いつの間にか「傘寿」⑰
いつの間にか傘寿
女子寮には女舎監がいた。
中年の痩せた女性で、目だけが異様に大きく飛び出ていた。
寮生の間で「あの人、バセドー病だって」と囁かれていた。
異様なことは目だけではなかった。奇行もあった。
風貌も歩くさまもカギ鼻の魔法使いのばあさんそのものだった。
無口でいじわるだったから、評判はすこぶる悪かった。
母が私の病気を心配して寮に電話した時、
「本人を呼びに行ってきますから、お待ちを」と言ったきり、
30分立っても音沙汰ナシだったのも、
次兄が手紙で待ち合わせを知らせてきたのに、
その手紙が届いていなかったのも、みんなこの女舎監のせいだった。
「アメリカから友人がくるから着物で来てくれないか」との次兄の頼みで、
次姉から借りた着物で急きょ、出かけた。アメリカ男性は話しかけてきたが、
私にはさっぱり。蝋人形みたいに固まっていた。

当時の通信手段は手紙か寮に一台しかない電話のみ。
その両方を管理監督していたのがこの人で、
彼女の気の向くまま運営されていたから、全く機能していなかったのだ。
先輩たちはため息交じりにこう言っていた。
「あの人、手紙を勝手に開けて読むのよ。
差出人が男性名だったらそのまま捨ててしまうし、
父親でも兄でも男なら玄関から追い出すし、電話は即切ってしまう。
抗議すると、決まり文句みたいに言うのよ。
大切なお嬢さんたちをお預かりしている身ですからって」
寮には門限があった。
女舎監は建物の影でよく見張っていたが、悪知恵は寮生の方が上だった。
事前に示し合わせていた友人の手引きで、
門限破りは窓から入り込んで、舎監をあざむいた。
従兄弟とボートに乗って。

しかし、この女舎監がやっていることは、あまりにもひどい。
まるで中世のカトリックの学生寮そのものではないか。
ことに手紙を勝手に開けるなど言語道断だと有志が集まり、
大学側に抗議した。
ついでに寮生自身による自治組織を認めて欲しいと嘆願したが、
これは却下された。
そのうち、寮生の間で変な噂が流れた。
「このごろ、トイレに幽霊が出る」「毎晩出る」
真相究明のため、自警団を組んで真夜中のトイレに行ってみたら、
裸電球のぼんやりした光の下に、噂通りの大きな黒い影が立っていた。
「幽霊」は女舎監だった。
この事件後、彼女は姿を見せなくなった。
おかしな舎監にお粗末な食事の寮だったが、寮生活は楽しかった。
なによりも、
日本全国からやってきた学生たちとの共同生活は魅力的だった。
私はそれぞれのお国の話に、世界が広がったように思った。
寮生たちと。

熊本出身の先輩から教わった俗謡は、今も口を突いて出る。
♪ よんでらるーば でてくるばってん
よんでられんけん こうられんけん
こんこられんけん こられられんけん
こーんこん
ところが今回、ネットで調べたら、私の記憶違いがわかって驚いた。
私は先輩から、
「よんでらるーば」「よんでられんけん」と教わったはずだったが、
正しくは「でんでらりゅうば」「でんでられんけん」で、
「こうられんけん」も「でてこんけん」だった。
また先輩は熊本出身だったから、てっきり熊本の歌だと思い込んでいたが、
今回、初めて長崎の歌だと知りました。
なんと私は、60年も勘違いしていたんです。
先輩は両手を器用に動かしながら、これを歌ってくれた。
戦後、初めての東京オリンピックをまじかに控えた時代だった。
新しい息吹に満ち満ちていた。
全国から集まった少女たちは、みんな素朴で明るく優しかった。
みんな前を向いて、キラキラ生きていた。
つくづく思った。
いい時代だった、と。
相模湖畔にて。
時々、神社仏閣や名所旧跡へぶらっと出かけた。
誰にも束縛されない、気分一新のいい一日になった。


