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夏の終わりに

世間ばなし①
08 /29 2022
ーーちょっと息抜き

      ーーーーー◇ーーーーー

日中はまだまだ夏ですが、でも朝晩は涼しくて…。

気が付けばそこここに秋の気配。

ひと夏の命を全うした虫たちは、魂の抜けた「残骸」だけをこの世に残して。

セミです。
今まで散々食べていた鳥たちも、もう見向きもせず。


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角が一本とれてしまったコクワガタです。
ピンボケですが…


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カミキリです。
生きていました。
でも帰り道がわからなくて、とまどっていました。


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チョウです。
色褪せてボロボロになって、道に横たわっていました。
無事、子孫を残せただろうか。


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早朝の農道にひっそりと咲いていた朝顔です。

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私の今年の夏の思い出は、息子が釣ってきた鮎を食べたこと。
子供のころ、みんなでよく釣りに行きました。

あのころは愛犬Gもいて…。

釣ってきた鮎を風呂桶に入れて、その見事な泳ぎっぷりを楽しんだり。

そんな懐かしい日々はすでに遠くへ去り、
今年の鮎の思い出も過去の出来事になってしまった。


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いつの間にか田んぼで稲が色づいていました。
「ぼくたちの出番が来た」と、かかしたちが張り切っています。


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秋はもう、すぐそこまで来ています。

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パンドラの箱 …65

田畑修一郎3
08 /26 2022
「急(せ)いてはコトを仕損じる」というけれど、
モタモタしていてタイミングをはずして仕損じることだってある。

ここは電光石火、やるしかないのだと覚悟を決めた。


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先の電話から間を置かず、私はさらなる仕掛けを夫に放った。
私からの電話だと知って、武雄がまたオドオドし始めた。

「あのね、同窓会があるのよ。東京で…。
それでね、急で悪いんだけど、一晩泊めてください。
同窓会の日にち? 明日。私の東京着は今日の夕方」

「あ、ついでだからあなたの会社にも寄りたいと思ってね。
私、みなさんの顔を知らないし、
経営者のあなたがお世話になっているから、お土産持って」

「だって会社、いつも資金繰りが大変で、
従業員のみなさんには苦労かけているってあなた、言ってたでしょ?」

「貧乏暇なしで家に帰れないほど働くので、
あなたはいつも会社のソファで寝ているって言ってたよね。
それ聞いて、私、反省したわ。あなたへの配慮を欠いていたって。
それじゃよろしくお願いします」

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口先とは裏腹に緊張で卒倒しそうだった。全身ガチガチになっていた。

騙すのは本意ではない。だが、この第一関門をくぐらなければ次はない。

身支度は済んだ。気を引き締めて新幹線に乗り込んだ。
車窓に流れる景色を見ながら、これからの展開を思い描いた。

東京は何年ぶりだろうか。
林立するビル群が、なんだか墓場の墓標のように見えた。

ふと、昔見た「渚にて」という映画を思い出した。
あれは地球規模の核戦争で人類が消滅して、
巨大都市の建物だけが残ったという映画だった。

目の前の「東京」が、そのシーンと重なった。

武雄の会社は、事前に聞きだしていたからすぐわかった。

そこは小さな貸しビルでその入り口に、
あの寒波到来の夜、武雄が乗ってきたバイクが置かれていた。

しかも同じものが2台。

事務所は3階にあった。
ドアを開けると武雄が「あっ!」と小さく叫んだ。

机が6席、ぎちぎちに並べられた小さな部屋だった。
武雄が強調していた「ソファ」は、案の定どこにもない。

部屋には武雄のほかにもう一人、小柄な女性がいた。


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「か、かのじょ…」

上ずった声で武雄が言う。私は吹き出しそうになった。

女性は後ろを向いたまま顔だけ捩じると、無言で私を睨んだ。
私はハッとした。

色白の小顔に、豆を二つ並べたような小さな目が少し離れてついている。
その目の視線をわずかに逸らして、あいまいに相手を見るしぐさ。

小柄なところやどこか空とぼけたような愛嬌のある顔立ちが、
武雄の母親にそっくりで、相手と視線を合わせないその目や、
薄い唇の右端を吊り上げるクセもまったく同じだった。

私は義母に語り掛けるみたいに、彼女に声を掛けた。
「主人がいつもお世話になっております」

こんな嫌味を言うのは私らしくない。
それでも普通を装うために言わねばならなかった。

部屋の入り口にお揃いのヘルメットが二つ、仲良く並べてあったが、
階下に置かれたバイク同様、これも武雄とこの女性のものだろう。

無言で後ろ向きに戻った「彼女」を見て、武雄がオロオロし始めた。

長居は無用と外へ出た私を、武雄が追いかけてきた。

「これ、同じバイクだね」と言うと、「偶然同じになった」と苦し紛れに言う。
それからまた、ひどく慌てて言った。

「あ、俺、もう一度事務所に戻るから」

「いいよ。アパートへは一人で行けるから。
雄二に聞いてきたし、鍵は大介からもらってあるから」

そう言うと、驚いた顔になった。


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「あ、雄二もね、今晩、来ることになってるのよ」
「えっ?」
「ちょうど春休みに入ったし、お父さんに進路のことを相談したいからって」
「進路…」
「そう。それじゃあ、仕事、がんばってください。私はこれから兄と会って…」
「えっ、兄さん…」
「ちょっと会うだけ。夕食は兄と済ませるから心配しないで」

武雄の顔が赤く膨張してきた。
落ち着きを失くした子供みたいに、手が震えている。

東京の兄は次兄と違い、昔から艶聞には事欠かない。
その兄が言った。

「男ってウソをつく生き物だよ」

それなら目には目をというわけで、
最初から会う予定などなかった兄や雄二を利用して、
私は我が身の安全装置のつもりで武雄にウソで脅しをかけた。

アパートは電車で二駅ほどで、事務所からそれほど遠くはなかった。

これから武雄の東京の住まいに初めて足を踏み入れるのだ。

妻なのに長い間夫から電話番号も知らされず、
住まいは実家だとずっと聞かされてきた。

それがバレたのは、二男の雄二が、
「友達とお父さんのところに行きたい」とせがんだ時だった。

住まいが明らかになっても、電車賃がもったいなくて私は夫を訪ねなかった。

そんな過去が走馬灯のように私の頭の中をクルクル回った。

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目指すアパートのドアの前に立った時、
私は第一幕をやり終えた安堵と、
これから開く第二幕への不安とで息がつまった。

