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「水の絵」 鈴木慶則

私が出会ったアーティストたち
03 /01 2024
美術展へ行ってきました。

すっかり出不精になった私ですが、
ナマッた体をエイヤッ!と起こして、なんと2回も。


一つは「高畑 勲展」

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静岡市美術館 3月31日まで

「火垂るの墓」「アルプスの少女ハイジ」「おもひでぽろぽろ」などを手掛けた
アニメーションの監督・演出家「高畑勲」の軌跡を追った展示です。

紹介されていたアニメのほとんどを観ていたので、懐かしく思いつつ。


ただ、絵コンテや原画など展示品が大量で、年のせいか疲れまして…。

展示室と次の展示室の間に喫茶ルームがあれば、そこで一息ついて、
またゆっくり味わえるのになぁなどと思いました。切実に。

二つ目は「水の絵」ー「幻触」と「幻触」以降の鈴木慶則ー

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フェルケール博物館(清水港湾博物館) 5月12日まで

鈴木慶則氏は静岡市清水区にお住いの画家さんでした。

私は記者時代の1999年から2000年にかけて、
県内のアーチィスト76人をインタビューして記事にしました。


画家、彫刻家、書家、陶芸家、染色家、漆工芸家、音楽家、版画家、写真家、
建築家、鍛金作家、能面製作者、刺繍作家、工芸作家、デザイナー、

などなどの仕事場を訪ねてお話を聞くという企画で、


題して、「アーティストの仕事場訪問」

鈴木慶則氏の記事。
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そんな中、ある美術家から言われちゃいました。

「あなた、無礼なことをやるわね。
アトリエは作家にとって一番神聖な場所なのよ。
そこを見せろだなんて、土足で踏み込むようなものじゃないの」

タイトルを額面通り受け取ってしまわれたようですが、
でもみなさん、快く招じ入れてくださった。
美術のド素人のトンチンカンな質問にも、気持ちよく答えてくださった。

で、私は一人取材を終えるたびに美術仲間を紹介していただき、
次々と取材を進めていったのです。


「水の絵」の画家、鈴木慶則(すずきよしのり)氏もそのお一人でした。

取材の日、なんと、私鉄の駅まで迎えに来てくださったんです。
改札を出た駅の石段の下で、鈴木氏が待っていてくれたんです。

新聞掲載後も俳句をしたためた賀状をお送りくださって…。

でもその取材から10年後の2010年、永眠。


下は、亡くなる前年の賀状です。封書の切手にもいたずら心が…。

    明け淡く寂光一条春立ちぬ

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その後は奥様から同じように句をしたためた賀状が届くようになりました。
そして没後14年目の今年、出身地のフェルケール博物館で、
「水の絵」の美術展が開催されたのです。

この遺作展は没後10年に開催の予定だったが、コロナ禍で延期され、
ようやく実現に至ったとのこと。


「開催は家族としてはこの上ない喜び」としたためた奥様からの手紙には、
招待状も同封されていて、新聞の取材という「いきずり」みたいな私なのにと、
そのお心遣いと懐かしさに駆られてすぐ参りました。


1960年代半ば、
当時の清水市に
「幻触」という美術グループが誕生します。

「幻触」は清水市在住の美術評論家・石子順造とそこに集まった
若手の美術家たちの前衛グループで、「トリックス・アンド・ヴィジョン」、
正式にはトロンプ・ルイユ(だまし絵)という手法で、
独自の作品を発表していきました。


メンバーの一人だった鈴木氏は、左側の半分に模写したダリの代表作を、
右半分にキャンパスの裏側を描くという”だまし絵”「非在のタブロー」で、
シェル美術賞(2席)を受賞します。


「〈内乱のきざし〉の相貌をおびた非在のタブロー」1967 静岡県立美術館蔵
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パンフより

「高橋由一風鮭」1966 千葉市美術館蔵(左)
「非在のタブロー 梱包されたオダリスク」1968 静岡県立美術館蔵

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「水の絵」チラシより

「石子順造と鈴木慶則は”幻触”の活動を通して1960年代後半を並走し、
石子に導かれ到達した地点で鈴木は、美術史上にその名を刻んだ」

=静岡県立美術館上席学芸員・川谷承子

静岡という一地方の美術グループに過ぎなかった「幻触」は、
東京での美術展をきっかけに一躍、注目を集めます。

しかし、1977年の石子順造の死で解散。
メンバーもそれぞれ方向転換せざるを得なくなった。

鈴木氏は2000年の私の取材の時、こう話しています。


「あれはグループとしては続きましたが、
個人の制作としては不向きな運動だったと思います。
トリックス・アンド・ヴィジョンは、
いずれ方向転換しなければならない宿命にあったんでしょうね。

ぼくの場合、模写は自分のものになり切れなかったし、
これを一生続けるより自分の世界で再出発したいという気持ちがありました。
でも数年間は方向が見出せなくて苦しみました」


そしてこの苦しみの中から鈴木氏は「あぶり出し」という手法を編み出します。

あぶり出しによる、「富士五湖の図」1978 個人蔵
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「水の絵」チラシより

