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戦争の記憶

世間ばなし➁
03 /17 2022
「えっ、ちから姫さん、そんなバアチャンだったの?」
なぁんてびっくりされるでしょうが、

そうなんです。

あの昭和の大戦の記憶は、私にもあるんです。
ただし、母の話を通じて…。

坂の途中の一軒家だった私の家の、
台所から続く土間の先の戸に直径5センチほどの穴が開いていた。

厚手の木製の引き戸だった。
その穴は戦時中、村の男が夜這いか強盗目的で開けた穴だった。

そのとき、家には30歳の母と5人の幼子だけ。
父は出征していて留守だった。

「目の前で小刀の刃先が動いて、だんだん穴が大きくなっていって。
入ってきたらこれで打ちのめしてやると、戸のこちら側で
木刀を握って震えながら身構えていた」と後年、母が言った。


赤ん坊のころの私。散髪は裁ちばさみでいつも母の手で。
着物や洋服は全部、母の手縫い。

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軍からの命令で茅を供出することになったが、
町から引っ越してきた母にはそれを刈る持ち山がない。

近所は農家ばかりなのに、誰も山を貸してくれない。

仕方なく誰のものでもない遠くの山へ出かけ、
慣れない鎌でようやく何束かを作って背負い子にくくり付けたころは、
すでに頭上は満天の星。

7歳の長女に幼い弟、妹を預けて来たから、さぞ困っているだろうと、
「夢中で山を駆け下り、田舎の道を泣きながら走って帰った」

次姉と長兄、次兄。母に抱かれているのが私。
次姉は自転車にぶつけられてケガをしていた。この時母、若干30歳。

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食糧難、夫のいない厳しい暮らしで母乳が出ない。
「それであんたには玄米を粉にしたのを溶いて飲ませていた」そうで。

で、ついたあだ名が「玄米っ子」

戦後は近所の村会議員の奥さんに連れられて、ヤミ米を買いに出かけた。

「お腹に巻いていたお米を警官に全部没収された。
漁師から仕入れたイワシを売りに出たけど一匹も売れず、腐って全部捨てた」

にわかかつぎ屋の母はことごとく失敗する。


ドアがない満員電車から落ちそうになり、必死で耐えた。
「もうコリゴリだ」と、かつぎ屋はきっぱり辞めた。


「あんたさえ生まれてこなければ」「名前は何も考えずにつけた」

母は時々「鬼母」になって私を苦しめたが、そのあとで「慈母」になった。

理由もなく私だけご飯を抜いたり無視したり、いきなり殴りかかったり。
かと思うと美容院に連れて行き、小学生の私にパーマネントをかけたり。

「鬼母」と「慈母」が繰り返されるのには戸惑ったし、きつかった。


近所の農家のおばさんから言われた。
「あんたはシンデレラだね。お母さんは姉さんたちばかり可愛がって」


こちらは、「お雛さんがないのは可哀そうだから行商人から買った」
という土の芥子雛。私はこの素朴さが自分には合っていると思ってきた。

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こちらは戦争末期の私の種痘済みの証明書。

病気にしないよう、母も必死だったんですね。


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戦後の民主主義教育がかなりたっても、
田舎の学校では戦時中の式典があった。小学生の私は母手製の袴で参列。

一人浮いて仲間外れになったが、今でもあの姿は誇らしく思う。

食卓にサバの煮つけを出すとき父には一番いい所を、あとは長男から順繰り。
母はというと、魚の骨にお茶を掛け、その汁をごはんに掛けて食べていた。

戦後の厳しい暮らしの中でも、母は子供の七五三は欠かさず、必ず写真館へ。
戦時中も姉や兄たちの写真を撮りに隣り町へ行っている。


7歳の私。
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おかしな話だが、
戦争体験がないのに私はかなり長い間、米軍爆撃機のB29に悩まされた。

もの凄い爆音で空を見上げると、真っ赤な炎と黒煙を吐きながら、
B29が現れ、東の山に落ちていくところだった。

わーっと叫んで飛び起きるとそれは夢で、私は全身汗びっしょり。

これは後年、母から繰り返し聞かされた話だ。
それがいつの間にか自分の体験として刷り込まれてしまっていた。

母はこの話のあと決まってこう言った。


「あのときはあんただけ家に置いて、みんなで防空壕へ逃げた」

7歳の時から母を助けてきた長姉のことを母はこう呼んでいた。

「戦友」

そしてこの戦友は、母が100歳でこの世を去るまで共に暮らした。

思えば私は、
母が戦争の恐怖のトラウマから逃れるためのはけ口だった。

あまりのつらさに10歳の時、電車に飛び込もうと外へ出たが果たせなかった。
夜の闇の中にいた私の背後から、「ごはんだよー」と呼ぶ母の声で…。

下は、母と私を繋いでいたへその緒と産毛。

体重=940匁(3525g)。身長=三壁
この「壁」というのは何センチなのか、ご存じの方、教えてください。

この時の産婆さんは、のちに私のお産の時、二男を取り上げてくださった。
親子2代が同じ方にお世話になったんです。


img20220317_13571806 (3) img20220317_13562077 (2)いう

たとえ私が母の恐怖からのはけ口だったとしても、
今なら、「慈母」の姿が本物の母だったと、ポジティブに捉えることが出来る。


それでも私の「戦争の記憶」は、生々しく今も残っています。

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