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富士山の本を読んだ

書籍
12 /07 2023
富士山のふもとに生まれ、富士山の地下水で産湯をつかった私には、
富士山は父であり母であり、守護神でもあります。

高校生のときは電車の窓から朝な夕なに富士山を見て通学し、
学校では目の前の霊峰富岳に見守られて勉強した。

富士山に初めて登ったのは高校一年生の時。恒例の行事でした。


このころはまだレーダーがなかった。ドームの完成はこの5年後。
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その富士山の本を読んだ。
登山の本ではなく、富士山に集う科学者たちの悪戦苦闘の話です。


「ようこそ! 富士山測候所へ」
  ー日本のてっぺんで科学の最前線に挑むー
長谷川敦 株式会社旬報社 2023

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著者はまず明治17年(1884)、冬季の富士山で越冬を試みた
野中至・千代子夫妻から話を進めています。


「富士山に気象観測所が必要」、それが野中至の動機だったが、
この越冬は寒さと栄養不良から82日間で断念、12月22日に下山となった。

しかし、無謀とも思えるこの試みは長い年月を経て実を結びます。

野中至の越冬から26年後の明治43年、暴風雨により房総半島沖で
漁船12隻が沈没、15隻が行方不明という大惨事が起きた。
このことから、上空の気象状況をつかめていれば遭難は防げたとし、
国会で高層気象台の必要性が論じられたそうです。

しかし、国が実際に動き出したのは、それから21年後の昭和6年(1932)で、
北極や南極の気象や上空の大気などについて、
世界中の国々が協力して行うプロジェクトに日本も参加することになり、
富士山頂に観測所を建設。ただし一年限定の「臨時観測所」だった。


廃道になった富士山旧道沿いに山小屋の残骸を見た。平成7年。
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一年だけでは観測にならない。そこで職員たちは継続を願ったが、
国の答えは「ノー」。
それでもあきらめず、民間団体からの援助で観測を続けつつ国へ働きかけ、
4年後、ようやく国から予算をつけてもらうことが出来たという。

つくづく、
政治家っていう人種はなんのために政治やってんだろうって思います。


本にこんな記述がありました。
「荷揚げに馬を使ったら3600mぐらいの地点で、
馬は目に涙をためて動かなくなった」

空気が薄く目まぐるしく天候が変わる富士山の過酷な気象状況は、
人も馬も苦しめた。測候所では滑落などで4名もの職員が命を落とした。

昭和20年、日本は戦争に敗れ焼け野原になった。
こんなときに測候所の運営どころではないと測候所の廃止論が出た。

しかし、その直後、相次いで台風が日本を襲い、
5000名もの人の命を奪い、各地に壊滅的な被害をもたらしたため、
気象レーダーの重要性を実感した国は廃止を取りやめ、
「台風から日本を守る砦」として、山頂にレーダーの設置を計画。

人が死ななきゃ、動かないんだね。

しかし難工事のため、ドームで覆われたレーダーが完成したのは、
戦後19年たった昭和39年(1964)のこと。

このレーダーのおかげで台風の被害者は激減したそうです。

しかし昭和52年(1977)、測候所は再び大きな変革を迫られます。

この年打ち上げた気象衛星「ひまわり」によって山頂レーダーが不要になり、
平成16年(2004)、測候所は無人になったのです。

まだ山頂にドームがあったころ。
レーダーが撤去され測候所が無人になったのは、この9年後。
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さて、本題はここからで、著者の熱意がビンビン伝わってきます。

富士山頂でなければできない研究がたくさんある。だから測候所の存続を、
と願う大気を研究する科学者たちが立ち上がります。

しかし、国は冷たかった。

継続の嘆願書も予算がないと突っぱね、科学者たちに立ち退きを命じた。
思案の末、「NPO法人富士山」を立ち上げ、国に建物の使用を求めたら、
ようやく許可されたが厳しい条件が付けられた。

