力持ち、昔と今
みなさまからの力石
九州大学ウエイトリフティング連盟会長だった美山豊は、
論文「日本重量挙史」の中で、こう述べている。
「私はこの小史を書くにあたって、どうしても日本古来の重量挙(石挙げ)に
触れなければならないと思っていた」
「屈(曲)げた膝を伸ばす足の力と臀(臀部。尻のあたり)の引く力、
それに腰の力で胸まで挙げる。重量挙も全くその要領である」
「石挙げは下半身が鍛えられるため、
宮相撲の選手権の基礎練習として効果大であった」
盤持ちが盛んだった北陸から、優秀な相撲力士が出たのもうなづけます。
今、滑川市立博物館で開催中の「滑川スポーツ史」にも、
郷土の出身力士「緑嶋友之助」が登場しています。
「緑嶋友之助 土俵入りの図」

滑川市立博物館提供
緑嶋友之助(1878~1952) 74歳没。
父は地元相撲で大関。四股名は「緑山」。
友之助は17歳で5斗俵を差し上げた怪力の持ち主だったという。
京都相撲から東京の春日山部屋へ入門。
二十歳で初土俵。最高位は小結。37歳で立浪部屋を創立。
横綱双葉山、羽黒山、大関名寄岩など
数々の名力士を育てた。
父と同名の子息・高木友之助は、中国哲学者で後に中央大学総長。
そしてもう一人、
ウエイトリフティングの世界で活躍する青年をご紹介します。
村上英士朗 愛称「タンク村上」。24歳。
富山市出身ですが、母校は富山県立滑川高校。
日本大学を経て、三宅宏美と同じ「いちごウエイトリフティング部」所属。
滑川高校には、「ウエイトリフティング部」があるんですね。
ここにも日本古来の重量挙げ(盤持ち)の伝統が生きていました。
+109キロ級でスナッチ、ジャーク、トータル415㎏の日本記録保持者。
2019年、IWFワールドカップで優勝。
今回の東京オリンピック出場は叶わなかったが、まだまだこれからですね。
好きな言葉は、「不借身命」
一番心に残っている映画は、「黒部の太陽」
行きたい旅行先は、「伊勢神宮」
24歳の若者としてはなかなか古風です。
詳しくは下記のURLの「メンバー紹介」「村上英士朗」をご覧ください。
「いちごスポーツサイト」
その村上、NHKのインタビューでこう言っています。
「やっぱりまだまだウエイトリフティングはマイナー競技なので、
SNSを通じて見てくれる人が増えるとうれしい」
北陸の青年たちは骨がある。
日本古来の重量挙げのそばつぶさん、
外国由来の重量挙げの村上さん、
力石には持つところがない。バーベルにはあるけれど重い。
お二人ともその難しさに挑戦中です。
ーーーーー化粧まわしの「法曹」文字についてーーーーー
緑嶋友之助の化粧まわしに、
相撲とは縁のなさそうな法律の世界の「法曹」が刺繍されています。
なぜなのかを、
(株)ベースボール・マガジン社・相撲編集部の門脇氏に教えていただきました。
「明治44年6月、
関取衆が本場所中の特別給金増額などを掲げて、春場所をボイコット。
その先頭に立ったのが「力士団の知恵袋」・緑嶋だった。
力士たちは新橋倶楽部に籠城。緑嶋は得意の弁論でアジったのだ。
闘争は二十日間続き、とうとう毎場所の総収入のうち、
十分の一の慰労金を獲得。
その緑嶋の痛快さに、
当時の法曹界の気鋭の面々が拍手喝さい。
「法曹」の二文字を刺繍した化粧まわしが贈られた」
=「緑嶋一代記」抜粋。
※「法曹界の気鋭の面々」とは。
●花井卓蔵 中央大出身。のちに政治家。第3代検事総長。
●三宅碩夫 中央大出身。日本弁護士会設立に貢献。
●原嘉道 東京大出身。のちに中央大総長。
※門脇氏からの追伸です。
「ザ・ドリフターズの高木ブーさんも中央大出身で、
本名は高木友之助です」
もう、中央大学と「高木友之助」だらけ(笑)

