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千本桜通り

三ノ宮卯之助
07 /09 2021
蹉跎(さだ)庵主人の「見世物興行年表」と、
神戸大学所蔵の引き札から、
合力稲荷神社にある卯之助の「足持石」の足差しは、

どうやら、浅草寺奥山の「千本桜通り」で行われたことが判明。

だって、卯之助銘の「二百貫目」の大石は、ほかにありませんから。

こちらが「江戸名所図会」に描かれた「千本桜通り」(赤丸付近)です。

黄色の丸付近には、
柳の枝で作った弓で的を射る「楊弓場=矢場」が並んでいます。

青丸は興行中の手妻師(手品師)「芥子之助」(けしのすけ)です。後述。

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「新版 江戸名所図会下巻」鈴木棠三・朝倉治彦 校註 角川書店 昭和50年

※同著は神田の名主・斎藤幸雄、幸孝、幸成(月岑)の3代が、
  30余年の歳月をかけて完成させた地誌。絵は長谷川雪丹。

この桜の木は、
卯之助力持ち興行が行われた弘化4年の、114年前(享保18年)に、

吉原の遊女屋とその抱え遊女たちが寄進したもので、
種類は「ヤマザクラ」。

「ソメイヨシノ」が育成されたのは江戸末期から明治初期ですから、
それ以前の花見は、吉野山と同じ「ヤマザクラ」だったんですね。

ーーーーー参考までに

「江戸名所花暦」の「東叡山」の項に、
「彼岸桜より咲き出でて、一重、八重追々咲き続き、弥生の末まで
花の絶ゆる事なし」とある。

また、「浅草寺の千本桜は遅桜で、植えたのは元文のころ」とも。

ーーーーー

「江戸名所 金龍山之図」広重・画。桜並木の背後にあるのは浅草寺本堂。
浅草寺桜本堂
国立国会図書館デジタルデータより転載

ここで行われた見世物興行は多種多彩。

軽業、からくり、ヘビ使い、娘踊りもあれば角兵衛獅子、落語に講談、物まねも。

著名な下岡蓮杖を始め有名無名の写真師たちが軒を連ね、
エレキテルや人体透視術(レントゲンのようなもの)を見せる者もいた。

珍奇、ハイカラ、荒唐無稽となんでもござれ。

油絵の展示も鯨の標本、生きたらくだの展示もあったそうですから、
演芸、芸能、芸術、博物、スポーツと、まさに江戸人の文化のるつぼ。

本物そっくりの生き人形や大仕掛けの細工物に、「貴賤群集す」の状態。

その一つが、ガラス細工の「ギヤマンノ船」

説明のため、原画に赤丸を付けてしまいましたがお許しを。

「興行年表」の作者によると、赤丸の中に、
海水に吹き上げられた口上の「あら子」が描かれているそうです。

「ギヤマン細工舩」 国輝・画
giyaman_202107040850374e9.jpg
「見世物興行年表」(東洋文庫画像デジタルベース)より、お借りしました。

船上の人形たちは機械仕掛けで動き、
その口上(こうじょう)をあら子さんが述べていたんですね。

「高うはござりまするが、ごめんをこうむり、
これより口上を持って、申し上げ奉ります」

なぁんて、あら子さん、
キラキラ輝くガラスの船を背にしての晴れ舞台。

天下一品の自慢の喉を聞かせたことでしょう。

さて、ギヤマンとはビイドロに細工を施したものだそうですが、

こんな大きなガラス細工の、しかも彩色までできる技術を、
当時の日本人が持っていたとは、

ぶったまげました。

このオランダ船の正確な大きさはわかりませんが、

文政年に出た「ギヤマン灯ろう」は、横渡り約4mあったそうですから、
このオランダ船もそれ以上の大きさだったのかもしれません。

卯之助の絵もどこかにありそうですが、見つかりません。

なんとか見つけとうござりまする。


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(7月9日)

「さいたま市見沼区片柳・天満宮」


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