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宮司さん、違ってますよ~

盃状穴②
03 /03 2023
境内に立派に保存された上戸田氷川神社の力石ですが、

うーん、残念。置き違いがあります。

その一つが「本町東助」の石です。

元の場所にいたころの「本町東助」の刻字石です。(赤丸)
保存前の上戸田氷川神社3
埼玉県戸田市上戸田3‐20‐11 上戸田氷川神社

新たな設置場所がこちら。
右側の石の説明には「本町東助」とありますが、これ、違うんです。


上戸田氷川保存6

ちなみに、
左の石は「三ノ宮卯之助」「大盤石」です。

卯之助の「大盤石」は、元はここにありました。(赤丸)
保存前の上戸田氷川神社1

さて、問題の右の石です。
札には「資料⑫ 本町東助」となっていますが、
この石は「代地由五郎」が持った石なんです。

最初の写真の「本町東助石」と比べると、違いがはっきりわかります。
「東助石」はその隣の「資料⑬」と書かれた石なんです。

代地由五郎が持った石、もうひとつご覧ください。
下記のへいへいさんのブログから、写真をお借りしました。


「上戸田氷川神社の力石」">「上戸田氷川神社の力石」

「龜遊石 御蔵前代地 由五郎持之」

亀遊ぶ石

「龜遊石」の元の場所はこちら。(赤丸)

保存前の上戸田氷川神社2

そしてもう一つ、説明の札と石があわない箇所がありました。
これには手こずりました。

※斎藤氏やへいへいさんの情報頼みで、うまく把握できなかったのです。
 現地へ行かない弱点が露呈しました。

最初斎藤氏から、
「資料⑤」と「資料⑥」の石は逆に置かれていたと知らされたけれど、
写真がなかったので、
へいへいさんが個別に撮影した写真とにらめっこしたのです。

でも、
石と説明はピッタシで、どこも間違ってはいません。


下の写真は、「資料⑤」「奉納 五拾貫目 上戸田村 八五郎」

斎藤さんに「あってますよー」と伝えても「違ってます」って言うし。??
へいへい50貫目資料

「資料⑥」も、「奉納 五拾貫目余 上戸田 清次郎」で合っています。
ただし、札の「五十貫目余」の「五十」は間違いで、正しくは「五拾」です。

斎藤氏が言う「石の置き違い」ってなんなのよと、
うんうん唸ってハタと気づきました。

去年の斎藤さんのメールにあったひと言を思い出しました。


確かメールに、「へいへいさん、石の置き違いに気づいて、
ご自分のブログ上では正しい説明に置き換えてある」
と。

そういうことだったのか、フーッ

この二カ所の石の置き違いについて、
後日、斎藤氏が町会長さんへお知らせしたとのことなので、
今頃は正しい置き方になっているかと思います。

上戸田氷川保存4

もともとこの神社では力石を大切に扱ってくれていましたが、
新たにこのような立派な居場所を用意してくださったんです。

こうして手を加えつつ時代を越えて後世に伝えていく、
郷土の歴史が生き続けていくってことなんですよね。

私、思うんですよ。


力石ももちろんですが、
道の角にポツネンと立っているお地蔵さんや青面金剛像や道しるべ、
ほこりを被っていようが欠けていようが、
ああして立っていてくださるだけでも有難いって…。


「肥つき石」です。この石に触ると奇病に罹るとの言い伝えがあります。
針金で作った鳥居を供える風習、今も忘れずに奉納してありました。
CIMG5522_202303021929252de.jpg
静岡市葵区

野の花が添えられていたり、赤いヨダレかけが掛けてあったりすると、
見知らぬ人の温かさや優しさがほの見えて、心が和みます。

そして意識しなくても、そこを通るたびにそれが目に入る。
そういうなにげない日常って、
本当はすごく大事なことなのではないでしょうか。


それは大人になってから気づくことだけれど、
だからこそ思うんです。
人に居場所が必要であるように、石造物にも必要だってね。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