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中年の痩せた女性で、目だけが異様に大きく飛び出ていた。
寮生の間で「あの人、バセドー病だって」と囁かれていた。
異様なことは目だけではなかった。奇行もあった。
風貌も歩くさまもカギ鼻の魔法使いのばあさんそのものだった。
無口でいじわるだったから、評判はすこぶる悪かった。
母が私の病気を心配して寮に電話した時、
「本人を呼びに行ってきますから、お待ちを」と言ったきり、
30分立っても音沙汰ナシだったのも、
次兄が手紙で待ち合わせを知らせてきたのに、
その手紙が届いていなかったのも、みんなこの女舎監のせいだった。
「アメリカから友人がくるから着物で来てくれないか」との次兄の頼みで、
次姉から借りた着物で急きょ、出かけた。アメリカ男性は話しかけてきたが、
私にはさっぱり。蝋人形みたいに固まっていた。

当時の通信手段は手紙か寮に一台しかない電話のみ。
その両方を管理監督していたのがこの人で、
彼女の気の向くまま運営されていたから、全く機能していなかったのだ。
先輩たちはため息交じりにこう言っていた。
「あの人、手紙を勝手に開けて読むのよ。
差出人が男性名だったらそのまま捨ててしまうし、
父親でも兄でも男なら玄関から追い出すし、電話は即切ってしまう。
抗議すると、決まり文句みたいに言うのよ。
大切なお嬢さんたちをお預かりしている身ですからって」
寮には門限があった。
女舎監は建物の影でよく見張っていたが、悪知恵は寮生の方が上だった。
事前に示し合わせていた友人の手引きで、
門限破りは窓から入り込んで、舎監をあざむいた。
従兄弟とボートに乗って。

しかし、この女舎監がやっていることは、あまりにもひどい。
まるで中世のカトリックの学生寮そのものではないか。
ことに手紙を勝手に開けるなど言語道断だと有志が集まり、
大学側に抗議した。
ついでに寮生自身による自治組織を認めて欲しいと嘆願したが、
これは却下された。
そのうち、寮生の間で変な噂が流れた。
「このごろ、トイレに幽霊が出る」「毎晩出る」
真相究明のため、自警団を組んで真夜中のトイレに行ってみたら、
裸電球のぼんやりした光の下に、噂通りの大きな黒い影が立っていた。
「幽霊」は女舎監だった。
この事件後、彼女は姿を見せなくなった。
おかしな舎監にお粗末な食事の寮だったが、寮生活は楽しかった。
なによりも、
日本全国からやってきた学生たちとの共同生活は魅力的だった。
私はそれぞれのお国の話に、世界が広がったように思った。
寮生たちと。

熊本出身の先輩から教わった俗謡は、今も口を突いて出る。
♪ よんでらるーば でてくるばってん
よんでられんけん こうられんけん
こんこられんけん こられられんけん
こーんこん
ところが今回、ネットで調べたら、私の記憶違いがわかって驚いた。
私は先輩から、
「よんでらるーば」「よんでられんけん」と教わったはずだったが、
正しくは「でんでらりゅうば」「でんでられんけん」で、
「こうられんけん」も「でてこんけん」だった。
また先輩は熊本出身だったから、てっきり熊本の歌だと思い込んでいたが、
今回、初めて長崎の歌だと知りました。
なんと私は、60年も勘違いしていたんです。
先輩は両手を器用に動かしながら、これを歌ってくれた。
戦後、初めての東京オリンピックをまじかに控えた時代だった。
新しい息吹に満ち満ちていた。
全国から集まった少女たちは、みんな素朴で明るく優しかった。
みんな前を向いて、キラキラ生きていた。
つくづく思った。
いい時代だった、と。
相模湖畔にて。
時々、神社仏閣や名所旧跡へぶらっと出かけた。
誰にも束縛されない、気分一新のいい一日になった。


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