この「あぶり出し」が出発点となって生まれたのが、
「形のない水を形にする、見えないものを見えるようにする」
という「水絵」「水の絵」です。

当時鈴木氏は「ウォーター・エッジ」「ウォーター・ドローイング」
とおっしゃっていました。

鈴木氏のいう「水」は、滝や湖などの風景画的なものではなく、
あくまでも本物の「水」。それをキャンパス上に置く。

「キャンパス上に置いた水はすぐ蒸発する。
だからその前に絵の具を定着させなくてはならない。
油絵のようにやり直しがきかないから時間との勝負なんです」


「隠された流砂」2010 個人蔵
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パンフより

本展の監修者で静岡大学名誉教授の白井嘉尚先生が、
解説の中で「鈴木慶則は二人いる」と言っているのは、
「幻触」時代のトロンプ・ルイユ
(だまし絵)の鈴木氏と、
今一度絵画とは何かを問い直し、到達した「水絵」の鈴木氏を指しています。

この日私は会場で、鈴木氏の遺作を順々に観ていったとき、
思わず「あっ」と叫びそうになりました。


絵の解説の中に、
なんと、私の新聞記事の抜粋と私の名前が紹介されていたのです。
24年も前の記事です。それが目の前にあったのです。


新聞記事なんて一過性のものだし、
美術の素人が書いた記事だからあまり価値がないだろうと思っていたのに、
それがガラスケースの向こう側にあったのです。

本当に驚きました。
同時に感謝と感動と感激がいっぺんにきてクラクラしました。


パンフの中で白井教授は、画風をリセットする鈴木氏の葛藤について、
「模写は自分のものになりきれてなかったし…」
という私の記事を引用してくださり、
「葛藤はこの言葉にみてとれる」と述べておられました。

その白井先生も、当時私の取材に応じてくださったお一人でした。


下は、先生からいただいた小品、「マルトー(丸刀)の歌」です。

「リノリウムという柔らかい合成樹脂板を木版用の丸刀でカットしています。
丸刀の切れ味の快感そのものを表現したかったということ。
そしてカットした面の裏側、つまりなにも手を加えていない裏側に
インクをつけて刷っています。
それによって私の行為の痕跡がやわらげられ、
リノリウムの厚みとか質感もこの作品を支えてくれています」
(手紙より)

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「どうもぼくは7年周期で模索の状態になるみたい」

当時の白井先生も鈴木氏と同じ葛藤を重ねていました。

アニメの「高畑勲展」には大勢の人が詰めかけ、みんな楽し気に見入り、
土産物売り場ではアニメグッズがよく売れていた


改めて「幅広い層が関心を持つ作品」との印象を持ちました。

「水の絵」には数人の姿だけでしたが、白井先生言うところの、
「絵画とは何かという畢生の問いに真摯に向き合った一人の画家」が
苦悩しつつ駆け抜けた世界に、
鑑賞者もまた真摯に向き合い、受け止め、味わっていました。


アニメには主人公がいる。主人公は自ら動いて見る人の中に入ってくる。
「水の絵」はどうだろうか。
「水の絵」の主人公は水? 画家? それとも鑑賞者?

「水の絵」は動かない。画家の魂を秘めたまま呼吸している。
その息遣いに気づいた者だけが水の音を聞き、その絵の中に入っていく、

なんちゃって。

要は、アニメも「水の絵」も、あるようでない、ないようであるという、
現実と非現実が交差する不思議な世界、
だからあるがままに感じればいいってことなんですけど。

静岡県立美術館の川谷氏は、
「幻触の鈴木と、幻触以後の鈴木を、地続きで一人のアーティストの
実践と捉えたとき、どのような変遷を辿ることができるのか。
本展の開催を契機に、今後、さらなる検証が進められればと考えています」
と、語り、


白井教授は、
「代表作は静岡県立美術館ほかに収蔵されるなど、再評価の途上にある。
他方、鈴木は没するまで定期的に東京や静岡で個展を開催し、
国内外のグループ展への参加も少なくなかったが、
その作品が幅広い層の関心を呼び起こすことはなかった。
それは今も変わらない」


と、その不遇な状況を惜しみつつ、今後の再評価に期待していた。

鈴木作品は幅広い層が関心を持とうが持つまいが、
「絵画とは何か」という、永遠に解けそうにない根っこの部分を、
今後もずっと私たちに問い続けていくのではないか、
そして、そういうエネルギーが枯渇しないところに、鈴木作品の真価がある、

そんなふうに私は思いました。


ーーーーー

企画展「水の絵」開催中のフェルケール博物館です。
江戸時代の帆船や港湾関係の展示物も楽しめます。
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敷地内に「缶詰記念館」もあります。
昭和4年、ここで我が国初のマグロ油漬缶詰を製造してアメリカへ輸出した。


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「最低賃金全国第一号記念碑」もあります。(下の写真)
この碑は今年2024年「日本労働遺産」に認定された。

労働者を貧困から守るための最低賃金法が制定されたのが昭和34年。
この缶詰工場も真っ先に取り入れたそうですが、それでも全国からみると
まだまだ低かったようです。

「働く女子労働者の面影」池上舜 1961年制作
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「フェルケール博物館」

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