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泣いた石、笑った石

盃状穴
02 /28 2023
斎藤氏が上戸田氷川神社に特別の思い入れがあるのは、
ここで力石を新発見しているからなんです。

これがそのときの力石です。2016年11月13日のことでした。


手水鉢の横に土に埋もれ、端っこが大きく欠けた石、これなんです。
上戸田氷川神社1
埼玉県戸田市上戸田3-20-11・上戸田氷川神社

長い間、一人ぼっちで空を仰いでいた自分を、
この日、誰かが覗き込んでいることに気づいて、
チャンス到来と思ったのかどうか、思わず、

「オレ、力石だよー!」

その石の声なき声を斎藤さんが見事、キャッチ。

この石、デコボコで、ほかの力石のようにきれいな楕円形でもなし、
おまけに角が欠けて貧相。とても力石には見えません。

でも、そこは永年の勘。

斎藤さん、汚れた石ッ面に水を掛けたら、
出ました!

「上戸田村力石」の文字が…。

居合わせた宮司さんと町会長さんに確認していただき、
晴れて今回、ほかの力石と同じ土俵に飾られたという次第です。

良かったね!

晴れ姿がこちら。見栄えは今一つですが、
なにしろ有形文化財として認められたのですから、胸張ってね!


ショボいけど、まあ、これも個性というもんです。味がありますもんね。
上戸田氷川保存3

さて、
これらの力石が句碑や他の石造物と共に文化財に指定された理由を、
戸田市教育委員会ではこのように説明しています。

「これらは出羽国羽黒山に関わるもので、元は戸田の渡し近くにあったが、
明治40年の合祀の際、上戸田氷川神社へ移転。

江戸時代の羽黒山の賑わいと共に、荒川を通じた戸田と江戸との
交通・信仰の様相を知ることができる貴重な文化財です」


でも、こうした笑う石の陰で泣き泣き退場した力石があるんです。

泣いたこの石(赤丸)、
「埼玉の力石」では、
力石と認定されていましたが、今回取り消され除外されました。

その結果、
ここに出ている3個のうち、力石は右端の刻字石のみとなりました。
保存前の上戸田氷川神社4

右端の石の刻字を記しておきます。

「奉納 二十六貫目 上戸田村中」


下は晴れて「力石」と認められて「笑った石」の、かつてのわび住まいです。

右側の手水鉢に「溝状の凹み」があるような…。

もしあったなら、(気のせいかもしれないけれど)
宮司さんはこれを見て、「盃状穴では括れない溝」に着目したのかも。

左の手水鉢の傍らにあるのが、新発見の力石です。
保存前の上戸田氷川神社6

人生いろいろ、力石もいろいろ


ーーー奈良文化財研究所の取り組み

ブログ「O KKANABIKKURING」の「ぢょん でんばあ」さんからの情報です。

石造物に刻まれた文字を光で写し取るという画期的な「拓本」です。

「なぶんけんブログ」

「ひかり拓本プロジェクト」

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壮観! 力石

盃状穴
02 /25 2023
思いのほか、盃状穴の話が長引きました。

「穴」はすでに世間一般に知れ渡っていますが、
新たに「溝」が浮上して、つい、この謎解きに夢中になりました。

ことの発端は、
へいへいさんのブログ「へいへいのスタジオ2010」がもたらした
力石がきれいに保存された上戸田氷川神社の記事でした。

これを見た埼玉の力石研究者の斎藤氏、
「そういえば…」と思い出したのが、
かつて宮司さんから聞いた「盃状穴では括れない溝状の凹石」の話。

ここから「穴と溝」の深みにハマりました。

上戸田氷川神社は斎藤氏にとって、思い入れ深い場所。


早速、現地へ飛びました。

ありました。
上戸田氷川神社の
埼玉県戸田市上戸田3-20-11 ・上戸田氷川神社

近づいてみると、壮観です!