これからどんな危機的状況になるのか想像もつかなかった。

このドアの向こうに何があるのか見当もつかない。
たぶん、いやでも自分を打ちのめす「秘密」を見付けるだろうとは思った。

果たして私は冷静さを保ち続けられるだろうか。
無事でいられるだろうか。

けれどやるしかない。涙はあの寒波到来の夜、橋の上で全部流した。

今の私に残されたものは現実を見ることなのだと自分を叱咤した。

私は決意を新たに、
パンドラの箱を開けるみたいに鍵を鍵穴へ差し込んだ。


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決別への序奏 …64

田畑修一郎3
08 /23 2022
のちに私は、評論家の俵萠子さんから大きな力をいただいた。
その俵さんにこんな題名の本がある。

「生きることは始めること」(海竜社 平成13年)

この本は私が立ち直ったずっと後の刊行だったが、
私はこの言葉が好きで、今もつまずきや迷いが生じたとき、
呪文のように唱えている。

そしてこのとき、偶然にも題名通りの実践に踏み切った。

誰の人生でもない自分自身の人生を生き直す、
そのためには、まず始めること、行動を起こすことだ、と。

身体障がい犬になり、車椅子で頑張るワンくん。私も頑張るよ。
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やるべきことを二つ決めた。

一つは、仕事を探すこと。
二つ目は夫と対峙し、すべてを白日の下にさらけ出すこと。

仕事探しは難航した。
どこも年齢制限に引っかかった。40代などはもう年寄り扱いだった。

ようやくミニコミ紙の試験にこぎつけたが落ちた。

ところがその会社から意外な打診があった。
「新聞社で働く気はありませんか?」

紹介されたのは、全国紙の地方支局だった。

もちろん正社員ではない。社会保障なしのフリーの記者。
条件は最低だったが、私は飛びついた。

働き始めたころの私。病み上がりに火宅。満身創痍で笑顔が出なかった。
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名のある作家なら小さなコラム一本書いただけで数10万と気前がいいのに、
出版社の編集経験と山の本を出しただけの私の原稿料は、
1字5円というケチ臭さ。

ひと月書きまくっても、生活保護費にも及ばないというお粗末さ。
でもまあ、なんとかなるだろうと楽観した。

第一、新聞社の名刺一枚でどんな人にも会うことが出来る。
どんな場所でも取材を怪しまれない。

そして最大の魅力は自由にものが書けることだ。
支局は新人か2年生記者ばかりで息の長い深堀りした記事は書けない。

そこで企画ものの記事はすべて私に一任された。

私は水を得た魚のように泳ぎ、
大空を思い切って舞う自由を得て、張り切った。


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「生きることは始めること」の二つ目は、
当然、夫との対決姿勢を鮮明にすることだった。

それには可能な限りの勉強と準備が必要だった。
法律書を読み、離婚関係の本を漁り、弁護士や司法書士を訪ねた。

一つのことに、これほど打ち込んだ日々はかつてなかった。
徹夜続きでも不思議に眠くはならなかった。

そんなある日、役所から送られてきた封書に私は仰天した。

中に入っていたのは、「不在住証明書」と「不在籍証明書」。
つまり、武雄は自分一人だけ住所と戸籍を他へ移してしまっていたのだ。

私は即座に電話した。

たぶん武雄はこう思っていたはずだ。
妻はいつものように黙って従うだろう、と。

その妻から電話がきて、武雄はひどくオドオドしながら言った。

「あのさぁ、会社やってると不便なんだよ、そっちに住所があるとサァ。
いや、なにも離婚するとかそういうんじゃないよ。
子供のは残してやったしな。

あ、でもこれからはお前がそっちの戸主だからな。
これからはお前が自分で保険料やなんか払うんだぞ」


会社経営なんてウソだった。のちに武雄は自著で述べている。
「〇〇さんの会社に籍を置かせてもらっていた」

そのころの夫は一世を風靡した写真週刊誌のライターで、
「流行作家並の原稿料を手にしていた」と、得意気に書いている。


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その身勝手な言い訳の数日後、
今度は武雄自身の署名捺印が押された「離婚届」が送られてきた。

面倒くさがりで、特に役所や不動産や税金の書類や金銭管理に疎く、
何ごとも自分では決められない優柔不断な男だから、
誰かの指示で動いているのは容易に察しがついた。

私は即座に電話して「いきなり送り付けてどういうつもりか」と聞くと、
「いやまあ、あのさぁ」と要領を得ない。

「子供たちとの約束はどうする気? 大学まで出すって約束したよね」
「出すよ。責任は持つ」
「ふた親揃った形で子供を社会に出すってのが親の責任だし愛情だよね。
もし、学費や生活費、滞ったら会社までもらいに行くから覚悟しといて」
「な、なにもオレ、離婚したいってわけじゃないよ」
「あ、そうなの。じゃあ、あれはなんのつもり?」
「いやその、ただなんとなくそうなっちゃって」

「そうよねぇ。問答無用じゃあ非常識すぎるもの。だってさ、ほら、
離婚となりゃあ、親権とか慰謝料の話もしなくちゃなんないし」
「い、いしゃりょう…」
「離婚ってさ、お金掛かるらしいよ。
それに母に借りた入院費100万円、あの返済もまだだし」
「それはお前が借りたんだろ? 俺、関係ないから」
「ハ? それ通用すると思う? 母も兄も怒ってるし。どうする? 100万円」
「か、かえす。あ、俺、離婚する気ないから」
「じゃあ離婚はしない、本気じゃなかったということでいいのね」
「ハァー」

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私はひどく饒舌になった。
今まで抑えていたものが一気に吹き上がってきたのだろうか。
なんだか別人になった気がした。

