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縄文のアニミズム

富士塚
05 /19 2022
またまた横道へ逸れそうな懸念ですが、突っ走ります。

学校では決して教えない「原初日本人の心が垣間見える」話です。

某県の考古学博物館にお邪魔したとき、思い切って聞いてみたんです。

「発掘現場では”いやらしいもの”は出ないのでしょうか?」

だってどこへ行っても陳列品は似たり寄ったりで、お上品なものばかりだから。
そしたら、
若い女性の学芸員さん、ちょっと顔を赤らめて小声で打ち明けました。

「出ます。山ほど。でも表に出せないから倉庫に置いてあるんです」

こちらは「出産土偶」です。
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山梨県須玉町教育委員会所有

正式名称は「顔面把手付深鉢」

でもこれ、どう見ても、
母親の子宮から産道を通って顔を出した赤ちゃん誕生の瞬間ですよね。

学者も最近はこの説に傾いているとか。

これは縄文中期の土偶だそうですが、こうした妊娠、出産を現わした土偶は、
約1万年続いた縄文時代の草創期から後期ごろまで制作されて、
現在までに約2万点も発掘されているそうです。


子宝にまつわる石造物の代表的なものは、石棒と石皿で、
発掘現場ではもちろん、今でも寺社の片隅で目にします。

このことはのちに述べることにしますが、
子宝にまつわるものとして、「盃状穴」(はいじょうけつ)があります。

こちらは静岡浅間神社の石橋に穿たれた「盃状穴」です。

CIMG1467~1

石橋だけではなく、手水鉢、常夜灯、石段などあらゆる石に穿たれています。
もちろん、力石にもあります。

下の写真は、盃状穴のある力石です。
ここは山梨県へ通じる峠への登り口で、博打場があったとか。

ここを通ったのは主に馬喰(ばくろう)と呼ばれた馬の売買をした人たちです。

祭りのときや人が集まったりすると、
博打をやったり力石を担いだりしたという話は、山村でよく聞きました。

この力石は富士山の溶岩を力石にしていました。

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静岡県富士宮市稲子・路傍

「盃状穴」は、女性たちが子宝に恵まれたいときや安産を願って、
夜間密かに、小石で根気よくこすってあけた穴だと言われています。

また、穴をあける対象に力石を選んだのは、
力持ちの偉大な力を頼ってのことだと聞きました。

近いころまで農山村では、
出産を控えた妊婦さんが力石に触って安産祈願をしたり、
結婚式たけなわの自宅に村の若者たちが力石を投げ込んだりしたそうです。

そういうことからも、
石は昔から子孫繁栄としての妊娠と結びついていたように思います。

出産にまつわる夥しい土偶や女たちが懸命にあけた盃状穴を見るたびに、
私は共感しつつ思うのです。

子宝への切望、出産がいかに危険なものであったか、
その危険を越えて無事、子の誕生を迎えた喜びがどんなに大きかったか、

そういうものを表しているのだ、と。


下は静岡市内の海寄りにある神社の境内です。
隅には埋められた石が数個あり、状況や形態からどう見ても力石でしたが、
文献資料を漁っても出来る限りの聞き込みをしても、証明できなかった。

この石には無数の盃状穴があり、近くに今は使われていない土俵もあって、
昔の若者たちが力石を担ぎ、相撲に興じたことを彷彿とさせるのですが、残念。

今も心残りの場所です。

CIMG0367.jpg

この「盃状穴」という命名は、
遺跡の発掘調査をしていた大学の先生が石棺に無数の「穴」を見つけて、
盃(さかづき)状にあいた穴だから、この名を付けたそうですが、

「出産土偶」を「顔面把手付深鉢」と命名したように、
いかにも学問の分類上といった感じで、ちょっと味気ない。


たぶん、各地固有の別の呼び名があったはずですが、
明治政府の廃仏毀釈に始まる習俗の禁止で消えてしまったのでしょう。

でも、別の呼び名がかろうじて残っていた例がありました。

これです。
山梨県の縄文中期~晩期遺跡から出土した「蜂の巣穴」です。

この土地では石にあけたこの穴を「蜂の巣穴」と呼んでいたとのこと。
なるほど、蜂の巣状です。

またこの石は道祖神場に置かれ、「子供を産め」という意味の
「コンボーメ」とか「コンボータ」と呼ばれていたそうです。

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「石にやどるもの・甲斐の石神と石仏」中沢厚 平凡社 1988

