自分の骨壺をくわえて …58
田畑修一郎2
Gがわが家へやってきたのは、東京から転居してまもなくのことで、
長男が小学1年生、二男が2歳のときだった。
近くの酒屋の奥さんから、
「知り合いの家で困っているので、犬の子をもらってくれないか。
ほかの子はみんなもらわれていったのに、
1匹だけ残ってしまって。このままだと保健所へ連れて行くしかない」
そう言われて引き取ることにした。
Gに主役の座を奪われた二男

連れてきた子犬は貰い手がなかったのもさもありなんという貧相な犬。
やせ細り、生まれながら老人みたいな可愛げがない子犬だった。
これは回虫がいるせいかもと思い、市販の虫下しを飲ませたら、
いやというほど虫が出てきて、
その後はもりもり食べるようになって、あっという間に美しい犬になった。
エアデールテリアとセッターの合いの子と聞いていたが、
そのどちらの性格も引き継いでいて、
忠実で従順、忍耐強く、温厚で聡明な犬になった。
なによりも子供が大好きで、
以後はずっと息子たちの一番の親友にして先輩、心の拠り所となった。
共に野山を駆け巡り、川遊びに興じ、
息子たちのグチや悩みのはけ口になり、安らぎを与えてくれた。

頑健な犬で、共に暮らした14年間、
一度も病気もケガもせず、獣医の世話になることはなかった。
安楽死が、獣医の手に委ねられた最初にして最後となった。
私は恩を仇で返したのだ。罪は重いと思った。
自分の病気にかこつけて、
目も見えず爪も伸び放題にしてしまい、
老犬にもかかわらず、食事に気を配るのも私は怠った。
獣医さんにGの最期を委ねたあの日、
学校から帰ってきた二男の雄二は、空っぽになった犬小屋を見て、
すべてを悟ってくれた。
私に何も聞かず、私も何も話さなかった。
いつも二男に寄り添って。
「このごろお母さん、怒ってばかり。ねえG、聞いてる?」「聞いてるよ」

翌年、私は市が毎年主催する動物慰霊祭の式典に参加した。
会場の市民会館には愛犬や愛猫、鳥などを亡くした人たちがたくさんいた。
壇上に上がった人たちが最期を看取った話をしたとき、
私はいたたまれなくなった。
こんなことで、
あれほど私たち一家に尽くしてくれたGへの贖罪になるわけがない。
バスを乗り継いで愛護館まで行き、慰霊碑に手を合わせたときも、
死んだあとになってこんなことをするのは欺瞞だと思った。
「幼稚園入園かぁ。がんばれよ」

同じ町内に住むという主婦から、猛攻撃を受けたことがあった。
「うちの息子がお宅の犬に噛まれた。
そんな狂暴な犬を飼っているのは問題ではないですか」と。
「うちの息子」は中学生で、「塀を乗り越えて庭に入り」、犬が吠えたので
「石を投げたり棒で叩いた」。被害は「ズボンに歯の跡がついた」
さらに、主婦は語気を強めて言った。
「ズボンに穴があいただけで済んだけど、下手すりゃ命にかかわった」
見知らぬ中学生が塀を乗り越えて侵入したのなら、立派な犯罪だよなあ。
不審者を吠えたのなら、番犬としての務めを果たしたことになる。
例え犯罪者でも、肉を噛まないよう気を付けてズボンだけ噛んだのは、
Gの優しさ、思慮深さなんだけどなぁ。
近所の問題児がちょくちょく空き巣に入ったときは、
顔見知りゆえにシッポを振って出迎え、まんまとやられた。
どっちにしても、Gはホントに繊細で気のいい犬だった。
そういうもろもろの出来事を思い出すたびに、己の冷淡さがそれに重なった。
「おいらの自慢の次男坊がとうとう中学生になったんだぞ」と胸を張るG

Gが逝って3年ほどたったころ、夢を見た。
灰色とも白色ともはっきりしない混沌とした中、
遠くから何かが駆けてくる気配がした。
音がしないのに、何かが懸命に駆けてくる。
その混沌としたモヤの中から、突然、Gが現れた。
見ると、口に何かを下げている。布でくるんだ丸いもの。
とっさに「Gの骨壺だ」とわかった。
Gは自分の骨壺をくわえて、私のところに駆けて来たのだ。
目は笑っていた。これ以上ないという優しさに満ちていた。
「G! G!」
そのGに向かって大声で叫んだ時、
目の前でGがパッと消え夢から覚めた。
Gはすべてを許して私のところへ帰ってきてくれたと思った。
Gをおんぶして

