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真夏の夜の寝言

世間話③
07 /31 2023
セルフレジなんてのが増え出した。
客がなんでもやらなければならない時代になった。

人件費の節約だの利便性重視なんていうけれど、
これって企業が客をタダ働きさせてるってことじゃないの。

デパートの一画で、古くから商っていた衣料品店が閉店することになった。
綿製品を低価格で提供するという、
健康を考え家計に思いやりを持つお店で実用重視だったから、
私はよく利用した。


ここでは買った品物は、ずっと無料でレジ袋にいれてくれていた。
下着は他人に見せないよう、別の袋に入れるという配慮をしてくれた。

もちろんレジは人から人へ手渡す従来のスタイル。

閉店はまだ3か月後ということだったが、買いだめしておこうと出かけたら、
常連客達が長蛇の列。


「ここがなくなったら困るねぇ」と、おばさんたちが話している。
下着をいくつも抱えたご老人も、辛抱強く列に並んでいた。

人の手から手へという時代は、そんなに時代遅れでしょうか。

優しさを「心」に刻むって、そんなにメンドクサイことでしょうか。

DSC03031.jpg

思えば昔はバスに車掌がいて、切符を手渡してくれていた。
今は乗り降りすべて客任せ。

支払いにまごついた人が、両替をしようと慌てて入れたら、
そこは料金投入口で…。

そうとは知らず「お金が出ないんですが…」と、恐る恐る訴えたら、
ずっと黙って見ていた運転手が、さもバカにしたように、
「ああ、出ないよ。そこは両替する場所ではないから」と。


そうしてつり銭をあきらめて降りていく人を何人も見た。
運転手は「いまどき、現金で支払うなんて」という顔で客を見る。


時代に順応できない人間は、生きている価値がないとでも?

料金投入口と両替投入口を間違える方が悪いって言うけどサ、
それってバス会社の都合で決めたことでしょ。しかも地方地方で違うしね。


DSC00409 (2)

いざ、降りようとしたとき、電子マネーの残高が不足していて慌てた私に、
運転手が「事前になぜ入金しなかったのか」と責めた。

焦りつつ不足分を財布から出していると、
「モタモタしたら他の客に迷惑をかける」とグチグチ追い打ちをかけた。
客は2,3人で、ここが終点だってのに。

バスの中で握っていたバス賃の小銭を一つ落としてしまった小学生が、
小声で運転手に伝えたら、「みなさん、こういうずるい子がいるんですよ。
最初から持っていなかったくせに」と、マイクで乗客に知らせた。

動くバスの中で小銭を落とすと、なかなか見つからないんだよね。

子供料金はたかだか100円前後。
乗客はみんな唖然とした。子供は泣きそうになっている。
見かねた乗客が不足分を出してあげたら、運転手は平然と受け取った。

それなのに、
いかにもというあんちゃんが、くりからもんもんの腕をまくり上げて見せたら、
「あ、どうぞ」なんて言って、そのままフリーパス。


弱い人は「乗せてやる」、危ない客は「乗っていただく」ってことか。

DSC03009.jpg

セルフレジしかない店では緊張して、それがストレスになる。
客は黙ってセルフレジにカゴを載せ、出てきた金額を払って立ち去る。

もう店員から「ありがとうございます」の言葉を聞くこともなくなった。
なんだか冷たい世の中になったなぁ。

生き物にはすべて感情ってモンがあるんだけどな。


そういえばほんのちょっと前まで、
銀行にお金を預けるとお礼の品物がいただけたが今はない。

洗剤だったりゴミ袋だったり、年末にはポチ袋だったり。
商店では夏にはうちわ、年末にはカレンダーをくれた。


たいしたものでなくても、そういうほのぼのとした繊細さが嬉しかったが、
もうそういうこともない。
ないどころか逆に銀行のおかしな収奪が増えた。

「お客様は神様です」って時代があったんだけど、
そんな時代はもう戻ってこないんだね。

総ロボット化って、ケチ臭くて無愛想で、ちっともスマートじゃない。


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客が何でもやらなければならなくなったのは役所もそう。

国民の鼻先にニンジンをぶら下げて、
マイナンバーカードを作れ作れとお国の偉いさんたちは急かせたが、
あれもお国の仕事を国民に肩代わりさせるってことじゃないの?

ニンジンという血税をさも自分のポケットマネーみたいに使いやがって。

わざわざ複雑にして、一体、誰が得するんだろう。

そんでもって今度は、特殊詐欺被害を防止するために、
65歳以上の高齢者口座のATM制限を検討するという。

しもじもの財布に手を突っ込んできて、いやだなぁ。

そういう国会議員さんたちだって、65歳以上の人がたくさんいるのに、
どうするんだろう。いつも「オレさま」風を吹かせている人は、
オレオレ詐欺に引っかからないってこと?

詐欺を心配するなら、マイナンバーカードをなぜ勧めるの?
あれこそ詐欺師に、どうぞ騙してやってくださいといってるようなもんだと、
高齢者の私は思う。不安で仕方がない。


便利ってなんだろう。その便利って誰のための便利なんだろう。
私にはちっとも便利じゃない。得にもならない。


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国会はと見れば、年がら年中、
紙の保険証を廃止するの延期するの、いや残せと…。
みんな自分の思惑だけで動いている。

誰もまともな仕事をしていないように見えて仕方がない。

政治家が政治をしないでどうすんのよ。
政治家が国民を脅して惑わせ不安にさせるって、なんなの? この国。


政治家が政治をしないんだったら、
いっそのこと、国会から人間を排除してAI議員ばかりにしたら? 

人類滅亡はまず国会議員からってね。


にゃんこさんもそう思いません?
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そういえば、子供の頃読んだ本に書いてあった。

文明が高度になっていくに従い、人間の脳細胞は単純化していく。

やがて文明が文明自身を壊して、原始時代に戻っていく。
だから近未来の戦争は、石ころを投げ合って戦うようになるだろうって。

こんな本も読んだ。


なんでもロボットがやってくれるので、人間は動く必要がなくなった。
それで体の不要な部分が退化していき、
食べるための器官だけの生き物になってしまった。

しかし食べる器官も非効率、非科学的だということになって退化して、
とうとう一片の細胞だけになってしまった。

このままいくと、案外、あり得るかも。今はその過渡期かもなぁ、
などとつぶやいてみる酷暑の夏の夜。

ああ、今夜も眠れない…。

ーーー芸能ニュースか?

自民党の女衆が集団でおフランスへ「研修」とやらへ行ったとか。

「国会議員って、国民に奉仕する国民の僕(しもべ)なのに、
その僕(しもべ)の血税を使って大名旅行とは、けしからん」
と、みんな怒っている。

そうよねぇ。政治家って国民の目線で政治を行う人のはずだから、
行くなら飛行機も宿も庶民レベルが当然よねぇ。

ね? ジミン芸能プロダクションご一行様。


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韓国の伝統舞踊と通信使と

古典芸能
07 /28 2023
「韓国の伝統舞踊と音楽」を観ました。

魅了されました!

