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天之香具山

富士塚
05 /02 2022
静岡県富士市鈴川の「富士塚」をとりあげます。

この富士塚、地元では「天之香具山」とも呼ばれていたとか。

富士塚は関東とそれ以外では塚の成り立ちがずいぶん違います。

東京、埼玉、千葉の塚は江戸中期以降に人工的に作られたものですが、
静岡県以西ではそれより早く、自然の小山の頂上に、
「富士大神」などの祠を祀ったものを「富士塚」と呼んでいた。

静岡県唯一の「鈴川の富士塚」も、平成28年の発掘調査の結果、
人工的な造作ではなく自然の砂丘に浜石を積んだものとされ、
成立は関東の富士塚より古く近世以前とのこと。

それを彷彿とさせるものを、
明治~昭和に売り出された絵はがきで見ることが出来ます。


松の木の間に小さな丘状の石積みが見えます。これです。
目を凝らして見てください。

img20220430_15173818 (2) 
富士市文化財調査報告書 第六集「鈴川の富士塚」
富士市教育委員会 2018

で、ほかに個人コレクションの絵葉書集を見ていたら、
見つけちゃったんですよ! 間違いを…。

説明では「沼津市片浜駅近く」となっていますが、
そこからだと、あいだに愛鷹連峰があるので富士の裾野までは見えません。

この写真は、上の写真と少し向きが違うだけで、明らかに同じ場所。
写真右に松の木に囲まれた富士塚も全容が写っています。

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「富士山の明治・大正・昭和」石津伸子 中経出版 2013

この富士塚の文献資料は乏しく、一番古いものは、
江戸中期(1733)の随筆「田子の古道」なんだそうです。

しかしこれも、
古いいわれを書いたのか、自分で見たものかはっきりしないという。

でも人々が、富士山の神に祈った場所だったことは確かなようです。

それを昭和51年、コンクリートで固めて整備したのがこれ。

昔、紅白歌合戦で話題になった演歌の小林幸子の衣装みたいだ。


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「鈴川の富士塚」よりお借りしました。

同報告書で執筆者のお一人、井上卓也氏はこの場所について、
史料上から確認できることとして、以下の3通りがあったと述べています。

① 富士登山の安全祈願をした。
② 地元漁師たちが漁の安全と大漁を願い、
   コノハナサクヤヒメに祈りを捧げた。
③ 富士山本宮浅間大社の神官たちが海岸で禊をして祭りを行った。

こちらは平成28年の発掘調査で頂上が削られた現在の姿です。
高さ4mが2mになってしまいました。ガッカリ。

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「鈴川の富士塚」よりお借りしました

この海岸で、万葉歌人の山辺の赤人が歌を詠んでいます。

  田子の浦ゆ打ち出でて見れば真白にぞ
         富士の高嶺に雪は降りける


こちらは昭和15年に、
田子の浦・西海岸に個人が建立した山辺赤人の万葉歌碑です。
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「萬葉 歌碑でたどる世界(上)」露木悟義 渓声出版 平成11年より

著者の露木先生は当時、東洋大学と鶴見大学で教鞭をとっていた文学者で、
ご自分の足で全国の万葉歌碑を尋ね歩き、本を残された。

この建立から46年後の昭和61年、
富士市が田子の浦ふ頭に柱状節理を使った碑を建立。

そして今度は平成24年、「みなと公園」にそっくり移築。それがこちら。


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静岡県富士市・みなと公園内。富士市HPより。

この一帯を「田子の浦」と呼びますが、「田子」とは田を耕す人のこと。
海岸なのに田?と思いましたが、
もう一つには「多胡」と書いて、「渡来人の居住した所」
という意味があるそうです。


天智天皇2年(663)に、「白村江の戦い」という戦争が起こります。

朝鮮半島南部で日本・百済連合軍と唐・新羅連合軍が戦ったわけですが、
これに参戦して朝鮮に赴いたのがこの一帯を支配していた「いほはら氏」です。

大船団を率いて朝鮮半島にまで出かけるのですから、
元は海上交通に長けた渡来人だったかも。


富士塚に隣接する吉原湊もまた、
古代から東西を結ぶ陸路と海上交通の重要な拠点だったそうです。

下はこの湊を利用したときの、父の生家に残された江戸時代の文書です。


船便で沼津の水野の殿様の役所へ梅干しひと樽送ったことへの礼状です。
img086 (2)

しかし、ここは立地条件が厳しい。

左右に富士川の乱流と浮島沼という広大な湿地帯があり、前は海。
常に自然の驚異にさらされてきた。

だからここにあった街道も宿場も2度移転した。

そのため湊は衰退。「富士塚」も忘れられていったという。


それが再び脚光を浴びたのは昭和の大戦のときだったそうで、
戦地へ赴く兵隊の弾除けの祈願所になったとか。

しかし敗戦でまた顧みられなくなって、富士塚はまた忘却されます。

これがこの富士塚の変遷です。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。