武雄がよく見えるようになった。

そうか、こいつは心底弱いヤツだったんだ。

こちらが弱いところを見せると威丈高になるが、強く出れば腰砕けになる。

今まで見せていたあの横暴極まる態度、
あれは己の気弱さを隠すためのお芝居だったってわけか。

日頃はジャーナリスト風を吹かせていたけれど、
中身はどうしようもない未熟なガキだったんだ。

だが同時に、そういう夫に操られていた自分は、
どうしようもないおバカだったと思い知った。

離婚すると決意した私が表向きは「離婚はやめてね」と夫に言い、
内心は離婚したくてうずうずしている夫が、
表向きは「離婚なんて考えていない」と言う。

この心理の裏表のおかしさ。
これにまだ見ぬ夫の「愛人」の暗躍する姿が、さらに滑稽さを添えた。

「離婚届」はすべてを完了したとき、私自身の手で出すと決めた。
むしろ夫へ署名を頼む手間が省けた。
あとは大事に保管しておくだけでいい。

幸いなことに不動産登記簿の原本は持ち出されてはいなかった。

つい最近、「登記簿を貸して」と言うのを断り、代わりにコピーを送ったが、
とっさの判断だったとはいえ、何んだか運が向いてきたような気がした。


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向こうから宣戦布告をしてきたのだから、むしろやりやすくもなった。

ガンの定期検診は2回で止めた。

なんだかいつまでもガンに囚われているのがいやになったし、
いつになく湧き上がってきた闘志がそれを捨てさせた。

今、私に必要なのは、冷静になること。
「短気は損気」だ、腹を立てる暇があったらその分、知識を得なければと、
いつも自分に言い聞かせて日々を送った。

スピーディに正確に、そしていかなる時も冷静に。
冷静になればおのずと道が見えてくる。

新しく始まった仕事と夫との最終決着への序奏と、
その年、登山雑誌からいただいた低山徘徊の連載記事のための山登りと、

退院2年目は、
大忙しの、また力みなぎる「生きることは始めること」の一年になった。

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鍵 …63

田畑修一郎3
08 /20 2022
トンネルを抜けた。
パッと視界が開けた。ここは池の端を通る道だ。

左右に広がった灰色の水面にさざ波が立っている。
そのさざ波の行きつく岸辺に、ボートがいくつも係留されていた。

釣り人の姿はすでになく、
岸辺を犬を連れた人が影絵のように小さく動いていた。

遠くに山が連なっていた。

背後からきたダンプの起こす風に煽られて、私の原付バイクがくらりと揺れた。
立て直して前方を見ると、夫のバイクがみるみる遠ざかり、
小さな黒いかたまりになっていた。

まるで後から来る私を振り切るかのように加速する夫。


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池はいつの間にか過ぎていた。
池を抜けた先の信号のところに、武雄の丸く膨らんだ背中が見えた。

信号を右折すると、道は幅広の県道に変わった。

信号が変わると、武雄は間髪を入れずギアを踏み込んだ。
車体がガクンと前のめりになり、武雄の体は軽くもんどり打ったが、
そのままスピードをあげて、あっという間に私の視界から消えた。

その武雄との距離が一向に縮まらないまま、私は直進を続けた。

闇に紛れるように松の並木が見えてきた。
その木の間隠れに河原が見える。
広い河床に何本かの小さな水の流れが光っていた。


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帰宅を急ぐ人たちだろうか。
道は車で混んでいた。

その車の流れの中で、私はふと、恐怖を覚えた。

初めて走る道への不安とためらう何かと、
早く夫に追いつこうとする気持ちと躊躇する気持ちが、
私の中でせめぎ合っていた。

ライトの中に、ふいに夫のVTが浮かび上がった。
意外な近さにいたものだ。

再び妻のライトに浮かび上がった夫の背中。

この夏、16歳の息子と同じTシャツを着てきた男の背中。
胸に白い横文字と大きなイラストがついたやつ。

みんなして微笑ましく笑ったけれど、
雄二はそれっきりそのシャツを着なかった。

そして今度はまるで息子に見せびらかすように、派手なバイクでやってきた。

ふいに怒りがこみあげて来て、私はアクセルを全開した。

武雄はそれを振り切るかのように再び速度をあげ、
バイクごと車の列に紛れ込み、再び姿を消した。

あの人はなぜそんなに慌てているのだろうか。

姿を消したかと思えば車の陰から飛び出し、すぐまた見えなくなる。

ふと、奈良での出来事が頭をよぎり、いい知れぬ恐怖に襲われた。

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私はただひたすらそのあとを追い続けた。

しかし、見失ってはいけない、追いつこうと、それしか考えなかった自分が、
次第に惨めに思えてきて心にブレーキがかかった。

それから、アクセルをゆっくり戻していった。

50、40、30。

今度は橋へ差し掛かった。

橋の上では風が唸っていて、
私は原付バイクごと橋の真ん中へズルズルと流された。

そのとき、薄闇の中から、けたたましいクラクションが響いてきた。
ハッとして前方を見ると、目の前に大きなトラックの影が迫っている。

惨劇の一瞬をとらえようとするかのように、
強烈なライトが私を浮かび上がらせた。

私は満身の力をこめてバイクを左へ寄せた。

その瞬間、轟音を立ててトラックが真横を通り過ぎていき、
トラックの起こす風に煽られて、私はバイクごと橋の欄干に激突した。

どのくらいの時間、呆然としていたのかわからない。

気が付くと、こわばった頬を涙と鼻水が一緒になって流れ落ち、
アゴの先から風に流されて空中に散っていた。

私は涙をぬぐうこともせず、欄干にもたれたまま風の唸りを聞いていた。

闇の向こうに光る川を見た。
激しく瞬く星を見た。

いったい私は、こんな日にこんなところで何をしているんだろう。

ただ寒いだけの風景の中を走る2台のバイク。
不毛の時間だけが過ぎていく。

ふと、歌が聞こえてきた。

♪月のォ 砂漠をォ はーるーばるーとォ

先の鞍には王子さま
あとの鞍にはお姫さま

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長い橋の終わりは闇に包まれて定かには見えなかったが、
そこに夫が止まってこちらを見ているのだけはわかった。