大昔、正倉院の御物を再現した古楽器を、
日本と中国の雅楽の奏者たちが演奏するというコンサートへ行きました。


雅楽の知識もないのになぜか自然に涙が出てきて…。
体の中のDNAが目を覚ましたみたいな、不思議な感覚だったんです。

今回もまた、どこか懐かしいような、そんな感覚になりました。

国は違っても古代人に共通した音やリズムがあって、
それが呼び覚まされたのかも、と思いました。


この日の最後は「月光遊戯」(moon light)という演奏で、
朝鮮半島に伝わる楽器を4人の奏者が即興的に演奏したものですが、
これがまた躍動感があって思わずウワッ、凄い!と。


写真は杖鼓(チャング・チャンゴ)と牙筝(アジェン)。 
ほかに伽耶琴(カヤグム) (ピリ)
伽耶琴は日本の歴史書にも出てくる「伽耶国」で作られた琴だそうです。
楽器1 がっき2
パンフより

4つの音色が「静」から「動」、「動」から「静」へと行き交かい、
最後に、北斎描くところの大波が突如、盛り上がるが如くドドドドォーと…。

で、この韓国の衣装がまた素晴らしかったんです。
優雅で美しく、三保の松原に天女が舞い降りたような…。

こちらは本公演のパンフですが、ちょっと地味なのが悔やまれます。


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なにはともあれ、百聞は一見に如かず。
グループも演目も違いますが、ユーチューブ動画をご覧ください。

西洋のバレーにも似ていますし、足の運びが能のようでもあり、
動きが静岡県舞台芸術センター「SPAC」の前衛風な芝居にも似ていました。


古典に現代風の所作などを取り入れてあるのでしょうか。



韓国の芸能には10数年前、ほんの少し接したことがあります。

「朝鮮通信使」の400年祭というのがあって、
江戸時代、通信使が宿泊し、この異郷の地で没した王子の墓がある
静岡県興津・清見寺で高校生たちが披露したのです。


朝鮮通信使というのは、
江戸時代に日本を訪問した朝鮮王朝の友好親善使節の一行で、12回来日。

一回の随行員が約500人という大規模なもので、
一行の中には高い学識を持った文人や高官がおられ、
そういう方々が日本の各地に書や詩文をたくさん残していきました。

使節団は特にこの清見寺を好み、86点もの書や詩文を残しています。
そのためここは通信使遺跡として、国の史跡に指定されています。


下の写真は、使節団の高官が揮毫した扁額「瓊瑶(けいよう)世界」です。

「瓊(けい)」は美しい赤い玉。「瑶(よう)」は美しい白い玉のことで、
日本と朝鮮半島を表わしているとのこと。


「この二つの玉がいつまでも光り輝く世界であれ」

という意味だそうです。


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静岡市清水区興津・清見寺

下のチラシは2年前、
市の広報紙で知った催しで、私も参加させていただきました。


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私が聴講したのは韓国・釜山と静岡市を結んだオンライン特別講演会で、
講師は釜山にいる「釜山文化財団政策研究センター長」の
ジョ・ジョンユン氏。
(名乗りがカタカナ表記のため、それに従いました)

びっくりしましたよ。

ジョンユン氏が鮮明な画面から、まるで隣の部屋にいるみたいに、
「静岡市のみなさん、こんにちは」って言うんですから。

しかも流ちょうな日本語で。
そしてこうおっしゃったんです。


「両国の人たちの努力で、2017年、朝鮮通信使に関する記憶として、
ユネスコの
「世界記憶遺産」に登録されました」

通信使のルートは、対馬から福岡の沿岸部を通り山口へ入り、
今度は瀬戸内海を渡り大阪へ。
そこから東海道を歩いて江戸へという遠大な旅でした。


こちらは使節団の休憩所として6回使われた宝泰寺の
「通信使平和常夜燈」です。

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静岡市葵区伝馬町・宝泰寺

説明板には日本語とハングルでこう書かれていました。

「徳川家康が第一回目の使節団を駿府城に招いたのが1607年。
それから400年を迎える記念すべき2007年にこの常夜燈を建立した。

石材は慶尚北道榮州の花こう岩で、燈火は広島の原爆の火。
日韓関係と世界平和の一助になることを心より祈念申し上げます」


石碑

通信使の歴史は長い間、埋もれていました。

この「消された歴史」を掘り起こし懸命に啓蒙していたのは、
在日二世で静岡県立大学の金兩基教授です。

金教授は、
この「朝鮮通信使」という、世界でも稀な歴史的出来事の重大さを、
静岡市や市民の方々に気づいてほしいと運動するものの、
なかなか耳を貸そうとしない。

そうした状況を、教授は火に譬えてこう嘆いた。

「静岡の人は、火を焚きつけてもなかなか燃えない。
時には水を掛けて消そうとする」

そういうやる気のない市や市民相手の啓蒙運動、
相当なご苦労があったことと思います。

その努力は2007年の通信使400年行事で実を結び、
10年後の2017年には、ユネスコの「世界遺産」に登録という快挙となった。
教授が亡くなったのは、その翌年だった。

この日、釜山から届いたジョンユン氏の笑顔と明るい声が、
金教授の思いをしっかり受け継いでいることを教えてくれました。


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こうした真面目な取り組みを知ったり、その国の芸術を見るたびに、
私は思うんです。

ネット上にはこの国を母国とする人への、
故意に曲げられたり悪意のある情報が多すぎるのでは、と。

ゲーテ言うところの、
「誤謬が私たちの周りで絶えず語られている」という状況なんでしょうか。

どんな国にもどんな個人にも暗部や恥部はある。
非難や抗議すべきこともある。日本の国にだってある。
でも何もかも一緒くたにして否定し続けていると、いい部分が見えなくなる。
とても損なことだ。

400年も昔の人たちが願った「瓊瑶(けいよう)世界」を、
私は大切にしたい。


この日、韓国の伝統舞踊を見ているうちに、
私もやってみたくてたまらなくなりました。(*^_^*)

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夏の思い出

世間話③
07 /25 2023
川遊びで子どもが溺れた。

そんなニュースが目につくようになった。

一見、穏やかそうな川なのになぜ溺れるのか、
ここへきてようやくその「なぜ」を解説する記事が出てきました。

「急な深み」


奥秩父・西沢渓谷
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で、もう一つ私がお伝えしたいのは、川の水の速さです。
速さはとても複雑ですが、
特に気をつけたいのは、一つの流れも二層になっていて、
上は穏やかな流れ、下は速い流れになっているというものです。

