命を託す …54
田畑修一郎2
幼な子を長野の実家に預けているというFさんとは、
新生児室の前で知り合った。
そのころの私は新生児室に出かけ、
ガラス越しに生まれたばかりの赤ちゃんを見るのが日課みたいになっていた。
そこへやって来たのがFさんで、
初対面の時、「お宅の赤ちゃんはどこですか?」と、声を掛けられて、
思わず、あらーっと、声を出した。
「私、病人なんです。若く見てくださって嬉しい」と言うと、
Fさんは「すみません」と、恥ずかしそうに柔らかく笑った。

それから二人して、
ガラスの向こうにズラリと並んでいる赤ん坊をいつまでも眺めた。
少し頭が長い子は、難産だったのかなとか、
口をパクパクしているから、お腹が空いたのかも、とか。
一人が泣きだすと連鎖反応みたいに、次々「フギャフギャ」泣きだす。
「見ているだけでなんだか救われますね」と言うと、
Fさんは赤ん坊に目を向けたまま、「はい」と、返事をした。
Fさんは、ここにいる赤ん坊に、
長野の実家へ預けている幼い我が子を重ねているのだろう。
私は自分の命をこの子供たちに託していくような、そんな気がした。
そうして私たちは、この新しい命を飽かず眺めては、
ひととき、安らかな気持ちになった。

そのFさんも、年末年始を家で過ごすために、
すでに病室をあとにしていた。
「おじいちゃんとおばあちゃんが娘を連れて来てくれるんです。
今年のお正月は娘と過ごせるんです」
そう言って、Fさんは晴れやかな笑顔を見せた。
大晦日にここに残っている患者は数えるほどしかいなかった。
ハツエはその中の一人になってしまったんだろうか。
そういえば、ハツエの夫は抗がん剤治療のあとも、病室へは来なかった。
でもお正月には、きっと懐かしい我が家へ帰るに違いない。
そう念じつつ、私は病室をあとにした。。
そのハツエのその後を聞いたのは、退院から3か月ほどたったころだった。
退院後の経過観察のため、再び病院を訪れたとき、
私は階段を危なっかしく降りて来る患者を見た。
ひどく疲れたような様子だったが、見覚えのある顔だった。
顔はやつれているけれど、ぶよっとした体とずんぐりした肩。
もしかしたら、あれは岡本八重さんではないのか。

しかし、昨年、みんなに送別会を開いてもらい、
私が「命」を感じたあの「冬のいちご」をふるまい、
翌日は見違えるほど着飾って、元気いっぱいに退院したはず。
それがなぜ、今、ここに?
相手も私に気づいたのか、階段の途中で立ち止まり、私を凝視している。
あの目は八重さんだ、間違いない。
私は不安な気持ちを押さえながら、階段を一気に駆け上った。
「八重さん? 八重さんよね」
そう呼びかけると、八重は顔をくしゃくしゃにして頷いた。
「どうして? どうしてまた…」
「私、肝炎になっちゃって」
八重は胸に溜まっていたものを吐きだすように早口で言った。
「肝炎?」
「うん。私、輸血したでしょ。それにウイルスが…」
私も輸血した。だが私は無事だった。
それなのに、八重さんは肝炎に…。
私は言葉を失った。

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新生児室の前で知り合った。
そのころの私は新生児室に出かけ、
ガラス越しに生まれたばかりの赤ちゃんを見るのが日課みたいになっていた。
そこへやって来たのがFさんで、
初対面の時、「お宅の赤ちゃんはどこですか?」と、声を掛けられて、
思わず、あらーっと、声を出した。
「私、病人なんです。若く見てくださって嬉しい」と言うと、
Fさんは「すみません」と、恥ずかしそうに柔らかく笑った。

それから二人して、
ガラスの向こうにズラリと並んでいる赤ん坊をいつまでも眺めた。
少し頭が長い子は、難産だったのかなとか、
口をパクパクしているから、お腹が空いたのかも、とか。
一人が泣きだすと連鎖反応みたいに、次々「フギャフギャ」泣きだす。
「見ているだけでなんだか救われますね」と言うと、
Fさんは赤ん坊に目を向けたまま、「はい」と、返事をした。
Fさんは、ここにいる赤ん坊に、
長野の実家へ預けている幼い我が子を重ねているのだろう。
私は自分の命をこの子供たちに託していくような、そんな気がした。
そうして私たちは、この新しい命を飽かず眺めては、
ひととき、安らかな気持ちになった。

そのFさんも、年末年始を家で過ごすために、
すでに病室をあとにしていた。
「おじいちゃんとおばあちゃんが娘を連れて来てくれるんです。
今年のお正月は娘と過ごせるんです」
そう言って、Fさんは晴れやかな笑顔を見せた。
大晦日にここに残っている患者は数えるほどしかいなかった。
ハツエはその中の一人になってしまったんだろうか。
そういえば、ハツエの夫は抗がん剤治療のあとも、病室へは来なかった。
でもお正月には、きっと懐かしい我が家へ帰るに違いない。
そう念じつつ、私は病室をあとにした。。
そのハツエのその後を聞いたのは、退院から3か月ほどたったころだった。
退院後の経過観察のため、再び病院を訪れたとき、
私は階段を危なっかしく降りて来る患者を見た。
ひどく疲れたような様子だったが、見覚えのある顔だった。
顔はやつれているけれど、ぶよっとした体とずんぐりした肩。
もしかしたら、あれは岡本八重さんではないのか。

しかし、昨年、みんなに送別会を開いてもらい、
私が「命」を感じたあの「冬のいちご」をふるまい、
翌日は見違えるほど着飾って、元気いっぱいに退院したはず。
それがなぜ、今、ここに?
相手も私に気づいたのか、階段の途中で立ち止まり、私を凝視している。
あの目は八重さんだ、間違いない。
私は不安な気持ちを押さえながら、階段を一気に駆け上った。
「八重さん? 八重さんよね」
そう呼びかけると、八重は顔をくしゃくしゃにして頷いた。
「どうして? どうしてまた…」
「私、肝炎になっちゃって」
八重は胸に溜まっていたものを吐きだすように早口で言った。
「肝炎?」
「うん。私、輸血したでしょ。それにウイルスが…」
私も輸血した。だが私は無事だった。
それなのに、八重さんは肝炎に…。
私は言葉を失った。

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