宮司さんと氏子さんたちの並々ならぬ熱意が感じられます。
上戸田氷川保存2

元の姿はこちらでご覧ください。

「力石を愛する宮司さん」

さいたま市の酒井 正氏が絵に残してくれています。

酒井画上戸田氷川

こちらは絵に描かれた実際の力石です。15個のうちの4個。

どれも卵型のきれいな力石です。
これに自分の名を刻んだ時の興奮が伝わってきます。
保存前の上戸田氷川神社3

石に刻まれた力士名は左の石から、

● 上戸田村 八五郎 久五郎 清次郎

● 本町東助 代地由五郎
 本町東助は東京力持ち界の代表的人物で、画家・河鍋暁斎の飲み仲間。
 由五郎は上戸田村出身の御蔵前 代地由五郎のこと。

河鍋暁斎が描いた本町東助です。
本町東助
「河鍋暁斎絵日記」河鍋暁斎記念美術館編 平凡社 2013より

● 御蔵前代地 竹次郎 民五郎 上戸田村 豊蔵
  御蔵前とは、浅草・隅田川右岸にあった町で、
  幕府の年貢米を入れる蔵が並んでいた。

  御蔵前を名乗る由五郎らは、ここに軒を連ねていた問屋で、
  米俵を担いでいた(おか)仲士だったのでしょう。

● 南新川 三吉 平治

  南新川は江戸の酒蔵が立ち並んでいた河岸の一つ。
  ここには力持ちが大勢働いていました。

重い酒樽をコロコロ転がして運ぶので、彼らは「タルコロ」と呼ばれていた。
ここに名が出てきた三吉と平治も、
南新川のタルコロだったのではないかと思います。

タルコロの有名人に、神田鎌倉河岸の酒問屋・豊島屋の鬼熊がいます。

そんな彼らの働きぶりと酒問屋の蔵に関西から新酒が届く様子を、
下記の記事でご覧ください。


「チョイチョイとよし」

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あな!

盃状穴
02 /22 2023
あな! (ああ…)

力石かなあと思って調べたが、証言は得られず断念した石です。
立派な盃状穴がありました。

CIMG0075.jpg
静岡市駿河区曲金・金(かな)地蔵尊

あなや! (あらまあ)

その名も「穴地蔵」

焼津市と静岡市の県境、日本坂峠に鎮座。
この穴は、横穴式石室の羨道といわれ、
ヤマトタケルが敵に追われて隠れた穴との伝説があります。


奥にもう一体、古い地蔵さんがおります。
穴あけ石やら丸石やらたくさん奉納されています。
ハイカーには馴染みのお地蔵さんです。


穴あき石と地蔵さん

あなわびし (ちょっと寂しいけど…)

こちらは「穴観音」

CIMG1119 - コピー
静岡市葵区

昔は山道に祀られていたのですが、新道開通のため、
こんなふうに保存されました。

今はみなさん車で素通りですが、でもいつもきれいなお花に囲まれて、
大事にされていますから、寂しくないですね。


道路建設の時、みなさん、考えたんでしょうね。
撤去するにはしのびない、かといって通行の邪魔になる。それで崖に穴を…。
CIMG1118 - コピー
同上

あなめでたや 

石の真ん中に貫通した穴がある。
この穴は「あの世とこの世の通路」といわれて、命の甦りができる穴とか。

富士山周辺では溶岩にできたこうした穴が見られます。

樹木が溶岩流に飲み込まれてできた穴だそうです。

この穴から太陽が差し込んだら女神が受胎したとか、
母親が太陽を浴びて受胎して生まれた武将とか、そんな話があります。


女性解放運動の先駆者・平塚らいてうは、

「元始、女性は太陽であった」といったけれど、
元始、太陽は「男神」であった。

それをだれかさんが女神の「アマテラス」に変えちゃいました。


三囲(みめぐり)神社の穴が貫通した巨石です。その前に力石がゴロゴロ。
CIMG0911.jpg
東京都墨田区向島・三囲(みめぐり)神社

ちなみにこの「みめぐり」という言葉には、こんな意味もあります。

マタギの名人が鹿狩りに行って日が暮れたので、大木の下に宿った。
そのとき魔除けに、自分と木のめぐりに縄を三巡り引き回して難を逃れた。

「遠野物語」佐々木喜善 石井正己編 河出書房新社 2009

孟母三遷、三位一体、三社めぐり、三々九度など
「三」という数字はよく使われてきました。

これは、
「三つ」は「みつ(満つ)」=願いが叶うに通じることから好まれたそうです。

あなかしこ (ああ、恐れ多い)

石の穴ではありませんが、こういう穴もどうでしょう。

クスノキに彫られた聖観音像です。

CIMG4297.jpg
静岡市清水区由比・林香寺 仏師・中村奥堂が昭和10年ごろ制作

いずれ木に飲み込まれるか、木と共に倒れるかでしょうが、
壮大なロマンを感じます。

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バナナのその後

世間ばなし➁
02 /20 2023
「盃状穴」、走り続けてくたびれたので、ちょっと小休止。

あのバナナ再び。

昨年11月に、ご近所さんのバナナをご紹介しました。
これです。


20221027_104156.jpg

これを初めて見たとき、
「こんなところにバナナかよ!」と、半信半疑でした。

でもどう見てもバナナだよなぁ。

そこで植物図鑑を見たら、
「日本の平地で見かけるバナナのようなものは、すべてバショウです」
とあったので、


ああ、違ったか。

こちらが「バショウ」です。
CIMG0511_20230201202420a2a.jpg
静岡県富士宮市大晦日・芭蕉天神宮

似てるんです。

でも諦めきれない私。さらに調べたら、
バナナの苞(ほう)は濃いエンジ色、バショウの苞は黄色。
バナナの葉裏には白い粉、バショウの葉裏に粉はない。

ならばこれはバナナじゃないですか!

というわけで、念には念をで、聞き込み開始。
バナナの近くでくつろでいた方にお聞きしたら、


「バショウじゃないよ、バナナだよ」

それからしばらくたして行ってみたら、こんなことになっていた!

