いつの間にか「傘寿」⑯
いつの間にか傘寿
「入学以来、やうやう一ケ月立ちましたね。その後はどうかしら。
疲労と気づかれでまゐってはゐませんか。
その上晝食はラーメンばかりでは、ヒョロヒョロとのびてしまわないかと
案じています」
淋しさのいやます日々やこいのぼり 母
家を離れて以来、母は頻繁に手紙を寄越した。

「寮の食事は十分にあるかどうかも一寸心配。5月12日手紙に同封した千円、
受け取ったでせうね。受け取ったときはすぐハガキを出しなさいね」
母はこのとき、家でついた草餅も送ってくれた。
父は子供たちがいない淋しさを紛らわせようと、
庭の手入れを始めたという。
「お父さんはこのごろ優しくなりました。
そして暇さえあれば横の山の草刈りです。
つつじや桜、バラを買ってきてせっせと植えています。
道行く人を楽しませてゐます」
二人だけになった両親。

父からも手紙が届いた。
体の具合が悪くなって、なかなか好転しないから、
みんなが夏休みで帰郷したら、東京の親戚の医者にみてもらうつもりだと。
ところが7月に入ったら具合がよくなったから、
清子は予定通り、学業を進めてくださいと、したため、末尾に、
「清子が心配して居ると思ふので、先ずは一報まで」とあった。
サラサラと流れるような筆の母とは違い、父は四角い固い文字。
かえってそのギクシャクとした文字に、父の素朴な優しさが見て取れた。
父は元来、体の弱い人だった。
十二指腸潰瘍を患い、手術もした。
「一昨日、お父さんの入れ歯が二つに割れてしまったの。
清子からは手紙も来ないので、
何かあったのではないかととても心配しています」
父も母も遠く離れた子供のことばかり心配していたのに、
私はのほほんと暮らしていた。
そんな母に私は「コートが欲しい」とねだった。
「コートってオーバーのことですか? 私は昔人間ですから、
清子が欲しいものはお母さんにわかるように、
どんどんはっきり言ってください。都会的のセンスでね。
そちらで気に入ったのがあったら、一万円送ります。
それともマロンで一緒に作ってもらってもよし」
※マロン=隣町の婦人服の仕立て屋さん。
「神妙に座禅を組んで読経する清子を思い浮かべて、
おかしくてたまりません。お父さんと大笑いしてしまいました」
「成人式に来るかと待っていましたが、そちらで一人でやりましたか?
成人式が終わった後、同級生たちが家に寄ってくれました」と母。
その母から届いた祝電。

ある日、体調を崩してしまった私。母に手紙を出した。
母から速達が届いた。
「心配で心配で仕事も手に付かないので、また寮に電話したの。
すぐ呼び出しますといったきり、
30分も待たされたけどとうとう取り次いでもらえなかった。
今朝、また掛けたら言付けますと言ったけど、伝わっていなかったのね。
境のおじさんの病院へすぐ行きなさい。
一人で無理のようならお母さんが必ず行きますから」
離れて暮らすようになったら、母との距離が縮まり心が通い出した。
だが、それでも素直になり切れない自分がいた。
かつて母は「あんたは欲しくなかった子」「薄気味悪い子」と言い、
理由もなくいきなり殴りかかってきた。
その母と手紙の母が一致しなかった。
もう忘れたと思っていた幼少期の恐怖が、
母に優しくされればされるほど鮮明に甦ってくる
近所の農家のおばさんから、「あんたはシンデレラみたいな子」と言われた。
そんなシンデレラの前に突然、かぼちゃの馬車が現れて、
中から母が優し気に手招きしている。
手招きしているのは確かに母だったが、
馬車に乗った途端、いじわるな継母に変わるような気がして、
私は馬車から逃げた。

入学して一か月ほどたったころ、新入生たちが時々泣いているのを見た。
先輩に聞いたら「ホームシックよ」と。「家が恋しいと思うのは普通でしょ?」
私はショックを受けた。
「家が恋しい」なんて気持ちは私には全然、湧いてこないではないか。
「普通」というのは、ホームシックにかかることなのか。
だったら私は、やっぱり「普通」じゃないんだ、と。
連休にも夏休みにもアルバイトを理由に帰らない私に、
母は「待っていたのに、とうとう来なかったね」と、寂しげな手紙を寄越した。
取る人も喜ぶ人もなきままに
秋の実りをいかにせしかと 母