うっかり下の流れに足を取られると、そのまま引き込まれます。

ただこれは、私が子供のころ兄さん姉さんたちに教えられてきたことで、
専門的に正しいのかどうかはわかりません。
彼らが言葉で、ではなく、体で会得させてくれたものです。


戦後も長い間、親たちは食べることに汲々していたため、
子供は子供社会のガキ大将の元で自由奔放に遊んでいました。

夏は川遊び。

近所の男の子が家の外から、口笛を吹く。
すると、家の中から子供が顔を出す。それを見て今度は外の子供が、
人指し指と中指をバタ足のように上下に動かす。

それが川へ泳ぎに行こうという合図だった。

この吊り橋から下流が遊び場だった。
長兄と次姉と私。この二人はもういない。写真も思い出もセピア色になった。
吊り橋

川遊びの時間になると、あちこちで子供たちが動き出す。
まだ小学校前の私も、その子供一行に加わって、急峻な崖を下りて川へ。

男の子たちは途中の畑からキュウリやトマトをもいでいく。
当時の畑の主たちは黙認。


もいだキュウリやトマトは岩から滴る湧き水に浸けて置いた。

川の水は富士山の伏流水だったから物凄く冷たい。
氷水に浸かっているようなものだから、みんなはすぐガタガタ震え出す。

だからみんな揃って、焼けた大きな岩に抱きついて暖をとった。

それからだれ言うともなく、大声で歌い出した。
歯をカチカチさせ、紫色の唇を震わせつつ、

「おてんとさん、おてんとさん、障子を開けろ!」

下の写真は、
私が5、6歳のころ。長兄は11か12歳。次姉は9歳か10歳。次兄は8、9歳
長兄は黒フン。あとはズロース。まるでサンカ民族。
姉さん、ちょっとかわいそう。これ、水圧で脱げてしまうので困りました。

「おーい、安村さァーん、
"パンツ”はウチらの方が先でっせ」

水に入るとスケスケになって、はいてないのと同じになるんよ。

上の二人は村の中学ではなく町の中学へ進学したため、
それを機に川遊びから離れた。
今見ると川の流れが凄い。よくぞ無事に過ごせたものだと思います。
川遊び

向こう岸へ渡るのは至難の業で、流れが早いため流される。
流されたらすぐ下のダムの滝へ行くから、危険と隣り合わせだ。

向こう岸に着くにはどの流れに乗ればいいのかは、
年上の子の後について覚えた。
無事、着くと寒さと怖さで震えながらも嬉しさは百倍になった。


流れに乗る、それが川での遊びだったので、私ができた泳ぎは「犬かき」だけ。
浮き輪は最初は布製。それからゴム製になったが、これはすぐ穴が開いた。

オリンピック競技にこの「犬かき」を採用したら、面白いと思うけどなぁ。

水中に潜ると、ハヤの群れが一列になって水面すれすれに泳ぐのが見えた。
太陽光線が斜めに水を突き抜けている。
その光線が魚にあたって、キラリと光る。

魚が体をくねらせるたびに、キラッ、キラッと光った。
その美しいことったら。
私は何度も潜ってはその夢のような世界を、飽くことなく覗き見た。

30年後の私は、形は変わってもやっぱり川でこんなことを…。

竜爪山・長尾沢本谷           安倍川・黒ン沢 七ツ釜
img20230723_01533453_202307230252228b5.jpg 竜爪

「ヘビだぞー! みんなあがれ!」のガキ大将の声に、
慌てて岸にあがると、水面から顔だけ出した蛇が、
子どもたちの見ている中を、ちょっと得意気のような、
恥ずかしげにも見えるSの字になって川上へ昇って行った。

午後には上流のダムの放水があったから、みんな引き上げたが、
帰りの岩盤の道はみるみる水かさが増して、足元をすくわれそうになった。

子供だけで川や山へ行く。今では考えられない時代だった。
親も子も真剣勝負、自分の身は自分で守れの時代だったなと思う。


私はまだ5,6歳だった。
ガキ大将だって、せいぜい小学6年生。長兄もいいガキ大将だった。

代々受け継がれたものでしょうが、
ガキ大将とその手下たちは川の構造をよく知っていました。


「浅瀬」「深み」「急流」「二重の流れ」

「あの岩の下に入るな。足を吸い込まれて出られなくなる」

「細い滝でも近づくな。滝壺へ引き込まれたら死んじまう」

ダムの放流はサイレンで知らせたが、川の水音で聞こえません。
そこでガキ大将は、お日様の傾きで判断した。

「へつり」。簡単そうに見えますが、意外と難しい。
一番手前で奮闘しているのが私。
へつり

6年生といっても、まだ子供です。でも、自然に対処する知識は豊富でした。
自分の身だけではなく、年下の子の身もよく守ってくれました。

私はそのとき体得したんです。
「川には二つの流れがある」と。
「川ほど面白いところはないけれど、川ほど恐いところはない」とも。

奥秩父・西沢渓谷。左から二人目が私。このころは長髪にパーマ。
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だが、後年、無知な一人の男のせいで、その教訓を踏みにじられた。

静岡へ転居すると、夫は東京から友人たちを連れてくるようになった。
ある日、Oという男が来た。

川遊びをしたいというので連れて行ったら、
この男、いきなり幼稚園児の次男を抱き上げて、川へ投げ込んだ。

そこは橋げたの真下で、岸に一番近かったとはいえ流れがきつい場所で、
次男はあっという間に流された。


私はあわてて下流に走ったが間に合わない。
たまたま下流にいた夫が次男を救い上げて、間一髪で助かったが、
もし誰もいなかったら、次男はその先の本流に流されて助からなかった。

私たちの慌てた様子を見て、Oはヘラヘラ笑いながら、
「奥さんは大げさ過ぎる」と、バカなこと抜かした。


東京生まれの無知なボンボンが! 
別荘を持っていることを自慢していた成り上がりモンが…。

食べごろの赤いトマトを出したら、
このブクブク太った無知な野郎がのたまった。

「トマトは緑色のはず。奥さん、これは腐ってるよ」

この男、川遊びの帰りにくるぶしほどもない浅瀬で転び、
そのままガラガラ流された。

ようやく起き上がって戻ってきたとき「水の勢いが…」と、言い訳をした。

「お母さんは今、鮎釣りに夢中」。釣りに飽きた長男が土手を走っています。
次男が無知男のOに放り込まれた川です。
この写真からだけでも、浅瀬と深み、流れの違いがはっきりわかります。
安倍川釣り

こいつはそれから間もなく、
子供のできない本妻さんを捨て、子供を産ませた愛人と再婚した。
生れた子供を溺愛して、
病気を感染されないよう来客は一切シャットアウトしたと聞いた。


