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その人、誰?

三ノ宮卯之助
09 /07 2021
卯之助の顕彰碑建立に端を発した「いちゃもん」記事、
途中から、滑川市での新発見力石へ話が飛びました。

記憶を巻き戻して再開です。

この一連の記事を書くきっかけは、
顕彰碑の卯之助年譜に腑に落ちない部分があったからです。

一つ目は「家斉ご上覧」とあるが、「家斉」という証拠はない。
二つ目は上り坂に差し掛かり、江戸でその実力が知れたころを証明した、
「弘化年間の石」が、無視されてしまったこと。

卯之助の位牌の戒名についても、面白おかしく解釈していますが、
見当違いで、配慮を欠いている。

おいおい書いていきます。

     ーーーーー◇ーーーーー

まずは、木更津の船頭たちが江戸から運んできたという、
千葉県木更津市の観蔵寺の石の続きです。

さて、この石には、たくさんの文字が刻まれていますが、
これがさっぱり読めません。

意味が通じないのです。

石の発見者の高崎氏やそれを孫引きした研究会の方々が、
もう一歩踏み込んでいてくれたら、江戸のどこにあったのかなど
解明できたかも。ちょっと残念。

観蔵寺の石です。
観蔵寺1

文字の配列はどうなっているかというと、下図の通りです。

私自身が現地で見ていないので、
「越谷市郷土研究会」の資料をお借りしました。

拓本があればなぁと思いますが、今、手元にあるのはこれ一枚。
そこから、なけなしの知恵をしぼって見ていきます。

ただ、斎藤氏によると、この資料には、
「文政癸(未)」「未」「此(石)自持」「石」が抜けているとのこと。

私見では、最初の判読者の誤読があるのではと思っていますが、
ここでは資料に従って見ていきます。

IMG_4366 (3)
「木更津の卯之助石」西村 功

「五拾五貫余」の下部に、5人の名前が並んでいます。
この5人は世話人なのか? 

世話人なら、こんな場所へ刻まないし、
かといって、この5人も石を持ったとも思えません。

左端の「権治良」「本所 柳島 権治郎」ではないかと思っていますが、
これはあくまでも推測です。

卯之助と権治郎を結びつけたきっかけはこの石かも、と、
想像を膨らませていますが、証明は難しい。

これはひとまず置いといて、問題の個所に移ります。

「文政癸(未)冬十月六日」

癸未(みずのとひつじ)」は、文政6年(1823)のこと。
10月6日は、今の暦で11月初めごろ。

「冬」は、「立冬」という意味か?

IMG_4366 (5)

次がよくわからない。

「其人誰」(赤線)=「その人誰」なんて書き方するかなぁ。

なんだか出来の悪い日本語翻訳機か、音声文字変換を見ているみたいだ。

直訳すると、

「文政6年10月6日、この石持った、内田において子の刻。
その人誰、東都3有力」

意訳すると、こんな感じ。

「文政6年10月6日の子の刻、内田において、この石を持った人がいた。
その人は誰かと言うと、東都(江戸)の三人の有力な力持ちです」

通常は、持った人の名前のあとに「持之」と書きますが、
ここでは、「東都の有名な3人の力持ち」を強調したかったのか?

「於之内田」は、「内田という場所で」という意味か?

それで、次の「子刻」
何でこんな場所に時刻が来るのかわかりませんし、
力石に時刻まで彫るなんて、あり得ません。

それとも、
「内田子、之を刻む」なのか? 

でも、これもなんだか変だ。ここはひとまず「子刻」として、

子の刻は、午後11時から午前1時までの時刻です。

img20210815_14282379 (2)

そんな真夜中に力持ちをやったとも思えません。

「子の日」には、「子の刻参り」といって、
深夜にお参りをする風習があった。ことに、
正月の子の刻参りは新しい年の始まりで、神社に集まって年越しをした。

また、
年6回60日ごとに来る「甲子の日」は、運が開く日として、
大黒天の寺社へ深夜、お参りに行くことが盛んだった。

でも、この石の年月日と「子の刻参り」とは無関係みたいだし、

本当に人騒がせな「文章」です。

ちなみに、この2か月前の8月、大捕り物があった。
ゆすりや詐欺の大悪党・河内山宗俊が召し捕られて獄死。42歳だったとか。

そういう時代に、久太郎たち「江戸の3有力」は生きていたんですね。

この大悪党は、死後、日本左衛門同様、歌舞伎狂言に仕立てられて、
江戸っ子の人気を博した。

江戸っ子ってのは、こういうのが好きなんですね。
悪党をすぐ義賊にしてしまいます。

桃川燕国講談「河内山宗俊」より。坊さん姿が河内山宗俊。右は子分の権次。
jpegOutput (3)
国立国会図書館デジタルデータより

で、子の刻の次に来るのが「丑の刻」。

よく知られているのが「丑の刻まいり」です。

うらみのある相手の藁人形をつくって、丑三つ時に、
ご神木に5寸釘で打ち付けるという身の毛もよだつ行為です。

実は私、これを見たことがあるんです。当地に転居してきたころでした。
現場ではなくその痕跡だけ。しかも神社ではない場所で。

農道をテッペン近くまで歩いて行ったら、ガードレールに木がくくり付けてあって、

その木の途中に、ビニールで包んだ板が打ちつけてあって、
それにフォークがグサリ、突き刺してあった。

板に張り付けた紙を見たら、とんがった文字で恨みつらみが書き連ねてあった。

img20210905_11580721 (2)

見た瞬間,あ、これ、丑の刻まいりだな、と。

5寸釘じゃなくて、食事に使うフォークってのがまた異様で…。
硬い木の板にフォークが刺さるなんて、恨み骨髄って感じだった。

まだ新しかったので、
これを打ち付けた人の怨念や狂気が、生々しく残っているような気がして、

ゾーッ…。

でも、相手の名前は書いてなかったんですよ。

当時はまだ小さな集落だったし、この農道を通る人は限られていたから、
地元の人なら、恨んだ人も恨まれた人もすぐわかったはず。

ヨソモノの私には見当もつかなかったけれど、
怖い半分、やじ馬根性半分の私、あのときは、まさに、

「その人、誰?」

の心境でした。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