武雄はヘルメットのシールドをあげて何か叫んでいた。
いや、叫んでいるのではない。
叫ぶ口のカタチをしているだけなのだ。

見えないはずの夫が、その時の私にははっきり見えた。
まるで巨大スクリーンに映し出されたかのようだ。

闇の中で夫の二つの目が水っぽく濡れていた。
その目が今度はみるみる乾き始め、生彩を失っていく。

そしてその目が再び、あの混沌とした灰色の目に戻って行くのを見た。

風は渦を巻いて方向を定めず吹き、容赦なく私の鼻孔を塞いだ。

私はそうして橋の真ん中でしばらく立ち止まり、
それから、ゆっくり車体を反転させると元来た道を戻り始めた。

家に帰りつくと、雄二が飛び出してきた。
その晩、武雄は家には帰らなかった。

翌日、私の部屋に真新しい鍵がついていた。
雄二が複雑な、しかし真剣な顔で言った。

「ぼくが付けた。お母さん、殺されないように」


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捨て犬 …62

田畑修一郎3
08 /17 2022
奈良での出来事から半年余りたった11月の、
第一次寒波が来た日のことだった。

いつものように夫の武雄が突然帰ってきた。
真新しい大型のバイクに乗って…。

いつこんなものを? いつ免許を取ったのか。

予期しなかった姿で現れた父親を呆然と見ていた二男の雄二が、
「あれ、ホンダのVT250Fっていうんだ」と、つぶやいた。

武雄はバイクにまたがったまま、
フルフェイスの銀色のヘルメットのシールドをあげて叫んだ。

「ツーリングに行こう」

ツーリング? また奇妙なことを言い出した。

「なに、ツーリングっていったって、ほんのそこまで走るだけだからさ」

「私のは原付バイクだし、それに今日は風も強いし…」
と拒むと、「行かないんだな!」と語気を強めた。


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その武雄の目が灰色一色になって、
黒目がその灰色の中にすっかり溶け込んでいた。

その目に威圧されて、私は心にもない返事をした。

「行ってもいいけど…」

背後に、「今年初めての寒波襲来」のテレビニュースを聞き、
雄二の不安げな顔を受けながら、
私は再び、ズルズルと危険な誘いに乗った。

外は想像以上に冷たかった。

太陽はすでに西へ傾きかけ、日没は間近に迫っていた。
そんな中を武雄のバイクが先頭切って走り出した

私はすぐ寒さに震えた。

なにしろこの私ときたら、
10年も前に買った安物のジャンパーにジーンズ、
手袋は毛糸で足元はスニーカーという普段のいでたち。

ヘルメットは子供の通学用だったお古。

この姿を見て雄二が言ったものだ。「やめてよ。恥ずかしい」


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峠に差し掛かった。

前を行くVTが、
落日の残り陽を浴びてパール色に光ったまま駆け上っていく。

ヘアピンカーブを内側に寄り過ぎながら回り込んでいく。
武雄が着ている羽毛のジャンパーがモコモコと膨らんで見えた。

やがて斜めに傾いていた銀色のヘルメットが、再び垂直に戻っていった。

私はバイクに両足を揃えて、カーブをゆっくり回った。
上体をかすかに傾けて静かに回りこんいく。

回り切ってから前方を見ると、武雄はすでにトンネルの入り口にいて、
侵入してくる対向車が抜けてくるのを待っていた。

ミラーの中の私を見たのだろう。
もう一度確認するかのように、首を後ろに捩じって私の方に顔を向けた。

羽毛のジャケットに皮のグローブを付け、防寒ズボンを履いた武雄。

「いい企画を出して大手出版社に売り込みに行くんだけど、
企画が通るまで何カ月もかかるんだ。

例え企画が通ってもすぐには金にならないし。
今は事務所の維持費に食われてしまうばかりで。

でもお前には絶対、迷惑はかけないよ。
とにかく俺、今までの倍以上働いているから」

その言葉を裏付けるかのように帰宅したときの武雄は、
ヨレヨレのジャケットに色の褪せたジーンズを履き、
ゴムの伸びきった靴下を履いていた。

しかし今、目の前を走る武雄のどこにその貧乏臭さがあるというのか。

夫は「会社の維持費に…」なんて言っていたが、
彼は経営者なんかでなかったことがのちに判明する。

そんなふうに見事に騙され続ける私を見て、母が呆れて言った。

「あんたほどの間抜けはいないよ。
いつまであの男にだまされているつもり?」

そうよね。お母さんの望みは、
いいとこに嫁いで盆と正月には上品なお召を着て里帰りをする娘。


それがこのざまだから。

でもその「間抜けな母親」に、長男の大介が声をかけてくれた。

「夫婦だもの、信じるのは当たり前じゃないか。
夫婦なのに疑って暮らす方がよっぽどおかしいよ」


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むき出しの顔に刺すような風が容赦なくあたる。
ハンドルを握る手が感覚を失い、指先がじんじん痛みだした。

もし正しい結婚というものがあるとすれば、
それは死ぬまで一緒にいることだけではない。

途中で別れが生じたとき、相手のこれからを思いやる気持ちを持てて、
どれだけ誠実に対処できるかどうかが、
正しい結婚とそうでないものの分かれ目だと、

私はつくづく思った。

対向車がトンネルから出てきた。

それと入れ替わりに武雄のバイクがトンネルに吸い込まれていった。
続いて私もその穴の中に入った。

トンネルの中は暗かった。

私のバイクが前方を行く武雄を捉えた。
妻のライトに照らされた夫の背中。

その背中に私は語りかけた。


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「ねえあなた、覚えているかしら。ハイキングに行った帰りのこと。
あれはまだ大介が小学生で雄二が幼稚園のころだった。

