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ラーラーラー …㊶

田畑修一郎
03 /29 2022
「これで私も子宮がなくなっちゃったんだよねぇ」

そうつぶやいた八重の言葉に、
格子縞のガウンの女性がうなづきながら言った。

「そういうこと」

みんなが押し黙った。


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「ショックだったよ。こんな私でも泣いちゃったし」

八重のずんぐりした肩が少し震えた。
けれどすぐにその肩をいからせて大きな声を出した。

「でもさ、悪いことばかりじゃないよね!
だって、生理から解放されるわけだから、こんな楽なことはないよ」

「そうよ」と、ナイトキャップを被った女性が口を開いた。

「筋腫って生理痛が大変だって言うしねぇ」

「生理痛だけじゃないよ」と、八重。

「出血がね、もう突然の大出血でサ。そうなりゃもうフラフラよ。
鉄分不足になっちゃって。だから私、薬をずっと飲んでたもの」

みんながまた一斉に押し黙った。

八重の言葉に触発されて、それぞれが自分の病気を思い起こしたのだ。

「でもさ、子宮がないんだから、だからこれからは、
生理痛に悩むことはないし、突然の大出血に慌てることもない。
よかったよ。気楽に旅行に行けるしね。サバサバしちゃった」

「ほんとほんと」と、周りのみんなも口々に言い出した。

そして無事、病気を克服した八重の意気軒高な態度に、
みんなも「病気は乗り切れる」という安堵感と自信を得た。


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だが、ハツエだけは違った。

ハツエは自分の病気は「筋腫で、それも軽いものだった」と常々言っていたが、
その同じ病気の八重が自分より先に退院する。

それがどうしても納得できないのか、八重の言葉を一言も聞き漏らすまいと
瞬きもせず、八重の顔を凝視していた。

そんなハツエには目もくれず、八重はどこまでも快活に話し続ける。

「もうこうなったら、これからは不倫でもなんでもバンバンしちゃうぞー!」
と、八重が叫んだので、ドッと笑いが起きた。

「でもさ、相手だって選ぶ権利ってものがあるんじゃない?」
と、珍しくTさんが軽口を叩いた。

すると八重がキッとなって、
「そんなこと言うけどね。あんた、温泉場のストリップ見たことある?」

「ないわよ、そんなの…」
Tさんがムキになって言い返した。

「あんた、一度見とくといいよ。ありゃあひどいもんよ。
踊り子なんていったってサ、ババアばっかりなんだから」

そう言って八重は立ち上がると、ガウンの裾をつまんで身体をよじり始めた。


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♪ ラーラーラー ラーラーラー

八重の口から、スローテンポの曲が流れた。

♪ ツーラーラー ラーラーラー

八重は自分が発するリズムに合わせて、くねくねと踊り始めた。
時々、ガウンの裾を広げて腰を突き出す。

みんなは呆気にとられ、それから一気に爆笑し、笑い転げた。

「回復したばかりでなので」と言い、空いたベッドに横になっていた女性が、
お腹の傷を両手で押さえて笑いをこらえている。

ハツエだけがなにか汚いものでも見るように、
口元に手を当てて、顔をしかめていた。

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送別パーティー …㊵

田畑修一郎
03 /26 2022
その八重が明日退院するのだという。
その知らせはハツエによってもたらされた。

ハツエは自分と同じ筋腫の患者が、
自分より後から入院して先に退院していくことに不満を漏らしていたが、
Tさんの「お別れ会」発案には賛成した。

午後7時、面会者が帰る時間になった。
それを待っていたかのように、Tさんが外へ出かけて行った。


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私はハツエと一緒に各患者のサイドテーブルを部屋の中央に並べた。
あとはまわりに椅子を置けば、パーティー会場の出来上がりだ。

まもなく両隣りの部屋から患者たちがやってきた。
それぞれの手にたくさんの食べ物を抱えていた。

八重も何やら腕に抱えてやってきた。

急ごしらえの宴卓にはみんなが持ち寄ったメロンや桃の缶詰、カステラ、
ウーロン茶など、病気見舞いにもらった品々が所狭しと並べられた。

外からTさんが帰ってきた。胸に新聞紙の包みを抱えている。

新聞紙を開けると、焼き芋の香ばしい匂いが湯気と共に部屋に漂った。
とたんに「わぁーっ」と歓声があがった。

Tさんは病院を抜け出して、屋台の焼き芋を買いに行っていたのだ。

面会者が息子たちだけという私には、持ち寄るべき品物がなくて
うろたえていると、
「いいから座って座って」とTさんが椅子を勧めてくれた。

小さな宴卓のまわりに、思い思いのガウンを着た7つの顔が並んだ。
ふと、真弓がいた空のベッドを見た。

こちらに顔を向けた真弓が、
ピースサインをしてニコニコ笑っているような気がした。


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「やっと、あそこの毛が生えてきたよォ」
八重が開口一番、こう言った。