「使用許可は夏の2か月間だけ」「送電線の修理費は自分たちで持て」と。
気象庁に払う家賃、修繕費、ブルドーザーの運搬費などで年間数千万円。

ブルドーザー道
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民間からの寄付に頼るしかないと300万円募ったら、
観測所や気象庁の退職者たちが支援してくれて、なんとかピンチを逃れた。
しかし、一時的にはなんとかなったものの、観測は続けなければ意味がない。
そこで、測候所の利用者から利用料をいただくことにした。

現在、山頂では、様々な分野の科学者たちが、
地球温暖化の元凶の「二酸化炭素」「メタン」「オゾン」の測定、
「登山者の体を科学する実験」「雲を作る氷晶核の測定」などを継続。

この氷晶核はアンモニウムなどの微粒子だが、
微生物もその一つということが判ってきたという。


人の肺や血管に入る「マイクロプラスチック」は、今まで海だけにあると
思われていたが、大気中に漂っていることを富士山頂で発見した。

汚染物質は国境を越えて運ばれてくる。

これを「越境大気汚染物質」というのだそうですが、今、東南アジア全体が
マイクロプラスチックの汚染源になっている可能性があるとのこと。
その越境汚染物質を正確に測れるのは富士山だけだそうです。

また「雷の研究」では、こんなことも書かれていた。

「落雷には下向き雷、上向き雷、多重雷があるが、
すべてのデータをとることができるのは世界で富士山だけ」


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「今、地球の温度がどんどん上がっている。
二酸化炭素濃度は430ppm程度にしておく必要があるが、今のままだと
12年後には450ppmに達してしまう。タイムリミットが近づいている」
と、「NPO富士山」の研究者たちは非常な危機感を持って警告している。


2007年の「NPO富士山」の開所から2021年まで、
ここを使った科学者は延べ6000人。

しかしコロナの時期には利用料が入らずピンチに。
さらに、50年たつ建物は老朽化と難問山積。

海外の観測所のほとんどは、
国などの公的機関がお金を出して運営しているのに、
なぜ、日本はそれができないのでしょうか。

こうした地球規模の切迫した危機に懸命になっている所へは一円も出さず、
時代遅れの、と私が思っている大阪万博には湯水のごとく税金を投じる。

この国のバカさ加減に、私はほとほと嫌気が差しました。

測候所の継続を願う科学者には「予算がない」と突っぱねておきながら、
「一時的お祭り施設」には垂れ流し。

大阪万博はいったい誰のための宴でしょうか。
あとは野となれ山となれでしょうか。

宴のあとはゴミ。それこそ、地球温暖化への愚かな行為ではないですか。

それに私、あのキャラクター、ものすごくいやなんです。
血で赤く染まった大腸でガン細胞が笑っている、という絵柄にしか見えず、
ゾッとするんです。気持ちが悪いんです。

あれが関西人のセンスなんでしょうか。好みなんでしょうか。

姉は余命1年を宣告されて、大腸ガンでこの世を去りました。
そんな姉をあのマークが勝ち誇ったように笑っている、
そう見えてしまうんです。

私には残酷、ただただグロテスクとしか。

みなさんにはどう見えていますか?

かつて静岡県庁で「オレオレ詐欺」防止のCMを流したことがあった。
大阪のおばちゃん3人が「静岡の人、気ィつけなあかんでー!」
と「下品」に叫んでいるもので、あれもケッタクソ悪かった。

大きなお世話だ、自分の地元で叫べ!って思っていたら、すぐ消えた。

単独で出かけた栃木県・茶臼岳。勢いよく噴煙を上げていた。
富士山も活火山です。
茶臼岳

「NPO富士山」の科学者たちは、富士山噴火に備えて、
火山性ガスを検知できるセンサーを山頂に設置した。


しかし、測候所の利用は夏の2カ月だけ。
電気も切られてしまう。国からの資金も得られない。
そこでバッテリーで測定できるシステムを自分たちで開発し設置した。

この国はどこかおかしい。

終われば泡と消える「宴」より、
長期的展望に立って国土と国民の命を守れと言いたい。

そして、
危険と背中合わせに地道に観測を続ける科学者たちを大切にしなければ、
この国は滅びますよ、と。


「認定NPO法人
富士山測候所を活用する会」

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