安楽死 …57
田畑修一郎2
一家が崩壊する前兆みたいに、飼い犬のGがこの世を去った。
この世を去ったというのは正しくない。私が殺したのだ。
Gは私が退院して間もなく、泡を吹いて倒れた。
往診を頼んだ獣医さんから、心筋梗塞だと聞かされた。
注射を打つと、やがて呼吸が落ち着いてきた。
帰り際、獣医さんから、
「水を欲しがっても飲ませたらいけない。窒息死しかねないから」
そう言われたが、
欲しがってシーシー鳴くので口を濡らしてやると、
嬉しそうにペロペロ舐めた。
そのとき、Gの目から涙がひとつぶ、ポロっと落ちた。
ひそかに炬燵に潜ったけれど、頭隠して尻隠さず。
律儀に後ろ脚は窓の外だから、すぐばれた。
犬は戸外で飼うものという固定観念があったので、Gはいつも庭にいた。
でもいつも羨ましそうに中を覗いていた。

見えない目から涙が…。
犬も涙を流すのかと驚いた。
同時に、自分の命の瀬戸際にあっても、
飼い主へ感謝を見せるGの真っすぐな性格に胸が締め付けられた。
うかつにも、私はGの失明に長いこと気付かなかった。
名前を呼ぶと小首を傾げ、
匂いの元を探るみたいに鼻を上向きにしてそろそろと歩き出し、
サッシの縁に体をつけて移動する。
そのしぐさを見て、私は初めて気が付いた。
Gは目が見えていないんだ、と。
思えばここ数年、自分や子供たちのことばかりに集中していて、
Gのことはほったらかしにしてきた。
私の入院中はみんな犬どころでなかったに違いない。
退院してきたとき、
犬小屋の横にGの排せつ物が山のようになっていた。
めったに入れてもらえない室内に、この日は許可されて

その汚物の山を見たとき、せめて夫が片付けてくれていたらと思ったが、
留守の子供の心配すらしない人に期待するのは、しょせん無理な話だ。
こうした荒んだ家庭では、犬や猫を飼ってはいけないんだとつくづく思った。
最初の発作のとき、トイレに行きたがったGを長男が抱えて、
外でおしっこをさせたら、このときも嬉しそうにシッポを揺らした。
重症の体になっても、Gは恩を忘れなかった。
そのときは奇跡的に元気になり、2度目の発作は自力で回復した。
3度目の発作は半年後の夏の初めに起きた。
往診を頼んだ獣医さんが、「まだ生きていたとは」と驚いた。
最初の発作のとき、もう助からないと思っていたのだという。
このときは二男が登校してしまい、
この大きなGを抱える力がなかった私は、
海岸で差す大きなパラソルで日差しを遮ってやるしかできなかった。
「この夏はもう乗り切れない。もう助からない」と獣医が言った。
動物は己の死期を悟る本能は人間よりあるという。
このときGの脳裏に去来したのは、
一番密着度が高く最後まで身近にいてくれた二男なのかもしれない。
二男に犬小屋を乗っ取られ、

ゴルフの標的にもされた。

大きな唸り声をあげて苦しそうなG。
私は途方に暮れた。
お金がないから治療が長引けばどうしたらよいのか。
犬の治療費より人間の食費にそれを回したいし、
家には車がないから、死なれたときどうしたらいいのかわからない。
それにこれ以上、苦しむ姿を見るのは耐えられない。
これは実情を率直に獣医さんに話すしかないと、ありのままを話した。
獣医さんは黙って聞いてくださった。
それからこうおっしゃった。
「本当は最期まで看取ってやって欲しい。
でもご事情はよくわかりました。
自分が責任を持って愛護館へ埋葬をお願いしてきますから」
そう言って、獣医さんはGを引き取ってくれた。
ふとGを見ると、さっきまでの荒い呼吸がなくなって静かになっている。
私のこのむごい決断を聞いていたに違いない。

「このまま苦しませるより、安楽死を」と言った私のその言葉は、
たとえ数日の命であってもあまりにも身勝手すぎる。
これが息子たちであったなら、私はどんな犠牲を払ってでも助けたはずだ。
獣医さんのワゴン車の荷台に横たわったGは、
見えない目で静かに夏の青い空を見上げていた。
体や腕をさすっていたとき、爪が丸まっていることに気が付いた。
そういえば長い間、切ってやらなかった。本当にひどい飼い主だったんだ。
14年もの間、何があっても私たち一家を信頼し支え守ってくれたGを、
今度は守り支えるのが私の責務なのに、
それを最後の土壇場で人間の私が裏切ってしまった。
私はこの罪をずっと背負って生きていくしかないと思った。