人の子供は川へ投げ込んでも、
自分の子供には指一本触れさせないんだ、と。

所詮、そういう身勝手な男だったとわかっても、
あのときの自分の不甲斐なさに、私は今だに自己嫌悪にさいなまれる。


息子が命を失いかけたというのに、夫はOに媚びるみたいにエヘヘと笑った。
いい人ぶったあの卑屈さも目に焼き付いたままだ。


なぜ、あのとき、Oを罵倒しなかったのか。
家に置いた荷物を放り出して「とっとと東京へ帰れ!」と言わなかったのか。

それなのに夫の友人だからと怒りを押し殺し、
ホテル代わりにされても、なけなしのお金でごちそうを振る舞った。
ホントにバカだった。


オイ! 大久保、聞いてるか!
と吠えてももう遅い。

思い出すたびに懐かしさが沸き上がる子供のころの夏。

思い出すたびに怒りが増幅する「大久保の来た夏」


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たまには毒を吐きたい

できごと➁
07 /22 2023
久しぶりにお町へ出かけたら、
駅の地下広場で「まちかどコンサート」をやっていた。

静岡駅の真ん前を国道が通っているため、 
静岡市の玄関口は少しややこしい。

反対側の繁華街へ行くときは、地下へ降りていかなければならないが、
この地下道がタコ足配線のようで、これまたややこしい。

よそから来た方が国道の向こうに見えるデパートを指して、
「あそこへ行きたいのですが…」と声を掛けてくることがよくある。


おまけに駅の出入口にある市の観光案内所はいつもドア締め切りで、
市民の私でさえ、そこが案内所であることに気づいたのはごく最近のこと。

かように気が利かないややこしい町だけれど、
ただ一つ「いいな」と思える場所がこの地下広場です。

駅の階段を降りていくと、この地下広場にぶつかる。


高校生の応援団が一列に並んで、お披露目をしていたり、
新茶の季節には茶娘が接待していたり、
大道芸の祭りのときは、いろんな芸人さんが芸を披露する。

この日はコンサートで、出演は「富士山静岡交響楽団」の
クラリネット、バイオリン、ビオラの3人。


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静岡駅地下広場

真ん中のお兄さんと右側のお姉さんが掛け合いで曲の説明。
左側の女性は緊張しているのか、無言で少し硬い表情。

クラリネット片手のお兄さんの話術で、聴衆が軽やかに笑う。

曲は誰もがどこかで耳にしたことがあるクラッシックの曲や、
年配者を見込んでの九ちゃんの「上を向いて歩こう」
「オーシャンゼリゼ」など全部で九曲。


市庁舎の1階広場でも定期的にコンサートが開かれている。

ちょっと用事で来たついでに立ち止まって音楽を聴けるって、
いいですよね。


聴いているうちに、
「そうだ! 久しぶりにステージでも観るか」となって、
早速、静岡音楽館AOIのチケットを購入してしまいました。



ーーー平塚市札場町・路傍の石その後

以下の記事でお伝えした「平塚市・札場町の路傍の石」のその後です。

「力石二題」

市立博物館、地元郷土史会ともに「わからない」と言われてしまった
力石に似たこの石、


水道みち2

このところのハトとの攻防戦で学んだ「ハト的執拗さ」で、
三度目の正直を期待して、地元の連合自治会を通じて、
あの石が置かれた該当自治会への連絡をお願いした。

しかしそこでも「この石の由来は把握していない」とのつれないお返事。


この石の発見者のdoushigawaさんによると、
「2011年のグーグルのストリートビューにも写っている」
というのですから、それからでもすでに12年。

なのにそこに住んでいる人は誰も知らないって、??
なんだよそれ。

そんなら、やる気を出して調査して、
捨てるなり保存するなり、はっきりしてよ!


と、ワタクシメ、思わずはしたなさ全開。

「大きなお世話だ! あんな石っころ一つのために、
よそモンからとやかく言われる筋合いはない!」

そう言い返されても仕方がないが、
なんとも中途半端なこの状況に、つい毒を吐きたくなって、
増加傾向の暴言老人になりかけたのであります。


doushigawaさん、せっかく見つけてくださったあの石、
実らずでごめんなさい。
でもいろんな方とのやりとりや平塚市を知るいい機会になりました。

今後ともよろしくお願いいたします。


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性加害「捕食者」

世間ばなし➁
07 /19 2023
イギリスの公共放送、BBCドキュメンタリー
「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」を見た。

ジャニーズという会社の前社長・ジャニー氏の性加害を扱ったものだが、
取材を進めるたびに、記者の顔が青ざめていくのがわかった。

世間では、前社長による少年たちへの性加害行為は、
20年ほど前からというが、
私が出版社に入った60年前から、それはあった。


当時、出版社の社長が取引先の銀行から頼まれて、
金持ちの令嬢を半年ほど社員として預かったことがあって、
その彼女から、こんな話を聞いた。

「学生の頃、友達がジャニーさんから逃げてきたのよ」


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この出版社には芸能関係の週刊誌があって、
タレントのヒヨッコが出入りしていたが、当時の周囲の認識はこうだった。

「まともな家庭の子はこんな世界に入らないよ。女も男も商品だからね。
売れるためには体も売らなきゃスターになれないから。
親も承知でやってるんだから。どっちもどっちなんだよ」

「人気がそこそこ出てくると、今度は大人をアゴで使うようになる。
12、3のガキが椅子にふんぞり返って、
マネージャーに足を突き出して靴下をはかせたりするんだよ」


ただし、これを聞いたのは60年前のこと。

ですがそれがいつの時代であれ、もし本当なら、
この子たちは果たしてマトモな大人になれたのか。
歪んだまま天狗になったり、挫折して人生を棒に振ったりしなかったのか。

昨今は政界へ進出する芸能人も多いからと、いらぬ心配までしたくなる。

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言えることはどんな状況であれ、性加害を正当化できないということ。
だってれっきとした犯罪ですから。
しかもここでは、相手は子供で加害者は生殺与奪を握る権力者。

元・少年たちが異口同音に「行為の後、お金を渡された」と言った。

あの華やかな舞台裏では、こんな汚れたことが行われていたとは。

そのころ、自分で作詞作曲をするシンガソングライターが出てきて、
その一人が「これなら枕営業しなくて済むから」と言ったので、
なるほどなあと思った。

ジャニー氏からの性被害を受けた元・少年たちが、被害を訴えながらも
「今のぼくがあるのはジャニーさんのおかげです。今でも大好きな人です」
というのを聞いて、

BBCの記者は「狂っているとしか思えない」と絶句。

心理学ではこの状態を「グルーミング」、つまり飼い慣らしというんだそうだ。

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BBCの記者に対して、ジャニーズ事務所の対応もひどかった。
木で鼻をくくるというのはこういうことなんだなと思いつつ見た。

