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ちょっと婦長さん …㊾

田畑修一郎2
07 /03 2022
長い嵐が止んだみたいな穏やかな朝だった。
だが、すがすがしい朝ではなかった。

誰もが遠慮しながら部屋の空気を吸い、足音を立てずに歩き、
ひそやかに朝食を噛んでいた。

だがハツエだけは違った。

バタバタとスリッパを鳴らして歩き、所かまわずゲーッとタンを吐き、
これみよがしに鼻をかんだ。


DSC04356.jpg

八重の送別会のとき、
私が「命が灯った」と思ったあの冬のいちごを拒否したハツエが、
朝食を手づかみでむさぼるように食べている。

まるでこの世のあらゆる「生」を奪い取るみたいに貪欲に食べきって、
あっという間に皿を空にした。

「まあハツエさん、そんなに食べれるなんてすごいじゃないの!」

看護師が目を丸くして言った。

その声につられて、Tさんが言った。

「私、点滴を受けたあと、2、3日は何も食べられなかったんだけど、
ハツエさんはすごいですね」

するとすかさずハツエが、しわがれた声で言い返した。

「ええ、おかげさまで。
私のは軽い抗がん剤でしたからね。あなたとは病気が違いますもの」

ハツエの皮肉っぽい口調にTさんが顔をそむけたとたん、
そのハツエの口から、ブワーッと食べ物が噴き出した。

さっき飲み込んだすべての食べ物が、
ハツエの口から噴水のように噴き出て、布団いっぱいにばらまかれた。

胃液の混じった何とも言えない異臭が部屋中に充満した。

DSC00741.jpg

そんな中、午後から女の子の手術が始まった。
軽い手術だったのか、夕方には病室へ戻ってきた。

翌朝、女の子の顔や手を看護師が熱々のタオルで拭いているのを
ジッと見ていたハツエが、いきなり癇癪を起した。

「ちょっと、婦長さん」

部屋に入ってきた婦長をつかまえて、抗議しだしたのだ。

「あの看護師、病人を差別するんです」
「えっ?」
「あの女の子には熱いタオルを持ってきたのに、私にはくれないんです」

婦長はちょっと肩をすくめ、それからいたわるような口調で言った。

「あのね、ハツエさん。
あのタオルは動けない人にだけ持ってくるものなんですよ。

ハツエさんはお元気だし、
なんでもご自分で出来る方ですから必要ないと思うのよ」

「いいえ」。ハツエはきつい調子で言い返した。

「いいえ。私は一人では何もできません。私の体はすごく衰弱してるんです」

もあい

婦長は困惑気に微笑みながら部屋を出て行くと、
すぐに熱々のタオルを持ってやってきた。

「今日だけですよ。今日だけ特別」

ハツエは勝ち誇ったように婦長に顔を突き出した。

ハツエの顔一面に湯気が立ち込め、その白い湯気の切れ間から、
満足そうなハツエの顔がチラリと見えた。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。