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この世を去ったというのは正しくない。私が殺したのだ。
Gは私が退院して間もなく、泡を吹いて倒れた。
往診を頼んだ獣医さんから、心筋梗塞だと聞かされた。
注射を打つと、やがて呼吸が落ち着いてきた。
帰り際、獣医さんから、
「水を欲しがっても飲ませたらいけない。窒息死しかねないから」
そう言われたが、
欲しがってシーシー鳴くので口を濡らしてやると、
嬉しそうにペロペロ舐めた。
そのとき、Gの目から涙がひとつぶ、ポロっと落ちた。
ひそかに炬燵に潜ったけれど、頭隠して尻隠さず。
律儀に後ろ脚は窓の外だから、すぐばれた。
犬は戸外で飼うものという固定観念があったので、Gはいつも庭にいた。
でもいつも羨ましそうに中を覗いていた。

見えない目から涙が…。
犬も涙を流すのかと驚いた。
同時に、自分の命の瀬戸際にあっても、
飼い主へ感謝を見せるGの真っすぐな性格に胸が締め付けられた。
うかつにも、私はGの失明に長いこと気付かなかった。
名前を呼ぶと小首を傾げ、
匂いの元を探るみたいに鼻を上向きにしてそろそろと歩き出し、
サッシの縁に体をつけて移動する。
そのしぐさを見て、私は初めて気が付いた。
Gは目が見えていないんだ、と。
思えばここ数年、自分や子供たちのことばかりに集中していて、
Gのことはほったらかしにしてきた。
私の入院中はみんな犬どころでなかったに違いない。
退院してきたとき、
犬小屋の横にGの排せつ物が山のようになっていた。
めったに入れてもらえない室内に、この日は許可されて

その汚物の山を見たとき、せめて夫が片付けてくれていたらと思ったが、
留守の子供の心配すらしない人に期待するのは、しょせん無理な話だ。
こうした荒んだ家庭では、犬や猫を飼ってはいけないんだとつくづく思った。
最初の発作のとき、トイレに行きたがったGを長男が抱えて、
外でおしっこをさせたら、このときも嬉しそうにシッポを揺らした。
重症の体になっても、Gは恩を忘れなかった。
そのときは奇跡的に元気になり、2度目の発作は自力で回復した。
3度目の発作は半年後の夏の初めに起きた。
往診を頼んだ獣医さんが、「まだ生きていたとは」と驚いた。
最初の発作のとき、もう助からないと思っていたのだという。
このときは二男が登校してしまい、
この大きなGを抱える力がなかった私は、
海岸で差す大きなパラソルで日差しを遮ってやるしかできなかった。
「この夏はもう乗り切れない。もう助からない」と獣医が言った。
動物は己の死期を悟る本能は人間よりあるという。
このときGの脳裏に去来したのは、
一番密着度が高く最後まで身近にいてくれた二男なのかもしれない。
二男に犬小屋を乗っ取られ、

ゴルフの標的にもされた。

大きな唸り声をあげて苦しそうなG。
私は途方に暮れた。
お金がないから治療が長引けばどうしたらよいのか。
犬の治療費より人間の食費にそれを回したいし、
家には車がないから、死なれたときどうしたらいいのかわからない。
それにこれ以上、苦しむ姿を見るのは耐えられない。
これは実情を率直に獣医さんに話すしかないと、ありのままを話した。
獣医さんは黙って聞いてくださった。
それからこうおっしゃった。
「本当は最期まで看取ってやって欲しい。
でもご事情はよくわかりました。
自分が責任を持って愛護館へ埋葬をお願いしてきますから」
そう言って、獣医さんはGを引き取ってくれた。
ふとGを見ると、さっきまでの荒い呼吸がなくなって静かになっている。
私のこのむごい決断を聞いていたに違いない。

「このまま苦しませるより、安楽死を」と言った私のその言葉は、
たとえ数日の命であってもあまりにも身勝手すぎる。
これが息子たちであったなら、私はどんな犠牲を払ってでも助けたはずだ。
獣医さんのワゴン車の荷台に横たわったGは、
見えない目で静かに夏の青い空を見上げていた。
体や腕をさすっていたとき、爪が丸まっていることに気が付いた。
そういえば長い間、切ってやらなかった。本当にひどい飼い主だったんだ。
14年もの間、何があっても私たち一家を信頼し支え守ってくれたGを、
今度は守り支えるのが私の責務なのに、
それを最後の土壇場で人間の私が裏切ってしまった。
私はこの罪をずっと背負って生きていくしかないと思った。

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