勝手な思い込みかもしれないけれど、
「安心していいよ」と言ってくれているような気がした。
今でもあの夢のシーンはいつも私と共にある。

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長男が小学1年生、二男が2歳のときだった。
近くの酒屋の奥さんから、
「知り合いの家で困っているので、犬の子をもらってくれないか。
ほかの子はみんなもらわれていったのに、
1匹だけ残ってしまって。このままだと保健所へ連れて行くしかない」
そう言われて引き取ることにした。
Gに主役の座を奪われた二男

連れてきた子犬は貰い手がなかったのもさもありなんという貧相な犬。
やせ細り、生まれながら老人みたいな可愛げがない子犬だった。
これは回虫がいるせいかもと思い、市販の虫下しを飲ませたら、
いやというほど虫が出てきて、
その後はもりもり食べるようになって、あっという間に美しい犬になった。
エアデールテリアとセッターの合いの子と聞いていたが、
そのどちらの性格も引き継いでいて、
忠実で従順、忍耐強く、温厚で聡明な犬になった。
なによりも子供が大好きで、
以後はずっと息子たちの一番の親友にして先輩、心の拠り所となった。
共に野山を駆け巡り、川遊びに興じ、
息子たちのグチや悩みのはけ口になり、安らぎを与えてくれた。

頑健な犬で、共に暮らした14年間、
一度も病気もケガもせず、獣医の世話になることはなかった。
安楽死が、獣医の手に委ねられた最初にして最後となった。
私は恩を仇で返したのだ。罪は重いと思った。
自分の病気にかこつけて、
目も見えず爪も伸び放題にしてしまい、
老犬にもかかわらず、食事に気を配るのも私は怠った。
獣医さんにGの最期を委ねたあの日、
学校から帰ってきた二男の雄二は、空っぽになった犬小屋を見て、
すべてを悟ってくれた。
私に何も聞かず、私も何も話さなかった。
いつも二男に寄り添って。
「このごろお母さん、怒ってばかり。ねえG、聞いてる?」「聞いてるよ」

翌年、私は市が毎年主催する動物慰霊祭の式典に参加した。
会場の市民会館には愛犬や愛猫、鳥などを亡くした人たちがたくさんいた。
壇上に上がった人たちが最期を看取った話をしたとき、
私はいたたまれなくなった。
こんなことで、
あれほど私たち一家に尽くしてくれたGへの贖罪になるわけがない。
バスを乗り継いで愛護館まで行き、慰霊碑に手を合わせたときも、
死んだあとになってこんなことをするのは欺瞞だと思った。
「幼稚園入園かぁ。がんばれよ」

同じ町内に住むという主婦から、猛攻撃を受けたことがあった。
「うちの息子がお宅の犬に噛まれた。
そんな狂暴な犬を飼っているのは問題ではないですか」と。
「うちの息子」は中学生で、「塀を乗り越えて庭に入り」、犬が吠えたので
「石を投げたり棒で叩いた」。被害は「ズボンに歯の跡がついた」
さらに、主婦は語気を強めて言った。
「ズボンに穴があいただけで済んだけど、下手すりゃ命にかかわった」
見知らぬ中学生が塀を乗り越えて侵入したのなら、立派な犯罪だよなあ。
不審者を吠えたのなら、番犬としての務めを果たしたことになる。
例え犯罪者でも、肉を噛まないよう気を付けてズボンだけ噛んだのは、
Gの優しさ、思慮深さなんだけどなぁ。
近所の問題児がちょくちょく空き巣に入ったときは、
顔見知りゆえにシッポを振って出迎え、まんまとやられた。
どっちにしても、Gはホントに繊細で気のいい犬だった。
そういうもろもろの出来事を思い出すたびに、己の冷淡さがそれに重なった。
「おいらの自慢の次男坊がとうとう中学生になったんだぞ」と胸を張るG

Gが逝って3年ほどたったころ、夢を見た。
灰色とも白色ともはっきりしない混沌とした中、
遠くから何かが駆けてくる気配がした。
音がしないのに、何かが懸命に駆けてくる。
その混沌としたモヤの中から、突然、Gが現れた。
見ると、口に何かを下げている。布でくるんだ丸いもの。
とっさに「Gの骨壺だ」とわかった。
Gは自分の骨壺をくわえて、私のところに駆けて来たのだ。
目は笑っていた。これ以上ないという優しさに満ちていた。
「G! G!」
そのGに向かって大声で叫んだ時、
目の前でGがパッと消え夢から覚めた。
Gはすべてを許して私のところへ帰ってきてくれたと思った。
Gをおんぶして

勝手な思い込みかもしれないけれど、
「安心していいよ」と言ってくれているような気がした。
今でもあの夢のシーンはいつも私と共にある。

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