火の行事
盃状穴②
宇宙は12年目ごとに死と再生を繰り返す。
古代人はそう考えた。
「十二」という数字は一年の中でも「特別な日」だったそうで、
神話学の井本英一先生は、10~11世紀のイラン人、アル・ビールーニーの
「古代諸民族の暦法」から、こんな話を紹介しています。
「イラン暦で1月6日は大正月といわれ、神が創造を終えた日で、
ペルシャ人はこの日を希望の日と呼んでいる」
つまり悪魔を征服して秩序を回復した日なんだそうです。
大昔、温泉街で買ったカエルさん。
「よみガエル」「若ガエル」のご利益があるといわれて…。
でもまあ、こんなふうにのんびりしていれば、長生きします。

で、なんでこの「1月6日」が「十二」と関係があるのかというと、
この日は、
12月25日から数えて12日目の前夜「十二夜」だからなんだと。
この十二夜にあたる1月6日は、大正月から小正月へ移行する日で、
「霊魂の再生」という新しい年の始まりだから、
どこの国でも大変重要な日で、様々な形で祝った。
「古代イランの十二夜の仮面行列。アルメニア教会でのキリスト生誕祭。
日本では元旦の歳神の来訪と小正月の仮面神のナマハゲ」
そして中国では小正月「上元の夜」の行事、「燈火祭」があった。
「この燈火祭はイラン文化の影響を受けている」と井本先生。
この「十二夜の行事」につきものは、
「火」と「水」だそうです。
そこでまずは「火」から。
小正月に行われる「どんど焼き」という風習があります。
どんど焼きの火に力自慢の男が厄落としに、道祖神を投げ込んだ瞬間です。

「富士宮の道祖神」遠藤秀男 緑星社 昭和56年よりお借りしました。
このどんど焼き、今も日本の各地で行われていますが、
これも古代オリエント、古代ヨーロッパの習俗だったんだそうです。
私も子供の頃、経験しましたが、これが苦痛で…。
その日は、3つに枝分かれした木の先にそれぞれ団子をさして、
会場になっている道祖神場へ行くわけですが、
あの木を担いで歩くのが恥ずかしくて、いやでたまりませんでした。
なんでこんなカッコ悪いことをしなければならないんだろう、と。
でも、あれは「十二夜の火」で、邪気を払い魂の再生をするという
大事な行事だったんですね。
焼けた団子は虫歯予防に食べたり、屋根に供えて防火にしたり。
今思えば貴重な体験をさせてもらいました。
先の写真で見たように、
静岡県東部では力石や道祖神をどんどの火に投じる風習があった。
左の石は「力石」と呼ばれていたとの記録があるが、恐らく道祖神で、
何度も火に投じられてこのような姿になったものと思われます。

沼津市・薬師堂
さて、その「どんど(とんど)焼き」です。
オリエントや欧州の古い習俗にも
日本と同じような「とんどの火祭り」があって、
それはこんな感じだったそうです。
「山頂や丘や川辺、平原などでとんどを焚き、
冬が去り春が近づいてくることを祝った。これは新年の行事であった」
「また、ローソクにも関係があった。クリスマスに12本のローソクを用意し、
十二夜まで毎日一本ずつ燃え切らせる。
十二夜には祖先の霊魂がこの世に帰ってくるという信仰があった」
(井本英一「輪廻の話」)
そこでパッと浮かんだのが、大分県などに残る「燈明石」です。
これは、
大きな石に12個の穴を開け、油を注ぎ点灯して祈った行事だったそうです。
これって、
かの地の古い「燈火祭」と、同じ思想が流れていると思われませんか?
日本の「燈明石」の行事は、
大晦日から夜七日間、穴に火を灯して無病息災、五穀豊穣を祈った。
「大晦日から夜七日間」というところに、
外国の古代につながる大きな意味があると思うのです。

大分県豊後高田市田染・真木大堂
古代オリエントやヨーロッパでは、
十二夜にあたる1月6日を境にそれ以前は「死の儀礼」の期間、
以後は「再生・復活」の期間だった。
そして大分県でも同じように「大晦日から七日間、火を灯した」。
こうしたことから、このアジアのはずれの日本での「燈火行事」もまた、
「死の儀礼」から「再生・復活」へという、
世界各地の古代の風習を見事に体現していたといえます。
なぁーんだ。肌の色や言葉は違っても、
人間、考えることはみんな一緒じゃないの。なんだかルンルン♪♪
だからこそ、
「たかが石っころ。過去の異物だ。くだらねぇ」と思わず、
こうした身近なところから学ぶことを、若い人たちにぜひ知ってほしい。
「くだらない」と思われた石一つから、
考古学や文化人類学へと繋がりますから。
この「燈火の行事」は、その後、万灯会となって今に生きています。
※新暦、旧暦で日にちにズレがあります。