あの帰り道で母子の捨て犬を見たよね。
道の真ん中にヨチヨチ出てくる子犬を、
母さん犬が駆け寄っては咥えて戻していた。

一匹戻している間に、今度は別の子犬がチョロチョロ出て来る。
車の行き交う中、身を挺して何度も子犬を引き戻していた
あの母さん犬の困惑しきった顔。

痩せて油っ気のない体の、そこだけが息を飲むほど張りつめていた乳房。

そのとき、あなた、言ったよね。

子犬と一緒に母犬を捨てるのは、子犬への愛情のために
母犬が元の家に逃げ帰らないために違いない。
つまり母性本能を利用した悪質な捨て方だって。

あのときあなたが見せたあの憂慮、痛憤、憐憫の情、
あれは一体何だったって言うの?」

自分たち母子があのときの犬の母と子に似ているような気がして、
私はどうしようもない虚しさに襲われた。

ふいに涙がこみあげて来て、
前方を行く武雄がバイクごとブレて見えた。


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疑惑 …61

田畑修一郎3
08 /14 2022
大阪の医療研究所に従兄弟を訪ねた。
武雄はただヘラヘラ笑っているだけで何も言わない。

「わざわざ来なくても」と、いぶかしげに従兄弟が言った。

「輸血をしたって聞いたけど、できればしない方がよかったね。
とにかく無事に済んでよかった」と言い、

最後に、終始「えべったん笑い」をしていた武雄を見て、
「仕事の途中なので、これで失礼する」と言い残して部屋を出て行った。

その後ろ姿を見送りながら、
従兄弟が私に向けて、ふと見せた柔らかい表情を思い浮かべていた。

「ぼくはね、仕事で疲れると車を走らせて田舎へ行くんだよ。
地蔵さんに会いに。地蔵さんを見るとホッとするんだ」

最先端医療の中枢にいる科学者が地蔵さんに癒されている。
冷たい印象の人だったのに意外な一面を見せられて驚いた。

科学では解決できない心の安寧を野辺の地蔵に求めた。
地蔵は黙って手を差し伸べた。

私の胸にポッと灯が点った。


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「おい、行くぞ」

ぼんやりしていた私に、武雄がイラつき気味に声を掛けてきた。
見るとさっきまでのヘラヘラ顔はすっかり消えている。

せっかくだから大介に会って行こうと提案したら、「いいよ」と言う。
すぐに電話をかけたが、大介は「悪いけど、忙しいから」と、断ってきた。

残念だったが、これで家へ帰れると思ったが、そうはならなかった。

「奈良へ行くぞ」と、武雄が唐突に言った。
「えっ?」
「奈良だよ。たまにはゆっくりするのもいいじゃないか。
もう宿も取ってあるし、無駄には出来ない」と、武雄は語気を強めた。

「宿をとってあるって…」

そう返すと、また武雄があの笑い方をした。

その不自然な笑い顔をみているうちに、
夫の本当の目的が透けて見えた気がした。

武雄は最初から従兄弟へのお礼なんか本気ではなかったのではないか。
本当の目的は「奈良」だったのではないだろうか。

でも何のために? それを今まで黙っていたのはなぜ?

いやな予感がして心がざわついた。

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翌日の奈良には、こぬか雨が流れていた。
武雄は慣れた様子で電車を乗り継ぎ、とある駅で降りた。

駅を出ると何の迷いもなく、そこから真っすぐ貸自転車屋へ行き、
自転車を2台借りた。

私は不意打ちを食らって頭の整理がつかず、
せかされるままに自転車に乗った。

霧状の雨が顔に当たり洋服が重くなったが、武雄は平気で前を走っていく。
時折り振り返り、私を見ている。

飛鳥寺や石舞台古墳へ立ち寄った。茶店のようなところで何かを食べた。
何を食べたか、どこへ寄ったかこれ以外は記憶にない。
ただやたら起伏の激しい坂道を上ったり下ったりした。

何度目かの坂を上り、交通量の激しい道路を横断して踏切を越えた。

霧が晴れたかと思うと薄い日差しが差し、すぐまたこぬか雨になる。

数か月前、2度の手術をしたガン患者の妻を自転車に乗せて、
こんな目まぐるしく変わる天気の中を連れまわす。

おかしいなと思いながらも私はお腹の傷を押さえて、
必死で夫のあとを追った。

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武雄はまるで住み慣れた町のように走り抜けていく。

濡れた道路で車輪が滑る。また車の激しい道路へ出た。

武雄は後に続く私を翻弄するかのように白い霧の中に紛れたり、
車の陰から出たり入ったりしている。

猛スピードで走っていく夫を見失うまいと、私は必死でペダルを漕いだ。

やっと前方に小さく夫の背中を見つけた。だが安堵より恐怖に襲われた。

武雄は車の陰からこちらをジッと見ていた。
その顔は私の知らない別人の顔だった。

このまま夫を追いかけていたら危険な気がして、
私は道路の端に自転車を止めた。

その日夫は、行く先々でどこかへ電話をし大量に土産を買った。

「どこへ持って行くの?」と聞くと、「会社に決まってるじゃないか」と言う。

「会社に佃煮とかって変じゃないの?」と言うと、
またあの「えべったん笑い」が出た。

「雄二への土産は?」と言うと、「もう高校生だから必要ないだろ」と言う。

武雄が袋いっぱいに買った土産は、
会社へのものでないことはわかっていた。

「君んちのお父さん、愛人がいるんじゃないって友だちが言うんだよ」

小学6年生の雄二がそう言ってから、すでに4年も立つ。
それに対して私は何もしてこなかった。

小雨の降る奈良の山里で、雄二のその言葉が黒雲のように湧き上がった。

だが、私はそれを夫に問いただす勇気を出さなかった。

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たとえ勇気を出したとしてもヘラヘラ笑うか、
「おれが家へ帰れないほど働いているのは…」の常套句を、
怒鳴りながら聞かされるのがオチだという諦めが先に来た。

それに、認めたくないという自分自身のこだわりもあって、
私はずっと気づかない振りを押し通した。

お腹の傷がうずく。ふくらはぎがパンパンに腫れてきて少しふらついた。

しかし武雄はそんな私には目もくれず、今朝降り立った駅から電車を乗り継ぎ、
何ごともなかったかのように新幹線に乗り込んだ。

情けないことに、私自身も何ごともなかったかのように従った。

春とはいえ、日没は早かった。
静岡駅へ着くころには、すでに夜になっていた。

「あのさぁ、おれ、このまま東京へ帰るから。
この二日間、お前に付き合ったから仕事が溜まっているし。そいじゃあ」

そう言って武雄は静岡駅で私だけを降ろすと、
そのまま東京へ帰って行った。

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罠 …60

田畑修一郎2
08 /11 2022
退院した翌年は不気味な一年だった。

どんな困難であっても逃げない、ケリをつける、
そう決めて勇ましく歩き出したはずなのに、そうはならなかった。

自分はしっかりしているから大丈夫と思っていたが、
今まで通り、夫に振り回される情けない年になった。

大学生になった長男は、
父親のいる東京を避けるように関西の大学へ進み、
二男は高校生になった。

そして二男と私との二人暮らしが始まった。

あれは退院から4か月余りの4月末のことだった。

久し振りに東京から帰ってきた夫の武雄が帰って来るなり、
「大阪へ行こう」と言い出した。


私はてっきり、こう思った。

長男に会いに行こうとしているのだ。
新生活の手助けを何一つしなかった自責の念に駆られたのだと。


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ところが違った。

「ほら、お前が入院した時、親戚の医者が口利きしたんだろ? 
お礼に行くべきじゃないのか」

お礼? 何故、今? 

