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父と歩けば

三ノ宮卯之助
07 /15 2021
ここで少々脱線。

私の見世物見物の体験をご披露します。

隣町に大きな神社があって、
祭礼のときには近隣から人々が押し寄せました。

母も負けじと子連れで祭りへ出かけた。
しかし、兄や姉たちは高学年になるにつれ離れていき、
いつしか末娘の私だけが取り残されて、母から声も掛からなくなった。

それを不憫に思ったのか、ある年、父は山越えで私を連れ出してくれた。

山越えは、満員電車が苦手な私を思ってのことだった。

今思うと、8、9歳の足でよくあの峠道を歩いたと思います。

写真は、台風のたびに流された吊り橋です。
これを渡って対岸の山を越えると、隣り町へ行けました。

近所にカメラ好きの青年がいて、私たちはよくモデルになりました。
田舎で個人がカメラを持っているのは珍しいころです。

今は亡き長兄と次姉と。真ん中が私。
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道々、貝の化石を拾ったり、
普段は無口な父が山の伝説を話すのを意外な思いで聞いたり、
おにぎりを食べたりして、
ようやく峠へ立った時、眼前に雄大な富士山が…。

左右に大きく裾野を広げ、その懐に家々を抱いて…。

はるか眼下から風に乗って、祭り太鼓が聞こえてきた。
その切れ切れの音を目指して、私は転がるように坂道を駆け下りた。

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あの時の感動は今も鮮明です。

父が万病に効く「ガマの油」なる薬を買って土産に持ち帰り、
母に散々嫌味を言われたのは、確かこのときだった。

母や兄姉たちと行ったときは、見世物小屋に入りました。

「親の因果が子に報い~」という呼び込みに、姉が入りたいとせがむ。
人間の女と熊との間に生まれた「熊娘」を見せるというのだ。

こちらは「熊娘」ならぬ「鬼娘」の見世物。

「生まれながらに頭には角が生え、口は裂けて二本の牙」
との呼び込みに入ってみると、偽装した普通の娘だったという。

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「安永版鬼之趣向草所蔵」

で、熊娘はどうだったかというと、

がらんどうの小屋の中に、
厚化粧の年増がただ一人、椅子に座ってたばこをプカプカ。

黒い毛糸を垂れ下げた長靴下をはいた足を、
時々、見物人の目の前に突き出すだけ。

その足元に「熊娘」と書いてあった。

出口にクリカラモンモンのコワモテがいて、高額料金を吹っ掛けてきた。

そうか。呼び込みが、
「お代は見てのお帰り~」と言ってたのは、こういうことだったのか。

ぼったくられた母は外へ出るなり、姉に向かって怒りを爆発させた。
「アンタが見たいなんて言ったから!」

こちらは、今なら水族館でお目にかかる「アザラシ」です。
江戸のころはなんだかわからず「オバケ」と呼んで見世物にしていた。

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「巷談街説所蔵」

「熊娘」に比べたら、前年見た「ろくろっ首」は、まだ芸があった。

粗末な舞台に男が一人ちょこんと座っていて、
だいぶ人が入ったなぁという頃合いに、どろどろどろと太鼓が鳴った。
すると、顔だけが胴体から離れてスルスル上がっていった。

「種も仕掛けもない」と言っていたけれど、なんのことはない。

幕の後ろに顔だけ出した人と膝だけ出した人が二人いて、
太鼓が鳴ると幕の切れ目から顔を出していた一人が立ち上がるだけ。

「まんが日本昔ばなし・しょうじょ寺の狸ばやし」
にっぽん昔話
企画・グループ・タッグ 二見書房 昭和52年

落語の二人羽織の見世物編ってとこだ。

でも、見物人は大笑い。しかもこの一座には、
ぼったくりの恐い兄さんがいなかったから、みんな笑って小屋を出た。

「のぞきからくり」を覗くと、ただ女優の写真が貼ってあるだけ。
別に腹立たしくもなかったのは、
見世物とは「口上の芸」と子供心に納得していたから。

祭りで唯一、緊張したのはサーカス。

綱渡りもそうだけれど、大きな球形の鳥かご状の中を、
オートバイ乗りが2台、3台と走り回る芸は今でも拍手を送りたい気分です。

兄や姉は「あれ食べたい」「これ買って」だったけれど、
私は何も欲しがらない子供だったので、母から、

「アンタは張り合いがない。アンタにだけ買ってやらないなんて外聞が悪い。
何でもいいから、これ、欲しいと言いなさい」と叱られて、
半べそで、欲しくもないゼンマイ仕掛けのブリキのカメを指さした。

私はただ、寡黙なおじさんの指先からサラサラ流れる色砂が、
画紙に落ちた瞬間、美しい絵や文字になる砂文字や、

あっという間に様々な動物を生み出すしんこ細工のおじさんの妙技を、
飽かず眺めていたいだけだったのに。

様々に歪んだ鏡に自分の顔を映す「七面鏡の見世物」
「己が姿をうつして見るなり。とんだおかしき物也」

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「見世物雑志」小寺玉晁

普段の暮らしの中へも、こうした「異次元世界」の人々が現れました。

玄関の戸を細く開けて、
一の俵が舞い込んだ」と言って、藁製の小さな俵を投げ込み、
スルスルと引き寄せては片目をのぞかせ、

反応がないと、「二の俵が舞い込んだ」と言い、
延々、同じ所作を繰り返した物乞いさん。

「キツネ遣い」と称する流れ者の芸人が村の集会所へ来て、

「姿の見えないおキツネさまが、これからいろんなものを持ってきます。
家へ帰ったらなくなったものがあるかもしれませんよ」

と、村人をたぶらかして、ドロンと消えたことも。

集会所に村人を集めたその留守に、仲間の「おキツネさま」たちが暗躍、
なぁんてことになっていたかも。

たまには後ろ姿も…。このおキツネさまはシッポだけ化けてます。
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静岡市清水区・美濃輪稲荷神社

私の日常からは想像もつかない異次元の世界で、
怪しさやうさん臭ささをまといつつ逞しく生きている、

そういう人たちの世界があることを、
私は祭りの見世物小屋や流れ者の芸人たちから知りました。

それが私を正史に残りにくい歴史へ導いたきっかけのような気がします。

でも、「親の因果が子に報い…」の「熊娘」がこれを聞いたら、
きっとこう言って嘲笑ったでしょう。

「いいとこの嬢ちゃんに、なにがわかるってんだい!

父と祭りに行ったのは山越えのこれ1度きり。

半日がかりで町へ着き、父と二人でただ参道を歩いて帰って来ただけ。
見世物は見なかったけれど、父と歩いたこの日のことは、
今は静止画となって、心を飾っています。


ーーー青森県弘前市の力石をご紹介しますーー

青森県在住のブログ「海岸便り」の浜風さんからコメントをいただきました。
東北地方の力石をご紹介する機会がなかったので、載せてみました。

「明治二巳巳年 工藤巳之吉 廿五才 力試石 目方五十二メ目」

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「北海道・東北の力石」高島愼助 岩田書院 2005

造り酒屋「高島屋」の若い衆達が酒絞りの石を持ち上げる競争をしていた。
それを見ていた主人が、
「一番重い石を持ち上げたら名前を彫ってやろう」と言った。
巳之吉が首尾よく担いだので、約束どうり石に名前を刻み奉納したそうです。

この石は現在、品川町の胸肩神社にあります。

高島先生によると、青森県で最も重い「刻字」の力石だそうです。

今は亡き伊東明・上智大学名誉教授の調査です。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