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ぼくらは家族じゃなかったのか …51

田畑修一郎2
07 /09 2022
ひどいことになったと思った。とても現実のこととは思えなかった。

病気を一人で抱えている私に、今度はお金の工面をしろとは…。
ここまで冷酷になれる夫は、夫の皮を被った別人ではないかとさえ思った。

本当に人間って、こんなに変わってしまえる生き物なんだろうか。
それともこれが夫の本性だったというのだろうか。

電話の向こうで武雄が言った。
「オレが病気になったわけじゃなし」

そういえば結婚して間もなく、同じようなことを言っていた。
生活費をくれないので困って、しばらく私の失業保険で食いつないだ。

とうとうお金が無くなって催促したら、武雄はこう言い放った。

「オレが稼いだ金をオレが使って何が悪い」

この人は変わったわけじゃない。最初からこういう人だったんだ。

夫の武雄と過ごしてきた20年という歳月が突如、私の頭の中に浮かび、
それが猛烈なスピードで回転し始めた。

私たちは東京で知り合った。
同じ会社の先輩後輩だった。

IMG_4773.jpg

ごく自然に出会い、それから自然の流れで結婚した。
子供もできて、世間並みの家庭を作った。

東京から地方へ転居してからは、
家族みんなでハイキングにも行ったし、海にも行った。

犬も猫も家に迎えて、野山を駆け回わり、桑の実や野イチゴも食べた。

確かに、新婚当初からあった武雄の子供っぽさは、
年を追うごとにひどくはなった。

だが、今のこの異常さは…。

武雄の育った家には年老いた母親と年の離れた兄と姉がいて、
戦後のバラックに毛が生えたような粗末な小さな家で暮らしていた。

そこへ時折り訪ねてくるのが、お見合いの日に一度だけ同衾して、
そのまま別居を続けているという義兄の妻と娘で、
みんな奇妙な人たちだった。


ボットン便所からうじ虫が這い上るのを見て驚いたけれど、
驚いた態度を見せてはいけないと、私は平静を装った。

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ただ、「優秀な大学を二つも出た兄の昭一」が、
「会計士になるための難しい勉強を続けるために無職」という言い訳や、

「お父ちゃまは新聞記者だった。以前は武蔵野で広大なお屋敷に住んでいた」
と言う義姉のまやかしや、

夫と子供を捨てて武雄の父と駆け落ちしてきたという義母に、
なにか得体の知れない不安を持っていたことは確かだった。

武雄はその母や兄、姉のウソの生き様が嫌いだと言った。

そこから逃げ出したいとずっと思っていたと真剣に訴えたとき、
私はそれを信じたのだが…。


DSC05775.jpg

それが今、根底から壊れかけている。

病気の妻を我が子もろとも平気で捨てる武雄もまた、
あの一族と同類だったという、おぞましい現実が形を表したのだ。

私はそのことに最初から気づいていたのに、それを払拭するために、
「なんとかなる」と、ごまかしてきただけだったんだ。

武雄は新婚当初から、あれほど嫌いだと言っていた実家へ頻繁に出かけ、
帰るなりこう言った。

「おふくろがサ、わざわざ向こうへ帰ることもないじゃないのって、
そう言って俺を引き留めるんだよな、ハハハ」

年々、虚しさは増して、事態はひどくなっていった。

そして今また、「お金がない。入院費が払えない」と。

病院へ顔を出した長男の大介が、声を押し殺すように言った。

「金がないんならサラ金にでも借りてくるのが家族というもんじゃないのか。
お母さん、ぼくらは家族じゃなかったのか」


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何も言い返せなかった。

退院まじかだというのに、その日から微熱が出た。
「腎臓をやられないように気を付けて」
と、看護師が心配そうに声を掛けてきた。

負けたくない。ここで負けたら恨みが残る。恨んだまま死ぬのなんていやだ。

微熱というのはなかなかクセモノで、
「さあさあ、これが高熱になるか消えるかはあなた次第」と、
どうやら患者にその舵を取らせようとするものらしい。

だから私は微熱退散に全神経を傾けた。
だが、入院費用の工面だけは頭から離れなかった。


私は熱を帯びたお腹に氷を当てながら、どうしたらいいんだろうと考えていた。
そうして天井を眺めていると、次第におかしさが込み上げてきた。

みかん畑の支柱にからまってしまったカイト。まるで当時の私みたいだ。
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だってそうじゃないか。

世間広しと言えども、夫に入院費を払ってもらえない妻なんて、
そうそういるはずがない。

へその脇からその果てまで鋭利なメスで切り裂かれた腹の上に、
氷の袋を乗せて入院費用の心配をしている患者なんて、
哀れ過ぎてお笑いのネタにもなりはしないではないか。

ここまでくれば、かえって哀れな自分が道化に見えてくる。

そのとき、以前、何かの本で読んだ言葉を思い出した。

「人生や自分と対決しないところで、人は美しく生きることが出来ない」

「ぼくらは家族じゃなかったんだね」と言った大介。
その大介に心の中で呼びかけた。

「そうだね。あなたの言う通りだったんだね。
家族の本当の姿は、誰かが病気したときに見えてくるというけれど、
今、それが現実のものになったんだよね」

そして、こう付け足した。

「きっと生きて戻るから。
そしたらこれからはお母さん自身のこの手で、舵を握るつもり。
舵を握ったら行先を大きく変更するからね」

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