従兄弟は関西に住んでいた。
私はこの人とは東京にいたころ、1度か2度しかあったことがない。

まして武雄は会ったことも話したこともないのに、
こうも馴れ馴れしくわざわざ出向くってどういうことなんだろう。

「雄二を一人、家に残して行くことはできない」と言うと、
口辺を歪めて声を荒げた。

「今しかないんだよ。クソ忙しいのに一緒に行ってやるって言ってんだよ。
行くのか!行かないのか!」と凄む。

そうして凄んだかと思ったら、今度はご機嫌を取るかのように優し気な声で、
「オレが費用、全部出すからさァ」と、エヘラエヘラ笑った。

いやな笑い方だった。

今にして思えば、それは、
彼の叔父、田畑修一郎が小説の中で描いていた
武雄の父のあの「えべったん笑い」そのものだったのだが…。


DSC07642.jpg

しかし、この強引さは何だろう。
費用はオレが出すって、夫婦なのに変ではないか。

なにかいやなものを感じて私は返事を渋った。

それに武雄は、私の従兄弟の勤務先をなぜ、知っているのだろう。

それだけではない。すでに先方に連絡済みだと言う。

ずいぶん後になって兄から聞いた。

「武雄君が電話して来て、
どうしてもお礼に行きたいから連絡先を教えてくれと言うので、
その必要はない。第一、妹は病み上がりじゃないか。
どうしてもと言うのなら、電話で充分だよと言ったんだ」

兄のその助言を無視して強引に行こうとするのは、やっぱり変だ。

ふと、あの手術直後の個室での出来事が頭をよぎった。

タンが絡んで呼吸困難になっていた私を、ただ見下ろしていた夫のあの顔。

看護師から「なぜタンを切る薬をあげなかったのか」と叱責されて、
私の胸にその薬を投げつけて出て行った、あの冷酷な顔を…。


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ここ数年、おかしなことばかり続いていた。

小学6年生だった二男が友人を連れて、
「ジャーナリストの自慢の父」に会いに行ったのに部屋に置き去りにされた。

友人の前でメンツをつぶされた二男の雄二が、ポツリと言った。

「友達が言うんだよ。君んちお父さん、愛人がいるんじゃないのって。
そんなに家に帰らないのは愛人がいるせいだって」

「愛人」という言葉を、まだ小学生の息子が口にした。

私はうろたえた。
そんな言葉を息子に言わせてしまって、どうしたらいいのか。

だがこの時も私はいつものように、沈黙を押し通した。

二男だけではない。

夏休み、東京の予備校に通うために
父の暮らすアパートへ出かけた長男の大介が、夜になると電話でこう言った。

「いつもぼく、独りなんだよ」

それからまもなく家へ帰ってきた大介は、父の部屋の鍵を私に出して言った。

「これはお母さんが持つべき鍵だから」


そう言って父の部屋の鍵を突き付けられたときも、
私は動揺を悟られまいと口を引き結んだままだった。


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私は長い間、夫の居場所も電話番号も知らせてもらえなかった。
おかしなことだと思ったし緊急の時どうしたら、という不安はもちろんあった。

だが、「俺をそんなに信用できないのか」と言う夫に逆らえなかった。

「お母さんが強く言えないから、ぼくらまで惨めな思いをする」
と、長男がうめいた。

その通りだと思ったし、このままではいけないとも思った。
きちんとしなければ子供たちに迷惑をかけてしまう。

ある日、勇気を出して夫に言った。
「もう私と一緒にやっていく気がないのなら、はっきり言ってください」と。

武雄は激怒した。

「お前はホントに何んにもわかっていないんだな。
オレが家に帰れないほど働いているのは、なぜだと思ってるんだ。
みんなお前たちのためじゃないか」

そうわめくとそのままプイと家を出て、そのまま戻って来なかった。

久し振りに帰宅した夫にすき焼きを出すと、
「肉の顔見るのは何カ月ぶりかなあ」という。

そういう夫の言動のなにもかもが芝居がかっていると感じたが、
そのときも私はまだ、
「帰れないほど忙しく働いている」という言葉を信じたい気持ちと、
「食べさせてもらっている」という負い目に囚われていた。

それに優しい時も確かにあった。
そんなことをぼんやり考えていた時、武雄の怒気をはらんだ声が飛んできた。

「行くのか! 行かないのか!」


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ハッと我に返ったとき、
「行きます」と言う言葉が口を突いて出た。


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無になる …59

田畑修一郎2
08 /08 2022
退院して間もなく、ふいの訪問客が増えた。
みんな初めて見る顔ばかり。

どこからともなく、わらわら湧いてきた。

押し売りではなかったが似たようなもので、宗教の押し売りだった。
子連れもいた。

この人たちの、人の不幸を嗅ぎつける嗅覚は犬も顔負けだと思った。

こちとら病み上がりだよ。しかも全く知らない人。
そういう輩が他人の家に押しかけるってどう考えても、まともじゃない。

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所属教団名を名乗る者はほとんどいなかったし、
「宗教じゃない」と言い張る者もいたが、雰囲気は同じ。

顔つきはみんな似たりよったりで、始終笑ってやたら自信にあふれていた。

かれらがゾッコンの教祖はいろいろで、
メシアだの救世主だのキリストの生まれ変わりだの、
東西の神さまのごちゃまぜだのって、

なんとまあ、「神さま」ってたくさんいるもんだなと驚いた。

「興味がない」と断ると、あっさり引き下がる人もいれば、
「そんな態度だからガンになったんだ」と、
どこで聞いたのか、「ガン」という言葉を使って捨て台詞を吐く「羊」もいた。

10歳ぐらいの子供が絵を示して、「これが理想世界です」と得意気に言った。
うしろにいた父親も得意満面で胸を張っている。

見るとライオンや虎や象などの猛獣と人間たちが、
仲良く広場に集まってニコニコ笑っている。

ちょっといたずら心が起きて、
「もしこのライオンが腹ペコだったら、僕、食われちまうよ」
と口に出掛かったが、無言で手を振ってドアを閉めた。

「イワシの頭も信心から」と言うのだから、あなた方の好きにすればいい。
だけど、子供だけは自由にした方がいいよ。

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どの人も善良そうで真面目そうで熱心で、
それで言うことは決まって「愛」「平和」「救済」