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論文「日本重量挙史」の中で、こう述べている。
「私はこの小史を書くにあたって、どうしても日本古来の重量挙(石挙げ)に
触れなければならないと思っていた」
「屈(曲)げた膝を伸ばす足の力と臀(臀部。尻のあたり)の引く力、
それに腰の力で胸まで挙げる。重量挙も全くその要領である」
「石挙げは下半身が鍛えられるため、
宮相撲の選手権の基礎練習として効果大であった」
盤持ちが盛んだった北陸から、優秀な相撲力士が出たのもうなづけます。
今、滑川市立博物館で開催中の「滑川スポーツ史」にも、
郷土の出身力士「緑嶋友之助」が登場しています。
「緑嶋友之助 土俵入りの図」

滑川市立博物館提供
緑嶋友之助(1878~1952) 74歳没。
父は地元相撲で大関。四股名は「緑山」。
友之助は17歳で5斗俵を差し上げた怪力の持ち主だったという。
京都相撲から東京の春日山部屋へ入門。
二十歳で初土俵。最高位は小結。37歳で立浪部屋を創立。
横綱双葉山、羽黒山、大関名寄岩など
数々の名力士を育てた。
父と同名の子息・高木友之助は、中国哲学者で後に中央大学総長。
そしてもう一人、
ウエイトリフティングの世界で活躍する青年をご紹介します。
村上英士朗 愛称「タンク村上」。24歳。
富山市出身ですが、母校は富山県立滑川高校。
日本大学を経て、三宅宏美と同じ「いちごウエイトリフティング部」所属。
滑川高校には、「ウエイトリフティング部」があるんですね。
ここにも日本古来の重量挙げ(盤持ち)の伝統が生きていました。
+109キロ級でスナッチ、ジャーク、トータル415㎏の日本記録保持者。
2019年、IWFワールドカップで優勝。
今回の東京オリンピック出場は叶わなかったが、まだまだこれからですね。
好きな言葉は、「不借身命」
一番心に残っている映画は、「黒部の太陽」
行きたい旅行先は、「伊勢神宮」
24歳の若者としてはなかなか古風です。
詳しくは下記のURLの「メンバー紹介」「村上英士朗」をご覧ください。
「いちごスポーツサイト」
その村上、NHKのインタビューでこう言っています。
「やっぱりまだまだウエイトリフティングはマイナー競技なので、
SNSを通じて見てくれる人が増えるとうれしい」
北陸の青年たちは骨がある。
日本古来の重量挙げのそばつぶさん、
外国由来の重量挙げの村上さん、
力石には持つところがない。バーベルにはあるけれど重い。
お二人ともその難しさに挑戦中です。

緑嶋友之助の化粧まわしに、
相撲とは縁のなさそうな法律の世界の「法曹」が刺繍されています。
なぜなのかを、
(株)ベースボール・マガジン社・相撲編集部の門脇氏に教えていただきました。
「明治44年6月、
関取衆が本場所中の特別給金増額などを掲げて、春場所をボイコット。
その先頭に立ったのが「力士団の知恵袋」・緑嶋だった。
力士たちは新橋倶楽部に籠城。緑嶋は得意の弁論でアジったのだ。
闘争は二十日間続き、とうとう毎場所の総収入のうち、
十分の一の慰労金を獲得。
その緑嶋の痛快さに、
当時の法曹界の気鋭の面々が拍手喝さい。
「法曹」の二文字を刺繍した化粧まわしが贈られた」
=「緑嶋一代記」抜粋。
※「法曹界の気鋭の面々」とは。
●花井卓蔵 中央大出身。のちに政治家。第3代検事総長。
●三宅碩夫 中央大出身。日本弁護士会設立に貢献。
●原嘉道 東京大出身。のちに中央大総長。
※門脇氏からの追伸です。
「ザ・ドリフターズの高木ブーさんも中央大出身で、
本名は高木友之助です」
もう、中央大学と「高木友之助」だらけ(笑)

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