「チクチクしてサ、やだねぇ」

みんながドッと笑った。
笑いながらうなづくのは、みんな経験者だからだ。

「でもさ、何はともあれ、退院おめでとう!」

缶ジュースやヨーグルトやお茶缶を持つみんなの手が高々とあがった。
林立するその腕の間から、ハツエの顔がチラッと見えた。

ハツエはひどく鋭い目で八重を見ていたが、
八重は何も気づかないとでも言うように、大きな口を開けて笑っている。

それから自分が受けた手術の話をし出した。

「私サ、下半身麻酔だったでしょ。
手術中、胃なんかがググーッって引っ張られるんだよね。
すごく気持ちが悪くてさー、思わず早くしてよ!って叫んじゃった」

「あら、麻酔が効いただけでもよかったじゃないの」
と、茶のガウンを着た女性が言った。

「305号室の人なんかね、麻酔が効かなくてすごく痛かったんですってよ」

「いやだあ」
みんなが悲鳴を挙げた。


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「麻酔が効かないなんて、そんなことがあるの?」
「あるらしいわよ、たまに」
「いやだあ。で、どうしたの、その人」
「手術が終わるまで、痛い痛いって叫び通しだったんですって。
そしたら医者がね、幻覚だ!って怒鳴ったんですって」

「ひぇ~」

みんな自分の傷の痛みを思い出して、一斉に身をすくめた。


「なにしろ手術中に足の感覚が戻ってきて、
ビリビリしびれてきたっていうんだから、幻覚じゃないと思うけどねえ」

「うーん」

居合わせたみんなが互いの顔を見た。茶のガウンの女性がまた言った。

「だけど麻酔が効かないと治りが早いんですってよ」
「ほんと?」
「その人、そう言ってたもの」
「だけどいくら早くても、生身の腹切りじゃ、いやよねぇ」
「そうよ。あんなもの、知らないうちにチョンとやっていただくのが一番よ」

結論がでたところで、7人はしばらく食べることに専念した。

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胃が満たされると、また会話が始まった。

そんな中、
さっきまで自分の手術の様子をアッケラカンと披露していた八重が、
ポツリとつぶやいた。

「これで私も子宮がなくなっちゃったんだよねぇ」

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姐さん! …㊴

田畑修一郎
03 /23 2022
手術当日、八重が私のところへやってきた。
時計は午後3時をまわっていた。これから手術室へ行くのだという。

その八重が、
ずっしり重そうな布の袋を差し出すと、唐突に「預かって」と言った。

「えっ! これ、貴重品じゃないの?」と聞くと、
無造作に、「うん。宝石やなんか」と言う。

私は慌てて、首を振った。
「いやだよ、そんな大事なもの。なんで病院なんかに持ってきたの?」

すると八重は声を落としてこう言った。
「盗まれたら困るから。だって家には誰もいないもん」

そう言って、その袋を布団の下に押し込んで逃げるように出ていった。

仕方なく私は、ポシェットに自分の財布と八重の宝石袋を入れ、
昼間は肩から斜めに掛け、夜は布団の中で抱えて寝た。


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なぜ八重は同室の患者にではなく、私に預けたのだろう。
そんな思いが頭から離れなかった。

「家には誰もいない」と言ったことも気になった。

そういえば八重のところに、夫らしき人が来たのを見たことがない。

もし、八重が夫のいない人だとしたら、同じように夫の影がない私に、
なんとなく親近感を持ったのかもしれないとも思った。

八重は高校生の息子のことを誇らしげに話したことがある。

「柔道やっててサ。強豪校で。全国大会に北海道へ行ったんだけど、
試合の前の晩、顧問がススキノへ全員連れて行ったんだって」

「ススキノって歓楽街じゃないの? そこへ高校生を、まさか!」と言うと、
「本当だよ。アンタ、何んにも知らないんだねぇ」と、薄く笑った。

「だって、そんなことしたら大問題じゃないの。
先生は確実にクビだし、生徒は退学よ」と語気を強めたら、

「どこの学校だってやってるって。
酒飲まして女抱かせりゃ、小僧ら、試合のとき緊張しないからって。
全国大会で優勝でもすりゃあ、学校はそれでいいんだから」

そう言って、口を大きく開けてヒャッヒャッと笑った。


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八重はそう言ったが、しかし、
その「自慢の息子」の姿も一度も見かけたことはなかった。

