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決別への序奏 …64

田畑修一郎3
08 /23 2022
のちに私は、評論家の俵萠子さんから大きな力をいただいた。
その俵さんにこんな題名の本がある。

「生きることは始めること」(海竜社 平成13年)

この本は私が立ち直ったずっと後の刊行だったが、
私はこの言葉が好きで、今もつまずきや迷いが生じたとき、
呪文のように唱えている。

そしてこのとき、偶然にも題名通りの実践に踏み切った。

誰の人生でもない自分自身の人生を生き直す、
そのためには、まず始めること、行動を起こすことだ、と。

身体障がい犬になり、車椅子で頑張るワンくん。私も頑張るよ。
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やるべきことを二つ決めた。

一つは、仕事を探すこと。
二つ目は夫と対峙し、すべてを白日の下にさらけ出すこと。

仕事探しは難航した。
どこも年齢制限に引っかかった。40代などはもう年寄り扱いだった。

ようやくミニコミ紙の試験にこぎつけたが落ちた。

ところがその会社から意外な打診があった。
「新聞社で働く気はありませんか?」

紹介されたのは、全国紙の地方支局だった。

もちろん正社員ではない。社会保障なしのフリーの記者。
条件は最低だったが、私は飛びついた。

働き始めたころの私。病み上がりに火宅。満身創痍で笑顔が出なかった。
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名のある作家なら小さなコラム一本書いただけで数10万と気前がいいのに、
出版社の編集経験と山の本を出しただけの私の原稿料は、
1字5円というケチ臭さ。

ひと月書きまくっても、生活保護費にも及ばないというお粗末さ。
でもまあ、なんとかなるだろうと楽観した。

第一、新聞社の名刺一枚でどんな人にも会うことが出来る。
どんな場所でも取材を怪しまれない。

そして最大の魅力は自由にものが書けることだ。
支局は新人か2年生記者ばかりで息の長い深堀りした記事は書けない。

そこで企画ものの記事はすべて私に一任された。

私は水を得た魚のように泳ぎ、
大空を思い切って舞う自由を得て、張り切った。


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「生きることは始めること」の二つ目は、
当然、夫との対決姿勢を鮮明にすることだった。

それには可能な限りの勉強と準備が必要だった。
法律書を読み、離婚関係の本を漁り、弁護士や司法書士を訪ねた。

一つのことに、これほど打ち込んだ日々はかつてなかった。
徹夜続きでも不思議に眠くはならなかった。

そんなある日、役所から送られてきた封書に私は仰天した。

中に入っていたのは、「不在住証明書」と「不在籍証明書」。
つまり、武雄は自分一人だけ住所と戸籍を他へ移してしまっていたのだ。

私は即座に電話した。

たぶん武雄はこう思っていたはずだ。
妻はいつものように黙って従うだろう、と。

その妻から電話がきて、武雄はひどくオドオドしながら言った。

「あのさぁ、会社やってると不便なんだよ、そっちに住所があるとサァ。
いや、なにも離婚するとかそういうんじゃないよ。
子供のは残してやったしな。

あ、でもこれからはお前がそっちの戸主だからな。
これからはお前が自分で保険料やなんか払うんだぞ」


会社経営なんてウソだった。のちに武雄は自著で述べている。
「〇〇さんの会社に籍を置かせてもらっていた」

そのころの夫は一世を風靡した写真週刊誌のライターで、
「流行作家並の原稿料を手にしていた」と、得意気に書いている。


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その身勝手な言い訳の数日後、
今度は武雄自身の署名捺印が押された「離婚届」が送られてきた。

面倒くさがりで、特に役所や不動産や税金の書類や金銭管理に疎く、
何ごとも自分では決められない優柔不断な男だから、
誰かの指示で動いているのは容易に察しがついた。

私は即座に電話して「いきなり送り付けてどういうつもりか」と聞くと、
「いやまあ、あのさぁ」と要領を得ない。

「子供たちとの約束はどうする気? 大学まで出すって約束したよね」
「出すよ。責任は持つ」
「ふた親揃った形で子供を社会に出すってのが親の責任だし愛情だよね。
もし、学費や生活費、滞ったら会社までもらいに行くから覚悟しといて」
「な、なにもオレ、離婚したいってわけじゃないよ」
「あ、そうなの。じゃあ、あれはなんのつもり?」
「いやその、ただなんとなくそうなっちゃって」

「そうよねぇ。問答無用じゃあ非常識すぎるもの。だってさ、ほら、
離婚となりゃあ、親権とか慰謝料の話もしなくちゃなんないし」
「い、いしゃりょう…」
「離婚ってさ、お金掛かるらしいよ。
それに母に借りた入院費100万円、あの返済もまだだし」
「それはお前が借りたんだろ? 俺、関係ないから」
「ハ? それ通用すると思う? 母も兄も怒ってるし。どうする? 100万円」
「か、かえす。あ、俺、離婚する気ないから」
「じゃあ離婚はしない、本気じゃなかったということでいいのね」
「ハァー」

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私はひどく饒舌になった。
今まで抑えていたものが一気に吹き上がってきたのだろうか。
なんだか別人になった気がした。

武雄がよく見えるようになった。

そうか、こいつは心底弱いヤツだったんだ。

こちらが弱いところを見せると威丈高になるが、強く出れば腰砕けになる。

今まで見せていたあの横暴極まる態度、
あれは己の気弱さを隠すためのお芝居だったってわけか。

日頃はジャーナリスト風を吹かせていたけれど、
中身はどうしようもない未熟なガキだったんだ。

だが同時に、そういう夫に操られていた自分は、
どうしようもないおバカだったと思い知った。

離婚すると決意した私が表向きは「離婚はやめてね」と夫に言い、
内心は離婚したくてうずうずしている夫が、
表向きは「離婚なんて考えていない」と言う。

この心理の裏表のおかしさ。
これにまだ見ぬ夫の「愛人」の暗躍する姿が、さらに滑稽さを添えた。

「離婚届」はすべてを完了したとき、私自身の手で出すと決めた。
むしろ夫へ署名を頼む手間が省けた。
あとは大事に保管しておくだけでいい。

幸いなことに不動産登記簿の原本は持ち出されてはいなかった。

つい最近、「登記簿を貸して」と言うのを断り、代わりにコピーを送ったが、
とっさの判断だったとはいえ、何んだか運が向いてきたような気がした。


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向こうから宣戦布告をしてきたのだから、むしろやりやすくもなった。

ガンの定期検診は2回で止めた。

なんだかいつまでもガンに囚われているのがいやになったし、
いつになく湧き上がってきた闘志がそれを捨てさせた。

今、私に必要なのは、冷静になること。
「短気は損気」だ、腹を立てる暇があったらその分、知識を得なければと、
いつも自分に言い聞かせて日々を送った。

スピーディに正確に、そしていかなる時も冷静に。
冷静になればおのずと道が見えてくる。

新しく始まった仕事と夫との最終決着への序奏と、
その年、登山雑誌からいただいた低山徘徊の連載記事のための山登りと、

退院2年目は、
大忙しの、また力みなぎる「生きることは始めること」の一年になった。

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