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ご開帳

三ノ宮卯之助
07 /12 2021
「江戸名所図会」には、「卯之助の晴れ姿」はなかったけれど、

力持ち興行の小屋の形状は、名古屋藩士・小寺玉晁
「見世物雑志」(文政元年~天保7年)で知ることが出来た。

「角力場のごとく四本柱を立て、三方より見物をなす」

卯之助が興行したと思われる弘化4年の浅草寺奥山の小屋は、
間口6間、奥行8間。これは48坪(約158.6㎡)で、畳にして95.8枚分。

ちょっとした家一軒の敷地分。かなりの広さです。

寺社への謝礼(冥加金)は、5貫文(約5万7600円)。
ちなみに「ギヤマンノ船」の冥加金は、20貫文(約23万円)。

同じように見世物でにぎわった両国広小路では、
総額一千両の商いがあったというのですから、
このぐらいの冥加金など、はした金だったかも。

次に、
「江戸名所図会」に描かれた芸人二人をご覧に入れまする。
私の口調も、だんだん見世物口上風になってきました。

一人目は、「曲独楽」の松井源水です。(赤丸)

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本業は薬売り。余興のつもりの独楽まわしが評判を呼び、
ついに将軍のご上覧を賜った。

同時期、奥山伝司なる独楽まわしがここで興行したものの、
「生けるがごとく独楽を自在に操る源水」には遠く及ばず、敗退。
 =「藤岡屋日記」

二人目は手妻師(手品師=ジャグリング)の芥子之助(青丸)。
源水同様、大人気で人垣が出来ております。

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「高下駄をはいて豆と徳利を手玉にとったり、鎌を投げて空中で豆を切ったりした」
  =「浅草」堀切直人 石文書院 2005 原本は「只今御笑草」

「空中で豆を切った」って、そんな小さい物、見えないでしょ。
本当に切れたのなら、鎌の方を褒めてやりたい。

そこは手妻師ですからね、チョチョイのチョイ。

「弄玉」=ジャグリングです。
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「和漢三才図会」より

で、余談ですが、「江戸名所図会」の作者・斎藤月岑の
「武江年表」を見ていたら、突然、ご先祖さまと遭遇。

父の生家は田舎のしがない神社で、昔、伯母から、
「江戸へ出て盛んにご開帳をやっていた」と聞いていましたが、
「武江年表」で見るのは初めて。

こちらは安永九年(1778)、浅草御蔵前八幡宮でのご開帳の記事。

武江年表曽我八幡 (3)

曽我八幡宮といいます。

所在地は中世に松風の荘と呼ばれた駿州鷹ケ丘厚原、現在の富士市。

富士の裾野で曽我兄弟が親の仇を討った話が、
歌舞伎などでもてはやされていたおかげで、60日間、大入り満員。

曽我兄弟の父・河津三郎です。手玉のごとく操った力石が残されています。
20161104232206b76 (2)
静岡県賀茂郡河津町・河津八幡神社

先祖と氏子さんたちは、
大風で社殿が痛んだといっては、寺社奉行に出開帳を願い出て許され、
かなりの収益を挙げたそうです。

こちらは明和二年(1765)の浅草永代寺でのご開帳記事です。

武江年表明和曽我八幡 (2)

このとき使った箱書きの一部が、今も残っています。

これを書いたのは先代の甥で、当時江戸在住だったのを、
先代が19歳で亡くなったため急きょ呼び戻されて、跡を継いだそうです。

傾きかけた家を再興させた「中興の祖」とか。

大社の許可がなかなか下りない中、難なく許可され、
江戸での出開帳が成功したのは、この人の人脈のおかげだったのかも。

私は字が下手ですが、ご先祖様も下手。明らかに遺伝ですね。(*^_^*)

img351 (2)

大道芸人の小屋に交じって、宝物を見せていた先祖の姿が浮かんできます。

その江戸で、若くして不慮の死を遂げた先祖もいたという。
伯母は不名誉なこととして口をつぐんだから、理由はわからずじまい。

今はもう、父の故郷には誰もいなくなり、
お江戸での出開帳の華やぎも、うたかたの夢と消えました。


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(7月11日)

「静岡市清水区興津清見寺町・清見神社」


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