もしかしたら、八重には子も夫もいないのではないのか。
空想して話しているだけではないのか。

明るく振る舞っているのは本心を悟られたくないためでは、と疑念がわき、
ふと、八重の孤独の深淵を垣間見たような気がした。

手術後の八重は、前にも増して私のベッドサイドへ来るようになった。

そんなある日、廊下をドカドカ歩く音がした。
足音は病室の入り口でピタッと止まった。

見ると、黒っぽい背広にシックなマフラー姿の男が、
肩をいからせて仁王立ちに立っている。

小柄なその男の後ろから、頭一つ飛び出た形で、
派手な化粧の女性が顔を覗かせた。

女性はふかふかの毛皮のコートを羽織っていた。

そのコートから腕を突き出すと、
ウエーブのかかった長い髪を鷹揚に掻き揚げた。

ここでは、場違いな二人だった。
まるで高倉健の任侠映画の一場面みたいだ。

と思っていたら、その「緋牡丹のお竜」が、突如叫んだ。

「姐さん!」

その声に八重がはじかれるように飛び上がると、入り口めがけて走った。

Tさんもハツエさんも呆気にとられて言葉も出ない。


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ガニ股で歩いていく男の後ろから、
それを煽り立てるように八重がせかせかついていく。

なんとも珍妙な光景に呆気にとられ、ふいに笑いが込み上げてきた。

笑いが込み上げてくるたびにお腹の傷が痛んで、ううっと呻いた。

ほどなくして、八重が部屋に現れた。
少し元気がない。緊張もしていた。

部屋の入り口で青ざめたまま、無言で立ち尽くしていたが、
意を決したかのように顔をあげ、低い抑揚のない声でこう言った。

「ああ見えてもね。あの人らはいい人らだよ。
みんなが思っているほど、悪い人じゃない」

いつもの笑顔が消えた八重の顔は、
頬も目じりもピンと張りつめて凄味さがにじみ出ていた。

「カタギさんには指一本だって触れやしないんだから」

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色男の医者に …㊳

田畑修一郎
03 /20 2022
「お隣の岡本八重さん、あした退院ですって」
部屋へ入ってくるなり、ハツエが言った。

「岡本さん、私と同じ筋腫だったのに、もう退院だなんて」

ハツエはエプロンの端を握りながら、不満そうにため息をついた。

「ハツエさんももうすぐですよ」と、Tさんが優しく声をかけた。

Tさんはすっかり元気になって、歩き回ることが多くなった。
そのTさんがこんなことを言い出した。


「そうだ。
みんなバラバラになっちゃう前に、お別れパーティーやりましょうよ。
ね、八重さんの退院を祝う二部屋合同のお別れ会を…」

ハツエがにっこりうなづき、私ももちろん賛成した。


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隣りの部屋に八重が入院してきたとき、ちょっとした話題になった。

八重さんは楚々とした名前の印象とはほど遠い、
でっぷり太って色黒で肝っ玉かあさんという感じの人だった。

エネルギーを持て余しているのか、
入院早々あちこちの病室をのぞいては、病人たちとすぐ仲良くなった。

看護師をつかまえては、
「私の手術は色男の医者にしてくれ」なんて言うので評判になった。

明日開腹手術というのに元気いっぱいで、
憐憫の病人というイメージはまるでなく、
彼女が病室にいること自体、まったく似合わなかった。

ところが手術前夜、私は八重の意外な一面を見るはめに。

夜半、尿の記録をとるためトイレへ行くと、
薄暗い電灯の下に八重がいて、途方に暮れたような顔で立っている。

「あれ、八重さん、まだ起きてたの?」と声をかけると、
八重はすがりつくような目をして言った。


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「ぜんぜん睡眠薬が効かなくて…。そのかわり今ごろ下剤が効いちゃって」