責任者が玄関口で、
馬鹿丁寧に無意味な言葉を機械的に繰り返すのを見て、
同じ日本人として恥ずかしかったし、健全さが全く感じられなかった。

記者はさらに、
テレビ、新聞、週刊誌、警察などあらゆる関係先に取材を申し込むものの、
「どこもカーテンを閉ざした」という。

なぜ口を閉ざすのかについては、
サイト「ジャニーズ百科事典」の「ジャニー喜多川」「メリー喜多川」に、
書かれている。

私はこの喜多川姉・弟はてっきり、日米のハーフかと思っていましたが、
両親ともに生粋の日本人だったんですね。

この隠ぺい体質と、
金と権力さえあればなんでも正当化してしまう日本の有り様に対して、
記者は怒りを込めてこう言った。

「子供を守らず誰も責任を取らず見て見ぬふり。恥ずべきことではないか」

「ジャニー氏の加害行為は決して秘密ではなく、それを取り巻く沈黙は、
虐待そのものとほとんど同じくらい恐ろしいといえるかもしれません」


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これと同じ状況が江戸時代にもあった。

「余はここにて黙して過ぐる能はざる一事を見たり」

こう言って絶句したのは、ドイツ生まれの学者ケンペルです。

ケンペルが見たのは、東海道筋の静岡県興津・清見寺門前で
10歳から12歳の化粧した男の子が、彼らの主人(膏薬屋)の命令で、
表向きは膏薬を売り、裏で旅人に買われる子供たちだった。


僧侶も武将も公然と男色にふける。
歌舞伎の若衆が男娼として体を売る。
長い間日本の男たちは、それを「文化」だと言ってきた。

同じ性志向の大人で納得づくなら構わないが、相手は何も知らない子供。

その幼い男の子の体を大人の男に合わせるために器具を使って改造し、
客を取るのを嫌がるとリンチされ、
17,8歳になるとわずかなお金でお払い箱にした。


「東海道中膝栗毛」の喜多八も陰間出身だと作者はいう。
「子供のころそれをやらされた者は、がに股だからすぐわかる」とも。

少年たちを食い物にした大人たちは、これを「日本文化だ」と言い、
西鶴も「男色は古きころよりの由緒あることなり」と大威張りで本に書いた。

以前、カナダで会った女性教師が、
自国のカトリック神父たちの少年への性加害を怒りを込めて摘発していたが、
日本の「放送文化人」たちは、ジャニーズ氏のこの行為を、
本人が死してのちも擁護する。


ケンペルが驚愕し、宣教師のザビエルが「世界に類を見ない」
と嫌悪してから、すでに350年余。
今度はイギリス人から「人間性が欠如している。なぜなんだ」
と、問題を突き付けられた。


DSC08826_20230712113303d44.jpg

私が某令嬢から「友人がジャニー氏から逃げてきた話」を聞いてから
すでに60年立ち、先ごろ、有名作曲家の次男で俳優の某氏が、
70年前の自分の被害を告白した。「8歳のときから自宅で2年半続いた」と。

このおぞましい児童虐待はその間ずっと続いていたというのに、
この会社の現在の社長は「知らなかった」と言った。

この方の父親・藤島泰輔氏は上皇さんのご学友を公言していた。


WIKによると、
「藤島氏は、
事務所の実質的な運営者と言われ、のちに社長になった
ジャニー氏の姉のメリー喜多川と結婚した人で、
草創期のジャニーズ事務所を経済的にバックアップし、
ジャニー社長の人脈拡大を手助けした」とある。

ならば、当然、ジャニー氏の少年たちへの性加害を知っていたはず、
と思うのが自然です。


なのに黙っていた、諫めることもしなかったってことになる。

彼は新聞記者出身の作家・評論家だったのに。

日本社会はいつまで、この恥ずべき犯罪を黙認しているつもりだろうか。
いつまで「疑惑」というあいまいな言葉でにごしているつもりだろうか。

BBCの記者の驚きと嘆きと告発からメディアは逃げ、
「捕食者」とまで言われているのに、関係者は無言を貫いている。

国連の「ビジネスと人権」作業部会から、「異常極まりない状況」と糾弾され、
とうとう今月末から調査に乗り込まれる事態となった。

被害が発生してからすでに70年。
この国には自浄作用が全くなかったことが露呈した恥ずべき事態となった。

この件ばかりではない。被害者が男女や年齢を問わず、
日本人全般の性加害への感覚はいびつすぎる。

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夏の虫・美濃柴犬・狩猟犬

世間ばなし➁
07 /16 2023
ハトとの攻防戦も、ひとまず休戦。
でもいますからね、すっとぼけた顔してあちこちに。油断はできません。

代わりの来訪者は夏の虫。

真っ先にきたのは「ドクガ」。来てほしくない蛾です。


【注意】これ、毒針毛という危ない毛を持っています。
直接、触らなくても風で舞った毛がいつの間にか服に入ると、
大変な炎症を起こします。

20230620_135311_20230714123757f22.jpg

羽アリはもう大群で押し寄せます。

以前は網戸のどこをどう入ってくるのか不思議なくらいきましたが、
今は部屋まで入り込むことはなくなった。

でも、朝になると玄関先や通路にススキの穂がてんこ盛りという感じで、
積み重なっております。

まあ、ここは田舎の不夜城。
彼らにしたら巨大な誘蛾灯ですから仕方がないですね。

そんな羽アリを狙って蜘蛛が大活躍ですが、
みなさん、蜘蛛を嫌って蜘蛛殺しスプレーを噴射。


まあ、早朝ゴミ出しに行くと
通路に張り巡らした蜘蛛の糸にひっかかりますから、
「この野郎! シュッ」という気持ちもわかります。

こちらは家の中にいる「アシダカグモ」の子ども。まだ2cmほど。


20230628_224617.jpg

ゴキブリを食べてくれる益虫なので、私は平和に共存しておりますが、
以前いた公共施設の職員が、手あたり次第殺虫剤を噴射していたので、
「それ、悪さしませんよ」と言ったんだけど、聞かばこそ。

ずんぐりむっくりのクマンバチを「スズメバチだ!」と大騒ぎして、
たった一匹迷い込んできただけなのに、
一日に殺虫剤を一本使い切るほど撒くのでたまりかねて、

「それ、刺しませんよ」と言ったら、以後、挨拶も返さなくなった。


こちらはカミキリ。
一瞬、「注意報」が出ている外来種の「クビアカツヤカミキリ」かと。

ネットで図鑑を見たら、違うようだけど自信がない。
二つほど似たような虫がいた。

「ホタルカミキリ」と「クビアカモモブトホソカミキリ」

どっちだろう?

