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「テムズとともに」を読んで②

書籍
09 /26 2023
徳仁親王殿下「ヒロ」さんの、オックスフォードでの研究テーマは、
「テムズ川の交通史」

そのわけを本書で明かしています。

「幼少の頃から交通の媒体となる”道”について、大変興味があった」

「外に出たくてもままならない立場」だったが、
「たまたま赤坂御用地を散策中、奥州街道と書かれた標識を見つけた。
古地図や専門家の意見などにより、実は鎌倉時代の街道が御用地内を
通っていたことがわかり、この時は本当に興奮した」

鎌倉街道といえば、静岡県にはこんな伝説と寺院跡が残っています。
かつて鎌倉街道沿いに「紅葉寺」(もみじでら)という尼寺があった。
庵主さんは「橋本宿」の長者の娘で、源頼朝と恋仲になり、
頼朝亡き後、尼になってこの寺に住んだ、そんなお話です。

今は数体の石仏を残すのみ。「紅葉寺」の正式名称は「本覚寺」。尼寺。
紅葉寺
静岡県新居町浜名

御用地の中で偶然見つけた「鎌倉街道」から、
親王は目を開かれ、ご自分の進むべき一筋の「道」を見出します。

「私にとって道は、いわば未知の世界と自分とを結びつける
貴重な役割を担っていたといえよう」


「初等科高学年の折に母とともに読破した芭蕉の「奥の細道」により、
旅、交通に対する興味がより深まった」


日光街道・草加松原
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「外へ出たくてもままならない立場」が切なく、
それでも限られた中で探求心を失わずコツコツと歩まれた姿に、
私は思わず拍手。

また、小学生の時、美智子妃とともに「奥の細道」を辿ったという話に、
私は驚きと共にまたも胸を熱くした。

我々が知り得ようもない御所の奥深いところでの「母と子」の姿が、
眼前に浮かびました。

こちらのお母さんも愛情たっぷり。
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学習院大学の史学科に席を置いた「ヒロ」さんは、中世の交通制度に着目。

やがて「中世の海上交通が交通史分野では未開拓」であることを知り、
瀬戸内海を対象地域として、大学院進学後もこのテーマに取り組んだ。

そして、オックスフォードでもそれが、
「英国中世の交通史の研究」へと繋がっていった。


ラテン語の中世資料に四苦八苦しつつ、
史料館、文書館、図書館へ通い、何度も現地を歩く研究生活が続く。

図書館での閲覧には利用許可証の申請が必要だったが、
図書館では、日本の皇太子だからといって特別待遇はしない。
それを「ヒロ」さんは当然のこととして、素直に規則に従った。


傘を盗まれたときも施設で傘を貸してくれるわけではなかったから、
強い雨の中をずぶぬれでコレッジまで帰った。


別の著作もご紹介します。
「水運史から世界の水へ」徳仁親王 NHK出版 平成31年
これは、昭和62年から平成30年に行った国内外での講演集です。
中世の琵琶湖の水運、江戸の利根川の水運、テムズ川の水運史などを、
図や写真で分かりやすく説明されています。
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オックスフォードでは滞在2年という限られた中での調査。
来る日も来る日も研究に没頭します。

テムズ川の歴史、ここを行き来した船舶、輸送業者と製粉業者間の争い、
運ばれる二大産業のモルトや石炭とそうした人たちの居住区、関税。

やがて鉄道や車の出現で衰退していった水上交通とその後など、
その綿密な調査や手法に、私は驚かされっ放しでした。

この研究成果が実り、論文は「The Thames as Highway」と題され、
オックスフォード大学出版会によって出版された。


この留学中に撮影した写真は2000枚だという。

インドネシアご訪問の折にも、歴史的建造物を目にすると、
胸のポケットからデジカメをサッと取り出し、素早く撮影されていましたが、
本当に歴史がお好きなんですね。

ファインダーを覗く時は歴史学者の目になっておられるのでは、と思いました。

テムズ川の水門に取り付けられたパウンド・ロック。(上の写真)
下は、オックスフォード運河に設置された水門の開閉を操作体験する殿下。
この本に、
日本最古の閘門(ロック)は、さいたま市の見沼通船堀」と書かれていた。
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「水門史から世界の水へ」より

この聡明さ、行動力、好奇心・探求心、そして真摯で丁寧な性格、
もし一般人であったなら、日本の史学界をリードする方になっただろう、
そんなことが私の脳裏をかすめました。

