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多才玉

富士塚
06 /03 2022
江戸の富士塚を調べていて、ふと、思ったんです。

力持ちの多くは富士講の講員だったのではないか、と。

富士講信者は圧倒的に下町の庶民。力持ちの居住地も下町。
講の分布と力持ちが出た地域と重なるんですよ。

で、富士山へ行くにはお金がかかる。
旅費や宿泊代はもちろん、道中の茶屋、馬子への散銭もある。

道者を見れば、子供たちが寄ってきて、
「ビッケ(ビタ銭)まけやぁーい」とせびる。

これをケチっては御利益が薄れる。

「富士登山道しるべ」です。
宝暦8年(1758)、遠江国長上郡の鈴木善左衛門が富士入峰33回
禅定成就を記念して建碑したものだそうです。

善左衛門さん、33回もの登山では、かなり散財したことでしょう。
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静岡県富士市松岡・水神社内。
「富士市の文化財」富士市教育委員会 平成2年より

岩科小一郎氏は言う。

「道者は道中の無事を願い、
病気平癒や商売繁盛のお礼として銭を撒く。施しではない」
と。

すべて自分自身の功徳のためだから、
道中でも宿でも馬子や子供にも銭を撒いた。

富士山の火口にはことさら景気よく撒いた。

こうしたお金がかかる富士登山は、庶民には高根の華だ。

だから講組織に入り月々掛け金を掛けた。
それでもようやく実現するには、3年とか5年かかった。

力持ちが必要とされた事例もある。

「寛政9年(1797)に、
小御嶽に重量百八貫(430㎏)の鉄の斧が奉納されている」(岩科氏)

ということからも、富士山に重いものを運び上げるには、
力持ちの力を借りなければならないし、
富士塚築造の際にも、力持ちが頼りになったはず。

そこで「田子富士保存会」の方にお聞きしました。

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埼玉県志木市本町・敷島神社

質問 「東京の神社などで、力石を埋め込んだ富士塚を見かけます。
    ご当地の敷島神社や羽根倉浅間神社にも、力石が保存されています。

    また、有名な力持ちの亀嶋平蔵の歌石に、富士山を連想させるような
   「雲霧も晴れゆく」と言う言葉が出てきます。
    そんなことから、
    富士講信者には力持ちもいたのではないかと思っておりますが、
    いかがでしょうか」


 「敷島神社の力石は、市内にあったものが邪魔に扱われていたので、
   昨年、引き取ったものです」


ガーン! 元からここになかったのか…。(*゚Q゚*)

それなら、羽根倉浅間神社の力石は?

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埼玉県志木市上宗岡・羽根倉浅間神社

 「宗岡の浅間神社の力石は従前からあったものと思われます。
   宗岡の中ノ氷川神社に1個、下ノ氷川神社には4個の力石があります。

ブログ「へいへいのスタジオ2010」のへいへいさんが、
下ノ氷川神社の石を撮影してくださっています。

ちょっと「日陰の身」ですが、丁寧に保存されています。

下ノ氷川神社
埼玉県志木市下宗岡・下ノ氷川神社

羽根倉浅間神社の石にある「荒井清治郎」の名が、
ここでも世話人として刻まれています。

へいへいさんは埼玉県内の力石を数多く訪ねていますが、
羽根倉浅間神社と同じ上宗岡の大仙寺の力石も撮影されています。

「志木市大仙寺の石をたずねて」

大仙寺へいへいさん
埼玉県志木市上宗岡・大仙寺

 「ですが、力石が富士講と関係があったということは、
   全く聞いたことがありません。
    
   なお、荒井清治郎は清水清治郎とも呼ばれ、
   大変な力持ちだったので、花のお江戸での興行で成功し、
    
   清国まで遠征して大成功を収めて帰国したと言われております。

   (さらに後日談あり…)」

※「後日談」とは、これです。
  清治郎は再度の海外巡業への出発に際し、
 「もし自分が帰ってこなかったら、これを祀ってくれ」と言い、
 愛用の力石を置いていったが、その通りになってしまったという。