おいおい、愛だの救済だのと自信たっぷりに言うのなら、
ちょいと品がないけど、今の私の気持ち、お伝えしましょうか。

「同情するなら金をくれ!」

「信心しなければ地獄に落ちる」って、あんた、地獄を見たことあるの?
「先祖の因縁」って言うけどさ、
縄文の昔から考えたら、そりゃ、いろいろあるだろうさ。

私は今、地獄の真っただ中だけど、こう思ってる。
現実の出来事は現実の世界で解決するしかないんじゃないの?って。

現実に立ち、
これから自分の身に起きたことを一つ一つ解決していこうとしている私には、
こういう「クローン人間」はその対極にある人たちだ。

彼らは他人が作った「仮想世界」の住人たちなんだろうと思った。

その仮想世界でただ一人、「現実の世界」に生き、俗世を謳歌しているのは、
彼らが神と崇める教祖だけなんだろうなとも思った。

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人の冗談を真に受けては笑われ、頼まれ事は無理してでも引き受ける、
そういう私を見て、「どうしてキミは周りに遠慮ばかりしているんだね。
もっと自分を大事にしなきゃダメだよ」

と、人生の先輩たちから忠告されてきたトンチンカンで隙だらけの私が、
この長い人生の中で、
マルチやカルト宗教や詐欺を回避できたのはどうしてなんだろう。

単なる幸運なのか、それとも干渉され嫌いが幸いしたのか。

はたまた、
誘われて行った有名歌手のコンサートで、観客総立ちで熱狂している中、
独り冷めて座っていた私を見て友人は困惑したが、
そういう「乗れない性格」のせいなのか自分でもわからない。


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私は登山が好きだった。

ただ頂上を目指して黙々と歩くという行動に、
修行のようなものを感じてもいた。頂上についた頃、いつも思ったものだ。

「無になれた」と。

孤高を気取っていたわけではない。

どんなに大勢で登っていても、歩くのは自分自身だから孤になれる。
この瞬間のために私は歩いた。
だれに指図されたわけでも誰のためでもない。自分のために。

何も考えずただ歩く。ひたすら歩く。一歩、また一歩と。

花、木、川の音、鳥の声や風の音、
空や雲や踏みしめた大地のそのすべてに、私は精霊や命を感じつつ歩いた。

そうして、
解き放たれた心のすき間に自然からの恩恵を埋めていった。

下山した時、
俗世間から受けた垢や埃が浄化されて、新たな生きる力を獲得できたと思った。

流した汗、足の筋肉痛のひどい分だけ、
心身の迷いや苦悩や穢れが外へ押し流されたと感じた。


笊ケ岳登頂への途中の「幻の池」。消滅していた池がこの日は姿を見せていた。
img20220730_09184988 (2)

10代の頃は坐禅をやった。

夕方から夜間の参禅、明けの明星を背にした早朝参禅、
夏には緑陰禅をやった。

ただ座っているだけ。
誰かに強制されたわけでも、小難しい法話を聞いたわけでもない。

シンと静まり返った坐禅堂でひたすら座り続け、
時折り僧が打つ警策を肩に受けて、そうして「無」になり、現実へ戻った。

登山は坐禅に似ていた。
子供のころから群れることが苦手だったから、どちらも性に合った。

禅の「来る者は拒まず、去る者は追わず」がしっくりきたし、
なによりも、人を頼らず自分自身で決め、実行することが快感だった。

「自分でやるしかない」という母の言葉が、さらに現実直視へと私を促した。

退院した翌年はそのスタートの年となった。
だが、解決までの道のりは遠かった。


       
         ーーーーー◇ーーーーー

ーーー原爆投下で被ばくさせられた方々を悼むーーー

今年も「2度と過ちを繰り返させてはならない」と誓う日がやってきました。
私は夏が来るといつもこの写真を見ます。


「焼き場に立つ少年」 ジョー・オダネル撮影
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そして山の先輩だった広島の橋本さんを思い出します。

爆心地からほど近い場所で倒れたまま何日か過ごし、
探しに来た兄に発見されて奇跡的に助かったと何度も聞かされた。

背中一面のケロイドにもめげず、生涯独身で山を友として生き、
そして一人で世を去った。

子連れの鳳凰三山で知り合い、共に神奈川、広島の山を登った。
わが家へ泊った時は「もっと立派な家かと思った」と笑い、
彼女の家へ泊めていただいたときは「こんな小さな家で」と、顔を赤らめた。

動物園が大好きでひまさえあれば動物園へ通った。
小さな山にこれまた小さな手作りの山小屋を建てて住み、
「夕べは熊がきたらしい」と笑った。

原爆の話になると形相が変わったが、
くっついたままの手の指を庇いながら、グチをこぼさず明るく生きた橋本さん。
あの笑顔を思い出します。


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カブトムシ

できごと➁
08 /05 2022
夕方、
買い物に行こうとドアを開けたら、カブトムシがひっくり返っていた。

助けなきゃ。

朝から今までずっとひっくり返っていたようで、
指につかまらせようとしたが反応が弱い。

ならばと、厚紙に乗せて室内へ。

鉄筋長屋の長い通路は、明かりに寄ってきた虫たちのたまり場。
カミキリやクワガタ、カナブン、蛾とまるで昆虫館。

しかし、カブトムシの訪問は近ごろでは珍しい。

買い物から帰るまで、とりあえず黒砂糖水を浸した布を置いて出かけた。

帰宅後覗いたら、布にしがみついている。
これなら元気になるかもと思いつつ、今度はしがみつく木の枝を探しに。

ダンボールに木の枝を渡し、そこへ誘導するも反応が鈍い。
バナナを割りばしに刺して、鼻先に置いても動かない。

2時間ほど後で見たら、なんと、バナナにしがみついていました。

20220728_175332 (2)

心なしか、埃まみれだった羽根にツヤが出ている。

翌朝、箱を覗いたら、いない!
ヤレヤレ、良かった。元気に飛んで行ってくれたと思ったら、
器の陰からゴソゴソ。

ありゃー。

すっかり元気になって歩き回っている。
もう大丈夫だ。

夕方、近くの神社へ出かけ、大イチョウの根本へ置くと、
水を得た魚のごとく、太い根っこをしっかり掴んで元気に歩きだし、
根元に溜まった落ち葉の中へゴソゴソ潜っていった。

