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いつの間にか「傘寿」㉖

いつの間にか傘寿2
12 /13 2023
働き始めて2年目の夏、母に指輪を贈ろうと思った。

母はずいぶん柔らかい人になった。
人生を見直し始めたのだろうか。手紙には父との楽し気な様子が増えた。

そんな手紙を見ていた時、ふと、母の指を思い出した。
5人の子供を産み育て、働き詰めだった母の指は太く節くれていた。

子供の頃、私は母から理不尽な虐待を受けた。
だが、小学4年生を境に母から殴られることはなくなった。

後年、カナダへ出かけて次姉Y子と再会したとき、ふと、姉が漏らした。

Y子姉が第2の人生を送ったカナダ・バンクーバー島にて。
姉の琴の音が流れる中、お弟子さんのカナダ婦人から野点の接待。
カナダ2

「ねえ、清子、覚えてる? お母さんの電球」
私は笑いながら頷いた。

母は夜中に切れた電球を向かいの石崖にぶつけることがあった。
母は溜まった怒りやうっぷんをそうして晴らしていた。

切れた電球が溜まるとそれを抱えて、石垣に向けて思いっきり投げる。
闇の中から電球が爆ぜて砕け散る音が家の中まで聞こえた。

「あれね」と、姉が続けた。
「あれ、清子の代わりだったのよ。
あなたが大きくなって殴れなくなったでしょ。だから」

電球はポカッ、パカッ、ポカンと空疎な音を出していた。

「あんたはお父さんに似ているからイヤなんだよ」
と、ことあるごとに母は言った。それが私を殴り暴言を吐く理由だった。

父のどこが嫌いなのか私にはわからなかったが、
父さえいなくなれば私は虐待されずに済むと思い詰めたこともあった。

父はタバコもお酒も飲めない人だったが、母はどちらもいけた。
ヘビースモーカーだった母のために煙草を買いに行くのは、
子供の頃の私の役目だった。
買うのはいつもオレンジ色の箱の「光」。

母がタバコ臭くてもお酒をグイグイ飲んでいても、
父は嫌な顔ひとつしなかった。

手を挙げることも大声で罵ることもない父の、どこが母を苛立たせたのか。
寡黙な父はいつも耐えていた。父に助けてもらえなかった私も耐えていた。

それが今では父に寄り添い、「お父さんがね」と、父の近況まで伝えてくる。
その母の指を飾ってあげたら、もっと幸せを感じてくれるだろうと思った。

「初めて主人と九州旅行。このとき初めて飛行機に乗った」と自叙伝に。
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そのころ、職場に銀行頭取の令嬢と噂されていた女性がいた。
「仕事はさせなくていい。椅子に座らせておくだけでいいから」
との社長からのお達しだった。


政治家や財界人などから「息子や娘を雇ってくれ」との依頼が、
常時10人ほどあるとのこと。社長はすべて断っていたそうだが、
彼女は断り切れなかったのか、
10時ごろのんびり現れて一時間ほどでの退社を繰り返していた。

その彼女に指輪の件を相談したら、「連れてってあげる」とにっこり。


行った先は銀座の宝飾店。
「こんな高級なところは無理」と言ったら、「大丈夫」と自信たっぷりに言う。
きっと彼女はここのお得意様なんだろう。


「指輪はその人の指の寸法がわかりませんと」と言われて、母に連絡した。
隣町の宝飾店で指の寸法を計ってもらった母から、弾んだ手紙が来た。

「指輪の寸法ようやくわかりました。驚くなかれ、最大の20でした。
十八ではきちきちなので、20でお願いいたします」


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出来た指輪はとても素敵なものだった。
銀のリングの最後を少し離し、そこに真珠を挟んだシンプルなもので、
私好みのデザインだった。

「本当はあなたが持つべきよ」と彼女は言ったが、私はただ笑っていた。


しかしその日から36年後、
母から信じられない言葉を聞く羽目になるとは、その時は思いもしなかった。

36年後のその日私は、母の米寿を祝う小料理屋に姉や兄たちと集まっていた。

母に花束を渡したとき、母があの真珠の指輪をつけているのを見て、
懐かしさと嬉しさで思わず声に出して言った。

「あ、お母さん、それつけてきてくれたんだね」
そう言った途端、母の顔がみるみる険しくなった。

「あんた、何言ってるの。これはY子がくれたものだよ。
それをあんたは自分が贈ったことにするのかい」

22歳の私は銀座の宝飾店で、夏のボーナスを全部使ってこれを注文した。
それを持って家に行き、手渡したときの母は子供のようにはしゃいだ。

それを次姉のY子からもらったと言い張る。


あのころのY子姉は東京郊外の狭い団地で乳飲み子を抱え、
夫が生活費をくれないと泣いていたし、父に無心までしていたではないか。

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そのころ母は手紙でこう言ってきていたではないか。

「Y子夫婦が来たが、Y子にはありありといらだちが伺われました。
ケチな旦那が持ってきたお土産の甘納豆は、カビだらけでした」


米寿の席で呆然としている私を見て、長姉が突然、大声を出した。

「清子、あんたって人はどこまでいじけてるの! 
あんた、この前、お母さんを取っちめたそうじゃないの!」

「えっ?」


「B29が墜落した時、あんたは一人置き去りにされたって、
この前そう言ってお母さんを責めたっていうじゃないの。ねえ、お母さん」

話が「真珠の指輪」からいきなり「B29」に飛んだ。
長兄は何がどうなっているのか、目を白黒させている。

母はと見ると、しまったという顔で薄笑いを浮かべている。

私は目の前が真っ暗になった。
見る間に、あの残酷な子ども時代へ急降下して行った。

ふと、あのとき銀座の宝飾店で、令嬢が言った言葉が浮かんだ。

「これ、本当はあなたが持つべきよ」


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