この「クビアカ、モモブト、ホソカミキリ」の命名、
見た目そのまんまなんですよね。

つい自分に置き換えてしまいました。
「クビシワ、ハラボテ、サキボソリ、ババムシ」


ーーーと書きましたが、間違っていたようです。(。-_-。)

ブログ「TAMIの気まぐれ通信」のTAMI22 Mさんから、
ご連絡をいただきました。


正しくは「カミキリモドキの仲間で、アオカミキリモドキ」。
「肌について潰れたりすると水泡ができるので要注意」とのことです。


20230703_083142_202307141744091fe.jpg

カナブンです。

写真では黒いですが、見た目は緑色だったから、
「アオカナブン」かと…。



ーーーと書きましたが、
こちらは「アオドウガネ」というコガネムシとのご指摘を受けました。

TAMI22Mさん、ありがとうございました。
かなり危ない昆虫が身近にいるものですね。気をつけたいと思います。

虫がたくさん飛んでくるので、飼育箱を持っているお子さんが多いのですが、
一人のお子さんの家の前を通ったら、飼育箱の中を捨てられていました。

この子は小学一年生ぐらいですが、よく草むらで虫を探している子で、
毒虫にやられて母親に叱られたのかもしれません。


アオカナブン

だんだんお馴染みの大物がやってきました。

「ノコギリクワガタ」と思いますが、どうでしょうか。

いつも虫かごを覗き込んでいる子供がいるのであげようと思っていたら、
翌朝、ひっくり返っていて、残念。

20230709_102737.jpg

出がけに「ヘビトンボ」を見ましたが、
あいにくスマホを置いてきてしまって、写せず。

あとからあれは絶滅危惧種と知って、
ああ、なんで引き返して写さなかったのかと悔やみました。

ただし、これ、噛みつきます。

今年はどんな虫の訪問があるかなあ。

これからが本番です。

今回は欲張って、話題をあと二つ。

ーーー美濃柴犬と高校生たちーー

ふと見つけた動画です。
もう感動しっぱなし。もう一度やり直せるなら、こういう高校に入りたい!

岐阜県立大垣養老高校の生徒さんたちの希少犬・美濃柴犬の取り組みを、
ぜひご覧ください。




「獣医になりたい」「動物に携わる仕事に就きたい」
「農業高校の先生になって美濃柴犬の普及に努めたい」と生徒さんたち。

同校の生徒会長が案内する動画
「大垣養老高校の美濃柴研究班」もぜひ、ネット検索してご覧ください。

同校は東京ドーム4個分の広大な敷地にあって、
美濃柴犬だけではなく、花の栽培、飛騨牛の繁殖・育成、木曽馬の保存、
地元企業とのコラボ商品など実践を踏まえた高校です。


ーーー狩猟犬と共にーー

私がいつも楽しみにしているブログがあります。
「生きもの二人三脚」。

伊豆半島で狩猟生活を送る「あっきょ」さんのブログです。
「この狩猟技術を次の人に引き継ぐまで」と、がんばっておられます。

数ある記事の中から以下をご紹介します。


「三重地犬の繁殖から一年」

希少犬の繁殖に頑張る高校生たち、
狩猟に真正面から向き合い、狩猟犬たちと暮らすあっきょ氏。

ニッポン、まだまだ捨てたもんじゃないですね!


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池ノ谷観音堂の祭典②

民俗行事
07 /13 2023
朝の9時から住民総出で始まった祭りの飾りつけもようやく終わり、
御本尊様が見守る中、祭典が始まりました。

参加者全員がお堂に集まり、太鼓を叩き、鉦を鳴らします。

昔はナムアミダブツと唱えたが、今は名号を唱えることもなく、
適度に太鼓を叩き鉦を鳴らして終了した。


祭典始まる
静岡県富士宮市上稲子・池ノ谷観音堂

涼やかな風がお堂を吹き抜けます。

「五色の幣は私の内房では、
初午祭典時の幟にしか使われる事はありません。
又、富士宮の足形集落の火伏念仏の祭典で、
室内天井より垂れ下がる五色幣しか見た事がなかったので、
少し、感動を覚えました」

と増田氏。


私が意外に思ったのは、若い方が多いことでした。

今までお尋ねした限界集落といわれるところは、
祭りをやる体力ももうないわずかな高齢者、というところばかりだったので、
ここはちょっと違う、心強いなと思いました。

ご婦人方が板敷に正座されていますが、
楚々として、なんかいい感じですね。


涼しい風がお堂を吹き抜ける

神事が終わると集落内の行事などが話し合われ、
祭典行事の終了が宣せられた。

終了すると、
正面の笹竹に結んであった家庭用の笹飾りをほどき、各家庭に配ります。
笹飾りには五色の幣と三枚の神符がつけられています。

留守宅ではここまで来られなかったおじいさん、おばあさんたちが
往時を思い出しながら待っておられることでしょう。

これからお堂の外へ出るようですが、
みなさん長靴を履いているのは、山ヒルよけでしょうか。

行事を無事終えて、安堵の笑顔です。


過程に配る笹竹

ここからは外での作業が待っています。

正面以外に結んだ五色の幣の縄を5カ所の道へ張ります。


お堂の横へ幣

五色の幣がついた縄とお堂です。

昔は集落の人たちがここに集まって、
お酒やごちそうをいただきながら、夜を徹して念仏を唱えたんですね。


お堂と縄

水神様など、残り4カ所の道へも張りました。

水神様へも

「これは、世間で言うところの結界の役目ではないかと思われた」と増田氏。

5カ所へ

五色の幣と神符をつけた笹飾りが、個人のお宅に飾られました。

観音様と子安様が、きっとご一家を見守ってくださいますね。

笹飾りとトトロのマッチングが楽しい!


家へ飾る

「少ない軒数であと何年存続できるかは、旧芝川町のどの集落を見ても
同様な事情であろうと想像いたしました」

手紙の最後にそう綴った増田氏。


ですが、伝統ある祭りの存続の困難さは町でも同じです。
私が住む地区は人口約1万人ほどで、若者もそれなりにいます。

でも今は神輿を担ぐ人がいないため、有効活用として老人施設に寄付され、
施設の夏祭りでお年寄りたちを楽しませるために担がれるだけ、
ということになってしまいました


ほかの町内会では、請負会社にお金を払って担ぎ手を雇ったそうですが、
しらけてしまって盛り上がらず、一年こっきり。そりゃそうですよね。


こちらは池ノ谷観音堂の力石です。

かつては集落の若者たちに担がれ、念仏祭の賑わいを聞いていた力石も、
今は自然に身を任せて、静かな眠りについています。
でも増田氏たちのおかげで、生きた証しを紙の記録に残すことができました。

そしていくつもの時代を経たのち、この記録を見た人が、
「このあたりにあるはずだ」と探す様子が見えるような気がします。


力石2

偉そうなことを言うようでおこがましいですが、私はこう思うのです。

先史時代から今日まで、人は繁栄と消滅を繰り返してきたが、
その文化や営みや信仰や歴史は決して消えてしまったわけではない。
ただ見えなくなっただけなのだ。

「見えなくなった」がために、後世の人たちはそこに魅力やロマンを感じ、
古代遺跡を掘り返したり、古い時代の文献や事物を漁って、
それがなんであったかの探索や謎解きに夢中になる。