それにしても、ああ、

私が思い描いた夢、力持ちと富士講の関係が、
きれいさっぱり遠のいてしまいました。

でもね、まだまだ希望は捨ててはいませんよ。
きっとどこかに糸口が見つかる。

頼りにしたいのが、講印です。
これが力石のどこかについていればと、淡い期待を持つ。

なにはともあれ、保存会の方には、
ご多忙の中、お時間を割いていただき、心から感謝申しあげます。

保存会の方からの伝言です。

「志木の田子山富士塚は、富士塚の典型例と文化庁が高く評価している通り、見応えのある富士塚です。

ぜひ、お出かけください」

ユキワリソウ
11 ユキワリソウその2

下のURLは、
「田子山富士塚」を15のパーツに分けて、案内している動画です。

各動画の案内時間は1分足らず。
歯切れのよい解説で、あっという間に頂上へ着いてしまいます。

ぜひごらんください。そして富士塚を体感してみてください。

「武州志木宿 田子山富士塚のごあんない」

実はこの動画の解説者が、私の質問に答えてくださった方なんです。

私、つくづく思いましたよ。

埼玉県人って、すごいなって。ここは人材の宝庫だなって。

私がお世話になっている写真撮影の方々は、それぞれ個性豊かだし、
ご訪問くださる方々のブログもまた、味わい深いものばかりです。

地元を盛り立てようとされる方々の気概や実行力は切れ味がよく、
それでいて押しつけがましさや理屈っぽさがない。

みなさん、
おおらかで温かく、さりげないユーモアの持ち主ばかりです。

力石の大先輩の斎藤氏もその典型で、
非常に真面目な方なのに、何気なくさらりと面白がらせてくれます。

そんな斎藤氏が送ってくださったのがこれ。

猫かかし。

猫が田んぼに、なんて想像もしませんでした。

猫2

センスいい!

父ちゃん母ちゃんの着古したシャツを着せられた
当地の古典的かかしとは大違い。

発想が斬新です。ダサイ玉だなんて、とんでもない。

埼玉県は、多彩な才能を持つ珠玉の人たちの集合体です。

「多才玉」県と言わせてください。

「オイオイ、そりゃあ、チト褒め過ぎじゃニャイかい?」

すかさず道端のクロネコから声が掛かった。

猫1

あたいがスリスリしている土管に書いてあるよ。

「LA CAMPAGNE」ってサ。

「A」が抜けちゃってるけど、
これ、ホントは「A LA CAMPAGNE」(ア・ラ・カンパーニュ)

「フランスの田舎風のタルト」って意味らしいから、
ここは「田舎」ってことなんだけどね。

でもまあ、言ってみれば、

埼玉県は素朴ながら、
「人情も風土も絶品のお町」

ってことだニャン!

※この記事を読んだ斎藤氏から、
「多彩玉」なんてのも浮かびました」とのメールをいただきました。

うん、いいですね!


ーーー追記ですーーー

斎藤氏、気になって再び、クロネコさんのところへ。

その結果、これは「株式会社セトクラフト ラ・カンパーニュ」という会社の
「クロネコ ソ-ラーライト チムニー」という製品の壊れたものと判明。

ケーキのタルトじゃなかった! 
セトクラフト ラ・カンパーニュさんごめんなさい。

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コメント

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No title

確かに埼玉にはどこの神社に行っても当たり前のように力石があります。
それが当たり前のように思っていました。
でも大人になるまで、何だか丸い石があるなくらいしか思っていませんでした。
やはり口伝していくというのは大事なことです。
僕は東京生まれのよそ者ですが、埼玉の人々は暖かいです。
かつてからそういうおおらかな性質があった気がします。
富士塚、こちらも埼玉には多い気がしますが、やはり富士がよく見え、遠いからかもしれませんね。

たいやきさんへ

河川交通が発達していて、人も文化もどんどん入ってきたからでしょうか。
都会的なのに自然も豊か、贅沢な土地だなあと羨ましく思います。
力石も富士塚もたくさんあって、そういうものを大切にしていますから、
民俗や歴史好きにはたまりませんね。
当地は昔から江戸と京都を結ぶ通り道の町ですから、
覇気がなく、物足りないです。
政令都市なのに博物館がない町で、今度ようやくできますが、
あまりにものんびりし過ぎですね。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