言い終わらないうちに急激に便意を催したのか、
八重は悲鳴をあげてトイレに飛び込んだ。

トイレのドア越しに激しい下痢の音がして、八重がやれやれと出てきたが、
すぐまた悲鳴を挙げて、トイレに飛び込んで行った。

「一人にしないでね。ここ、なんだか怖いよォ」というので、
私はトイレの入り口で八重を待った。

もうとっくに消灯時間は過ぎている。
遠くから夜勤の看護師の歩く靴音がコツコツ響いてくるだけで、
廊下は静まり返っていた。

何度目かのトイレから出てきた八重は、すっかり消沈していて、
顔は土気色になっている。

看護師がやってきて、「何バタバタしてるんですか」と、八重を叱った。

「だって、今ごろ下痢が…」

心細そうにつぶやいた八重の背中をなぜながら、看護師が小声で言った。
「とにかく早く寝ないと…。でないと明日に響きますよ」

それから八重は二度ほどトイレに飛び込んで、やっと眠りについた。

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手術は色男の先生にしてもらったかは聞き漏らしたけれど、
とにかく八重の手術は無事にすんだ。

そのことは各病室に、またたく間に広がった。


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戦争の記憶

世間ばなし➁
03 /17 2022
「えっ、ちから姫さん、そんなバアチャンだったの?」
なぁんてびっくりされるでしょうが、

そうなんです。

あの昭和の大戦の記憶は、私にもあるんです。
ただし、母の話を通じて…。

坂の途中の一軒家だった私の家の、
台所から続く土間の先の戸に直径5センチほどの穴が開いていた。

厚手の木製の引き戸だった。
その穴は戦時中、村の男が夜這いか強盗目的で開けた穴だった。

そのとき、家には30歳の母と5人の幼子だけ。
父は出征していて留守だった。

「目の前で小刀の刃先が動いて、だんだん穴が大きくなっていって。
入ってきたらこれで打ちのめしてやると、戸のこちら側で
木刀を握って震えながら身構えていた」と後年、母が言った。


赤ん坊のころの私。散髪は裁ちばさみでいつも母の手で。
着物や洋服は全部、母の手縫い。

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軍からの命令で茅を供出することになったが、
町から引っ越してきた母にはそれを刈る持ち山がない。

近所は農家ばかりなのに、誰も山を貸してくれない。

仕方なく誰のものでもない遠くの山へ出かけ、
慣れない鎌でようやく何束かを作って背負い子にくくり付けたころは、
すでに頭上は満天の星。

7歳の長女に幼い弟、妹を預けて来たから、さぞ困っているだろうと、
「夢中で山を駆け下り、田舎の道を泣きながら走って帰った」

次姉と長兄、次兄。母に抱かれているのが私。
次姉は自転車にぶつけられてケガをしていた。この時母、若干30歳。

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食糧難、夫のいない厳しい暮らしで母乳が出ない。
「それであんたには玄米を粉にしたのを溶いて飲ませていた」そうで。

で、ついたあだ名が「玄米っ子」

戦後は近所の村会議員の奥さんに連れられて、ヤミ米を買いに出かけた。

「お腹に巻いていたお米を警官に全部没収された。
漁師から仕入れたイワシを売りに出たけど一匹も売れず、腐って全部捨てた」

にわかかつぎ屋の母はことごとく失敗する。


ドアがない満員電車から落ちそうになり、必死で耐えた。
「もうコリゴリだ」と、かつぎ屋はきっぱり辞めた。


「あんたさえ生まれてこなければ」「名前は何も考えずにつけた」

母は時々「鬼母」になって私を苦しめたが、そのあとで「慈母」になった。

理由もなく私だけご飯を抜いたり無視したり、いきなり殴りかかったり。
かと思うと美容院に連れて行き、小学生の私にパーマネントをかけたり。

「鬼母」と「慈母」が繰り返されるのには戸惑ったし、きつかった。


近所の農家のおばさんから言われた。
「あんたはシンデレラだね。お母さんは姉さんたちばかり可愛がって」


こちらは、「お雛さんがないのは可哀そうだから行商人から買った」
という土の芥子雛。私はこの素朴さが自分には合っていると思ってきた。

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こちらは戦争末期の私の種痘済みの証明書。

病気にしないよう、母も必死だったんですね。


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戦後の民主主義教育がかなりたっても、
田舎の学校では戦時中の式典があった。小学生の私は母手製の袴で参列。

一人浮いて仲間外れになったが、今でもあの姿は誇らしく思う。

食卓にサバの煮つけを出すとき父には一番いい所を、あとは長男から順繰り。
母はというと、魚の骨にお茶を掛け、その汁をごはんに掛けて食べていた。

戦後の厳しい暮らしの中でも、母は子供の七五三は欠かさず、必ず写真館へ。
戦時中も姉や兄たちの写真を撮りに隣り町へ行っている。


7歳の私。
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おかしな話だが、
戦争体験がないのに私はかなり長い間、米軍爆撃機のB29に悩まされた。