20221225_123623.jpg

太い木もバッサリ。

20221225_123742.jpg

うわわわわ。

なんでだよ!と思ったのですが、どうやらこれは冬支度みたい。


20221225_124100.jpg

雪にも氷にも縁がない当地ですが、やっぱり熱帯の植物だからでしょうか。
こんなふうに「防寒着」に身を包まなければ冬を越せないんですね。

それからほかの家でもバナナの木は、
12月に入る前に次々と白い防寒着に身を包んでいきました。

半袖姿の元気な子供たちと白い防寒着をまとった寒がりのバナナの木。

なんとも珍妙な風景ですが、

今年もたわわに実ったバナナ、期待しています。

それにしても、バナナの「家庭菜園」、こんなに流行っていたとは!


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なんじゃ、こりゃ

盃状穴
02 /17 2023
「穴」を究めるのはチョー難しい。

だいたい「石」そのものが曲者ですから。

どこにでも転がっていて、「石っころ」だなんて見下されている反面、
「石は魂の入れ物」だとか「神の依り代」だなどと崇められて、
道祖神だの丸石だのとあらゆるものに化けて神がかり。

その上、自分では動けないことをいいことに、ドンと居座り続けてきた。

とまあ、石に八つ当たりしても、石は何も語りません。


曲者中の曲者
「なんじゃ、こりゃ」の「石の穴」、3つご紹介します。

まずは、こちら。
CIMG1216.jpg
静岡市葵区籠上・三叉路(どこかの寺の入口」だったかも)

はるか昔、力石探しの途中で見つけて、
変わっているなあと思い、写真だけ撮っておいたものです。

碑面の文字です。
「寛文□□
一□心信徒□
阿部駿府籠上
□□蔵三□
後期月夜□
□□□」


日月星の「三位一体の信仰」でしょうか。
近くに妙見神社がありますから、あるいは…。

次の「なんじゃ、こりゃ」はこれです。

以前掲載した姫路市の「さいとくさん」。
穴を穿った板石をうやうやしく祀ってあります。

これ、
「歳徳神」と書いて「さいとく」と読ませている「さいのかみ」というので、
「歳徳神」なら「としとくじん」という神様なのにと疑問に思い、
姫路市に問い合わせました。
さいとくさん
姫路市別所町土佐・道路の分岐。「盃状穴考」よりお借りしました。

「歳徳神」(としとくじん)は、お正月に恵方の方角から家々を訪れて、
その年の豊穣や安全を約束する神様で、道祖神のサイノカミとは別物。


ちなみに、今流行りの「恵方巻を食べる」風習の仕掛け人は関西の花街説、
海苔業界、コンビニ説などいろいろありますが、こちらの来訪は「立春」。

姫路市からのお返事はこちら。

「ここのは「としとくじん」ではなく、塞の神の「さいとくじん」です。
恐らく近くにある歳徳(さいとく)神社(飾東町左良和)から来ていると
思われます。
ここの神社の祭神はサイノカミですから」

でも、こんな平板で少しも凄みのない石では、
邪悪なものが「へへへ」と笑って昼寝でもしそうなんですけどねぇ。


「双体道祖神」です。長野などにはキワドイものがたくさんあります。
キワドイものや仲の良さを見せつけて、魔を退散させたと言われています。

静岡県東部には信州高遠の石工が大挙して出稼ぎに来たことから、
こうしたものが残っています。どんど焼きには火に投じられました。
双体道祖神
静岡県富士宮市

さて、「盃状穴考」でこの「さいとくさん」を取材した執筆者は、
地元の方からこんな話を聞いていました。

「1月13日に祭祀を行っている」
「田んぼの神さんだから、ボラを供えた」「1月にはオトウもしていた」


1月13日ごろの行事といえば、豊作や無病息災祈願の「道祖神祭り」。
これは村の辻にある道祖神場での火祭り(どんど焼き)のこと。
またオトウは、
年頭に大歳神を迎える「オトウ祭り」で、五穀豊穣を願う行事です。

この石には「田んぼ」の行事が濃厚に出ています。


住民の証言にもあるように、元は田んぼの神さまで、
「燈明石」と同じように穴に油を注ぎ、豊穣・無病息災を祈願したのでは?
それが街道の辻にあったことから、道祖神に転化したと思うのですが…。


こちらは単体像のサイノカミです。上に載っているのは力石
伊豆の道祖神は僧形や女神などの単体が多いので、その影響のようです。
こうしたサイノカミ一つとっても、文化の流入経路が見えて面白いですね。
CIMG0237.jpg
静岡県裾野市富沢・塞の神(道祖神場)

前述した姫路市の「さいとくさん」について、
姫路市埋蔵文化財センターさんにも聞いてみました。

●盃状穴が刻まれた石材は遺跡から出土したものではない。
●石の形状の変形五角形に特別な意図が含まれていた可能性は低い。


●「盃状穴考」の執筆者は「さいとくさん」と報告されているが、
 市教委の調査では「さいのかみさん」という呼称しか
 地元では確認できなかった。


次にご紹介するのも摩訶不思議な「穴」なんです。斎藤氏からの情報です。
これです。
白幡2
さいたま市南区白幡1-16-4・白幡地蔵堂

どう見ても、北極星を中心に星が周りを囲んでいるとしか…。
穴の真ん中の金色がまたすごい!