ヤレヤレ、一件落着。

小さな本殿の屋根から、一部始終を見ていた「四方睨みの猿」
CIMG1433~1 (2)

帰り際、神社に手を合わせて「カブトムシをお守りください」と祈った。
虫のために二礼二拍手一礼したのは初めて。神さま許してね。

ところがです。

次の日、ドアを開けたら、
またもや「ダルマさんが転んだ」状態のカブトムシが…。今度のは若い雄。

またかよ!と思ったが、見て見ぬ振りは出来ない。

一晩中恋人を求めて飛び回っていたのだろう。
うしろ羽根ははみ出し、角も足も蜘蛛の糸だらけ。

からまった蜘蛛の糸を取り除いている間も抵抗なし。
ダメかもなあ。

他のバナナは私が食べちゃったので急きょスイカを与えたら、
弱々しいけどしがみついた。


20220731_095245 (2)

いけるかも、と期待したが、やっぱり力尽きた。

せめてもと思い、頭をちょっと撫でてやりました。


カブトムシくんの遺影
20220731_152344 (2)

これでおしまいと思っていたら、
3日目の早朝、またしても「ダルマさんが転んだ」が一匹。

勘弁してよ~。

今度のは大きな雄で、兜もツヤツヤで元気いっぱい。

彼らは太陽に弱いから、
コンクリートの上でひっくり返ったままにはしておけない。

というわけで、保護と相成りました。

そして3時間後、昨日、雌を放った神社へ行き、
「ヘビさん、出ないでよ」と念じつつ、同じ場所に放してやりました。


20220801_051457 (2)

ついでながら、みなさま、教えてください。

台所のガス台の壁に、オレンジ色の虫を発見。
体長は1㎝ほどと小さいけれど、触覚はやけに長くて、体の2倍弱。

こんなところにいたら火あぶりになっちゃうよと、慌ててベランダへ。
これ、神棚用の榊についてきたのかも。

小さい上に動きが早くて写すのに四苦八苦。
ピンボケですが、どなたか虫の名前、教えてください。

20220801_062343 (2)
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Welcome To Shizuoka !

できごと➁
08 /02 2022
タイからお客様がやってきました。

タイの魔女・PERNさんと日本男児のちい公さんご夫妻です。
PERNさんにとっては2年数か月ぶりの来日。

各地に旧知の方々を訪ねる旅を始めて20日余。
九州からスタートしてどん尻が静岡という壮大な二人旅です。

さて、静岡でのPERNさんの希望はただ一つ、

「富士山が見たい!」


CIMG5808 (2)

ちい公さんは、
「静岡市はどこからでも富士山が見える」と思っていたそうですが、
見えないんですよねえ、これが。

江戸の頃は、安倍川を渡りいよいよ駿府の町へ入ると、
眼前に白亜の駿府城と富士山が威風堂々と現れたそうですが…。

そこで富士山が見えるコース、
日本平・夢テラスと清水港湾内クルーズはどうかと思ったのですが、
暑さに加え、コロナ患者急増やらワクチン未接種の私への配慮で、

静岡市内で食事ということに落ち着きました。

初めてお会いするので、こんな工夫をしました。


「Welcome To Shizuoka」
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これを掲げて改札で待ち受けていたら、すぐわかってくれた。

「あ、紙が逆さだ」とPERNさん。

この日は、
以前、PERNさんが送って下さったタイの巻きスカートを巻いて…。

金糸をふんだんに使った豪華なものです。


「どこから見てもタイのおばさんだ」と言われて、タイ人になり切りました。
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まずはランチ時間まで、ホテルアソシアのロビーラウンジでお茶。

広々とした空間にクッションの利いた大きな椅子で、感染の心配なし。

そこから料亭「浮月楼(ふげつろう)」へ。

駅から徒歩5分という近さ。
それでいてそこだけ、静寂の異次元空間になっている。

ここは明治維新で江戸を追われた最後の将軍、
徳川慶喜公の屋敷だったところです。

しかし、すぐ後ろを東海道線が走ることになり、その騒音を嫌って、
慶喜公は別のところに屋敷を構えて転居してしまいます。


「東海の名園」と謳われたお庭です。
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池に突き出た薪能の舞台です。
若い美魔女と老魔女の撮影の競演。

ここの鯉はみな肥え太っていました。
手を叩いても知らん顔。さすが将軍家の鯉です。気位が高い。


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PERNさんのファッションセンスは抜群です。

私は息子二人なので、昔は玄関に赤い靴があるのを夢見ていましたが、
この日はちょっぴり叶いました。

可愛くてね、娘か孫娘を持ったようで内心、嬉しくて…。
ハグをしたかったけど、こんな時期に接触は迷惑かなと思い断念。

PERNさんは、古風なものと現代風なものを合わせ持つ魅力的な女性でした。

気配りと優しさの奥に見えるのは芯の強さ。

悲しみも苦しみもみんな慈愛に変えて自力で乗り越えてきた、
そんな潔さを感じました。


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食事は3階の「レストラン浮殿(うきどの)」

静岡の滞在はほんのわずかでしたが、お会いできて本当に良かった!

遠方からのお越しだったのに、両手いっぱいのお土産です。
ココナツのお菓子、タイのポッキーにキャンディ、ジンジャー&蜂蜜の飲み物、
足指のパウダーまで。


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極め付けは洋服と大きな手提げです。
どれもみんなPERNさんが一生懸命選んでくれたものなんですね。

さっそく着てみましたよ! 如何でしょう?

秋になったら使わせていただきますね。


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あとから気付いたのですが、PERNさんは訪問先で、
お得意のタイ料理を作ってくださる計画だったんですね。

またの機会に、我が「倒れ荘2」へ。

そうそうご夫妻は到着早々、駅のロッカー前で、
鍵の開け方がわからないおじさんやおばさんから次々頼られて、
親切に開けてあげて…。

みんな、静岡市初訪問の旅のお方にお世話になっちゃって。

申し訳ないような、でもなんだかおかしくて笑ってしまった光景でした。

PERNさん、ちい公さん、

老い先短い私ですが、無事、コロナ禍を乗り切って健康に留意しつつ、
またお会いできる日を楽しみにしております!


奇しくもPERNさんと私、同じ8月生まれ。

HAPPY BIRTHDAY TO YOU!
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