そう言えば、
私が育った田舎のおかみさんたちが犬の子でも人間でも言ってました。
「コンボ―が生まれた」って。

「コンボー」は「子ン坊」のこと。

「コンボーメ」は「子供を産め」
「コンボータ」は「子供が生まれた」
という意味。
山梨県に近く、そこからの嫁入りも多かったから、自然と使ったんでしょう。

静岡での聞き取りでは盃状穴にヨモギなどの野の草を詰め、
小石で突っついてままごとをして遊んだ話がありましたが、

山梨県でも子供たちが穴をチョコンチョコンと突っついて
「コンボーメ」などと囃し立てて遊んでいたそうです。

そうしたことが、自然と石の名称になっていったのかもしれません。

この「子を産め」というのは、子宝祈願の「盃状穴」とまったく同じです。

それも縄文からの風習というのですから、私はたまげてしまいました。

上の写真にもありますが、
山梨県は「丸石」を道祖神として祀った独特の風習を持っています。

そのため、静岡県でも山梨県の影響を受けた地域にこの丸石があって、
力石と紛らわしくて見極めるのに苦労しました。

この力石(左)はそれを証明する資料があったため、無事、記録できました。

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山梨県南巨摩郡南部町・道祖神場

遺跡から大量に出てくる石棒は男性を、丸石は女性を表しています。

「石にやどるもの」に、山梨県北巨摩郡大泉村から、
「石棒と丸石、蜂の巣石がセットになって大量に発見された」
と書かれています。

これらが3点セットで出土するということは、
縄文人にとって子供にまつわる大切な呪術の道具だったのだと思うのです。

いわば「縄文のアニミズム」

約2万点もの和合、妊娠、出産の土偶を制作した縄文人。

その本当の理由はいまだに確定していないため、
考古学者たちはいろいろの説を公表しています。

「豊穣と安産祈願」「生命の再生を祈願」、
最近、「植物の精霊を再生させる祭祀用の壺」と言う説も。

最後の説は、土偶の顔や文様が、
ドングリや粟などの植物の種に類似しているところから、

その種子を深鉢状になった土偶に入れて、再生を祈願したというものです。

この人の本を読んで、「なるほどなあ」と思ったものの、
それとはかけ離れた生身の人間同様の非常にリアルな土偶もありますから、
全部は当てはまらないんですよね。

さて、話変わって、
こちらは現代の「縄文大工」のJOMONさんの動画です。



外国の建築家と仕事をするなど腕のいい大工さんのJOMONさん。

2009年に都立大の先生と能登半島の真崎遺跡で、
縄文住居の復元に携わったとき、「縄文」に魅了され、
以来、縄文人暮らしを実践。


初代縄文人に、三重県津市の人がいましたから、
JOMONさんは二人目ということでしょうか。

一見、この方の暮らしぶりは変人奇人だと思われがちですが、
決してそうではない。

匿名で発言し、表と裏の顔を乖離させなければ危険がいっぱいという
現代社会と現代人のほうがずっとおかしいと、私は思うのです。


HPもどうぞ。

「JOMONさんがやってきた!」

こういう人がいることはすごく貴重。世の中が明るくなります。

子供のころ、野山を駆け回り、
村の子らを真似て野の実を食べて、ちょっぴり縄文人だった私。
人間の本来あるべき姿を教えてくれているとも思います。

JOMONさんの本名が、私と同じってとこも、

なんだか、うれしいなあ

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コメント

非公開コメント

おはようございます。

何時も貴重な写真と記事をありがとうございます。

今回も、勉強になりました。
日本は素晴らしい国と再確認です。

伝統や文化を失くさないようにしたいですね。
なんでも欧米やチャイナを崇めていてはと思います。

one0522さんへ

最近、日本の縄文時代が世界的に見直されているという記事を読みました。
私が学校で教わったのは、
中国やエジプトなどの世界4大文明より
「ずっと遅れた時代」ということでしたが、
全然、違って「世界に類を見ない」時代なんだそうです。
ちょっと誇らしくなりました。
※最近コメント欄で思うことがあって、考えた末「承認制」にしてみました。
ところがそれをすっかり忘れていて、お返事が遅くなり、申し訳なかったです。

No title

山梨県は東京・埼玉の次に訪問する県です。
道端に道祖神と呼ばれる石が祀られていて、何だか気になっていました。
ここは盆地に囲まれた違う文化がある地なのだなと。
情報化社会で物事は共通化されていきますが、よく見ると国が違えば異国です。

たいやきさんへ

山梨県とか長野県って暗いイメージでとらえてきましたが、
それは海がないから閉塞感があるという単純な感覚だったように思います。
縄文遺跡の宝庫と聞いて、今は羨ましいです。
石棒や丸石、土偶などは後の双体道祖神へとつながったのかと思ったり、
興味が尽きません。
おっしゃるように「違う文化」が育まれてきた地なのかなと。
たいやきさんの山梨の魅力の発信、期待しています。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。