界」から離れられなくなりました。

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コメント

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No title

ご無沙汰いたしております。
いつも読み逃げ見にげで失礼を致しておりますのに物凄い勝手なお願いにあがりました^^;

実は先日の力石 近くの知人に尋ねた所お話を伺うことが出来ました。
その事をちょっとですがブログに載せました。
その中でこちらのサイト様を勝手ですがリンクをさせて頂きました。
事後承諾となってしまいました。
もし不都合がございましたら即刻削除致しますので
面倒と思いますがご一報頂けたらと思いご連絡をいたしました。

土地の方に色々お話を伺うと面白いですね。
どうぞ宜しくお願いいたします。

ちしゃ猫さんへ

お世話になっております。
今朝、ちしゃ猫さんのブログを拝見して、あれっ、記事がこの前のと違うなぁと思ったので、一度お聞きしようと思っていました。
もし可能なら、ブログごと記事を紹介させてください。あのオリンピック出場の女性も差し支えなかったら、どなたか知りたいです。
リンク、ありがとうございます。光栄です。
私も拙ブログに貼らせていただきます。
私の地区に甲斐犬さんが「一人」だけおります。
チマチマしたワンちゃんが多い中で、異色の存在です。

ちしゃ猫さんへ

ありがとうございます。
なんかすごくいいお話ですね。
今の記事が終了したあたりでぜひ、ご紹介したいと思っています。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