「ヒロ」さんの真っ直ぐな目は、
ロンドンに到着した翌日に見た「英国議会の開会式」にすでに表れていた。

「女王陛下からの使者が下院のドアを叩くが、2回拒絶して3回目にドアを開く。
いわば女王陛下の使者に三顧の礼を尽くさせるわけであるが、
私はこの一連の所作に、ピューリタン革命にまで遡る王権から自立した
議会を主体とする政治の理念が表わされている思いがした」


そして私が注目した記事の一つに、図書館の在り方があった。

「ヒロ」さんが体験したイギリスの図書館や文書館には
各分野の専門職がいて、
閲覧希望者に対して高度な対応がなされていたという。


「英国の文書館や図書館制度がとてもよく整備されていること、および
アーキヴィストや司書のサービスの良さを再認識した。
これらが高いレベルを誇る英国の歴史研究に大きく貢献していることは
論をまたない」と、「ヒロ」さんは本書に綴っている。


下は「中世日本の諸相・下巻」吉川弘文館 平成元年の目次です。
徳仁親王はこの論集に執筆者の一人として、(右から5番目)
「室町前中期の兵庫関の二、三の問題」を寄稿されています。

「兵庫関」とは神戸市和田岬付近に存在した関所で、
ここで東大寺と興福寺が兵庫津に入港した船舶から関銭を徴収していた。
中世日本の

英国の図書館についてを読んだ時、私は羨ましくて仕方がなかった。
だって今の日本の図書館ときたら、あまりにも理念がなさすぎるから。


本屋に経営させる図書館なんて最悪だし、
司書資格もない定年役人を館長に据え、パート従業員を使い捨て。

司書の仕事はバーコードに光をあてるだけとなり、
図書館同士で入館者数や貸し出し数を競わせるという
競争主義、商業主義へ堕落。


古い資料はパッパと捨てる図書館まで出現した。

本を借りに行けば、「いつもありがとうございます」なんて言う。
「ありがとう」を言うのは、貸していただくこっちじゃないの。

図書館の存在意義はそんなところにあるのではないのに。


かつては日本の図書館にも専門職はいた。
私が欲しい資料を伝えると「それなら」とすぐ見つけてきて、
懇切丁寧に説明。さらに地域の郷土史家まで紹介してくれた。

それなのに、今は惨憺たる状況ではないか。
なんで日本はこうなったのかと、つい愚痴が出る。


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「テムズとともに」に戻ろう。

巻末の言葉には「ヒロ」さんの物のとらえ方と感性が凝縮されていた。

「新しいもの、古いものと一見矛盾するものを抱えながら、
それを対立させることなく見事に融合させているイギリス社会」

「イギリスの石の文化と日本の木の文化」

「最初に建物の石を積み上げた職人は完成を見ないまま、次代へ引き継ぐ。
それが長い目でモノを見る目に繋がったのではないか」
と、「ヒロ」さんは分析する。


留学生活を終え、離英を前にしての思いもまた胸を打つ。

「英国の内側から英国を眺め、様々な人と会い、
その交流を通じて英国社会の多くの側面を学ぶことができた。
さらには日本の外にあって日本を見つめ直すことができた」

そして24歳の若者らしく正直に、


「再びオックスフォードを訪れるときは、今のように自由な一学生として
この町を見て回ることはできないであろう。

おそらく町そのものは今後も変わらないが、
変わるのは自分の立場であろうなどと考えると、妙な焦燥感に襲われ、
いっそこのまま時間が止まってくれたらなどと考えてしまう」と。

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この「テムズとともに」は、留学を終えた8 年後に発刊された本で、
そのとき33歳になられていた殿下は、あとがきでこう回想されていた。

「思い出というものは自分で作る部分も多かろうが、
人に作ってもらう思い出も多いと思う。上記の方々
(お世話になった方々)
温かい心遣いがあってこそ、当地での私の滞在は実り多く、
思い出深いものとなったのはいうまでもない」


陛下はどんなときでもどなたにも「感謝」を忘れない方だと思いました。

「テムズとともに」は勉学と友情を、若者らしい透明度で描き切った名著です。
多くの方が読むべき本であり、
特に若い方々にはぜひ、と強く思いました。

※本書に習い、「ヒロ」さんを使わせていただきました。お許しを。

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