♪ キラキラ星よ、あなたはいったい誰でしょう

さて斎藤さん、ついに溝状の窪みの命名に決着をつけた模様で、
新名称を考え出したとか。


「溝状凹(ぼこ)

「ぼこ」とは、ちょっと可愛らしい。

別の角度からの写真をお見せします。

白幡地蔵堂1

見れば見るほど不思議な「盃状穴」+「溝状凹」ですね。
この星座のような凹みは、下の写真の石階段にあったそうです。

上から3段目に穿たれていたそうですが、中間や下段にも見られたとか。

写真からだと石段の石質がそれぞれ違うように感じますが、
そうだとしたら他からの転用ということも考えられます。

また、東大寺二月堂など有名無名の社寺の石段や敷石をよく見ると、
さまざまな文様が刻まれています。

一説には、これを踏むことで魔除けになったり、
極楽浄土を約束されるという言い伝えがあります。

金色や朱色は魔除けの色といわれていますし。

ここのも、
あえて石段に施したとすれば、「踏んでご利益」のためかもしれないですね。


白幡3

足元の何気ない文様や穴にも、人の思いが込められている、
そのことに私は感動を覚えるのです。

石はその身を人に任せて刻まれて、何万年もの年月を生き続ける。
そしてのちの人は、沈黙する石の前であれやこれやと謎解きに夢中になる。


石は人間にとって、永遠の友だちなんだなぁとつくづく思いました。

このごろの記事は年寄りの長話みたいになっちゃって…、反省。

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当たるも八卦…

盃状穴
02 /14 2023
「易学に見られる〈太一九宮理論〉」

フーッ…。
私の苦手な中国の古代思想が出てきました。
陰陽五行だの干支だのって、”ヘ”理屈っぽくって…。

でもそうは言ってられません。少し調べました。


「易学」とは、儒教経典の一つ。

「太一(たいいつ)とは、
万物の根元。天の中心に位置する北極星(北辰)のこと。

私はずっと、北極星は北斗七星にあると思い込んでいましたが、
違うんですね。

北斗七星は大きなひしゃくの星座で「おおぐま座」と呼ばれ、
北極星は小さなひしゃくの星座の一つで「こぐま座」とのこと。


「とむさん星空ノート」より
とむさんこと青野友彦氏はフリーアナウンサーで星空案内人。

この北極星、一年中真北に輝いている星で目立つから、
古代人は航海のときなど、この星を目当てにしていたという重要な星で、
中国では「太一神」として崇められていた。


「九宮(きゅうきゅう)とは、
災害、兵乱、政変、水干など地上に起きる9つの分野のこと。

太一神はこの九つの宮(貴神)を順次巡るとされ、
それに基づき占ったのが「易」

あの「当たるも八卦、当たらぬも八卦」だそうです。

「盃状穴考」の執筆者の一人、小早川氏が着目したのは、
この「太一九宮理論」に基づいた「燈明石」です。


前回ご紹介した真木大堂を始め、大応寺(大分県豊後高田市)や、
東国東郡国見町の畠の中の「十二燈石」など4か所、あげています。

「燈龍石(十二燈石)」大分県東国東郡国見町竹田津陣之内
国見
「盃状穴考」国分直一監修 慶友社 1990よりお借りしました。

いずれも穴は13個。
太一神を真ん中に、その周りを12個の穴が囲んでいます。
穴に油を注ぎ火を灯し、
大晦日から夜7日間、無病息災・豊穣祈願をしたそうです。

この星信仰は日本に入って仏教や妙見信仰、山岳修験などと融合して、
神紋や家紋の「九曜(天体紋)」など、
さまざまなところにその痕跡を残しています。


そんな一つに、海女さんの魔除けの「盃状穴」があります。

このことを、橋本好史氏が、
「伊勢民俗(41)」(伊勢民俗学会 2012年9月30日)
現代の盃状穴鳥羽市相差町の石穴信仰」で報告しています。

三重県鳥羽市の海女さんたちの「魔除け」セーマン(星型)=「洗米石」
海女さん穴1
「伊勢民俗(41)」からお借りしました。

石には5個の穴(星)が穿たれていますが、
潜水のときの衣服には、ひと筆書きの五芒星を縫い付けます。

snap_chikaraishiworld_20230213181355.jpeg
この洗米石のセーマンとよく似ているのが、
鹿児島県十島平島「オーニワ」の力石です。穴の数も配列も同じなんです。

もしかしたら、魔除けの意味が込められていたのかもしれません。


「オーニワ」とは、盆踊りなどをする広場のこと。
昔の若者たちはここで石担ぎに興じたそうです。


この5つの穴を繋ぐとWになります。カシオペア座です。
また5個は火、水、木、金、土で「五曜」を表わしているそうです。
オーニワ
鹿児島県十島平島・オーニワの力石

下の写真は、同じ鳥羽市の海女さんたちが、
平成12年に石屋に依頼して作った新しい「洗米石」。

「海女漁の初磯(解禁)の日に海女たちが、洗米石の穴に
塩でゆでた白米と小豆、魚、野菜、酒を供えて、
漁の安全と大漁を祈願している」
(橋本氏)

