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いつの間にか「傘寿」㉕

いつの間にか傘寿2
12 /10 2023
佐高信氏の著書「飲水思源」(株式会社金曜日 2012)に、
「徳間社長は逗子開成高校の理事長だった」との記述があった。

また「コウカイさん」の話かい? なぁーんて言われそうですが、
そうなんです。まぁ、聞いてください。

同著によれば、徳間社長の理事長就任は1984年2月。

この4年前の1980年12月25日、
山岳部員5名と顧問1名が北アルプスの八方尾根で遭難。


「それがクラブ活動だったのか、私的な登山だったのかで、
学校、PTA、卒業生たちの校友会で紛糾した」

3年以上たっても解決のめどがたたないことから、
この学校の卒業生でもある徳間氏に理事長の依頼が来たのだという。

「多忙を極めていた時期だったが、母校の危機でもあり、
頼まれれば嫌とは言えない性格の徳間氏は、理事長に就任した」


雪山はいつも危険と隣り合わせ。だけど、終われば達成感いっぱいに。
明日の登頂に備えて、涸沢テント村で先輩たちと設営中の私メです。
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で、ここからが凄い。

「就任するとすぐ、全理事を解任。
遭難事故を私的な登山と主張していた校長もやめさせ、
さらに二つあった労働組合や分裂していた校友会を一つにした」

「事故は顧問が同行したのだからクラブ活動であり、
学校の責任で解決すると決め、4月に合同慰霊祭を行い、
遺族との賠償金問題も落着させた」

就任2カ月でここまでやってしまうって、凄くないですか?

それだけではない。

「停止していた中学校を再開して、中高一貫教育を打ち出し、
スポーツ中心から勉強中心の教育方針に転換させた」

「生徒の直談判にはその場で対応。生徒会が要求していた食堂も約束して、
200人収容の冷暖房付き食堂をつくった」

ホテル並みのトイレを新設、ミネラルウオーターを設置。
入学式では「男が人生を乗り切っていくには歯が大切だ」と訓示して、
歯磨き粉と歯ブラシをプレゼント。

乱れていた生徒たちの登下校の姿がだんだん変わって来て、
作家の石原慎太郎氏をして、
「あの変化は素晴らしい。まさにリーダーの腕と情熱の所産」と言わしめた。

「私は教育者ではありません。安定したらすぐにでも退きます」
これが徳間氏の口癖だったという。


北ア・北穂高岳と遠くに槍ヶ岳。
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今、日本大学が揺れている。というか荒れている。

2021年、元理事長らが背任で逮捕され、新しく作家の林真理子氏が就任。
しかし、手腕が今一つで一向に収まる気配がない。

なんで林さんに依頼したのだろう。有名人として利用しただけなのか。
林さんもまた、なんでこんな大任を引き受けたのだろう。

このマンモス校の長年溜め込んだ「淀み」を、すっきりさせるには
かなりの胆力と手腕がいるはず。


学生数もお金も桁違い、
薬物、暴力事件、前理事長らの不祥事と問題山積。
普通に考えてもこれらを解決するには、
よほどの傑物でなければできないのではないだろうか。

女性がこの難局に挑み、見事に成し遂げたなら、
私は拍手喝采だし誇りに思う。


けれど物書きという単独作業の、いわば仮想世界で生きてきた人に、
組織という実務世界を制御するノウハウや実績があるとは思えないし、
「先生、先生」と丁重に扱われてきた人が、
経済界の幾多の修羅場を潜ってきたとも思えない。


そして今度は、退任を迫られた副学長で元検事が、
理事長の林氏をパワハラで訴えるという新たな騒動が起き、
さらに理事長の助っ人弁護士まで登場した。

船頭が多すぎるような…。

で、ふと思った。


もし徳間社長がここの理事長を引き受けたら、どうしたかな、と。

辣腕をふるった徳川家康の像。静岡市の駿府城公園。
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「大ナタを振るう」と言う言葉があるけれど、
これを使える人はそうそういない。

この言葉こそ、
大荒れだった母校をサッサと正常に戻した徳間氏にふさわしいと思った。

佐高氏は言う。


(「清濁併せ飲む」ではなく)
「濁々併せ飲む」徳間氏は、絶対値の大きい男だった。
それにプラスの符号をつけるか、マイナスの符号をつけるかで
評価は分かれる、と。

裏も表も知り抜き、失敗を恐れず、常に挑戦や冒険を忘れず、
笑顔を絶やさず、人を大切にした真に器の大きい人物だったからこそ、
果敢に「大ナタ」を振るうことが出来たのではないだろうか。

子供に財産を残さなかったという徳間氏は、
金や地位に執着しない稀有な人だった。


日大騒動を見ていると、登場する人たちが、
地位やお金に固執した小粒な人物に見えてしまうのは、私の偏見だろうか。

静岡市に「宇津ノ谷」という集落があります。

宇津ノ谷集落。この道は秀吉家康も通った旧東海道です。
ここの尾根上には近世の東海道中世の官道「つたの細道」があります。
廃道になっていたこの二つの古道を昭和36年、民間人の春田鐡雄氏が発見。
この発見で、昭和48年付けの国土地理院地形図に初めて記載された。
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ここにはこんな伝説があります。

宇津ノ谷峠に吸血鬼が出て旅人たちは難儀していた。
ある日、旅の坊さんが吸血鬼に「お前さんは特別な力があるそうだが、
私の手の平に乗るほど小さくはなれまい」と言ったら、
挑発に乗った鬼は、豆粒ほどになって坊さんの手の平に乗った。

それを杖で叩いたら10粒に砕けたので、
坊さんはそっくり飲み込んでしまった。以来、鬼は出なくなった。

この吸血鬼、元は寺の小僧さんで、オデキで苦しむ住職の頼みで、
毎晩オデキの血膿を吸っているうちに血の味を覚え、
ついに吸血鬼になったという本邦初の「吸血鬼」だったとか。


寺ではこの伝説にちなみ、小さな団子を10個糸でつなぎ、
旅の安全・厄除けとして売り出した。

この伝説から派生したのか、その逆だったのかはわかりませんが、
江戸時代、ここの茶店では湯の中に浮かせた小さな団子を10個すくって、
旅人の軽食に売っていたことが浮世絵などに描かれています。


私の家の「十団子」です。宇津ノ谷・慶龍寺の地蔵盆で求めたもの。
10団子

ここを通った俳人の許六が詠んだ句が残っています。
許六さんが句に詠んだ団子は、食べる方の団子だったようです。

   十団子も小粒になりぬ秋の風

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「世の中せちがらくなったもんだなぁ。小粒の十団子がさらに小粒になった」
と嘆いた許六さん、団子だけではないですよ。

今の日本はどいつもこいつも小粒になっちまって、
秋の風どころか日本中に木枯らしが吹きまくっていますぜ。

ホントに「やっきり」しちゃいます。

ついでながら、
「飲水思源」にあった徳間氏のこんな「デッカイ」エピソードを。

1997年に公開された日中合作映画「阿片戦争」に、
ビクトリア女王役としてあのダイアナ妃に出演交渉したのだそうです。

ギャラは2憶円。
妃は「自分が代表を務めるエイズ基金へ寄付する」という条件で出演OK。

だが、離婚が成立してからでないと王室が許可してくれないとのことで、
この出演は「夢に終わった」そうです。

ああ、惜しかった。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