縄文人は何を食べていたのかとか、日本人はどこから来たのかとか。

幣を飾る

今まさに消えかかっている伝統行事や神楽や祭はどうかというと、
たとえ、かつて人々に熱狂されたものでも、
しょせん、当時の暮らしにマッチした流行りモノだから、
現代の暮らしに合わなくなれば、形骸化するのは自然なこと。

ですが、どんな新しい時代になろうとも、
人の営みは過去からの続きで、切り離すことはできません。
そしてその過去には、
その時代時代の流行りモノだった民俗行事の精神が流れています。

この祭はどこから来てどのように伝播していったのかとか、
どのような時代の変化を経て受け継がれてきたのか、
どんな信仰が付随して、それが暮らしにどう影響していたのかとか。

形骸化し消滅寸前だからこそ、
後世の人たちが辿れる手段として紙に記録しておく。

文化財になった民俗行事はこむずかしい学問になってしまうけれど、
こうして記録に残すことで、
のちの郷土史や民俗、民族、文化人類学などの研究に貢献できる、

と、私は思っているんです。


歴史学者の網野善彦は、「日本の歴史書は権力者ばかりを書いている」と嘆き、
庶民の歴史を記録する重要性を説いた。


太鼓

そうした教訓を体現したかのように、

今回、池ノ谷の5軒のみなさんが、形は簡素であれこうして集まり、
「自分たちの記憶に残る祭り」を再現して、遠い昔のふるさとを共有し、
それを増田氏が克明に記録して、後世へ橋渡しされた。

そして、衰退や消滅は決して恥ずべきことでも敗北でもない。
むしろこうした伝統があるということのほうが誇りであること。
先人の古きを認めつつ自分たちの今を楽しみ、未来へ向かうこと。

そのことを池ノ谷のみなさんは示してくださった。


私はとても感動しました。
私の中で眠っていた大切な何かが呼び覚まされました。

増田さんと池ノ谷の方々に、心からの拍手と感謝を申し上げます。
ありがとうございました。

これを読んでくださったみなさんも、
どうぞ、池ノ谷の5軒、24人にエールを送ってあげてください。

写真・資料提供 
増田文夫氏(内房在住の郷土史家・富士宮市史石造物調査委員)

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池ノ谷観音堂の祭典①

民俗行事
07 /10 2023
前回、静岡県上稲子の「池ノ谷観音堂」の念仏祭をお伝えしました。
池ノ谷は世帯数5軒、24人の小さな集落です。

ここに石造物の調査に入った増田文夫氏から、
「今はお堂も力石も草に埋もれ、祭りも細々」というお手紙をいただき、
それを記事に書き上げたその日、

なんと、途絶えていた祭りが再開されたという嬉しい便りが届きました。

郷土史家の目で見た増田氏の詳細な記録を、ここにお伝えしてまいります。

※写真はすべて増田氏。解説は増田氏の説明に私の感想を添えました。

「上稲子池ノ谷 観音堂祭典」
令和五年七月二日(日)

観音堂です。
石を積んだ石畳状の石段が、ここの古い歴史を物語っています。

地蔵さんにしめ縄が掛けられました。久々の晴れ姿です。
力石もこの日ばかりは脚光を浴びました。

集落の最長老の82歳の方は「力石のことは子供の頃聞いたことがある」と。


観音堂1 観音堂2
静岡県富士宮市上稲子池ノ谷・観音堂

午前9時、集落の皆さん総出で飾りつけです。

お堂四方に笹竹を立て、正面にも笹竹を立てる。
縄を正面を除き3か所に張り、さらに対角線上にも張る。


観音堂4

御本尊の聖観音様(左)も、子安様(右)も、久々の賑わいに嬉しそう。
扉を開けてもらって、新鮮な空気を胸いっぱい吸い込んだことでしょう。

男性陣が笹竹を立てている間に、ご婦人方は五色の幣を撚る。


御本尊 観音堂6
  
神符を刷る。こちらも忙しい。
版木がしっかり受け継がれていたんですね。

きれいに刷り上がりました。
「子安八幡大菩薩」「奉納百万遍家内安全所」などの3枚の神符です。

神符をする 神符3枚

笹竹に五色の幣を飾る。堂内が一気に華やぎました。

幣を笹竹に飾る

観音堂だけではなく、各家庭用の玄関飾りも作ります。

家庭用に用意された笹竹に、幣と神符をつけていきます。

笹竹につける 家庭用にもつける

次は大変特色のあることだと思いますが、

五色の幣や神符をつけた各家庭用の笹飾りを、
お堂正面に立てた笹竹に縛り付けます。

御本尊の力を移すということでしょうか。
この笹飾りは祭典後、各家庭へ持ち帰り玄関に飾られるそうです。


家庭用に幣と神符 中央に結いつける

飾り付けが完成しました。

殺風景だった堂内が、命を吹き込まれて見事に甦りました。
 
完成

「子安八幡大菩薩」の掛け軸状の赤い旗(垂れ幕)も掛けられました。

「昭和六拾参年壱月吉日」とありますから、
今から35年前の昭和最後の年に新調されたものですね。

冒頭に登場した82歳の最長老の方、当時は働き盛りの47歳。

集落の皆さん、お正月にここに集まって、
新しい旗を見ながらお祝いをして、楽しく過ごされたことでしょう。

御本尊の前の五色の幣が、気持ちよさそうに風になびいています。

お花も添えられて、祭りの準備が整いました。

いよいよ祭典の始まりです。


御本尊もきれいに

私の次男坊が、ふと、もらした言葉を思い出しました。

「ぼくは昔からの古い祭りがあるところに生れたかった。
だって、新興住宅地ほどつまらないところはないんだもん」

〈つづく〉

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池ノ谷の念仏祭

民俗行事
07 /07 2023
先日、静岡県での久々の力石新発見をご報告しました。

これです。
上稲子4
静岡県富士宮市上稲子池ノ谷・観音堂

全身苔むした力石に、地蔵さんがそっと寄り添っていました。

集落の言い伝えでは、自分の病気の所と地蔵さんのその部分とを
交互にさすり拝むと病気が治るといわれていたそうです。

以下が新発見のときの記事です。


「もう知る人は誰もいない」

申し訳ないと思いつつ、この情報をくださった郷土史家の増田文夫氏に、
集落の人口などを問い合わせたところ、
このたび、池ノ谷集落の詳細を送ってくださったんです。


増田氏によると、

「この池ノ谷の集落は以前は18軒ほどの人家があったが、
現在は5軒、24人が居住」

「一世帯で3世代の家も数軒あるようで、
戸数が少ない割には人数は多いと思います」とのこと。


さらに、
13年前に地元の郷土誌「かわのり」に掲載された「池之谷村」の記事、

稲子、池ノ谷念仏祭について」(芦澤幹雄氏執筆)もお送りくださった。
「かわのり」の誌名は、
  旧芝川町を流れる芝川で採れる川海苔から命名された。

力石が置かれていた観音堂(白い屋根の建物)です。
写真の説明に、
「沢を渡り急な坂道を上った山腹にある。この道を登ると柚野へ通じる」
とあります。
池ノ谷1
「かわのり」35号 平成22年6月30日。芝川町郷土史研究会より