この5個の穴を一筆書きでつなぐと星型(五芒星)になります。
海女さん穴2
同上
橋本氏は手水鉢の盃状穴にも触れていて、
同町の神明神社境内に埋められていた手水鉢について、
こう記しています。

「盃状穴は大漁や命の再生、子供の授かりなどを祈願して穿った。
穿つ行為を人に見られると効験がないといわれていたので、
おそらく夜間、密かに通って穿ったものと思われる」


「明治になって迷信禁止令が出たとき、
盃状穴をセメントなどで埋めたり隠したり、
盃状穴のある手水鉢を廃棄した例がある」


今もどこかに、
地中に埋められたままの手水鉢があるかもしれないですね。


ーーー「九宮八卦」

拙ブログにご訪問くださる方から、

「小川哲氏の直木賞受賞作「地図と拳」に、 
石に人間にあるのと同じ数の穴(九宮)八卦という話がありました」
とのコメントをいただきました。

図書館に貸し出しを申し込んだら、順番はなんと35番目。 
数か月先とのことで、せっかく教えていただいたのに間に合わず。
後日、ゆっくり読むことにいたします。  

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燈明石

盃状穴
02 /11 2023
通常の「穴」とは違う異形の「穴」に、
「変形型盃状穴」と命名した小早川成博氏は、
さらに、いくつかの穴を円形に配列した石に着目。


「燈明石」です。

「盃状穴考」で4例、紹介しています。

ことの発端は読売新聞(福岡版・昭和63年7月17日付)の記事でした。

場所は福岡県京都郡犀川町の三諸神社で、そこに出ていたのは、
真ん中に穴が一つあって、その周りを8個の穴で囲んだ大きな石。


記事によると、これを見た北九州大学の福永光司教授が、
「中国の易学に見られる〈太一九宮理論〉に基づくものと判断、
「古代的思想に基づく祭祀遺構」であるとした。

小早川氏はこれを「中国・道教関連の盃状穴」として、探索に乗り出します。

こちらは大分県の伝乗寺真木大堂の「燈明石」(拝み石)です。

この写真は真木大堂・関係者様からお送りいただきました。
燈明石2
大分県豊後高田市田染(たしぶ)真木・真木大堂

「境内を上がった正面横にございます。
かつては今の駐車場の先、
現在の燈明石の場所から数百メートル先に置かれていました。

諸説ありますが、仏様の代わりに拝んでいたとの説もあります。
基本的には12の干支+1で、
うるう年の時、13個目の穴に火を灯していたようです」
(真木大堂関係者様)

所在地の国東半島は、
宇佐八幡と古代仏教とが融合した神仏習合が今も残る「仏の里」


創建は養老2年(718)という古刹・真木大堂さんのサイト、
ぜひご覧ください。


「宗教法人 真木大堂」

小早川氏は、
「この石はもとは畑の中にあって、
病気や願い事があるとき、自分の干支に相当する穴に油を注ぎ、
燃燈祈願した。また新米を供えて燃燈したそうで、


真ん中の穴を「北極星」、周囲の穴を十二支の本命とする
「星信仰」の燃燈行事に使われた」と記しています。

「燈明石」の穴に、たくさんの小銭が奉納されています。
燈明石1
同上

「この燃燈行事は、藤原兼実の〈玉葉〉=建久7年(1198)や、大江匡房の
〈江家次第〉にも、京都の宮廷で行われた元日の四方拝の儀式として
記されている」
(小早川氏)