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疲労と気づかれでまゐってはゐませんか。
その上晝食はラーメンばかりでは、ヒョロヒョロとのびてしまわないかと
案じています」
淋しさのいやます日々やこいのぼり 母
家を離れて以来、母は頻繁に手紙を寄越した。

「寮の食事は十分にあるかどうかも一寸心配。5月12日手紙に同封した千円、
受け取ったでせうね。受け取ったときはすぐハガキを出しなさいね」
母はこのとき、家でついた草餅も送ってくれた。
父は子供たちがいない淋しさを紛らわせようと、
庭の手入れを始めたという。
「お父さんはこのごろ優しくなりました。
そして暇さえあれば横の山の草刈りです。
つつじや桜、バラを買ってきてせっせと植えています。
道行く人を楽しませてゐます」
二人だけになった両親。

父からも手紙が届いた。
体の具合が悪くなって、なかなか好転しないから、
みんなが夏休みで帰郷したら、東京の親戚の医者にみてもらうつもりだと。
ところが7月に入ったら具合がよくなったから、
清子は予定通り、学業を進めてくださいと、したため、末尾に、
「清子が心配して居ると思ふので、先ずは一報まで」とあった。
サラサラと流れるような筆の母とは違い、父は四角い固い文字。
かえってそのギクシャクとした文字に、父の素朴な優しさが見て取れた。
父は元来、体の弱い人だった。
十二指腸潰瘍を患い、手術もした。
「一昨日、お父さんの入れ歯が二つに割れてしまったの。
清子からは手紙も来ないので、
何かあったのではないかととても心配しています」
父も母も遠く離れた子供のことばかり心配していたのに、
私はのほほんと暮らしていた。
そんな母に私は「コートが欲しい」とねだった。
「コートってオーバーのことですか? 私は昔人間ですから、
清子が欲しいものはお母さんにわかるように、
どんどんはっきり言ってください。都会的のセンスでね。
そちらで気に入ったのがあったら、一万円送ります。
それともマロンで一緒に作ってもらってもよし」
※マロン=隣町の婦人服の仕立て屋さん。
「神妙に座禅を組んで読経する清子を思い浮かべて、
おかしくてたまりません。お父さんと大笑いしてしまいました」
「成人式に来るかと待っていましたが、そちらで一人でやりましたか?
成人式が終わった後、同級生たちが家に寄ってくれました」と母。
その母から届いた祝電。

ある日、体調を崩してしまった私。母に手紙を出した。
母から速達が届いた。
「心配で心配で仕事も手に付かないので、また寮に電話したの。
すぐ呼び出しますといったきり、
30分も待たされたけどとうとう取り次いでもらえなかった。
今朝、また掛けたら言付けますと言ったけど、伝わっていなかったのね。
境のおじさんの病院へすぐ行きなさい。
一人で無理のようならお母さんが必ず行きますから」
離れて暮らすようになったら、母との距離が縮まり心が通い出した。
だが、それでも素直になり切れない自分がいた。
かつて母は「あんたは欲しくなかった子」「薄気味悪い子」と言い、
理由もなくいきなり殴りかかってきた。
その母と手紙の母が一致しなかった。
もう忘れたと思っていた幼少期の恐怖が、
母に優しくされればされるほど鮮明に甦ってくる
近所の農家のおばさんから、「あんたはシンデレラみたいな子」と言われた。
そんなシンデレラの前に突然、かぼちゃの馬車が現れて、
中から母が優し気に手招きしている。
手招きしているのは確かに母だったが、
馬車に乗った途端、いじわるな継母に変わるような気がして、
私は馬車から逃げた。

入学して一か月ほどたったころ、新入生たちが時々泣いているのを見た。
先輩に聞いたら「ホームシックよ」と。「家が恋しいと思うのは普通でしょ?」
私はショックを受けた。
「家が恋しい」なんて気持ちは私には全然、湧いてこないではないか。
「普通」というのは、ホームシックにかかることなのか。
だったら私は、やっぱり「普通」じゃないんだ、と。
連休にも夏休みにもアルバイトを理由に帰らない私に、
母は「待っていたのに、とうとう来なかったね」と、寂しげな手紙を寄越した。
取る人も喜ぶ人もなきままに
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