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いつの間にか「傘寿」⑩

いつの間にか傘寿1
10 /11 2023
高校生になった。
初めての電車通学。手首には真新しい腕時計。

クラスの女の子もみんな腕時計をはめていたが、
どれも小さくておしゃれなもので、私のものとは大違いだった。

私のはというとそれより一回りも大きくて、いかにも田舎じみたデザインで、
あ、町の女の子はこうなのかと、人生初のカルチャーショックを受けた。

これは母が雑誌の裏にあった通販で購入したものだった。

昭和34年にすでに通販なんてシステムがあったことに、今になって驚く。
たぶん母は郵便局から現金書留で代金を送ったのだろう。

そのころ、村の中学校から高校へ進学する生徒は、
ひとクラスにほんの数人だった。

母がよくこんなことを言って憤慨していた。

「この辺の人にしょっちゅう言われているんだよ。
女の子に金をかけるなんて馬鹿じゃねぇの?
どうせ他人にくれてやる子なのにって」


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そういえば、
昔の「オレ女子会」の二人も、卒業後は浜松の紡績工場に就職した。
都会の会社社長や医者の家のお手伝いさんになった女生徒も何人かいた。

「東京の大きな会社の社長さんの家に行くんだよ」と、無邪気に話していたが、
私は「15歳で女中さんになる」ということにひどく動揺した。

昔読んだ読み切り雑誌には、女中部屋に忍び込むその家の主人や
手籠めにされても黙って耐えるしかないまだ幼さの残る女中さんの話が
これでもかというくらい載っていたから、
その雑誌の挿絵と目の前の同級生がダブって見えて、ゾッとしたのだ。

60年ほど前の日本では、
地方の田舎の中学校に都会から「女中募集」という求人がきていたのだ。

お手伝いさんのことを当時は「女中」と言っていたが、本人は、
「行儀見習いに行く」と言い「東京に住む」ことを誇らしげに吹聴していた。

紡績工場へ行った幼なじみの一人は、工場を辞めてバーのホステスになり、
そこに来た客と結婚したと聞いた。


高校2年のころ、そこのおばあさんがやって来て、
「やだやァ、ここんちの娘は行かず後家かね」と、蔑むように言い、
「うちの孫の婿は〇〇高校出だからね。いいのを捉まえたよ」と、自慢した。


そうか、〇〇高校はこのあたりの人には特別な存在だったのか。

おばあさんは私がそこの生徒だということを知っていたのだろう。
目の前に赤ちゃけた皺だらけの顔を突き出して、
「女が偉くなると嫁の貰い手がないからねぇ」と、
とどめを刺すように言い放った。


私、やっぱり合わないなぁ、こういう田舎。つくづくそう思った。

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子供の頃、よその家で何かをいただくと私は母の言いつけ通り、
それをしっかり握って家へ走った。

家に着くころにはいただいた飴玉は溶けてべたついていたが、
母はそれを手から丁寧にはがし、
神棚に挙げてご先祖さまに報告してから私に下げ渡した。

飴玉を口に入れて、急いでみんなの所へ引き返したがもう誰もいない。
そんな私を遊び仲間も大人たちも笑った。


万引きの見張りもさせられた。

顔見知りのご近所さんがホイホイと品物をエプロンのポケットに入れる。
電話を借りに来たおじさんが通話しながら、棚の缶詰を服の下に隠す。

私はただドキドキして固まり、万引きおじさんやおばさんが帰ってから、
「今の人が…」と母に伝えるのがやっとだった。

母はその報告を聞くなり怒り出した。
「なんでそのとき言わなかったのか」と。


この顔見知りが盗みをするという現実は、今でも理解できないままだ。
だって彼らは犯行の翌日も会えばいつもの通り、
「お暑うございます」だの「今日はいい塩梅で…」なんて言うんだから。

工事用に購入した砂を、真っ昼間、一輪車で堂々と運んでいくおばさんもいた。

母が咎めると「こんなにたくさんあるんだから」と食って掛かった。

「そんなケチなことを言うんなら、もうアンタんとこで買ってやんないから!」

この「買ってやらない」という捨て台詞を、子供の頃は何度も聞いた。
こんなゲスどもに「あんたはシンデレラみたいな子だねぇ」
なんて言われていた私。屈辱が何倍にも膨れ上がった。


とある神社の賽銭箱に書かれていた戒めと警告の張り紙。
「お賽銭を盗む方に申し上げます」「悪いことは止めましょう」
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まっぴらごめんのこの田舎で、町から来た父と母は商売を始めた。
万引き男や女にも頭を下げなければならないその悔しさ理不尽さは
私の比ではなかったはずだが、沈黙を貫いていた。

ただ母はこうした環境の中で子どもを育てるのを嫌って、
姉や兄を町の学校へ通わせた。

だが、次々大学へ進学するようになると、教育費の捻出が難しくなり、
次兄と私は村の中学校へ入った。
それほど違和感を感じずに過ごせたのは、
相変わらず詩を書き、本に夢中だったせいかもしれなかった。