燈明石の穴は一見すると自然の穴のように見えますが、
長い年月の間に穴が崩れると新しく穿ったそうで、
やはり意図的に開けたと考える方が正しいようです。


真木大堂の「燈明石」の穴にたくさんの小銭が納められていますが、
こうした風習はヨーロッパにもあります。

池や手水鉢や噴水に小銭を投じるのも同じですね。


以前ご紹介しましたが、石碑台座の穴に納めた小銭です。
CIMG1010.jpg
静岡県三島市・路傍

こちらは力石の割れ目に供えた小銭です。

穴と見れば何かを投じなければと思うのは、人間の本能でしょうか。


DSC00039.jpg
埼玉県杉戸町杉戸4‐4‐6・愛宕神社

燈明石に火を灯して祈る、お米や金銭を奉納して祈る、

時代は変わっても今もなお、「祈り」は人々に安らぎをもたらします。


初もうで力石(いし)の頭に小銭置く   雨宮清子

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みなさまからの盃状穴

盃状穴
02 /08 2023
ここでみなさまが調査などの途次で見つけた「盃状穴」をご紹介します。

こちらは、
ブログ「横浜水道みちを行く」のdoushigawaさんが見た盃状穴です。
水の道の元の元を訪ねて地道に調査されている方です。

「綾瀬川右岸をスタート、立合橋を渡り水門を見る。
右岸の桜並木を歩き、橋の上から見沼用水路上流を見る。

そして踏切を渡った路傍に石造物を見つけた。
青面金剛像の足元を見たら、なんと台座に溝状の凹みが…」


水道みち
埼玉県蓮田市大字蓮田

なんとも奇妙な、しかし、切込みの凄さに強い意志が感じられます。

詳細は以下をご覧ください。
「其の873 瓦葺分水工・瓦葺伏越② 埼玉県蓮田市」

こちらは、静岡県
「焼津市歴史民俗資料館」さんからいただいた情報です。

「その昔、お相撲さんが運んできた」という言い伝えがあるそうです。


「お相撲さんの石」
おすもうb
福昌院(焼津市三ケ名538)近くの大きな松の根元にある。

この石はちょっと気になる石です。
力石のようでもあり、道祖神ぽい感じもしますし。

石の上の窪みは、石造物調査の調査員が土地の人から、
「子供が開けた」と聞いたとのことです。


でもこの高さですから、子供が開けたというのはちょっと無理がありますね。
祈願のために大人が開けた穴で、のちに子供が遊んだのかもしれません。
おすもうa

「お相撲さんの石」の情報は、学芸員さんが20数年前の調査書を調べて、
ご一報をくださり、その後、現地確認に行ってくださったとのこと。

改めて感謝申し上げます。


ほかに和田神社(三ケ名)の明治14年奉納の手水鉢、
法華寺(花沢)近くの水車小屋脇の
「津島さんの石」などの情報をいただきました。

この「津島さんの石」はかつて石の上に木の祠を安置して榊を立てたそうです。
「津島さん」は「牛頭天王」のことでしょうか。

次にご紹介するのは、
原始信仰の痕跡を「これでもか」というくらい追い求めている方です。

ブログ「神秘と感動の絶景を求めて」のsazanamijiroさんで、
古代史への造詣が深く、
特に巨石群の壮大な写真にただただ圧倒されます。


その中で「盃状穴」にも言及されています。

伊勢神宮外宮の橋「亀石」。
無数の穴が開いているそうです。
左端の穴は「溝」で連結された盃状穴ですね。
神秘1

こちらは「大宮売神社」の御旅所の「盃状穴」です。

神秘2
京都府京丹後市大宮町

ブログにはまだまだたくさんの盃状穴が掲載されています。

神秘的な神社の風景と共に、ご堪能ください。


「盃状穴という謎」

ーー-みなさまからの「盃状穴」情報、お待ちしています。

手水鉢に限らず石造物には奉納年月が刻まれていますから、
盃状穴が穿たれた年代はそれ以降ということになります。

ただし、遺跡出土の石を転用した場合、
すでに盃状穴が穿たれていることもあるそうですから、ご注意ください。

ここでまた、反論をひとつ…。


「盃状穴考」で、元禄時代の年号と「釈 遊意」と法名を刻んだ
広島県呉市広町・善通寺の手水鉢を取り上げていますが、
報告者は「従来の生産や豊穣の穴とするのは不合理」として、

縁に穿たれた16個の穴は、
「供養と再生のための穴」ではないかと結論付けている。

故人の徳を偲び、再生を願って信奉者が穴を開けた?

うーん、この結論、私にはちょっとすっきりしないんですよね。


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謎は深まるばかり

盃状穴
02 /05 2023
広島県呉市の盃状穴を報告した小早川成博氏は、
呉市の歯医者さんです。

大正14年生まれ。当時、広島民俗学会に所属し、芸南盃状穴研究会の
会長をされていたようです。

国分氏が「盃状穴考」で述べていたように、この方は「野の研究者」。

この本の執筆者10人中5人が大学や博物館勤務のいはば専門家で、
あとの5人は歯科医、画家、寺の住職、会社経営者、中学校教師と
別に本職をお持ちの「野の研究者」。

国分先生いうところの「なんら権威意識を持たない研究者」たちです。


さて、「変型盃状穴」に注目した小早川氏、
盃状穴を大きく3つに分類して考察しています。


①典型的盃状穴(通常みられる円形の穴)

②変形盃状穴(円形を呈さないもの)
 これには多角形型盃状穴切込みを持つ型があるとし、
 切込み型に、(つむ)型、木の葉型、切込型を挙げています。

紡型の一例として、萩市・住吉神社の手水鉢を紹介。
紡型
写真は「盃状穴考」よりお借りしました。

③有溝盃状穴(溝状のくぼみ)
 これには側溝型連結溝型をあげています。

この一例として、
前回ご紹介した三浦氏報告の安芸郡・善正寺の手水鉢をあげ、

「典型的盃状穴と紡型盃状穴を浅い溝で結んだ連結溝型盃状穴」
としています。


こちらは神奈川県・石観音堂の石碑台座の盃状穴です。
まるで機械で正確に穿ったような、典型的な盃状穴ですね。
それを溝状の窪みでつなげてあります。


私が名前を付けるとしたら、「溝2連結盃状穴」です。
石観音堂

でもですねぇ、
この「溝」、そう単純に「溝」と片付けてしまえないんですよね。


だって、こーんなのや、
東八幡神社1
埼玉県春日部市粕壁東・東八幡神社

こーんな長いのは、どう言ったらいいんでしょう。
手水鉢の周囲を蛇がぐるりと囲んだように長々と彫ってあります。

しかも四隅には、小早川氏が言うところの「木の葉」に似た
楕円形の穴がある。これはどう見ても意図的ですよね。
大枝香取神社2
春日部市大枝774・大枝香取神社

こちらは、
埼玉県在住で力石をはじめ、故郷の情報を精力的に発信している
へいへいさん撮影の手水鉢です。

通常の「盃状穴」と「溝状の窪み」が、非常にくっきりと穿たれています。
私が名前を付けるとしたら、「陰陽溝穴
(こうけつ)

この長い「溝」を龍(龍蛇)とするならば、「穴」は「玉」(ぎょく)、
水盤部は「鏡」。
「鏡」は神の依り代で「龍」は神獣。

龍は水を司る神で、洪水や干ばつを起こして人間の生殺与奪を握っている。
玉は、月食、日食、潮の干満を操る道具。

とまあ、私の妄想は際限がない。お笑いください。


へいへい氷川川島町
埼玉県比企郡川島町上八ッ林854・氷川神社

そのほかの盃状穴の報告も充実しています。
ぜひ、ご覧ください。


「へいへいのスタジオ2010」

こちらは斎藤氏撮影の手水鉢です。
かたわらに力石がゴロンと転がっています。


これなんかは「紡型」もあれば「木の葉型」単なる切込み状の溝も。
壁面のデコボコも盃状穴でしょうか。
薬王寺2
さいたま市見沼区島町1086・薬王寺

結局、当時も今も結論は出ていません。

確固とした情報を得られなかった小早川氏、
地元の方に聞いたら、こんな返事が返ってきたそうです。

「盃状穴のあるものに対しては、呪咀的な盃状穴があるはずで、
したがって、
人には知れず文献にも記載されないのは当然です」


ここで「呪詛(じゅそ)という言葉が出てきました。

「呪詛=呪(のろ)い」は憎い相手を呪って災いを与えることですが、
同じ漢字の「呪」を「まじない」と読ませるときは、
災いから自分を守るために使うもの。まさに表裏一体。


どちらも神仏の力に頼むのですから、神さま仏さまは切り替えが大変です。

この「呪詛の盃状穴」、私は初めて聞きました。
なんだか「盃状穴」を汚されたような、不快感を覚えます。


国分氏も他の文献にも「人を呪(のろ)う」という解釈は全く出てきませんし、
古今東西、盃状穴は、
再生や子孫繁栄、子供の健康、転じて豊穣の意味で使われてきました。

だから、「呪詛」という解釈はあり得ないと、私は思うのですが…。


※市町村名は当時のもの。
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変型盃状穴

盃状穴
02 /02 2023
「盃状穴考」には、世界各国で発見された様々な「穴」が掲載されている。

例えば、
複数の斑点と指を開いた手を刻んだもの。=北欧の「呪
(まじない)石」
「北欧呪石」 コペンハーゲン・デンマーク国立博物館原始・古代室
北欧のまじない石。手
「盃状穴考」国分直一監修 国領駿、小早川成博編集 慶友社 1990
よりお借りしました。

国分氏の解釈は、
「斑点は多産を、開いた指は強い掌握を象徴している」というもの。


日本の例としては加古川市の石棺蓋石の「手形石」をあげています。

※ただし、この石棺蓋石のマークは、
一個の穴から放射状に数本の線刻が出ているもので、
「手」というより五芒星の変形した魔除けではないかと、私的には思います。

縄文遺跡出土品に三本指の幼子が浮彫りになった壺がありますが、
むしろこのほうが「北欧の呪い石」の「手」と関連があるような気がします。

何の根拠もない私の想像ですが、
(妄想だと笑われそうですが)
三本指という表現は、「神」の領域から離れたばかりの、
非常に不安定な「人間未満」という意味ではないか、と。

北欧の「手形」は5本指ですが、か弱い表現から幼子の手を連想させます。
だから、胎児や新生児を表わしているのではないかと思います。

「人体文様付有孔鍔付土器」
三本指
「南アルプス市ふるさとメール」より 南アルプス市ふるさと伝承館所蔵

山梨県の縄文遺跡からはこうした人体文様の土器がいろいろ出ています。
不死の薬を盗んだ女性が月に逃げて蛙になったという中国神話の
精霊とする説もあります。

また用途については太鼓説、酒造器説などありますが、
私は赤ん坊への「祈願」に関連したものではないかと思うんです。


酒造器や太鼓だとしたら、幼子の像を付ける理由は何でしょうか。

最初は「胞衣壺」かと。でも、この壺の高さは54.8cmもある。
ならば亡くなった子供を納める「小児棺」かな、と。


遺跡からは子孫繁栄や豊穣を願う妊婦像の壺も出てきますから、
胞衣壺にしても小児棺にしても子供の成長や再生を願って埋めた、

そんなふうに考えました。


赤ちゃんを抱いた子安観音。いつの世も子どもへの思いは変わらない。
笠に「九曜紋」がついています。家紋? 厄除け?
子育て観音
静岡県富士宮市内房・山王宮

古今東西、胞衣の扱いは非常に丁寧でした。
ハワイにもこんな風習があったそうです。

ハーレイ・コックスとエドワード・スターザックス共著の
「ハワイアン・ペトログリフス」に、こんな風習が紹介されていたという。

ハワイ・KALAPANAのマウンドには夥しい盃状穴群があって、
住民は「永生の丘」と呼んでいる。


子供が生まれるとマウンドの岩に穴をあけ、
へその緒を納め石で蓋をした。一昼夜してそれが残っていたら、
その子供に「永生」が約束されると信じられていたという。

日本の中近世にも赤ん坊の健やかな成長を願って、胞衣を壺に入れ、
吉日吉方を選んで山に埋めその上に松の木を植えたり、
屋敷内に埋納する風習がありました。


産着に×印を縫い付けたり、額に赤い印を付けたりしたのも、
子供を災いから守るための魔除け。


こちらは力石に刻まれた「りゅうご紋」です。
資本主義の父と言われた渋沢栄一の会社の商標ですが、
もとは「魔除け」(呪符)
りゅうご
東京都江東区永代・福住稲荷神社

地中海沿岸のイスラム教圏では、
預言者ムハンマドの娘・ファティマの手をお守りにしているそうです。

つまり手形は邪悪なものを退ける魔除け。


イスラム圏でなくても、古代から魔除けには「目」「卍」「五芒星」など、
様々なものが使われてきました。そして不思議と世界共通のものが多い。

国分先生は「北欧の呪い石の手形」について、「強い掌握」
つまり、「多産を強く願うという意味」だとされていますが、どうでしょうか。


まだ不安定な子供は、生児であれ死児であれ邪悪なものに狙われやすい。
だからこそ魔除けが必要なので用いた、

というのが私の考えです。


縄文遺跡出土の子供の手形などの記事、よかったらご覧ください。

「慈しむ」

さて、「盃状穴」に戻ります。

私が再度これに注目したきっかけは、上戸田氷川神社の宮司さんの
「盃状穴と括れない溝状の凹み」発言です。

「穴ではない細長い窪み」

これです。


東八幡神社
東八幡神社2
埼玉県春日部市粕壁東

私は「穴」にばかり気を取られて、今まで気が付きませんでした。

埼玉在住の研究者、斎藤氏は、
上戸田氷川神社の力石が保存されたことをきっかけに、
以前、宮司さんから
「穴ではない溝状の凹み」についてお聞きしていたことを思い出し、
改めて記憶にある神社をいくつか再訪。

意識して探してみたら、あることあること。


そこで「盃状穴考」を読んでみたものの、肝心の「溝」については、
決定的な話は出てこない。「当てが外れた」と、少々オカンムリ。

確かにねぇ。
三人の方が発言していますが、
いずれも突っ込んだ研究までには至っていませんし。


どんな発言かというと、

三浦孝一氏は、
「赤穂市周世字黒谷の山腹岩盤上に、
串団子を並べたような如き奇怪な文様刻文がある。非常に気になるが、
今後の研究に委ねたい」としてそこで終わり。


二人目は、「広島県蒲刈町の盃状穴」を執筆した松浦宣秀氏です。
他の方とは視点が違い、穴とは言い難い形状の溝に踏み込んでいます。

こんな具合。


通常の盃状穴とは違う楕円形、すり鉢状、
紡型
(つむがた)のものがあることに注目。

盃状穴、紡型など混在する広島県蒲刈町・善正寺の手水鉢。
善正寺
「盃状穴考」からお借りしました。

この善正寺の手水鉢について、「盃状穴かどうか判断がつけ難い」とし、

「男性のシンボル的なものか問題が残る。盃状穴(?)の中に紡型のものが
彫られているのが気になる」としている。

これを知った民俗学者が「感(かま)け」を連想したと話していたこと。
※「感け」=田畑に種を蒔いた夜、その畑で夫婦が交わるとその年は
豊作になるという俗信。

その話を聞いた松浦氏、

「備北や安芸地方の「田植え囃子」に、〈感け〉に通じる伝承がある。
関連があるのだろうか。研究してみたい」


と記しているが、その後、進展があったかは不明。

ただし、「男性シンボル」と着目したのは、私の説と合う。
\(^o^)/
手水鉢の縁に付けられた長い溝、私はこれを、
男根を象徴した「剣」「龍蛇」を表したものと考えています。


さてもう一人は小早川成博氏で、典型的な盃状穴に属さない凹みを
「変型盃状穴」と呼び、何例かを綴っていた。

これは期待できそうです。


が、「穴」ではないんですよね。私たちが追及しているのは。
「盃状穴とは括れない凹み」、つまり「溝」なんです。

小早川論文は、次回ご紹介します。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