にほんブログ村
古代人はそう考えた。
「十二」という数字は一年の中でも「特別な日」だったそうで、
神話学の井本英一先生は、10~11世紀のイラン人、アル・ビールーニーの
「古代諸民族の暦法」から、こんな話を紹介しています。
「イラン暦で1月6日は大正月といわれ、神が創造を終えた日で、
ペルシャ人はこの日を希望の日と呼んでいる」
つまり悪魔を征服して秩序を回復した日なんだそうです。
大昔、温泉街で買ったカエルさん。
「よみガエル」「若ガエル」のご利益があるといわれて…。
でもまあ、こんなふうにのんびりしていれば、長生きします。

で、なんでこの「1月6日」が「十二」と関係があるのかというと、
この日は、
12月25日から数えて12日目の前夜「十二夜」だからなんだと。
この十二夜にあたる1月6日は、大正月から小正月へ移行する日で、
「霊魂の再生」という新しい年の始まりだから、
どこの国でも大変重要な日で、様々な形で祝った。
「古代イランの十二夜の仮面行列。アルメニア教会でのキリスト生誕祭。
日本では元旦の歳神の来訪と小正月の仮面神のナマハゲ」
そして中国では小正月「上元の夜」の行事、「燈火祭」があった。
「この燈火祭はイラン文化の影響を受けている」と井本先生。
この「十二夜の行事」につきものは、
「火」と「水」だそうです。
そこでまずは「火」から。
小正月に行われる「どんど焼き」という風習があります。
どんど焼きの火に力自慢の男が厄落としに、道祖神を投げ込んだ瞬間です。

「富士宮の道祖神」遠藤秀男 緑星社 昭和56年よりお借りしました。
このどんど焼き、今も日本の各地で行われていますが、
これも古代オリエント、古代ヨーロッパの習俗だったんだそうです。
私も子供の頃、経験しましたが、これが苦痛で…。
その日は、3つに枝分かれした木の先にそれぞれ団子をさして、
会場になっている道祖神場へ行くわけですが、
あの木を担いで歩くのが恥ずかしくて、いやでたまりませんでした。
なんでこんなカッコ悪いことをしなければならないんだろう、と。
でも、あれは「十二夜の火」で、邪気を払い魂の再生をするという
大事な行事だったんですね。
焼けた団子は虫歯予防に食べたり、屋根に供えて防火にしたり。
今思えば貴重な体験をさせてもらいました。
先の写真で見たように、
静岡県東部では力石や道祖神をどんどの火に投じる風習があった。
左の石は「力石」と呼ばれていたとの記録があるが、恐らく道祖神で、
何度も火に投じられてこのような姿になったものと思われます。

沼津市・薬師堂
さて、その「どんど(とんど)焼き」です。
オリエントや欧州の古い習俗にも
日本と同じような「とんどの火祭り」があって、
それはこんな感じだったそうです。
「山頂や丘や川辺、平原などでとんどを焚き、
冬が去り春が近づいてくることを祝った。これは新年の行事であった」
「また、ローソクにも関係があった。クリスマスに12本のローソクを用意し、
十二夜まで毎日一本ずつ燃え切らせる。
十二夜には祖先の霊魂がこの世に帰ってくるという信仰があった」
(井本英一「輪廻の話」)
そこでパッと浮かんだのが、大分県などに残る「燈明石」です。
これは、
大きな石に12個の穴を開け、油を注ぎ点灯して祈った行事だったそうです。
これって、
かの地の古い「燈火祭」と、同じ思想が流れていると思われませんか?
日本の「燈明石」の行事は、
大晦日から夜七日間、穴に火を灯して無病息災、五穀豊穣を祈った。
「大晦日から夜七日間」というところに、
外国の古代につながる大きな意味があると思うのです。

大分県豊後高田市田染・真木大堂
古代オリエントやヨーロッパでは、
十二夜にあたる1月6日を境にそれ以前は「死の儀礼」の期間、
以後は「再生・復活」の期間だった。
そして大分県でも同じように「大晦日から七日間、火を灯した」。
こうしたことから、このアジアのはずれの日本での「燈火行事」もまた、
「死の儀礼」から「再生・復活」へという、
世界各地の古代の風習を見事に体現していたといえます。
なぁーんだ。肌の色や言葉は違っても、
人間、考えることはみんな一緒じゃないの。なんだかルンルン♪♪
だからこそ、
「たかが石っころ。過去の異物だ。くだらねぇ」と思わず、
こうした身近なところから学ぶことを、若い人たちにぜひ知ってほしい。
「くだらない」と思われた石一つから、
考古学や文化人類学へと繋がりますから。
この「燈火の行事」は、その後、万灯会となって今に生きています。
※新暦、旧暦で日にちにズレがあります。

にほんブログ村

スポンサーサイト