むしろ違和感を覚えていたのは、まわりの級友たちだったようで、
みんなと親しく遊んだ記憶は数えるほどしかない。

田舎の人たちには馴染めなかったそんな私が、
子供のころ遊んだ山や川や美しい田んぼや生き物が忘れがたくて、
母親になってから田舎暮らしを始めたのだからおかしなものだ。

子育ては自然の中でと思い立ったのは、結婚6年目のとき。
長男5歳、次男1歳の時で、東京から静岡へ転居した。


わざわざ静岡市を選んだわけではなかった。

手持ちの頭金で買える土地を探して新幹線駅を順々に南下して来たら、
ここしかなかったというだけのこと。
購入したのは、静岡駅からバスで30分もかかる山を削った新興住宅地。

広大な沼が広がり、周辺の山々にはミカンやお茶畑。
沢ガニが這い、田んぼではカエルの大合唱。蛍まで飛んでいた。

この風景、大好き。自然に罪はないですもん。
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そんな山村に突如できた新興住宅地に、しゃれた家々が立ち並び、
新しい息吹を放っていた。

だがすぐに私は失望することになった。


干してある布団の値踏みから、
「お宅は何間ありますの?」と部屋数まで聞いてくる。

暇さえあれば道にたむろして、雑談に興じている。
エアコンをつけていたら「あんなもの必要ない」と、声高に言い、
「あれま、この家、車を持ってないよ」と嘲笑。

なにしろ「水洗トイレ」というのがこの住宅地の売りという時代だったから、
エアコンなんて妬みの対象にしかならなかった。

新興住宅地で知り合ったばかりの人から、
「あなたのところ、噂になってるよ。
東京で何か悪いことでもして逃げてきたんだろうって」と聞いて仰天した。

「みんなが憧れる東京からこんな田舎にわざわざ来るのは、
そこにいられなくなったからだ」と。

そういえばこんなこともあった。
転居して間もなく某案内所で県庁の場所を聞いたら、
係の人が憮然として「行けばわかる!」と。

後日、知り合った公民館の館長さんに話したら、こう言われた。

「静岡はまだまだ田舎なんですよ。
外から人が入ってくることに慣れていないから、
誰でも知っているそんな当たり前のことをなぜ聞くんだと、
そういうことなんですよ」

あれから半世紀。少しは変わっただろうか。

大学教授夫人がポストに投げ入れた嫌がらせメモ。
こういう意味不明のメモを頻繁に投げ入れて困った。

「回覧板からあなたが都合のいいものだけ、
私んちのポストへお入れください」って、何のこっちゃ。
いやがらせ

大学教授や医者や公務員がたくさんいても盗難はあった。
庭のつつじを根こそぎ持ち去られ、オートバイから部品だけ盗まれた。

次男と同級生の隣家の子供には放火、空き巣、タイヤのパンクと、
被害を受け続けた。放火についての親の言い訳は、
「たかがボヤにおおげさな。夜、寒かったんで温まろうとしただけじゃないの」

一人っ子のこの子にたくさんの習い事や塾通いをさせて、
成果が上がらないと、雨が降ろうが夜中だろうが折檻して外へ放り出した。
そのたびに「おばちゃん、助けて」と我が家のドアを叩いた。

その子が放火した。

乾燥注意報が出ていた真冬で、次男をつれて実家に行っていたため、
家には中学生の長男が一人でいた。

運よくその晩だけ雨が降ったので、火は外壁を焼くだけで済んだが、
燃え広がれば長男の命は危なかった。
決して「たかがボヤ」ではなかったのに。

仕事上では毅然としている私だが、こういうことには腰砕けになる。
あとから、なぜ警察に相談しなかったのかと悔やむのは毎度のこと。


長年一人で会計係をやっていた男が自治会費800万円余を横領、
という仰天の事件も起きたが、刑事事件にすると土地の値段が下がる
という理由からうやむやにされ、
(これも別の教授さまの発案)
横領を見つけて表沙汰にした住民二人がムラハチブにされた。

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こうした新興住宅地の自称エリート新住民の悪質さに比べれば、
転居後入会した地元郷土史会の「旧住民」の発言は、
笑って済ませられるもので、例えばこんなものだった。

「新住民に俺の村を勝手に歩き回られては困る」
「女を連れて歩くと村の衆に笑われて後ろ指をさされるから、
あんたは調査に連れていけない」

井の中の蛙のたわ言で、脅威にもならなかった。


高校生になりたての頃に戻ろう。

駅へ向かう途中に同級生の男の子の家があった。
紳士服の仕立て屋さんで、
その子が父親から仕立物を習っている姿がガラス越しに見えた。

高校の制服を着た私と仕立て屋になった男の子。
そこを通るたびになんだか見てはいけないような気がして、
なるべく足早に通り過ぎた。

それから10数年たって実家へ帰る途中、ふと見たら、
あの仕立て屋さんは電気店になっていた。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