執筆者の芦澤氏は取材当時、上稲子の旧家・後藤家のご当主から、
このお堂の念仏祭の「念佛縁起之事」
(日付は安永三年=1773)
という古文書の提供を受けたという。

記事によると、


「池ノ谷観音堂の念仏祭は、毎年旧暦六月の田植えが終わったころ、
村人たちがお堂に集まり、念仏百万遍を実施してきた」


「祭りの前日には参道を清め、お堂の中央と四隅に葉のついた青竹を立て、
青竹とその中間に7本のしめ縄を張り、五色並びに金銀の幣をつけた」

「当日は村人一同がお堂に参集して、百万遍の念仏が始まった」

こちらは今から8年前に私も参加させていただいた
静岡市有東木集落(標高700m。約70戸)の百万遍です。
「ダーブツ、ダーブツ、ナンマイダー」と唱えながら、数珠を回しました。
CIMG2347_202307050731554a3.jpg
静岡市葵区有東木・東雲寺

池ノ谷の念仏祭では、
「最初に〈くにまき〉というものにより日本国中の神仏を集め、
太鼓・鉦に合わせて全員で念仏を唱える。
ナマイダーを何度か繰り返して、最後にナマイダブツと言った」


「さらにこれを何回かくり返す。
この数は青竹の目盛りを一人が順に押さえていき、
太鼓の係に合図を送り決めていく。
酒食をして一休みして、また始める。一日中、時には夜を徹して実施した」

ということは、私が体験した数珠を回す百万遍とは異なり、
ここでは太鼓と鉦で念仏を唱えたようです。

池ノ谷観音堂の聖観音と子安観音です。
古い歴史を持ち、豊かだった往時の集落がうかがえます。
池ノ谷2

執筆者の芦澤氏はこの「念佛縁起之事」に書かれていた
「くにまき」に注目。
「国覓(くにまぎ)」という言葉があるが、これと関連があるのだろうか、と。

しかし「念佛縁起之事」には、
「くにまきというものにより日本国中の神仏を集めて」と書かれているが、
「国覓
(くにまぎ)とは良い国を求めて歩くこと」であり、目的が違う。

執筆者は結論が出ないまま、
この二つの言葉は同義語であろうかと、記事に疑問を記している。

池ノ谷集落に残る「青面金剛王者菩薩」木碑。宝暦十二年(1762)
池ノ谷3

芦澤氏は、はるか昔、この祭りを見学したそうで、
そのときは、「お堂いっぱいに人々が入っていた」


峠を越えて隣村の柚野からも参拝者が来たのかもしれません。

だが、それから40年ほどたった平成22年ごろには集落の人口も減り、
飾りや魔除けは実施するものの、太鼓の叩き手もいなくなり、
念仏は適当に濁して散会となっていたという。

そして芦澤氏の取材から13年たった令和5年の今、
念仏祭はどうなっているのかを、増田氏が伝えてくれました。


「5軒で協力してお祭りをやっているそうです」

「コロナ前までは観音堂の四隅に竹を立て、
しめ縄を張ってお供えをしていたが、現在は7月下旬に
下の家付近の入り口5カ所に青竹にしめ縄を張る飾りつけをして、
お祭りらしい行事を行っているとのことでした」と増田氏。

祭りの会場が観音堂ではなく、「下の家付近」になった理由の一つが、
なんと、「山ヒルが多く繁殖しているため」だそうです。

鹿が増えすぎたせいでしょうか。

でも、細々とではあるけれど、
24人が力を合わせて伝統を守っていたんですね。

増田さん、貴重なご報告をありがとうございました。
そして、池ノ谷のみなさん、どうぞ、お元気で!

ーーーと、書き終わったとき、

増田氏からとびきりの情報が送られてきました。
次回、お見せします。


お楽しみに

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さかもっちゃんの力石持上げ奉納

力持ち大会
07 /04 2023
嬉しいニュースが届きました!

送り主は、

「とりけらのアウトドア&ミュージック日記」のtorikeraさん。

あの「田子山富士塚」がある志木市の敷島神社で、
さかもっちゃんこと坂本さんが力石持上げ奉納をしたという、
快挙のお知らせです。

雨の中でもがんばりました。大勢のみなさんから惜しみない拍手。

坂本さん、どんどん上達しています。


奢らず謙虚。どこまでも礼儀正しい坂本さんです。
無事、奉納が済んでお子さんたちが自慢のお父さんに駆け寄ります。


坂本さん、ありがとう! 
敷島神社のみなさん、最高です!


torikeraさんの力作、どうぞご覧ください。



こちらはこの日のtorikeraさんのブログ記事です。

茅の輪に祭りばやしに浦安の舞い。ペット用の茅の輪もあります。

氏子のみなさんのこのセンスと茶目っ気、本当に素晴らしいです。

志木市敷島神社・田子富士塚のお山開きでの
「力石持上げ奉納だ!の巻」

ペットの茅の輪です
ぺットの茅の輪
埼玉県志木市・敷島神社

torikeraさん、素晴らしい動画と記事、ありがとうございました。

ーーー独り言ー

さかもっちゃんの清々しい記事のあとにナンですが、
今、大騒動のマイナンバーカード。

「一枚でこーんなにたくさんのことができますよー!」
「こーんなにお金がもらえますよー!」

と、「マイプラスカード」だと大宣伝。が、
今や危険までおまけについてくる「マイナーカード」


今まで身分証明書代わりに使っていた
運転経歴証明書の有効期限があと少しで切れると役所で言われて、
やむなく作った。

で、委託会社のお姉さんがしつこく言った。

「銀行の通帳持ってきた? 何、紐付けしない? 7500円もらいたくないの?
7500円だよ。せっかくタダでくれるってのに」

別の係はこう言った。
「医者には紙の保険証も必ず持って行ってください」

通院する医院はどこにもカードの読み取り機を置いているが、
試しに両方出したら、受付嬢は迷わず紙の方を受け取った。

ガードが甘いこのカード、みなさんはどうしているのかなぁ。
私は気が重いです。

と書いて、今ごろになって改めて調べたら、
「運転経歴証明書」は生涯使えるとあった。
「使えなくなる」と言われたのは何だったんだろう。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