もの凄い爆音で空を見上げると、真っ赤な炎と黒煙を吐きながら、
B29が現れ、東の山に落ちていくところだった。

わーっと叫んで飛び起きるとそれは夢で、私は全身汗びっしょり。

これは後年、母から繰り返し聞かされた話だ。
それがいつの間にか自分の体験として刷り込まれてしまっていた。

母はこの話のあと決まってこう言った。


「あのときはあんただけ家に置いて、みんなで防空壕へ逃げた」

7歳の時から母を助けてきた長姉のことを母はこう呼んでいた。

「戦友」

そしてこの戦友は、母が100歳でこの世を去るまで共に暮らした。

思えば私は、
母が戦争の恐怖のトラウマから逃れるためのはけ口だった。

あまりのつらさに10歳の時、電車に飛び込もうと外へ出たが果たせなかった。
夜の闇の中にいた私の背後から、「ごはんだよー」と呼ぶ母の声で…。

下は、母と私を繋いでいたへその緒と産毛。

体重=940匁(3525g)。身長=三壁
この「壁」というのは何センチなのか、ご存じの方、教えてください。

この時の産婆さんは、のちに私のお産の時、二男を取り上げてくださった。
親子2代が同じ方にお世話になったんです。


img20220317_13571806 (3) img20220317_13562077 (2)いう

たとえ私が母の恐怖からのはけ口だったとしても、
今なら、「慈母」の姿が本物の母だったと、ポジティブに捉えることが出来る。


それでも私の「戦争の記憶」は、生々しく今も残っています。

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埼玉で、相模原で、沖縄で

みなさまからの力石
03 /14 2022
力石に目を留めてくださる方が多くなりました。

本当にありがたいです。
力石も久しぶりに見出していただいて嬉しかったと思います。

今回は4人の方がそれぞれのブログでご報告されているのを、
写真をお借りして紹介します。

ーーーお一人目は、
写真ブログ「ITOWOKASHI」のplateauさんです。

itowokasi_2022030913223748a.jpg
埼玉県朝霞市下間木36 氷川神社

「やっぱりプロは違うなぁ」と、斎藤氏。

ダイナミックな構図、幻想的な空、山、滝、雲…。ときには女性美も。
そこに歴史的背景や色彩や美意識を巧みに取り込んで…。

いつも今日はどんな一枚かなと待っています。

「力石(ちからいし)と水準点」


ーーーお二人目は、「横浜水道みちを行く」のdoushigawaさん。

水の流れをどこまでもたどっています。大変ユニークな探訪記録です。
そんな中で、力石に遭遇。

「相模原市かんがい用水路」探訪で、2か所見つけました。

1か所目です。

相模原市
神奈川県相模原市南区鵜野森・日枝神社

「横浜水道みち歩きからいつのまにか用水路や河川など、
水辺歩きになりました」と、ブログ主さん。

「大野支線を歩く②」

doushigawaさんは、静岡県沼津市も歩かれています。
地元にいても気づくことが出来ない貴重な記録です。

2か所目はこちらです。

DSCF3451_20220308114848fces.jpg
相模原市南区谷口・道祖神横

このほか、
日蓮上人像にお召し服を奉納した団体「お召服講」建立の碑や、
八王子と横浜を記した道標などを紹介しています。

「大野支線を歩く③」


ーーー三人目は、

「へいへいのスタジオ2010」のへいへいさんです。

故郷さいたまをこよなく愛する写真家です。
へいへいさんのブログは、まさに「写真絵巻」。

「見沼田んぼ大好き! 写真ブログだよ! 野に咲く花のように…♪」

へいへいさんの気持ちです。優しさが伝わってきます。

稲荷神社で3個目の力石を発見。「もしかすると新発見?」
こちらです。

08DSC_6215.jpg
さいたま市緑区下山口新田18・稲荷神社

この神社で今まで採録されている力石は2個。
これは3個目か?

文字が刻まれた痕跡があるとのことなので、新発見かも。

三重之助先生、いかがでしょうか。

「そんな力石されど力石」

鳥、花、風景、歴史建造物などへいへいさんの守備範囲は広いのですが、
その中に力石も加えていただいています。

その力石をひとまとめにしたのが下のURLです。

この労作、埼玉県の図書館や博物館に収蔵していただけたらと願っています。

「へいへいの力石資料館」


ーーー最後を飾るのは、「おさとうのタナボタ」のおさとうさんです。

北海道から沖縄、台湾、中国まで歩きに歩いています。

全国各地のお食事処の紹介は2020か所。

残念ながら、今年3月でブログ新規更新は終了されるそうです。
でも消さずに置いておくとのことなので、ご訪問は可能です。

こちらは沖縄・国頭村の「石林の壁(パワースポット)」の「石」です。
力石かどうかはわかりません。

Daisekirinzan_008_orgs.jpg
沖縄県国頭村

「沖縄旅行記⑨大石林山・国頭村」

沖縄には「集落に力石が一個でもあれば、力持ちの男の子が生まれる」
との言い伝えがあるそうです。

この石も力石の可能性があるように思います。
ただちょっと小さめなので、願い事を占う「重軽石」かもしれません。

「第二次大戦で焼かれたり、米軍に強制的に土地を取り上げられたりしたため、
戦前のものは何も残っていません。力石もほとんど紛失しました」
と、地元の方。

今また、戦争が始まってしまいましたが、

一日も早い和平を!

ーーーーー


と願うものの、
この戦争がどうして起きたか私は知らないし、現地へ行ったこともない。
第一、ロシアやウクライナの歴史すら知らない。

知らないことだらけだから、判断のしようがない。
ただ、これだけは肝に銘じている。

飛び交う情報、特に情緒的・感情的に訴える情報には注意が必要であること。
短絡的な「善悪二元論」の風潮には乗らない。

それで、
まず歴史を知ろうと、これまた「短絡的」に動画でチョビッと。

とりあえずこれを見ました。



次に見たのが、オリバー・ストーン監督のドキュメンタリー映画(2016年制作)

「ウクライナ・オン・ファイヤー」
日本語字幕付きです。

ちょっと長いです。
野望、陰謀、プロパガンダ。外国勢力や民族が入り乱れて血で血を洗う…。

私にはささやかでも穏やかな日々があれば、と思ってしまいました。

「あなたが新聞を読まなければ、あなたは無知のまま。
新聞を読めばあなたは誤った情報を得る」(マーク・トウェイン)

言えてる。

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真弓さん逝く …㊲

田畑修一郎
03 /11 2022
真弓の突然の告白に病室のみんなは呆然となった。

真弓がまた口を開いた。
「私ってバカみたいでしょ? そんなこと医者に聞いたりして」

ううん、と私は首を振った。ハツエは何も言わなかった。

「でも子供は欲しかったから、やっぱり悩みました」

消灯までまだ時間があった。
それまでにすべてを話してスッキリしてしまおうとでもいうように、
真弓は快活に話し続けた。

「結婚したばかりなのに、それなのに子供を産めない体になっちゃって…。
もう主人に申し訳なくて…。気にするなって言ってくれたけど、でもやっぱり」


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斎藤氏撮影

「大丈夫。子供のいない夫婦はたくさんいるから。
私の友だちもね、いないけどとても仲のいいご夫婦だから」

と、私は柄にもないことを口走った。

子供のいない友人夫婦の話は真実ではあったけれど、
健康な彼らのことは、この真弓の前では安っぽい慰めにしかならない。
私は自分の発言を恥じた。

しかし、向かいのTさんはベッドから起き上がると、
私の発言に呼応するように、こう言い出した。

「そうよ。大丈夫よ。人生の楽しみ方なんていろいろあるから。
ご主人と同じ趣味を持つのも手よ」

さっきまで真弓を凝視していたハツエの鋭い目が、
今度は焦点の定まらない目になってぼんやり宙に浮いていた。

「そうですかぁ。そうですよねぇ。同じ趣味か。そうですよねぇ」

真弓が若々しい声を挙げた。

音大を出て、今は結婚式場でピアノを弾いているという真弓の声は
透明感があって、歌を歌っているようによく通った。


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斎藤氏撮影

「私、自分の病気を教えてもらって良かったと思っているんです。
だってそうじゃないですか。
患者なのにその本人が自分の病気を知らないなんて、おかしいと思いません?

騙されたままお腹切ったり点滴受けたりするのはいやだし。
それに自分の敵を知っている方がずっと闘いやすいし」

真弓のその強い意志に、
「そうよね」と私はうなづき、自分の状況を率直に話した。

「そうだったんですか」と、真弓が目を見開いたままうなづいた。

「私は絨毛上皮ガンなの。だから抗がん剤やってたの」
と、Tさんもそう告白した。

「そうだったんですか。みんな一緒なんだ。私、がんばらなくちゃ。
みなさんに負けないようにがんばらなくちゃ」

そう言って、真弓はへへへと笑った。

真弓の今度の入院は「セカンドルックのため」と言っていた。
念のため、もう一度お腹を開いてみるのだと。

その手術を受け私たちと数日過ごした後、真弓は別の病棟へ移っていった。

そこで逝ってしまったと、母親から聞いた。

「肺に転移していたんです」


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斎藤氏撮影

母一人子一人の母子家庭だった母は、
真弓の夫が家を出て再婚した後、娘の墓守りになった。

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告白 …㊱

田畑修一郎
03 /08 2022
Mさんがいたベッドに入ってきた人は、真弓さんといった。
とても素敵な女性だった。

はつらつとしていて、健康そのものに見えた。

スラリと伸びた姿態に、淡いピンクのガウンを羽織り、
柔らかな笑顔を絶やさなかった。

それが彼女をより明るく見せていた。


初めて来た日、彼女は母親と一緒だった。

ハツエは小走りに真弓の元へ行くと、その母親を無視して、
真弓にピタッと体を寄せ、早口でこう言った。

「ねえ、あなた。何で入院したの? あなた、何の病気?」

向かいのベッドのTさんが、
ハツエのクセがまた始まったという顔で苦笑いしている。


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斎藤氏撮影

「筋腫? それとも卵巣嚢腫?」

真弓の顔から笑顔が消えて、困惑の表情になった。

「きのうまでここにいた人は、子宮脱って変な病気だったのよ」

そう言いつつ、ハツエは自分の両手をこの新参者に伸ばすと、
その手をギュッと握り込んだ。

その途端、真弓の母親がその手をピシャリと叩いた。

母親の両目には敵意のような光りがこもっていた。
ハツエは虚を突かれてパッと手を放すと、バタバタとその場を離れた。

病室に重い空気が流れ、沈黙が続いた。

夜になると真弓のもとに、母親と入れ替わるように真弓の夫が現れた。

若い夫婦はサイドテーブルに灯した小さな明かりを中にして、
何か祈りのような言葉をひそひそと語り続けていた。

そうして退出時間のぎりぎりまで過ごしたあと、
彼は病室のみんなに背を向けたまま帰って行った。


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斎藤氏撮影

再び静けさが戻った時、
真弓が何ごともなかったような笑顔をみんなに向けた。

それから唐突に話し始めた。

「私、何も気にしていませんから」

真弓の向かいのベッドで、ハツエがギクリと体を揺らした。
おかっぱ頭からはみ出たハツエの頬がピクピク動くのが、
はす向かいの私にもはっきり見て取れた。

真弓はここへ入ってきたときと同じ笑顔で、「あのね」と言った。

「あのね、私、卵巣ガンなんです。あっ、ですというより、でしたかな?
一年前、卵巣ガンの手術を受けました。
それで今度は二度目の入院なんです。へへへ」

そう言ってから、ちょっと照れくさそうに笑った。

ハツエは大きく目を見開いて、そんな真弓を凝視していたが、
このいきなりの告白がよほど衝撃的だったのか、いつものように、
「それはお気の毒ね。私のは軽い病気なの」とは言わなかった。

しかしハツエのその目には、異様な光が宿っていた。

「夫もうちの母も、初めは本当のことを教えてくれなくてね」
と、真弓が言った。


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斎藤氏撮影

「最初の手術は無事、終わったの。回復するのも早かったし、
手術は成功したと言ってたから、深刻なんて思っていなかったの。
だから、ああ、これで赤ちゃんが作れるなんて思って。むしろ嬉しかった。

でも生理がね、なかなか来なくて…。それで私、先生に聞いちゃったのね。
先生、私の生理、まだ来ないんですけどって」

真弓の屈託のない、何かを悟りきったような声が病室に響いた。

ハツエは相変わらず瞬き一つせず、硬直したまま真弓を見つめている。

「そしたら、もう来ないんだよって。えっ?て思って、もう一度聞き返したら、
もうきみには生理は来ないよ。だってきみの子宮、取っちゃったからって」

部屋の空気が一気に暗くなった。

ここにいる4人が一緒に、
その暗くて深い奈落の底に落ちていくような気がした。

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闘いの場はトイレ …㉟

田畑修一郎
03 /05 2022
尿意も残尿感もなくしてしまった私の膀胱。

ガンと告げられた時よりも「膀胱がバカになった」と言われたことのほうが、
私にはずっとつらく思えて、そのときばかりはトイレで泣いた。

何故だかわからない。ただ寂しいと思った。

膀胱一つ、自分の意のままにならないなんて、やっぱりつらいと思った。

尿意のないまま便座に座る。
下腹部からタラタラおしっこが垂れた。

手術前のあのほとばしるようなおしっこは、
いくら踏ん張ってももう出てこなかった。

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斎藤氏撮影

その日から二時間置きの採尿と残尿測定が始まった。

19日午後2時 自尿80㏄ 導尿110㏄

「調子いいじゃないの、さやこさん」って、看護師さんに褒められる。
「一滴も出ない人もいるのよ」

19日午後4時 自尿200㏄ 導尿160㏄

「この調子なら、退院早いわよ」って、また褒められる。
私の膀胱って、案外スグレモノなんだって笑った。

この日、千羽鶴を折ってくれたMさんが退院していった。

20日午前2時 自尿ゼロ 導尿120㏄

眠いせいか、それとも私の成績の悪さにがっかりしたのか、
夜勤の看護師さんは何も言ってくれなかった。

こんな真夜中にもかかわらず、
「さやこさん、採尿の時間ですよ」と起こしに来てくれたのに自尿ゼロだなんて。

いきんだりお腹を押さえても、
私の下腹部からはただの一滴だって出てきはしなかった。

きっと膀胱は空っぽだからと思ったのに、
導尿管で採ったら120㏄も入っていた。

まったくもって、「あれれのれ」です。

DSC03681.jpg
斎藤氏撮影

20日午前6時 自尿90㏄ 導尿270㏄

「あらあ、どうしちゃったの?」と看護師さんが小声で言った。

自尿が90㏄も出たので、あっ、調子が戻って来たんだと思ったのに、
膀胱の中にはまだ270㏄も残っていたなんて。

私の膀胱、本当におバカさんになっちゃったんだ。

だってまだおしっこが残っているって感覚は全然なかったもの。

20日午前10時 自30㏄ 導尿30㏄

「できるだけ水分を取ってくださいね。膀胱炎になると大変ですから」

看護師の落ち着いた、しかし、どこか緊迫した声が耳に届く。

術後、膀胱炎になったら腎臓をやられて大変だと聞いていたから、
私はすごく緊張した。

この日、Mさんがいたベッドに真弓さんが入ってきた。

CIMG3745.jpg

この病室の誰よりも若い娘さんだった。
一気に病室が華やいだ。


ーーーーーデヴィット・ハーヴェイの論説

こんな論説が載っていました。
英国の地理学者が書いたウクライナへのロシアの侵攻についてです。
拙ブログには似合わないですが、
大変、奥行きのある論説なので、お借りして掲載しました。


「デヴィット・ハーヴェイの論説」


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ひな祭り!

世間ばなし➁
03 /02 2022
またまた「ばあばバカ」って笑われそうですが、

笑ってください \(^o^)/

なにしろ初めての女の子の孫なので嬉しいのです。

去年の初節句に贈ったおひなさまです。

吊るし飾りの方がいいみたいだなぁ。

IMG_7210.jpg

お正月に会ってからまだ2か月しかたっていないのに、
顔が赤ちゃんから幼児になってきたような…。

あと少しで2歳。

ひな祭りも近いし、何か贈りたいなあと思って、
それで、
この前、絵本に興味を示したので本屋さんに出かけました。

わっ! これおもしろいと思ったのは、
ほるぷ出版の「ねこは るすばん」

思わず絵本の世界に引きずり込まれて、アハハ、うふふ。

この前、公園で、
大きな犬に顔をベロベロ舐められても平気だったというから、犬の絵本も購入。
買ったのは、英語圏出身のママが読み聞かせできるように英語の絵本。

私って気が利くよねと自画自賛。

「ねこは…」は、
まだ孫には早すぎたかなと思いつつ送ったら、翌日、こんな写真が届いた。

IMG_7213.jpg

すごい真剣な目で見ています。

やれやれ、よかった。

動物好きは遺伝。息子も幼い時から犬、猫が自然に寄ってきた。

捨て猫だったサビちゃん。寝返りの下敷きになっても息子から離れなかった。

img20220228_12561706 (2)

それがどうやら孫にも伝わったようで…。

ほるぷ出版のHPに、こんな動画がありました。

楽しくて、癒されます。



動画に出てくる「猫の写真の募集」は先月28日で終了。
なので、
もしかしたら動画は消されたかもしれないので、そのときはこちらを見てください。

「ねこは るすばん」


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。