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戦争と若者と力石・円蔵院

戦争と力石
06 /12 2014
関東一円に大雪が降った今年二月、東京へ行きました。
戦争で亡くなった若者が残していった力石に会うためです。

江戸の中ごろ、五人組制度ができます。
時を同じくして、若者の組織が生まれます。「若者組」「若い衆組」です。
祭り、消防、海難救助などに携わり、村を支えた強力な自治組織です。
明治になると、明治新政府はこの堅固な若者の組織を戦争に利用します。
これが日露戦争から昭和の第二次大戦まで続きます。

徴兵検査の通知が来ると、村の若者たちは氏神様に集まって、
「この力石を担げたら甲種合格間違いなし」と念じつつ、一生懸命持ち上げた。
そんな記録が各地に残っています。
無事担げたら嬉しくて、石を担いだまま村の人たちに見せて歩いたそうです。
そして勇んで戦地へ赴き、多くの若者がそのまま帰ってこなかった。

大雪の日、私はそんな「若者」の一人に会いに行ったのです。
場所は東京江戸川区南小岩、円蔵院。

CIMG1066 (2)

総武線小岩駅に降り立つ。あたり一面銀世界です。
靴にすべり止めをつけていざ、円蔵院へ。
しかし墓地の門扉は雪に埋もれてびくともしない。
「わざわざ遠くからおいでになったのに」と、ご住職が気の毒がる。
二人してスコップで雪かきです。

ようやく門扉を開けても墓地の中はまた雪の山。その雪をかき分けて
やっと探し当てました。
目当ての力石は頭に雪を載せて、どこかあどけなく見えました。
「さし石」の刻字が現れました。さし石とは力石のことです。
立派な碑もありました。

「墓誌銘碑 故海軍二等兵曹橋本善二 昭和十九年十二月廿一日
 トラック島夏島に於て戦病死 行年二十三才 法名南□院義照頭善居士」

息子が生前愛用した力石を墓に据える…、親の悲しみと愛情が偲ばれました。

力石(いし)残し主は南の海に散る
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